Bパート

「まさか、お前は」


「そう、僕が九兵衛さ」


 暗闇の中、僕の目の前に現れた宇宙侍。

 彼はそう言って、怪しい微笑みをこちらに見せた。


 九兵衛。

 かねてより、X兵衛からその存在と名前だけは聞かされていた相手だ。けれど、まさか、接触してくるとは思ってもみなかった。

 というか、どうして彼が僕にこうして会いに来たのだろうか。


「鳩が豆鉄砲くらったような顔をしているね。そんなに、僕がやって来ることが意外だったかな?」


 そう言って、笑う九兵衛。


 流石は人の娘をたぶらかして、魔法少女なんていう冥府魔道に引きずり込むだけあって、喰えない性格をしているのは間違いなさそうだ。

 こいつ、いったいどういうつもりだ。


 まぁいい。


 俺は布団の中からのっそりと起き上がると、九兵衛の前に立ちふさがった。

 焔さんや、巴さんほど僕は体格はよくない。

 だが、まがりなりにも、僕も成人男性である。

 少しくらいの筋肉の蓄えはある。


 加えてこの体格差を考えれば、みすみすやられるようなことはないだろう。

 ぼきりぼきりと、手を鳴らして見せると、僕は顎をしゃくってみせた。


「てめぇと会ったら、一言文句を言ってやろうと、思ってたんだ」


「へぇ、なんだか語り合うって雰囲気じゃないように見えるけど? それは僕の気のせいかな?」


「気のせいじゃねえぜ!! 男の語り合いに言葉は要らねえだろう!! ただ、拳があればいい!!」


 まずはその汚ねえ言葉を垂れる口に、一発お見舞いしてやるよ。

 そう、振りかぶって僕は九兵衛の顔面に向かってパンチをお見舞いしてやった。


 ――しかし。


「野獣珍陰流奥義!! ちゃぶ台返し狼狽えるな小僧ども!!」


 突然、何が起こったのかも分からずに僕の体は宙を舞っていた。


 なんだというのだ。

 いったい何をしたというのか。

 いや、野獣珍陰流の奥義を使ったのは、台詞から判別できるのだけれど。

 そもそも、野獣珍陰流って、こんなのだったっけか。


 野獣珍陰流は、ちん〇を隠す技じゃなかったのか。

 こんな物理攻撃を仕掛けて来るなんて、想像していなかったぜ。予想外って奴だ。


 地面に頭から落下して、大ダメージを受ける僕。

 しかし、某マンガのキャラクターのように、なんとかその場に立ち上がると、僕は、口元を拭って笑ってみせた。


 ほう、やるではないか、と、九兵衛がまた笑う。


「流石はX兵衛が見込んだだけはある。まごうごとなきタフなクズのようだな、要友久!!」


「タフなクズとは言ってくれるぜ!! てめえのような、ゲスの極みスペース・サムライ・ボーイに、あれやこれやと言われたくないもんだね、こっちとしてもよぉ!!」


「だがどうする? 野獣珍陰流の前に、お前の力など無力も同然だぞ? X兵衛とのやり取りから、それは充分理解しているだろう?」


 確かにその通りだ。

 野獣珍陰流の力は強力。もし、もう一度、その力を使われてしまったなら、僕はまた、頭からこの留置所の冷たいコンクリの床に頭を強く打ち付けることになる。


 社会的に頭がどうにかなってしまったことになっている僕だが、物理的に頭がどうにかなってしまうのも、それはそれで困る。


 とはいえ、このまま、一矢報いることもできず、みすみすとこいつに笑いものにされるというのも我慢ならなかった。


 ちくしょう――。


 というか、こいつそもこいつだ。

 そもそもどういうつもりで、僕の前に姿を現したっていうんだ。

 放っておいてくれればいいというのに。


 というか、X兵衛はどうした、X兵衛は。


「X兵衛はどうした、という顔をしているね」


「……なっ!? なぜ、僕の心を!!」


「そんなもの、顔を見ればわかるさ。僕たちが、人の心の隙間に付け込んで、どれだけ汚いことをしてきているか、君たちもよく知っているだろう。分からない僕じゃない」


「そうだ、X兵衛はどうしたんだよ!! あいつは僕のことを守ると、僕に約束したはずだ!! なのに、ちっとも姿を現さない!! どういうことだ、約束が違うじゃないか!!」


 僕を守ると、魔法少女と契約してしまった、お父さんたちを守ると、彼は言った。

 けれどもどうして、僕はこうして、湾岸署の留置所の中に居る。


 これでは話が違うではないか。

 焔さんではないが、吐いた唾くらい飲んでいただきたい。

 X兵衛。お前は、そんな人との約束を違えるような男だったのか――。


 僕は、僕はお前のことを、信頼していたんだぞ。


「弟が、君の期待に添えることができなくて申し訳ない」


「そういえば、アンタは、X兵衛の兄貴だったんだな」


「あぁそうさ。あいつと違って、人間に対して肩入れはしていないけれどね。しかし、今回ばかりはそれが仇になったさ」


「なんだって!?」


 仇になった、とは、どういうことだ。

 不穏な言葉を放った九兵衛に、僕の頭が思わずざわついた。


 そんな僕の様子を楽しむように眺めて九兵衛は、鼻につく笑顔をまた浮かべた。

 ちくしょう、自分の弟の話じゃないのか。なんでそんな顔をして喋るんだ、こいつは。


 しかして、彼の口から告げられた事実は――。


「X兵衛は死んだ。君たちを――というか、焔豪一郎を逮捕するべく、待機していたSWATから銃撃を受けてね。流石のスペース・サムライ・ボーイと言っても、集中砲火を浴びれば、絶命は不可避。再生する前に、死に絶えたさ」


「なっ!?」


「君たちが、山手線でむざむざと捕まったのはそのせいだ。助けようにも、既にその時、X兵衛はこの世に居なかったのだからね」


 あまりに、残酷に過ぎる話だった。


 X兵衛。

 彼が、助けに来なかったのではなく、来られなかったという事実もさることながら。

 あの不死身と思われた再生能力をもってしても、あの窮地を切り抜けることができなかった。死んでしまったという事実が、ずしりと肩にのしかかって来た。


 X兵衛。

 あぁ、ラスト・スペース・サムライ・ボーイ・X兵衛。


 あんな男気に溢れる男が、どうして、どうして死ななければならないのか。

 彼はいつだって、俺たち哀れな魔法少女の父たちの、よき理解者であり、友であった。

 その命を、名誉を、僕たちのために投げ出すことさえもいとわない、そんな、勇ましい男だった。


 なのに、本当に命を投げ出さなくってもいいだろう。


 いい奴だった。

 優しい奴だった。

 俺たちのような男など放っておけばいいのに、それができなかった。


 そんな男の中の漢であるはずの彼が。

 どうして無残にも死ななくてはいけなかったのだろう。


 とうの昔に枯れ果てたと思っていた涙が僕の瞳から零れ落ちる。

 鼻汁までむざむざ飛び出てくる始末であった。


 X兵衛。

 あぁ、X兵衛。

 僕たちの、僕たち魔法少女のお父さんのせいで、あたら惜しい命が失われた。


 こんなのってないぜ、あんまりだぜ。


「こんなのってないよ。あんまりじゃないか。そう、思っているね?」


「また、人の心を読んだのか」


「ふふっ、確かにその通りだ。けれども、そう絶望することもない」


「なんだと?」


「X兵衛を救う手立ては幾らだってある。そう、君の娘たち――人類の望みをかなえることが出来る存在である、魔法少女の力を使えばね」


 何を言っているんだ。

 X兵衛を救うために、魔法少女の力を使うだって。

 馬鹿げている。というか、そもそも魔法少女の力というものがどういうものなのか。彼女たちが、なんのためにそんなことをしているのか、こっちは少しだって知らないのだ。


 いきなりそんな話をされても、ついていける訳がないだろう。


 訳が分からないよ。


 ただ……。


「救えるのか、X兵衛を」


「……あぁ」


「彼を蘇らせることができるというのか? 娘たちの力で?」


「蘇らせるのとはちょっと違うな。やり直させる、というのが、近い」


 彼の言っている意味が分からない。

 けれど、心底楽しそうな笑顔で、九兵衛は僕の方を見て、口角を吊り上げた。


 邪悪。

 果たしてその考えも正体も分からない。

 だが、何者にも否定することのできない邪悪が、そこには存在していた。


 X兵衛をして、忌避され否定されたその兄。

 九兵衛という存在を前に、僕は確信していた。

 この黒幕が考えていることはろくでもないことだと。


「焔豪一郎の娘――焔あけみは、時間操作の能力を持つ魔法少女だ」


「時間操作?」


「そう。彼女は最大で約一カ月――時を遡行させることができる」


「……まさか!!」


「そのまさかさ」


 彼女の力を使って、時間を遡行すれば、X兵衛の死んだこの世界は消滅する。

 そして、新しい、彼が生きている世界が誕生する。

 そういうことを、この目の前の邪悪は僕に唆しているのだ。


 どうすればいい。


 焔さんは、既に高い塀の中である。

 僕が脅して、彼女に時間遡行をさせればよいのだろうか。


 いや、しかし――。


「焔さんの娘に、そんなこと、僕には……」


「いいのかい、このまま、X兵衛を死なせたままで。それで、君は満足なのかい」


「……それは」


 もっといいことを教えてあげよう。


 と、九兵衛が僕に近づいてきて、耳元で小さく囁いた。


「彼女の時間遡行の能力の範囲内に、君の娘が魔法少女になった日付も含まれている。そこまで遡行することができれば、どうなると思う」


「……なんだって!!」


 つまり、それは。

 現時点のこの状況を、打破することができるという、ことではないのか。


 僕がこうして、警察のお世話になっている状況も。

 全裸で山手線を駆け抜けた、あの悪夢のような出来事も。

 取引先で全裸になって、左遷されてしまったという事実も。


 そして、妻と息子、円香に捨てられたということさえも。

 全てチャラ、ヘッチャラになって、何が起きてもへのへの河童じゃないのか。


 その言葉を裏付けるように、分かったかいと、前置いて九兵衛が言った。


「……つまり、君は、ことになるんだ」


 溜飲が下がった。


 同時に、僕の体の中に、九兵衛の持っている邪悪な熱が、入り込んでくる。

 そんな危うい感覚を、僕は確かに感じていた。


 焔あけみを何としてでも説得して、時間遡行をさせる。

 そうすれば、僕にとっての、ありとあらゆる全ての問題が解決する。


 では、どうやって、彼女に僕の言う事をきかせるのか。

 決まっている。魔法少女とは言っても、彼女たちはまだ子供なのだ。


 けれども。

 そんな。


 仮にも人の親である、この僕に、そんなことをしろというのか。

 しかも、相手は、僕の娘の親友なのだぞ。


 できる訳がない。

 しかし、しなければ、この運命を変えることはできない。


 悪魔のような、その、申し出に心が揺れる。

 そんな僕の心の動きを嘲笑うように、九兵衛は、微笑みを絶やさない。


 X兵衛。

 娘の親友。

 僕の人生。

 親としての責任。


 モラルと本能がマーブル状の渦を描いて、僕の頭の中を駆け巡っていく。

 どうすればいい、どうすればいいんだ。


「自分の欲求に素直になるんだよ、要友久。君はそれができる人間だ」


「……できる、人間」


「さぁ、もっと濃い絶望を、僕に見せておくれよ。魔法少女たちの無邪気な希望と、そのお父さんたちの抱く底の見えない絶望が、この宇宙に膨大なエントロピーを発生させるんだ。君の絶望は、もっと、もっと深く掘り下げることができる」


 さぁ、やるんだ、君ならできる、と、九兵衛の声が囁く。

 僕なら、できる。


 焔あけみに、どんな酷いことをしてでも、時間遡行を成功させることができる。

 そうだ、自分の本能に忠実で、何が悪い。

 自分の身が可愛くて何が悪い。


 そのために、周りを犠牲にして何が悪いというのだろう――。

 そんなの、普通に人間がやっていることじゃないか。

 子供が相手だからってなんだっていうんだ、戸惑うようなことか。


 誰だって、そうさ。

 自分の身が一番可愛い、大切なんだ。


 そのためになら、僕は、僕は、僕は……。


「だが、断る!!」


「……なにぃっ!?」


「僕は一人の責任ある大人だ、人生に失敗したからと言って、安易にリセットボタンを押すような、そんな自分に嘘を吐くような、薄っぺらい人生を送りたいとは思っていない!! いや、送るつもりはさらさらない!!」


「馬鹿な、お前……このまま生きていても、全裸山手線男として、永久に語り継がれるだけなんだぞ!? それでも構わないというのか!?」


「構う!! 構うが、それも含めて全部僕なんだ!! 都合が悪くなったからと言って、逃げ出すような人生なんて、こっちはこりごりなんだよ!!」


 虚勢であった。

 できることなら九兵衛の言う通りにして、過去をなかったことにしたかった。


 けれども、僕はそれを由としなかった。

 理由は単純だ。


 もし、この場にX兵衛が居たならば。


「そんなバカげたことはするもんじゃねぇぜ、友久ァ!!」


 きっとそう僕に言うだろう。

 そんな風に、思ったからだ。


 途端、九兵衛の顔が引きつる。

 確かにそれは闇の中に、聞こえた声であった。

 どこだ、どこだ、と、彼が視線を彷徨わせる中、僕は直感でその声が来た方向――僕の股間の真下にある、コンクリートの床へと視線を向けた。


 バコーン!!

 うちっぱなし、コンクリートの床が爆発四散して、そこに突然現れる一つの影。


 そそり立つ立派なちょんまげに、それに相応しい鍛えられた体。

 浅葱色した道着に、九兵衛と違ってごつごつした顔。

 そして、独眼竜正宗かという眼帯。


「おまっとさんだぜェ!!」


「X兵衛!! やはり、生きていたのか!!」


「俺がその程度のことで死ぬと思ったか、友久!! まったく、SWATに集中砲火を浴びせられるだって? そんなの、スペース・サムライ・ボーイの間じゃ、日常茶飯事さ!!」


 それより、よく、九兵衛の言葉に踊らされなかったな、と、X兵衛が言う。

 背中を向けたまま、こちらも振り替えらずに語る彼に、僕は、当たり前だろう、と、涙交じりに応えたのだった。


「貴様、X兵衛死んだはずでは!!」


「お前のことだ。俺が死んだと知れば、友久に近づいて、更に大きな絶望を巻き起こすべく、暗躍するだろうと思っていたさ。全ては、お前を誘い出すための、俺が仕組んだ罠だったということよ」


 いや、俺たちがかな、と、X兵衛が笑う。


 それと同時に、着ていた服が爆発四散。

 さらに、ショッキングピンクの色をした矢が、背にしている窓の鉄格子の隙間から、すん、と、飛んで来た。


 それは、九兵衛の胸をずぶりと貫く。


「……なん、だ、と?」


「九兵衛よォ!! そろそろ年貢の納め時って奴だぜェ!! 俺たち宇宙侍も、そして、お前に騙されて魔法少女になっちまった女の子たちも!! トサカに来てんだよ!!」


 爆発音と共に、僕の背中の壁が破壊される。砂埃を立てて、そこから現れたのは、ピンク色の衣装に身を包んだ――あぁ、僕の、目に入れても痛くない、大切な娘。


「助けに来たよ、お父さん!!」


「――マ、円香ァっ!!」


 魔法少女姿の円香であった。

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