善意の誘惑者
「もし、鮮明な真実をお求めなら、教えて差し上げられますが?」
前触れも無く、ユウの耳元でソレは囁いた。
ユウは驚いた様子も無く、首を巡らして後ろを見て、何もいないのを確認する。
「あいや、失礼しました。ええ、今、姿を見せますとも。お待ちくださいませね」
胡散臭いと言う言葉をそのまま音にしたかのような声で、見えない者は支度すると伝えて来た。
ユウは《森想森理のローブ》のフードを深く被り、未言巫女達が揃ってユウを守るように寄り添った。
ユウが睨むその前に、それは姿を現した。
狩人らしい裾長いマントを羽織り、薄っぺらい笑みをにまにまと顔に浮かべている。一応は人の形を取っているが、足は床から離れて浮かび、何もない空中で長椅子に腰掛け足を組むような格好をしている。
[なんだこの見るからに怪しいやつ]
[魔女の恋人なら見た瞬間に燃やしそうなのに、様子をうかがってるな]
[未言屋店主をなんだと思ってる。いや、完全に同意だが]
[ユウちゃんが迂闊に手を出さないレベルの相手なのねー。なるほど]
流れて行く推測のコメントを、ユウは
その警戒が分からないのか、それとも分かって無視しているのか、ソレは軽く言葉を続ける。
「ワタクシ、これでも知識は深いのです。ええ、ええ、見た目よりもさらに長く生きていますので。なんでも答えて差し上げますよ。年齢、スリーサイズ、世界の真実、秘密の宝箱の在処までそう、なんだって!」
ユウが薄く溜め息を吐いた。
「あなたには、何も訊く気はないわ」
「おや? そんなつれないことは言わないでくださいよ。ワタクシ、こう見えて真実のみを語るのを信条にしております」
「そうでしょうね」
ユウは鬱陶しそうに、目の前のソレから視線を外し、首を横に振った。
「嘘を口にしたら、存在出来なくなるんでしょう?」
そして当たり前のように相手の急所を糾弾した。
目の前のソレは顔から笑みを消して、眩しそうに目を細めてユウを見詰める。
[あ、こいつ、悪魔か]
[【伝承通りではある】言われたら納得だが、言われんとわからんわ【いつもながらチート】]
一触即発。そんな空気がユウと悪魔の間で流れ、しかし悪魔の方がまたにんまりと笑って受け流した。
「流石は未言屋店主殿! 全く恐れ入りました! いやでも、ワタクシは約束を守るいい悪魔なのですよ?」
[悪い悪魔はみんなそう言うんだ!]
[悪魔の字面で良いとはこれ如何に]
[悪魔らしいっちゃ、悪魔らしいな]
ユウは肩を竦めた。
「なら、あなたが答えるのはたった一つでいいわ」
「一つと言わず、幾つでもどうぞなんなりと!」
悪魔は大仰に手を胸に当てて、期待を与えようとポーズを取るが、まぁ、ユウにそんな格好付けは何の意味も無い。
「あなた、ラタトスクの仲間ね?」
それは質問の形すら御座なりな確認だった。
ユウの問い掛けに、今度こそ悪魔は笑みの一切を引っ込めて、真顔になる。酷薄な笑みが消えれば、悪魔らしくかなりの美形だ。野性味のある男らしさが全面に出た年上に見られ勝ちな青年と言った顔立ちだ。
「アナタならご存知でしょうが、例えばワタクシの真名を答えさせれば、アナタはワタクシに自由に命令出来るのですよ?」
「その命令に従いながら自分の目的通りに相手を破綻させるのでしょう。さぁ、答えなさいな。あなた、ラタトスクの仲間ね?」
ユウは悪魔の誘惑等歯牙にも掛けず、自分が発した問い掛けをそのまま繰り返した。
悪魔は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
「そのラタトスクという何かとアナタにどんな関係があっても、ワタクシには無関係ですよ? そんな訊いても意味がないことに折角のチャンスを使うなんて勿体ない。さぁさぁ、もっと意味のあることをお訊きなさい。この天井の絵画の意味、知りたくはありませんか?」
「三度目よ。あなた、ラタトスクの仲間ね?」
悪魔は必死さを装ってユウの意識を逸らそうとするが、ユウは元から一度こうと決めたら変えない頑固者だ。
ユウが右手に《異端魔箒》を取り出し、魔力を練って見せて、早く答えろと悪魔を威圧する。
「……屈辱だ。俺が人に提案を食い付かせられないなんて」
悪魔は低く小さく、呻いて、大きく後ろへ跳ねてユウから距離を取った。
逃げるつもりもあるだろうが、それは悪魔の信条を果たしてかららしい。一度の跳躍だけで悪魔はユウをしっかりと見ていた。
「その通り、ワタクシはラタトスクとは同僚と言えましょう! 全く、アイツの言う通り忌々しい女だ! クソ、あの時アイツを情けないと笑った自分を殴ってやりたくて仕方ありませんね!」
それは本人達にしか理解出来なかったが、悪魔が言葉と共に投げ掛けた呪詛を忘却させて消し去ったのだ。
悪魔はユウと、自分の企みを台無しにした无言を睨むが口を開かない。
「ああ、はい、ワタクシの敗けです、圧倒的な敗北です、完敗です、勝者に乾杯を! ワインとビールはどちらがお好みで?」
「どっちも嫌い」
右手にワイングラスを、左手にビールジョッキを取り出した悪魔に向けて、ユウは本心からすげなく答えた。
[つむー、ビールもワインも苦い渋いと文句言うからなー]
[酒苦手なのか]
[まぁ、強くはないわなー。日本酒とかウィスキーとか喜んで飲むけど、こいつ]
[紡岐さん、割りと飲みますよね。すぐ顔赤くなっちゃうけど]
[【ギャップ】強い酒の方が好きとか、奇妙な生態してんな【そこそこ酒好きだな?】]
どっかのセムとキャロが何気無くユウのプロフィールを暴露しているのは、さて置き。
ユウに酒杯を断られた悪魔は見てて可哀想になる位に肩を落としていた。
「残念です。心からの祝福でしたのに。とほほ」
「悪魔の祝福って、それもうただの呪いよね」
「油断も隙もありませんの」
ユウと
「では、敗者は殺される前に素早く潔く逃げるが定めですので、おさらばです!」
これ以上何をしても無駄と悟ったのか、それとも面倒臭くなっただけなのか、悪魔はマントを翻して全身を隠し、手品のように消え去った。
ぼんやりとした顔でやり取りを見ているだけだった
「あ、そうそう。勝者には相応しい褒賞を与えるのも、ワタクシの信条でありまして」
そして真後ろから声と息を掛けられて、灯り憑くがびくっと肩を跳ねさせた。
ユウが魔女の箒に溜め込んだ魔力を振り抜いて拒絶するよりも速く。
悪魔の手が、ユウの楡の箒の柄を握る手に重ねられ、大量のフィルがユウに譲渡された。
フィルが受け渡されるのを視覚化した光がユウの手に流れ込むのに連れて、悪魔の手は消え失せて行く。
「そのお金は全く呪詛も祝福もないただのお金です、お好きにお使いください。それでは、ワタクシ、ザミエルと申します。ワタクシはユウ様のことをよーく、ええ、もうよーく覚えましたので、どうかユウ様もお見知りおきお願いいたします。フレンド登録するくらいのつもりで!」
ユウは騒がしい悪魔の台詞に、フードに隠れて見えない奥で思い切り顔を顰めた。
そのユウの眼前に、悪魔の顔と手がにゅっと現れる。
「それでは、チャオ!」
にこやかな笑顔で、手の指を外に弾いて開き、悪魔はそれこそが別れの、或いは再会の挨拶だとばかりに、やっと本当に此の場からいなくなった。
「……待ちなさいよ、魔弾とか嫌な感じしかしないんだけど。まさか、アイツら手を組んだりしないでしょうね?」
悪魔の名乗りから、その正体と伝承に思い至ったユウは、先日に別の案件で出会った厄ネタプレイヤーとの親和性にまで思案が及び、心底嫌そうに言葉を吐いた。
「母様、口にすると本当にその現実を引き寄せそうですの」
そして芽言に不安そうに指摘され、やってしまったと右手を乱暴に髪に差し込み、額を押さえたのだった。
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