お布施
翌日、学生組も仕事勤めのリーダーも、昼間はログイン出来ないと言う事で、ユウは暇を持て余していた。
「いや、家事とかしなくていいのか?」
「んー? 昨日やっちゃったしー、食べ物もあるしー、急いでやることはないにゃー」
家の用事は無いのかと訊ねれば、こんな巫戯け半分な回答が返って来る。
こう、三十路前がにゃーとか語尾に付けると苛っとするな。
「せっかくだし、観光しようかな」
ぐだぐだしながらも、ユウはバベルの塔を見て回る気になったようだ。
何時も通り、長い黒髪を納めながらフードを目深に被り、人から声を掛けられ難い見た目になる。
そうして人除けの支度を整えてから、ゆるゆると歩き出した。
先ずはエントランス迄戻って来る。
「……戦ってる?」
そして、受付の上にあるモニタが映しているメイン会場の様子を見て、こてと首を倒した。
其処には、二人のプレイヤーが戦闘をしている様子が映し出されていた。
「こんにちは。こちらで試合の勝敗を賭けられますよ。現在のオッズは、アスカ一.七対リローデットγ二.三です」
受付に立っていた女性NPCに声を掛けられて、ユウはびくりと肩を跳ねさせて、そそくさとその場を離れた。
そして柱の陰へ回り、NPCから見られないのをこっそりと確認してから、胸を撫で下ろす。
なんであれだけで泣きそうな脳波を出しているのだ、この人見知りは。
「ここ、闘技場なの?」
ユウは柱の陰からこそこそとモニタを覗く。
試合中であるから、昨日のように映像が切り替わる事なく、対戦をずっと映している。
その映像では、片方のプレイヤーが七本もの剣を空中に取り出して、其々に斬撃を繰り出して相手を追い詰めて行く。
「アスカも生き生きと闘っていますね」
「みっ!?」
モニタに見入っていたユウは、不意打ちで後ろから声が来て、びくりと体を跳ねさせた。
ユウは怖々と振り返ってその人物を見て、首を傾げたまま動きを止めた。
「み?」
「こんにちは」
ユウに、にこやかに挨拶をしてきた声は子供という世代から抜け出していない声音だったが、表情は窺い知れない。
何故ならその顔には、真っ白でのっぺりと凹凸の無い仮面を被っていたからだ。その仮面には、目と口の位置に細い切れ込みが三日月型に入ってるだけで、あとは何の飾りも無い。
「ふ、不審者……」
「いや、まぁ、自覚はなくはないですけど、貴女、ボクのこと言えます?」
向こうが仮面で顔が見えなければ、ユウはローブで全身を覆い隠しているからな。
「ボクはアイと言います。これでもベータテスターの一人なのですよ」
これでもと言うか、正しくと言う変人振りだ。
それよりもユウは別の事に食い付いた。
「アイ?」
「ええ、アイです」
「……あいまいみぃまいん?」
「フフッ、そう、その通りです。紡岐さんもきっと同じ発想なんだろうなって親近感抱いてましたよ」
ユウの名前は、英語のyouも掛けられている。
そして目の前のベータテスターの少女は、同じように英語のIから名前を付けたと言うのだ。
ユウはじっとアイと名乗ったベータテスターを見詰める。
そして、いそいそとシステムメニューを操作し始める。
すると、アイの眼前に、ユウの送ったフレンド申請が現れた。
ユウが不安そうに、ちらちらとアイに視線を送る。
いや、喋れ。
「ありがとうございます」
アイはクスクスと笑いを仮面の下から溢しながら、申請を承認した。
「アイー! ユウちゃん見つかったー!?」
遠くから聞き覚えのある大声が迫って来て、ユウがびくりと肩を跳ねさせた。
ユウの硬直が解けるよりも前に、その巫女はアイに向かって土煙を上げながら駆け寄って来た。
ユウの後ろから風圧を浴びせてローブを揺らしたメノは、アイにぶつかりそうな勢いで飛び込み、その鼻先で急停止した。
「で!? いた!?」
「メノ、落ち着いてください。逃げられてしまいますよ」
まるで猫かのように語られる話題のユウだが、早速、そろそろと後退している。
その瞬間、アイに向き合っていたメノが、バッと振り返る。その勢いで、メノのさらさらの髪が舞い上がった。
だるまさんが転んだよろしく、ユウは動きを止める。動きを無くせば、〈森相森理のローブ〉はより高い隠密性を発揮する。
しかし、メノはじぃっと何者か分からない筈のユウを見詰める。
「さてはユウちゃんね! 見つけた!」
「みぃ!? なんでばれたのです!?」
メノも現役の巫女だけあって、ORAが高いプレイヤーだ。その直感は、誰か認識出来なくても、ユウに違いないと判断したらしい。
「ふっふーん。褒めてくれたまえ」
自慢を前面に出して胸を張る。
ユウはその目の前で、何時《妖す》を使おうかと様子を窺っている。
「あ、それよりユウちゃん、はい、手を出して?」
「みう?」
メノが右手を握って、ユウの目の前に突き出した。
ユウが言われるままに、その手の下に自分の手を開いて見せた。
「はい」
「……貝?」
メノが掌を開くと、片方だけになった二枚貝の殻が、ぽとりとユウの掌に落ちて来た。
何これ、とユウが丸い瞳をメノに向けるが、フードを目深に被っているから伝わりようが無い。
「うん、遥ちゃん、これシェルね。お金だよ」
「……これがうわさの」
ユウは握らされたシェルをまじまじと見詰める。
それは桜貝のような艶やかな手触りでほんのりと桜色に色付いている。大きさは親指程だ。
シェルの元になる貝は、色に因って希少性が変わり、色に応じて通貨としての価値が定められている。
薄い桜色のシェルは最も多く採集されるので、通貨価値は一番低い。現実の一円玉と使い勝手はそう違わないだろう。
「これで遥ちゃんのおいしい料理を売ってくださいな」
メノがにこにこと、此のシェルを対価にユウに要求を告げて来た。
「え?」
ユウは、メノからの唐突なお
「ベータテスターも貴女のことを気にかけているのですよ。セムのお身内ですからね」
そこにアイのにこやかな声が事情を割り込ませてくれた。ベータテスターの間でも、ユウの赤貧が憐れまれているのか。
「そーそー。少しでもユウちゃんのほしい万年筆の足しになればと思ってね! わたしは甘いのがほしいなっ。
メノはベータテスターの名前と注文をユウに伝えながら、シェルを一枚ずつ増やして行く。
段々と、ユウは喜びで恥ずかしさが込み上げて来て、体を揺すり始める。
「はい、遥ちゃん、おいしい料理を売ってくーださいなっ」
「……はい」
ユウは、フードの下で涙ぐみながら、メノの申し出に応えて、【ストレージ】から直接メノへと溜め込んだ料理を受け渡した。
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