コイに呑まれた女神様

「まぁ、おれは別につむむが踊り続けていてもかまわないんだが。置いてくだけだし」

「ごめんなさい、ごめんなさい、置いていかないでください、ごめんなさい」

 我に返ったユウは、セムからの嫌みを受けてお辞儀人形と成り果てている。

 自由には責任が伴うとは良く言われる台詞だが、その意味においてユウは自由気侭になってはいけないタイプだ。

 セムがいる限り、迷惑を掛けた代償がきっちりと自分に返されて来るのだから。

「あれって、いつもあんななのか?」

「お二人はいつもあんなに微笑ましいですよ」

 妖精は、にっこりと心から笑うキャロを見て、全てを諦めたみたいだ。

 その方がいい。あれを真面目に考えても、疲れるだけだからな。

 ユウが燥ぎ過ぎたせいで、ダンジョン内に動く者は殆んどいない。

 《夢波》に抵抗していた強敵は、ユウと悠が近接戦闘で【気絶】させている。

 キャロ指導の元でのレベル上げはかなり捗っていたようで、悠はユウの奇抜な動きにも難なく追随出来るまでになっている。

「しっかし、女神見付かんねえな」

 セムがぼやくのも無理はない。かれこれ一時間半は歩き回っている。

 見えない壁に阻まれて進行が遅いと言っても、それなりの範囲を踏破している筈だ。

「ん」

「お、どした?」

 セムは耳敏く、ユウが喉を鳴らす音を聞き付けた。

 ユウはそれに黙って頷き、膝を曲げて屈んだ。

 そして地面に右手を差し出す。

「どうしました?」

 急に脈絡のない行動をするユウを見て、悠が問い掛ける。

 その答えは、通路の闇からやって来た。

 シュルシュルと地面を這って鱗を鳴らし、闇を束ねて作られた蛇が、ユウの元へ還って来て、差し出された腕に巻き付いた。

「ヘビ?」

「ん。わたしの、闇や夜の〈ガンド〉。捜し物が得意」

 頭に指を当てるキャロに、ユウが箇条書きを読むように答える。

 精霊に形を与える〈ガンド〉を何時の間にか使って、索敵を行っていたのだ。

 ユウは腕に絡み付いた宵蛇を持ち上げる。

 蛇は頬擦りをして、ユウに甘える。

「見つけたって」

「おまいはどんどん便利屋レベルを上げてくな。こっちとしては楽でいいが」

[遥ちゃんが万能すぎてウケる]

 然り気無く、こっそりと色々手を打っている辺り、ユウは実際有能なのだと察せられる。

 それなのに、普段の言動が本当に残念でならない。

「ふっふー。セムさん、紡岐さんを褒めてくれてもいいんだよ?」

「えらいなー、ヘビ」

「紡岐さんを褒めてくれてもいいんだよっ!?」

 あぁ、本当に心の底から残念でならない。口を閉じていればもっと信頼を得られるだろうになぁ、全く。

 それはそれとして、ユウの放った宵蛇の功績は大したものだった。

 見えない壁に四苦八苦していた状況が一変する。辺り一面を触って通路を探る手間がなくなっただけでも、かなりの時間短縮になっている。

 そして今、ユウ達は、見えない壁の途中、掴み上がらないと届かない位置に開いた、這って進む分しか広さがない通路の中にいた。丁度、通風口をイメージして貰えば分かり易いだろうか。

「おい、にゃんこ。こんなんわかるか」

 セムの非難も尤もだ。

 ダンジョン担当の猪は何を考えてこんな隠し通路を、この透明ダンジョンに仕掛けた。クリアさせる気がなさ過ぎだろう。

[建築陰陽師か妖精幼女じゃないとみつかんねーよ、こんなの]

[逆に見付けられるヤツがいるとか、ほんとにベータテスター自重しろ]

[でも、店主様も見付けられましたよね]

[……魔女の恋人、自重しろ]

[……未言屋自重しろ]

[……天然チート、自重しろ]

「みんながいじめる……」

 並んだコメントに地味にユウが傷付いている。

 かと言って、手を抜くとか出来ない性格だからな。

「つむむはそのまま万能でいろ。そしたら、おれが楽だから」

「……! うん!」

 ユウが矢鱈と喜んでいるが、便利屋扱いされているからな。それでも頼られるのが嬉しいのだろうが。

「あ、ここ、出口だって。ちょっと待って」

 通路が終わり、宵蛇がするすると地面に降って行く。

 ユウは宵蛇が床に辿り着いて、此方を見上げるのを待って、此処から床までの距離を測った。

 ニメートルあるかないか、それくらいの高さがある。

 大した事のない高さだ、四人とも危なげなく、順番に降り立つ。

 其処で、宵蛇は役目が終わったとばかりにユウの影へと潜って行った。

「あっ……」

 ユウが、前に向けた目線を反らして、顔を赤らめる。

「寝とるな」

「寝てますね」

 セムとキャロの言う通り、其処には透けた衣だけを羽織った女性が、眠る男性の肩に頭を乗せて、寝息を立てていた。

「相手を認識してなくても眠らせるなんて、《夢波》と紡岐さん、ひどい」

「え、冤罪ですよ!」

 悠の指摘に犯人が異論を立てるが、状況証拠だけでも棄却に十分だ。

「却下」

「待って! 話を聞いて、ねーやん!?」

「ギルティ」

「話を! 聞いて! くれませんか!?」

 聞くだけ無駄だからな。

 私もセムの判決を全面的に支持する。

 そうやって、騒いでいたら、男の方が薄く目を開けた。

 見間違える訳がない美顔は、確かにあの幽霊が生前に描いた絵の中にいた顔だ。

「……え、人間?」

 まさか鯉の腹の中に来る者がいるとは思っても見なかったのだろう。

 青年は戸惑いを露にして、ユウ達を順番に見渡していく。

「え、人、間?」

 そして、微妙にニュアンスが変化した同じ言葉を繰り返した。

 さらに青年は自分の手の甲をつねって、夢か現実か確認を取っている。

「魔女です」

「え、魔女?」

「魔女です」

 ユウよ、態々話をややこしくするな。

 相手が引いているぞ。

「私達は、お二人を助けに来たんですよ」

 ユウが話を拗らせる前に、キャロが優しい声音で語り掛けた。

 その言葉を聞いて、美顔の男性はオリーブグレーの目を細めた。疑りの濃い、此方の真意を見極めようとしている目付きだ。

「お二人の親友だという人から、届け物を頼まれました。正確には、その人の幽霊にですけれど」

 ここに来てやっと、ユウがまともな説明を入れた。始めからその事を先に言えというに。

「えっ……? まさか、ジョシュア、か? そうか、あいつはもう」

 創作をする者は、早い内にフルールに襲われて亡くなる。

 その認識があるからこそ、彼の理解は早かった。

 しかし、理解と心情は別物である。憂いを帯びても尚、美しいと言える顔だが、それでも消沈していて痛ましい。

「ぅん……」

 そこに、女神が艶かしく息を漏らした。

 うっすらと開けられた眼差しはまず、彼氏に注がれた。

 それから彼女の視線は動き、ユウ達を順番に目に止める。

「どちら様ですか?」

「魔女です」

 だから、話をややこしくするな。

「クロリス様ー!」

 しかし、有難い事に、女神が戸惑う間も与えず、妖精が女神の胸へ飛び込んだ。

 女神は全く動じずに、妖精の小さな体を抱き止める。

「あら、あなたは……。そう、まだ残っていたのね」

 そう呟く顔には、懐かしさと共に悔いが見れる。

 外の状況については、ある程度知っているのだろう。違う妖精が此の中に入った事もあるようだし、その時にでも話をしたのか。

「で、あとはこの二人を外に連れていけばいいんか?」

 セムがそんな言葉をユウに投げ掛ける。

 飛行能力を持っているのは、ユウだけであるから、往復でもさせる気なのだろう。

「あの……わたくしたちは、此処から出るつもりは、ないのです」

「えっ?」

 しかし、そんなセムの目論見は、心から済まなさそうに頭を下げる女神の発言によって退けられた。

「外に出たら、レイティスがフルールに襲われてしまいます。わたくしには、フルールに抵抗する力がないから……此のアーキタイプの中にはフルールはやって来ないから……我儘を言っていると分かってます……多くの者達を犠牲にしていると分かってます……それでも」

 女神の独白は最後には言葉にならず、涙と呻きに変わった。

 愛する者を取った女性の、親しい者を切り捨てた女性の、狂おしいまでの慚愧が暗闇に沁みていく。

[これは……いや、なぁ]

[感情はわかるけど、客観的に見たら悪だよなぁ]

[叶わぬ恋に生きるのは理想だけどね]

[店主様、どうするんだろう……]

 コメントには、女神への同情と女神が起こした状況の残酷さに対する胃もたれに似た不快とが綯い交ぜになっている。

「あー、仕方ないないね。絵だけ渡して帰ろっか」

「そうだなー。さすがに恋人を死なせろとは言えんしな。二人がそれでいいなら、良くね?」

[決断はやっ!?]

[放置かよ!?]

[うおおおいっ!?]

 ユウとセムが、至極当然のように女神の態度を肯定するものだから、盛大にツッコミが書き込まれる。

「おいっ!? ちっとは説得しようとか思わないのか、お前ら!?」

「じゃー、おまいさん、この泣いてる女神さんに外出ろって言えるんかー?」

「うっ。それは……」

 二人の態度には物申した妖精も、上位存在であり、尊崇の対象である女神の意志とあっては、強く否定も出来ずに言葉に詰まる。

「お二人とも、それでいいと思うんですか?」

 意外な事に、ここで二人に反論したのはキャロだった。

 真っ直ぐに見詰めてくる菫色の瞳に、ユウとセムはバツが悪そうに顔を反らす。

「んー、なにも思わないでもないけどさ」

「なぁ?」

 それでも、情に弱い二人は歯切れ悪くも、説得に乗り気にはならない。

「でも、この女神様が出ないと森が大変なのでは?」

「あ、それは平気じゃないですかね。あれだけ発達した森なら、植物だけである程度の更新はできますよ」

 今度は悠が論理的な意見を告げるが、あっさりとユウは自然の緩衝力を引き合いにして取り下げた。

「むしろ、極相に至った森林が動物なしでどんな遷移をするのか興味があります」

「つむーは、そこらへんすきだなぁ」

 好きだからと言って、森一つを勝手に試験物に仕立て上げるんじゃない。

「でもでも! 愛があれば全て乗り越えられますよ!」

 キャロが力強く拳を掲げるのを見て、ユウは眩しそうに手の甲で目を隠した。

「フェアリーキャロロがピュアすぎてまぶしいよ、ねーやん」

「キャロさんは、ほんっと、純愛まっしぐらだかんなー。ま、心の汚れたおれらとはちがーわな」

 キャロの純粋さに、ユウが押されつつある。このまま押し切れば行けるんじゃなかろうか。

 ユウがちらりと、女神を見る。

 女神は泣き腫らした目で、ユウを伺った。

「ごめん、わたしには無理だ」

 一瞬で白旗を揚げよった。

 どうにも話が進まず、かと言ってこのまま戻る気にもならず。

 ああでもないこうでもないと益体も無く話が堂々巡りを続ける。

「あー、時間もあれだし、一旦ログアウトして考えてくる?」

「そだなー。昼食って十三時に集合で良くね?」

「わかりました」

「私もそれでいいです」

 議論が煮詰まったら、持ち帰るのは常套手段だ。

 幸いな事に、この女神がいるエリアはセーブポイントの安全圏となっていた。

 この四人がどんな意見を持って帰り、どう決断するのか。

 女神は不安をたっぷり黄色の瞳に籠めて、光の粒になって消えたプレイヤー達を見送った。

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