カオスな三人組
「こわった……こわかったよぉ……」
目的地に降り立つ時には、打って変わって優雅に緩やかに着地した《異端魔箒》だったが、ユウの恐怖はそれで誤魔化されるものでなく、さめざめと泣いている。
ところで、ユウは楡の箒にすがり付くように抱き締めているが、元凶はその箒だぞ。
降りた時にクレーターでも作るのではないかと恐れたユウが、知り合い二人の居場所から少し離れた場所を目的地にしたから、此処からまた歩いて行かないと行けない。これはまだ暫く掛かりそうだ。
少し休もうかと思い、私は地面に伏せて手を組み、頭を乗せる。
と、そこに誰かがやって来て私に影を差した。
「大丈夫か、つむぎーる?」
それはやたらと呑気な声だった。
その声に反応して顔を上げたユウは、期待を溢すように早く、そして瞬時に涙は引き、硬直した。真ん丸と見開く瞳が、今までになかった程に大きく存在を主張している。
さもありなん。
私はユウの視線を追って振り返り、ユウを硬直させた生き物を視界に入れる。
それは、虎のようであり、それを虎と呼べば限りなく虎に失礼な毛皮を頭から被っていて。
それは、ズボン代わりにチーターになりそこなったピューマの成の果てみたいな毛皮製のなにかを履いており。
それは、手をもふもふとしたライオンのように大きな肉球付きの、着ぐるみの手だけ着けましたみたいなものを装着して。
それは、隆起した胸の大きさにも関わらず、欠片も色気を感じさせない猫だとしたらもっと可愛らしく描けと文句を付けたくなるようなワンポイントが、でかでかとセンターを飾るTシャツを着ていた。
要約しよう。話には聞いていたが、この仮装にすらならない奇怪な格好に身に包んだ、やたらと愛嬌のあるゴールデンレトリーバー似の顔立ちをした女性は何を考えてこの服装に行き着いたのだ。
「つむぎーる? つむぎん? つ?」
息が止まったように微動だにしないユウの目の前で、奇怪な人物がもふもふとした肉球を左右に振る。
それからたっぷり一秒半程の時間を費やして、ユウの思考が復帰する。
「つってなんだ、ねーやん。舌打ちか」
「ちがいますー。舌打ちは、ち、ですー」
「この人、
こやつら、小学生か。
中身のない会話でぎゃいぎゃい喚くユウとそれをからかう奇怪な人物――ベータテスターの一人、
「紡岐さん、お久しぶりですー」
そこに、もう一人、女性が現れた。正確にはセムと一緒にいたのだが、このネコ科もどき仮装大賞のインパクトが強すぎて意識の外に追いやられていたのだ。
「あ、キャロさん、久しぶり。ん? あっ、プレイヤーネーム、キャロにしたんだぁ」
彼女の本名を呼ぼうとして、システムに自動変換されたプレイヤーネームを口にしたユウが一瞬戸惑い、しかしそれもすぐに納得して、うんうんと頷いている。
「はい。名前決める時は救ってもらってありがとうございます」
そう礼を告げる彼女の所作はとても清廉だった。
キャロと呼ばれた彼女の出で立ちは、旅の途中の執事もしくは貴族然とした吟遊詩人と言った風貌だ。
全体的には男性用執事服を基調にモノクロの装飾が散らされ、帽子や靴など旅で命を左右する装備だけを吟遊詩人シリーズと呼ばれるクラシックで丈夫なものにしている。それでも帽子には孔雀の尾羽が差されていて、日除け以上にファッションの意図を感じるけども。
しかし、全体としてボーイッシュに纏まった洋装の中で、下半身を包むロングスカートだけが大人の女性が持つ蠱惑さを演出している。深く限りなく黒に近付けた紫は、日本では禁色と呼ばれた古色の一つで、スカートの襞に添って光を受け、色味をグラデーションしている。イブニングドレスのスカート部だけを分離させたようなスタイルのもので、丈は足首まで隠し、何より目を引くのは腰に巻かれた大きなリボンが、オオムラサキを真似て大胆に羽を広げている事だ。
彼女自身の端整な顔立ちもあって、それらの服装が妙に麗しく思われる。
そして、彼女の声はすっかりと耳慣れたものだ。
[キャロって娘の声、なんか聞き覚えあるような……]
[この声、システムメッセージと同じじゃね?]
[おい待て、このゲームのシステムメッセージに声あててるのって、エーディンの声優だよな?]
[【話題の新人】某夢の国で製作された映画のヒロイン、エーディンの日本語吹き替えと主題歌を担当した
[マジで蝶野佳弥!?]
流石に現実でも名が売れている人物が出てくると凄いな。視聴人数が急激に増えてきている。
「キャロさんのこといろいろコメントされてるけど、だいじょうぶ?」
「問題ないです。事務所からなるべく紡岐ティーチャーの動画に顔出ししてファンサービスしてこいって言われてるんで」
キャロは腰に手を当てて問題ないと告げるだけでも、随分と絵になる。
ぼんやりしたユウとは違うな。
[なぁなぁ、プレイ時間二時間足らずでブレスを七つも生やしたチートルーキーと]
[全てを運ゲーにして他プレイヤーを号泣させるプロゲーマーマスコットもどきと]
[話題作に出演して全国の子供と大人を感涙させた人気声優の三人組]
[控え目に言ってカオスじゃね、このパーティ]
カオスという評価が控え目なのかは論議の余地がなかろうか。全面的に肯定だが。
三人が三人とも、キャラが濃すぎる。
「ところで紡岐さん、顔赤くね?」
「え、そう?」
セムに指摘されて、ユウは箒を持ってない右手で頬をむにむにと揉んだ。確かにチークを塗ったように赤らんでいる。
そしてセムは目敏くその原因に鋭い視線を送る。
「そのレリック見せてくんない?」
「見るだけだよ?」
ユウはセムが見易いように《異端魔箒》を胸の高さまで掲げる。それでも身長差が少しあるので、セムが頭を下に向けているが。
あくまでも、ユウは魔女の箒を手離す気はないらしい。
ほんの数秒、セムの視線が箒の端から端までを走査する。
「やっぱ原因これか。つーか、スキルが六つもあるとかなんだよ、このレリック、ベータテストのラスボスから出た奴と同等のランクじゃんか」
つむむ、ずっけー、とセムが口を尖らせる。
そんな非難を受けても、まだこのゲームのスタンダードを把握しておらず、また自身がスタンダードから大きく外れているユウは、こてんと首を倒して話が分からないと意思表示している。
それも、直ぐにキャロの目に視線を移してじっと見詰める。そのよく考えずに答えを知ってそうな人物に無言で助けを求める癖はどうかと思う。
「私のこのスカートもレリックなんですけど、レベルが3でもまだスキルは一つだけなんですよ」
〈スキル〉が少なくとも、その〈スキル〉が強力な《レリック》も多いが、言うまでもなく強い〈スキル〉を多く持っている《レリック》の方が有能だ。
セムは恐らく〈観察眼〉の〈スキル〉を使って《異端魔箒》の〈スキル〉の数だけでなく大雑把な内容まで確認出来たのだろう。
「んで、つむむが【発情】してんのは、これの〈発情付与〉スキルが原因な」
「はい? 発情?」
[所持者にバステかよ]
[【発情】って、響きがエロい]
[響きだけじゃなく、ガチ。具体的には、R18指定で18才以下には適応されない。主な使用法は飼育動物の繁殖]
【発情】の意味を理解しながらも、それがこのゲームでどんな意味を持つのか分からずにユウは疑問を口にする。
一部のコメントは警告でも出しておくか。
[あ、やべ、にゃんこに怒られた]
[自粛するから、見させて、お願い~]
うむ。反省は大事だな。
「え、なに、発情って【状態異常】なの?」
認識の齟齬を埋める為に、ユウはセムから聞き出しを始める。
セムは神妙な表情を作り、受け答える。
「そうそう。んでもって、その箒が所持者を【発情】させる〈スキル〉持ってる」
「その〈スキル〉ってオフにすることは……」
「このゲームの〈スキル〉がボタン操作出来ないのは体験したろ?」
「呪いのアイテムかよ!?」
状況をやっと正しく把握したユウが叫んだ。
「むしろ、あの魔女の亡骸が呪われてないだなんて、どうして思った? ユウは殺されかけているだろ」
「うっ……」
いい加減我慢出来なくて指摘すると、ユウは言葉を詰まらせた。
「まぁまぁ。装備の〈スキル〉なら装備を外せば解除されますから。【ストレージ】にしまっておいたらどうです?」
ただキャロだけが真っ当な意見を述べる。
「それがいい。つむぎーるが常に【発情】とか、その内、男か女に押し倒される未来しか見えない」
セムが明け透けな言葉でキャロの後押しをする
[いやいやいやいや、男か女って]
[魔女の恋人さんだからなぁ]
ユウの恋愛観は着実に視聴者に解析されつつあるらしい。哀れな。
「すとれーじってなーに?」
二人の意見を聞いていたユウが、恥ずかしげに、そしてその恥ずかしさを誤魔化すように舌足らずな声で疑問を発した。
そういえば、まだ説明してなかったな。
私はユウに振り返り、見上げた
「【ストレージ】は他のゲームでいうアイテムボックスとか所持品枠とかと同じだ。必要ない装備品や消耗品を仕舞っておける。自分の所持品なら上限なく持ち歩けるし、取り出しも一瞬で済む。持てば持つだけ、重さが体に加わって入れ過ぎると動けなくなるがな」
慣れれば思考するだけで所持品を取り出せるので、戦闘中に武器を取り換えながら敵を圧倒するというスタイルを確立したベータテスターが二人いる。
「ほほぉ……?」
分かったふりして頷いているが、全くピンと来てないな、こやつ。人に説明された時の方がシステムの理解力が低くなるって、どんな脳をしている。
「つむむ、その箒をタップしてみ? ダブルクリック」
「ん。お、なんか出てきた!?」
所持品は、タップする事でシステム欄が現れて情報の確認やシステム操作が出来るようになる。
そのシステム欄を覗くユウの向かい側から、キャロが指を伸ばした。
「それでここの【収納】ボタンを押してください」
「ぽちっとな。消えた!?」
[効果音w 古いw]
[ちょいちょい年代を感じさせるな]
私としては、リアクションがやたらと大きいのが気になる。ビビりか。
「これ、出す時はどうするの?」
「システムメニューのアイテム欄から出来る」
「ん、これか。理解」
アイテム収納講座が一段落した。
ベータテスター達がルーキーに物を教えるという光景は、多人数参加型オンラインゲームらしくて、運営サイドとしては感慨深い。
ユウは何度がシステムメニュー操作で《異端魔箒》を出し入れしている。
そして、最後にはその名を呼ぶだけで、ユウの手に現れるまでになった。
「できたー」
「普通の人間がサッと出来るようになることの方が習得に時間かかってないかい、お前さん」
それなりに待たされたセムは呆れた顔を見せている。
その横でキャロはにこにことしていた。
「ねーやん、ほーめーてー」
「ニクェはえらいなー」
「わたしをほめてっ!?」
「お前ら、一心同体なんだろ?」
「そうだけども!? でも、わたしをほめてっ!?」
「ハンッ」
「鼻で笑うなー!」
女三人よれば姦しいとは言うが、ユウとセムは二人でも喧しい。
よくキャロはそんな中身のないやり取りを見て笑っていられるものだ。
「何時まで駄弁っているつもりだ。そろそろ何か行動したらどうだ?」
「え?」
私が声を掛けると、心底不思議そうな顔をしてユウが首を傾げる。それからたっぷりと間を置いてから、ああ、と手を打った。
「そうだ、これゲームか。リアル過ぎて、これからご飯食べに行く気分になってた」
「いいですね、ご飯、行きましょうよ」
おい、キャロ、君はまともだと思っていたのに、脱線した話に乗っかるな。
「そういえば、最近ご飯行ってないね」
「主につむつむが金ないって泣くからだけどな」
「うぐ……だって、同人誌じゃ稼げないんだもの……」
「むしろなんでそれだけで食っていけると思った」
「やだ……人間こわい……ひとのいるとこにいきたくない……」
「セムさん、セムさん、紡岐さんがやばげです、やめましょう」
「ああ、うん。まぁ、悪かった」
「そうですよ。今ちゃんとお仕事してるじゃないですか。これからですよ、これから」
「うん、うん」
人間社会の闇を見た気がする。ユウが気持ちを持ち直すのに、キャロが懸命に励まして、セムがおざなりに話を聞いてやって、それでも数分掛かりになった。
[あれか。完璧に芸術家気質なのか]
[社会で生きづらいタイプなのね、遥ちゃん]
[安心しろ、おれもニートだ]
[オイ、おれ、働けよ]
[おれ、分かれよ、面接落ちんだよ]
[はーい、みんなー。このコメント見たら可愛い魔女娘さんが落ち込むからやめよーかー?]
[いえす、まむ]
[いえす、まむ]
[いえす、まむ]
ユウが深くフードを被って、それでも気を取り替えて立ち上がったのは、丁度そんな風にコメントの息が合った所だった。
「よし! ここはゲームだ! 楽しいところだ! げんじつなんてしるかー!」
「そうですよ、紡岐さん! 楽しみましょ!」
「そうそう、深く考え過ぎんなって」
おー!、と三人が拳を振り上げた。
「で、このゲームって何を目指して遊べばいいの?」
[おいっ!w]
[今さらそこ!?]
[あれ、おかしいな、これ運営が正式配信してるプレイ動画だよな]
[がんばれ、運営(笑)]
「こら」
「みゃんっ!?」
流石にセムが素っ頓狂な事を吐かしたユウを肉球でどつくと、ユウは高い悲鳴を上げてコントみたいに地面に転がった。
「全く。おい、にゃんこ、仕事の時間だぞ」
「はいはい」
何と言うか、やる気を削がれる展開だ。
「このゲームはクエスト制だ。ランダムで起きるクエストを回収したり、固定クエストを探してチャレンジ出来る」
やれる事はユニークに、やる事はシンプルに。そして経験はリアルに。
開発陣が目指したのはそのようなゲームだ。
「それに付随して、クエストクリアのランキングや討伐のランキング、対人戦のランキングもある」
既にランキング計算は始まっていて、実はシステムメニューで確認も出来る。
「別に、人より高い順位を目指すのは興味ないかな」
「紡岐さん、人と競うのダメな人やからな」
セムが沁々と呟く。
ナンバーワンでもオンリーワンでもなく、ユニークを目指す――確かにそんな人物だからユウは未言という今までなかった言葉を築き上げ、それを見込んで運営に選ばれた。
しかし、それで意欲的なプレイをしてもらえないというのも、問題だ。
「紡岐ティーチャー、何かやりたいことありませんか?」
「つむむの動画だから、つむむがやりたいことに沿って動いた方がいいと思うよー」
「うーん……」
キャロとセムに促されて、ユウは考え込む。
不意に、ユウはその細い両腕を空に伸ばす。何かを招くように、何かを求めるように、何かを降ろすように。
「オーロラ」
ポツリと、ユウが言葉を漏らした。
「オーロラが見たいな。綺麗なオーロラが。こないだのフレアの時に、南極で観測されたみたいなやつ」
現実世界で通常の千倍規模の太陽フレアにより生じたはっきりと渦巻くオーロラが観測されてネットに拡散されたのは、確か半月前だったか。
何故かは知らないが、ユウはそれを唐突に思い出したらしい。
「いいね、オーロラ。寒いとこなんて現実ならごめんだけど、こっちなら見てみたい」
セムも中々に乗り気だ。
「ですね。行きましょうよ」
キャロもうんうんと大きく頷いている。
「何処までも広がる銀雪に、明けない夜の深けきに、彩めくオーロラ。よし、北極を目指そう」
「はいよ」
「はいっ!」
何とも脈絡のない目的だが、それがこの三人には合っているのかもしれないな。
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