番外編6-2 叶うことのない願い

 いつからか夢を見るようになった。同じ夢を毎日のように見るんだ。夢の内容が内容だけに、とても他人には言えない僕だけの秘密。



 夢の中では、僕は金牙きんが様と同じベッドに寝ているんだ。二人して下着姿で、目の前にいる金牙様は恥ずかしそうに顔を赤らめながらも熱っぽく僕の方を見つめている。


 雪のように白い肌は上質な絹を思わせる。手を伸ばせば、柔らかく滑らかな感触が伝わる。手を離そうとすれば、その肌が掌に僅かに引っ張られる。たったそれだけなのに僕の心臓は忙しなく鼓動を刻むんだ。


 出来るだけ優しく髪に触れた。指で髪をすいてやれば、少し暗めの金髪は引っかかることなく指を通してくれる。金糸を思わせるその髪を見て良からぬ気持ちが込み上げる。意識せずとも身体が熱くなる。


「金牙様、大好きだよ。愛してる」


 骨が皮膚の上からもわかるほどに痩せ細った身体。そんな金牙様を、割れ物を扱う時のようにそっと押し倒した。愛の言葉をささやいて、ピンク色の唇に接吻くちづけを。金牙様は僕を見て楽しそうに笑う。あぁ、その笑顔も声も、存在全てが愛おしい。


「フィール。そういうことを言うから『キチガイ』なんて呼ばれるんじゃないのか?」

「失礼な。誰になんと言われようと、僕の本心は誤魔化せない。それとも僕に、偽りの愛を語れって言うのかい?」

「少なくとも今のお前は、世間一般からはズレているだろうな。少なくとも僕は、同性を好むことを悪いとは思わん。だが世間的には、異性に抱くべき感情だろう?」


 知ってる。僕の恋愛対象が「普通」じゃないことも、こうして同性を好きになっても子供を作れないことも、こんな僕を気味悪がる輩がいることも。それでもやっぱり、心に嘘はつけないよ。


 例えキチガイと言われようと、誰かに嫌われようと、世間体のためだけに女性を愛することなんて出来ない。見合い結婚したところで、跡継ぎなんて生まれない。僕は女性相手に興奮出来ないからねぇ。


「僕の気持ちは、金牙様が知っていればいい。金牙様だけが本当の僕を見てくれればいい。それ以外は何も望まない」


 僕が言葉を紡げば、視界が少しずつ白くなっていく。白い霧はやがて視界全てを覆って僕の意識を奪い去る。遠くから神威かむいの声が聞こえる。あぁ、もう時間か。






 夢の中でなら素直になれる。でも現実では素直になんてなれなくて。金牙様への思いは胸に秘めたまま、明かしたことはない。思いを伝えたら嫌われてしまいそうで、今の関係性が音を立てて崩れてしまいそうで、伝えられないんだ。


 目を開けて真っ先に感じるのは喪失感だ。夢で手に入ったものが現実で手に入ることは無い。それをわかっているからこそ、素敵な夢から目覚める度に現実の厳しさを痛感して虚しくなる。


「フィール様、起きて! フィール様!」


 枕元にある黒檀の身体。顔を横に向ければ、枕元で僕の顔を眺める神威の姿があった。アフロヘアのせいか、生まれつきの縮毛が際立って見える。金牙様とは似ても似つかない金色のどんぐり眼が僕を見ている。これが現実だ。


 金牙様と僕が結ばれることは無い。戦闘貴族当主の立場がそれを邪魔する。同性を好きだと知られれば、クライアス家の名に泥を塗ることになる。戦闘貴族は皇帝直属の貴族で、五大都市を統治する。そんな戦闘貴族当主の僕が同性愛者だと知られれば、クライアス家を選んだリスレクト様の名を傷つけることにもなる。


 戦闘貴族当主でなければ、金牙様と結ばれることは出来たかな。いや、この立場でなければそもそも出会ってすらいないか。リスレクト様も金牙様も、クライアス家の薬師くすしという立場があるから出会えた。それに、金牙様が僕の本当の姿を認めてくれる保証はない。


「フィール様。銀牙ぎんが様が目覚めたよ。怪我の経過も良好。指も切断しなくて済みそうだよ」

「そうか。ありがとう、神威」


 神威からの言葉で我に返る。銀牙様を保護してからどれくらいが経つだろう。拷問の怪我が癒え始めた。経過が良好ならそろそろ話していいかとしれないねぇ。


「じゃあ、そろそろを動かすとしようか」

「いいの?」

「当主会談の日に決めたからねぇ。金牙様を裏切る形にはなるけど……それで金牙様を救うことが出来るなら、僕はそれでいい」

「金牙様はきっと、そんなことを――」

「いいんだよ、神威。いいんだ」


 僕が犠牲になることで金牙様とリスレクト様が救われるなら、それに越したことは無い。準備は整った。役者も揃った。あとは動くだけだ。きっと金牙様は、この計画を知ったら怒るだろう。どうか僕を恨んでくれ。そうすれば、金牙様の心は傷つかないだろうから。





 ベッドの上で上半身を起こす。掛け布団が膝に落ちて、ベッドが軋む音がした。ベッドの音で夢の中で見た金牙様を思い出す。服を脱がせればくっきり見える美しい鎖骨が現れるんだ。肋骨の形が見えるその胸は、耳を当てるだけで金牙様の心拍を伝えてくれるんだろう。


 現実では服を脱がすことは愚か、手を伸ばすことすら叶わない。与えられた地位と周囲の目がそれを邪魔する。この気持ちを伝えることは無いだろうねぇ。もし金牙様に想いを伝えることがあるとすれば、その日はきっと……。


「神威。もう、一人で診察出来るかい?」

「まだ無理だよ。黒人ってだけで、子供ってだけで、診察を拒否されちゃうから」

「なら、僕がなんとか神威に繋げないといけないね。最後の引き継ぎを、なるべく早めに済まそう」


 今後のことを思って話せば、神威が涙目になって僕の手をギュッと握った。見た目こそ子供だけど、中身は金牙様とそう変わらない。それなのに子供らしい言動をしているのは、周りから怪しまれないようにと僕が指示しているせい。


 神威の外見が大人になることはない。子供の姿のまま死んでいく。それは、そういう病気だから。原因不明ではあるけれど、似たような症例はある。神威の病気についても、患者達に説明しないといけないかな。


「フィール様。思いとどまる気は、ないの?」

「無いねぇ。逆に、僕がやらずに誰がやるんだい?」

「僕なら――」

「神威では意味が無いんだ。有色人種カラードの評判を上げるっいう金牙様の夢のためにもね」


 金牙様の夢は、有色人種カラードの人権保護だ。奴隷制を完全撤廃して、今より取締を強化する。さらにカラードを活躍させることで地位を上げ、最低でも自由に出歩けるようにする。実に甘い夢だ。なのに、それを叶えるための手伝いをしたくなる。


 金牙様はどうか、その純粋さを無くさないでほしい。綺麗な心と甘い考えこそが、金牙様の美しさを引き立てるから。金牙様を守るためなら僕は、喜んで汚れ役を買おう。思いを伝えられないんだ。これくらいは、させておくれ。


「俺はフィール様に恩返ししたいんだっての」


 舌打ちと共に聞こえてきた、神威の話し方。僕に聞こえないように声量を抑えたつもりなんだろうけど、距離が近いから丸聞こえなんだよね。ごめんね。僕は、神威の気持ちを知った上で決めたんだ。金牙様のために犠牲になるって。


 神威の言葉が聞こえないフリをして、ベッドから立ち上がる。応える代わりに、その丸く膨らんだ黒髪を撫でてやる。僕には、これしかできないから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る