FrEeDOm
羽街由歌
Chapter.1 - 12th birthday
ここのところ、曇りが続いて空気が重たい。午前八時を過ぎても、メルは天蓋つきの大きなベッドから出られずにいた。どうやら今日はメイドのナージュが起こしに来るまで寝ているつもりのようだ。
「どうせ早く起きたって、家から出てもいいって言われるわけじゃないし」
閉めたカーテンの隙間から差し込む光をぼーっと眺めていると、部屋のドアがノックされた。
「失礼します」
声の主はナージュではない。「ああ、いやだ、もう起きない」と言わんばかりに、メルは布団を被る。
「お早う御座います。お嬢様」
長身で、真っ白の肌に真っ黒の短い髪。目付きはメイドとは思えないほど鋭い。
――マクリッサだ。
このモルテンブルク家の邸宅には、マクリッサとナージュ、二人のメイドがいる。
二十七歳・ベテランのマクリッサと、十九歳でメイド歴の浅いナージュ。
テキパキと家事をこなすマクリッサと、ところどころ甘いナージュ。
人に頼らないマクリッサと、主人の手すら借りるナージュ。
厳しいマクリッサ。
優しいナージュ。
「お嬢様じゃなくて、メルって、名前で呼んでくれたら、起きてもいいわ」
ベッドの中からメルは言う。マクリッサはドアを開け、まっすぐメルのもとへ。
「そんな訳にはいきませんよ。あくまで雇い主は、旦那様です」
慣れた手つきで掛け布団を剥ぎ取る。掛け布団を掴んでいたメルが床に落ちるが、お構いなしに洗濯行きの籠へ。
「旦那様って……パパは死んだじゃない」
メルの両親はここ数ヶ月、帰ってきていない。亡くなったわけではなく、両親ともに仕事人間で、邸宅は豪邸であるにも関わらず、寝るためにすら帰ってこないのだ。もはやメルの認識では、二人のメイドと飼い犬のリックだけが、家族だ。
「亡くなっていません。そんな悲しいこと言わないでください」
「死んでるわ。帰ってこないんじゃ、死んだのと一緒よ」
朝っぱらから拗ねるメルに対して、マクリッサは呆れた表情を浮かべる。
「帰ってきますよ。だって今日は…………いえ、いいです。とにかく朝御飯は、ちゃんと食べてくださいね」
もやもやとしたセリフを残し、部屋を出ていった。
ばさ、ばさ。外から洗濯物を干す音が聞こえる。マクリッサが開けていった窓から庭を見下ろすと、ポニーテールを揺らしながら洗濯物と格闘するナージュが見えた。
「ナージュ! おはよう!」
「メル様! おはようございますです!」
マクリッサと違い、ナージュは要望通りメルを名前で呼ぶ。そばかすだらけの田舎臭い笑顔は、絢爛なモルテンブルク家の豪邸には似合わない。けれど、メルにとってはそれが良かった。
メルは父――ミスター・モルテンブルクから、敷地の外へは出ないよう言いつけられている。広大な敷地を囲むカーキ色の壁で、メルの世界は完結していた。……ナージュ、彼女が来るまでは。
ナージュの足元に、へっへっへっと息を鳴らしながらリックが寄っていく。
「ああ、今から干すんだからダメっすよ。リック」
リックはコッカー・スパニエルという種類の犬だ。メルはナージュに何度か聞かれた事があるが、ナージュはいつも忘れてしまう。
「わあーあ」
どでん。リックがナージュのエプロンの紐を引っ張り、ナージュは回転しながら尻もちをついた。左右に垂れる紐の長さがちぐはぐだからそうなるのだ。
「ふふ、マヌケなナージュ」
メルは笑うと、朝食を摂りにダイニングへと向かった。
「メル様~っ!」
「お嬢様」
「わおん」
朝食のあと、メイド達とリックが揃ってメルのもとへ来た。
「お誕生日、おめでとうございますっ!」
ナージュからのプレゼントは、手作りのクッキー。四種類あるようだ。ひとつを口へ。――おいしい!
「十二歳ですか、早いものですね」
マクリッサは、見るからに高級な傘。使うのがもったいないくらい。
「うおおん」
リックは、お手。洗いたてのふわふわな毛が気持ちいい。
「それと、お嬢様……言いにくいのですが」
「わかってる。言わないで。…………慣れてるから」
メルはマクリッサが何を言いたいのか分かっていた。
両親からは、何も贈られていない。一通の手紙すら。
メルが親の愛を感じる誕生日は少なかった。逆に、誕生日を迎える度に「愛されていない」と心に刻まれるようだった。
それは毎年のことだったが、慣れは訪れず、その晩、リックを抱いて静かに泣いた。
「わたし、本当に愛されてるのかな? わたしが十二歳になったって、わかってるのかなぁ? パパがチェスを教えてくれた、ママが髪にくしを入れてくれた。『私に似て、綺麗な金の髪だわ』って言ってくれた……あの頃って、もう、戻ってこないのかな……?」
一年前にメルは決めていた。『十二歳の誕生日まで待とう。もし帰ってきたなら、今まで会えなかったこと、寂しい思いをしたこと、全部許して、愛してくれてありがとうって言おう。もし、帰ってこなかったら……』
翌朝。メルはメイド達より早く起きていた。
「――愛してくれてないパパの言うことなんて、聞かなくていいわよね」
服を着替え、髪を整え、バッグを下げ、深呼吸。すぅ――………………はぁ。
「リック、お散歩に行きましょう!」
鏡の中の自分とリックにそう言い放ったメルの瞳は、ただ純粋で精悍で、少女であった。
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