天使と魔女はそりが合わない!

紀堂紗葉

第1話

「いたか」


「いや。見当たらない」


 黒いスーツを着てサングラスをかけた男二人がおれを探せずに悔しがっている。

 当のおれはというと、不本意にも捨ててあったダンボールをかぶり、夕日に照らされたスラム感のある雰囲気に溶け込んでいる。

 耳をすまし、男たちが走り去っていく足音を拾う。

 ダンボールを少し浮かせて誰もいないことを確認してから外に出て、急いでアパートに向かった。


 木造二階建てアパートの二階一番奥の部屋。

 四畳一間。キッチンあり。ユニットバス。築六十年以上―――おれが住んでいることになっている部屋だ。


 こんな言い方をするのにはもちろんわけがあるのだが、要はこの部屋はもうあのスーツの男たちに突き止められているため、普通にこの部屋で生活していてはすぐに見つかってしまうのだ。


 慎重に部屋の中に入った。

 誰もいないことを確認し、そっと胸をなでおろす。


 押入れを開け、中に入る。

 そして天井をあけ、屋根裏に上った。


 ―――ふぅ。


 こここそが我がオアシス。あのスーツたちにも見つかることがないただ唯一の場所だ。

 二階にあるすべての部屋の上を貫通した造りになっている屋根裏は、中腰にならなければ歩けないが、生活できないほど不便ではない。

 テレビもあればパソコン、冷蔵庫もある。

 テレビがブラウン管なのはしょうがない。

 部屋から見えないように、ひそかに電気やネット回線を引き込んでいる。

 無いのはトイレなどの水関係だ。


 それにしても今日は疲れた。

 安心すると眠気というのは脅威を増して襲ってくるものだ。

 今はその脅威に対抗できそうにない。

 ここは無駄な抵抗はせずに、その脅威にのまれるとしよう―――。




 意識が戻ったときにはもう少しで深夜2時になるところだった。


 つけっぱなしにしていたミュート設定のテレビは、放送を告げる前のいつもの決まった景色映像を流している。


 5月6日―――。


 世間的にはゴールデンウィークは終わってしまったということになるか。


 決してひきこもりではないのだが、引きこもりのような生活を送っている。


 そもそもなぜ追われているのかと言うと、それは借金が原因だ。

 親父の立ち上げた会社が大当たりし、誰でも一度は名を聞いたことがあるくらいの企業になった。


 ところがある日、親父がいつものように会社に行くと、社長席には自分以外の人間が座っており、いきなり首を告げてきたらしい。

 それが誰かと聞いたら教えてくれなかったが、大企業の社長にいきなり多額の借金を背負わせることができるような人物なんていったら相当な権力者なのだろう。


 その日以来、家族は夜逃げしてそれぞれ隠れて暮らすことになった。


 日に日に復讐心ばかりが沸いてくる。


 目を当てているだけのテレビは、砂嵐に変わった。

 まだ眠気が抜けず、かくんかくんと首を落としていると、画面が急に明るくなった。


「ちょっとー、きみー。こっちこっちー。こっち向いて~」


 ミュート設定にしているはずのテレビから急に声が聞こえ、びっくりしすぎて体が宙に浮いた。

 天井がたわみ、板が抜けないか心配になる。


 テレビには、金髪のかわいらしい女の子が映っていた。


「あ、向いてくれた。よし。じゃあ始めるわよ~」


 長い髪をなびかせて笑顔を見せている。

 薄いピンク色のドレスチックなワンピースが派手な髪色と白い肌によく似合っている。


 超大型新人の特別番組といったところか。背景が真っ白なことがなかなかに斬新だが。


「コホンコホンッ。えーっと、あのね、これからあたしがね、いい仕事を紹介するからね。ちゃんと聞いててね」


 仕事? 仕事の紹介番組なんて見たことないが。


「あたしはね、パドナっていうの。一応、天使やってます! 今から君に今をときめくおすすめのお仕事を紹介するからね」


 天使? そういう設定なのか。変わってるな。これ見てから寝るか。

 小さな冷蔵庫から冷えた水道水を取り出す。


「はいっ! じゃあね、あたしが君におすすめしたいお仕事はー、こちらっ! じゃじゃーん! 今話題の『異世界』でのお仕事です! 中世ヨーロッパの世界観で大冒険をしませんか? もちろん、魔法はありますあります使い放題! 現代ではできないようなあんなことやこんなこと、そんなことまでできちゃいます! 具体的なお仕事としては~、召喚された国で世界制覇をすること! 採用されると、勇者の称号が与えられます。そしてそれなりの服と拠点となる城が一つ与えられますよ~。一応お仕事なので、勤務という形になります。九時始業、十八時終業。異世界で死んだ場合、死亡となります。採用されますと、途中でやめることはできません。つまり、最後までやりぬいて成功報酬を受け取るか、志半ばで死ぬかです。今なら先着1名様限定で、異世界に行けますよぉ~! どうですか? 興味ありますか?」


 女の子は分厚い紙の束をパラパラとめくりながらしゃべっている。

 内容はもう胡散臭さ全開で御伽噺を聞いているような感覚だが、それにしても一体この番組スポンサーはこの企画のどこに魅力を感じて投資したのだろうか。


 仕事……か。

 一応高校には在籍しているのだが、行けないのが現状。

 夜逃げするときに渡されたお金が尽きるまではこのまま生活できるが、それが尽きたら自分で稼がなければならない。

 いつかはちゃんと考えなきゃいけない問題なのだ。


 ……あー、鬱になってきた。

 もう考えるのやめた。

 寝よう。

 コップの水を全部口に含んだ。


「さて、君が気になっている成功報酬ですけど~、え~っとね~……」


 気になっているやつなんていねーよ。

 異世界だの召喚だの……ゲームかラノベかってーの。


「百兆円ですね」


 ブフゥゥゥゥゥッ!!!


 口に入れた水を全部噴出した。


「これって高いの? どうなんだろ。よくわかないけどこんな感じのお仕事ですっ!」


 ―――ほんとに寝よ。


 リモコンを持ち、テレビに向けたとき見た自称天使の顔は、敬礼のように頭に手を当てて、それはそれは説明し切れてすがすがしい笑顔をしていた。


 ばかげてる。

 それよりも今後のことを考える時間にあてたほうが建設的だ。

 あいつらから逃げる方法を。

 ……でもそれは明日やろう。


 リモコンを持ち、電源ボタンを押さえる。


「え? ちょっと待って! ちょっと!」


 プチッ―――。


 寝よ。疲れたわ。

 敷いてある布団に横になった。


 今頃相当苦情が入ってるだろうな。あのテレビ局。

 どういう意図であの番組を制作したのか、プロデューサーに直撃レポりたいところだわ。


「ちょっと! 消さないでよ! まったくもうっ!」


 な、なんだぁっ!?


 びっくりして跳ね起きると、消したはずのテレビが点いていた。

 どういうことだ? 消したはずだろ。とうとう壊れたか。


「もうっ! あたしがあんなに一生懸命説明してあげたのに一方的に切るとかひどいと思うな」


 ―――ん?


 とりあえず壊れたテレビは叩くというのがこれまでの人間とテレビの歴史からして最良の選択なはず。


 上から二、三度テレビを叩いた。


「わー、ちょっと! 叩かないでよー! 何すんのよいきなりさ」


 ―――間違いない。


 この天使、この中にいる。


 画面を見ると腕を組んで怒ってる。


 なんなんだよこれ、なんなんだよこれぇ!


「ああ、ちょっとー。そんなに離れられたら見えにくくなっちゃうから。こっちおいで」


 幼いころから近所に住む姉ちゃんみたいなノリでおれを呼び寄せる。


「……そこにいるのか?」


「うん。いるよー」


 にっこり笑ってる。話が通じてやがる。


「ん~、困ったなぁ。こういうときどうするんだろう……」


 分厚い本をぱらぱらとめくり、「おおぉ!なるほどぉ!」となにやら納得している。


「じゃあ今君に何が起こっているのか説明するね」


 コホンッと一度咳払いをした後、再び話し始めた。


「まずね、君は選ばれたの。異世界の救世主に」

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