第141話29-1.邪素抜き

 「邪素抜き」とは、悪魔が取り込んだ全ての邪素を消費し尽くさせることで、怪力や固有能力を使用不能な状態にすることを指す単語だ。「邪素抜き」された悪魔は、タフネスさと魔界への移動以外の能力を全て失うが、そこに至るまでの期間は事前に摂取した邪素の量と、消費した邪素の量、そして悪魔個々人の体質によるので、ハッキリとしたことは解らない。一応、「邪素抜き」を開始してから三~四日が目安とされる。


 「邪素抜き」の対象となるのは、敵対組織に生け捕りにされた、人質交換をするだけの価値があると判断された悪魔が大半だ。彼らは現実世界に設けられた独房のような場所で、邪素が抜けきるまで閉じ込められ、無力化した後に取引の材料として使われる。


 地頭方志光とアニェス・ソレルが指揮した、白誇連合への襲撃で捕獲した二柱の悪魔も、同様の運命を辿った。彼らは真道ディルヴェのダミー会社が保有している廃工場の床下に設置された、竪穴式の独房に放り込まれた。


 独房はセメントで周囲を固められた上に、数センチの厚みがある鉄板を張られた狭い空間で、出入り口は天井部分のみで数トンの重さがある金属蓋で塞がれるという構造になっていた。ヘンリエットのような超怪力が無ければ、蓋を開けて脱出するのは不可能だし、無理に暴れればそれだけ多くの邪素を消費してしまう仕組みだった。


 問題は、その後だった。居住者に元日本人が多い魔界日本と、アメリカの元白人だけで構成されている白誇連合は団体としての関係性はほぼ無く、共通した利害もなかった。つまり、捕虜がいても利害関係が無いため、交換の条件が思いつかないのだ。


 戦闘を終えて後の処理をソレルに任せた志光が悩んでいたのもその点だった。浮間舟渡の戦いでは圧倒的な戦力差があったため、捕虜を確保できた。しかし、どうやって白誇連合と交渉すれば良いのか、てんで見当がつかない。


 捕虜を返すから池袋ゲートのある占領地域から撤退しろ、というのが最も無難な提案だが、相手が受け入れるとは思えない。何しろ、WPUは白人種の優位性を証明するために、主に黄色人種で構成された魔界日本を狙ったのだ。占領地域から尻尾を巻いて逃げ帰るのは白人種の優位性を否定する結果なので、敵の棟梁は彼に付き従う悪魔たちを説得することすら困難だろう。


 けれども、相手が受け入れそうな他のアイデアが思いつかない。魔界に戻って幹部連にも相談したのだが、全員が困惑の面持ちを浮かべていた。この戦いは基本的に人種主義を信じる者と信じない者の対立であり、そこに妥協はあり得ないからだ。


 例えば、自分達が人種論を信じており、しかし差別はいけないと思っているのであれば、まだお互いが歩み寄れる可能性はある。いわゆる「人種や民族は生まれつきで変更が不可能な要素なのだから、差別するのはいけない」という考え方だ。これなら、お互いが人種論の信奉者なので、特定の人種を差別するか、しないかという倫理的な価値観が論点になるため話し合いの余地がある。


 ところが、自分も込みで魔界日本の幹部連に人種論を信じている者は誰もいない。白人と黒人、あるいは白人と黄色人種の間で子孫を作れる以上、それぞれが別の人種という考え方そのものが間違っている。ただのフィクションだ。


 従って、お互いが折り合いを付ける余地はない。自分達が勝つということは、白誇連合の主張を全て否定するのと同意だ。逆に白誇連合が勝てば、人種論がまかり通ったのと同じ意味になる。


 今後の方針に悩んだ志光がドムスの執務室で呻いていると、肩と背中を露出しているミニの赤いワンピースをまとったクレア・バーンスタインが現れた。背の高い白人女性は、少年の向かい側に座る。


「ハニー。この服はどう?」

「似合ってますよ。クレアさんは背が高いから、どんな服を着ていても綺麗に見えますけどね」

「あら、お世辞が上手になったわね。それで、何を悩んでいるの?」

「捕まえたホワイトプライドユニオンの悪魔たちの処遇ですよ。クレアさんにも写真は見せましたよね?」

「身元を当たってくれとも頼まれたわ。一人は判明したのよ」

「……どんな経歴ですか?」

「判ったのは口ひげを生やした方よ」

「ああ、あのナイフ使いか」

「名前はジョゼッペ・バルディ。シチリア島の出身で、アメリカへ移住。ニューヨークのマフィアのメイドマンから出世して、カポ・レジームにまでなっているそうよ」

「すみません。メイドマンって何ですか?」

「マフィアの正式構成員を意味する隠語ね。ワイズガイとも言うわ。マフィアは一種のカルトで、正式構成員は必ず所属した組織の殺人行為に加わるの。ジョゼッペはそこで頭角を現したのよ。少なくとも、人間時代に二〇人近い殺人に関与していると言われているわ。そのお陰で彼は自分が所属するファミリーの中で出世した、というところかしら?」

「麻衣さん、そんなヤツによく勝ったなあ」

「何で一郎氏が彼女を雇っていたと思ってるの?」

「まあ、そうですけど」

「話を元に戻すわ。でも、ジョゼッペのサクセスストーリーは途中で止まってしまったのよ。ユダヤ人嫌い、黒人嫌いが原因で、他人種の犯罪組織と連携できなかったため、同僚に追い越されたというのがもっぱらの噂よ」

「ありそうな話ですね」

「それに、移民が自分達の出自を維持し続けるのは難しいわ。マフィアは伝統的にシチリア島の出身者のみで構成されることになっているけれども、ニューヨークで生活していてそれができる人はほんの一握りでしょうね」

「ああ、つまり父親か母親がシチリア島の出身者じゃなくなるケースが多いんですね。そうなると、純血者だけで組織を維持するのが難しい?」

「その通りよ。だから、純血主義にこだわる〝古臭い〟メイドマンは煙たがられるようになったみたいよ」

「それで悪魔に?」

「多分」

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