第57話10―2.少年を知っていた女

「どこから話せば良いかしら? そう……私とイチローの関係からがいいわね」

「その……愛人だと聞いているんですが」

「その通りよ。私は彼の愛人だったわ。正妻には出来ないことをする係ね」

「正妻って、僕の母さんですよね?」

「そうよ」

「何か、複雑ですね」

「単純よ。男と女の関係ですもの。ただ、私とイチローの関係はそれだけではないけれども」

「どういうことですか?」

「私はレアな能力で彼の仕事の役に立っていたのよ」


 ソレルはそう言うと、ふっと息を吐いた。すると彼女の全身から青い光が立ち上り、やがてその光が幾つかの粒に変化する。


 宙に浮いている粒はパチンコ玉ぐらいの大きさで、色は邪素と同じ青だった。ただし、色むらがあり、一見すると琉球ホタル石のように見える。


 志光はその物体に見覚えがあった。大塚のゲートでクレアと麻衣が蝿と呼んでいたものだ。


「蝿……ですか?」


 少年の問いかけに、ソレルは片眉を上げた。彼女は片手を振って宙に浮いた粒を操りながら、正確な名称を告げる。


「壁の蝿(Fly on the wall)よ。覗き屋という意味ね」

「その青い球を使って、他人を観察できると言うことですか?」

「スパイ活動と呼んで頂戴」

「できるんですね?」

「見せてあげるわ」


 そう言ったソレルが手を挙げると、青い球の半数が室内に飛び散った。もう半数は白い壁に近づくと、それぞれが映像を投射し始める。


 そこに映っていたのは、千葉から麻布十番まで戻ってきた面々の顔だった。クレア・バーンスタイン、見附麗奈、過書町茜、ウニカ、大蔵英吉が別々に表示されたのを見た志光は感嘆の声を漏らす。


「すごい。同時に監視できるんですか?」

「ええ。距離にもよるけど、数十カ所を同時に見張ることも可能よ。ただし、蝿の大きさによって機能が変わってくるわ。大きければ大きいほど、より多くの監視機能をつけられる代わりに……」

「見つかりやすい?」

「その通りよ、ベイビー。あなたはずっと気付かなかったけどね」

「僕が? ソレルさんに監視されていた?」

「ええ。私はそこにいる魔界日本の幹部達と違って、最初からあなたの存在を知っていたわ」

「嘘ですよね?」

「後で証拠を見せてあげる」

「お願いします」

「話を進めるわね。私はイチローの命令に従って、様々な諜報活動をしていたの。ベイビーの監視もその一環だったわ」

「その、質問しても良いですか?」

「何かしら?」

「どうして父は僕と会おうとしなかったんですか?」

「理由は訊かなかった。推測は出来るけど、今のあなたに話すつもりはないわ。混乱するだけだと思うから」

「はあ。じゃあ、二つめの質問を。父は生きていると思いますか?」

「いいえ。イチローが私の監視網に引っかからない可能性は限りなくゼロね」


 ソレルは志光の身体に乳房を押しつけながら、昏い顔になった。


「酷い話よねぇ。遺言状で魔界日本の領土の一部を割譲されて、後はポイ捨て。まさかと思ってあなたを監視していたら、クレアと麻衣が引っ張り出して悪魔化させるなんて……」

「ソレルさんは僕が父さんの後継者になると思っていなかったんですか?」

「それはそうでしょう? あなたが後釜に座るなら、どうして私が魔界日本から切り離されなければならないの?」

「うーん……」


 ソレルの愚痴を聞きながら、志光は頭の中で得られた情報を整理した。


 まず、アニェス・ソレルは自分の存在を知っていた。


 それどころか、父親から監視を頼まれていた。


 つまり、父が自分に会わなかったのは、育児放棄というよりも意図的なものだったらしい。


 ただし、その理由は解らない。ソレルには見当がついているらしいのだが、自分に話す気は無いようだ。


 次に、美作が予測をしていたとおり、ソレルは魔界日本から領土を割譲されたことを喜んでいない。むしろ、嫌がっている。


 彼女の言い分によれば、自分が父親の後釜に座るのであれば、魔界日本から虚栄国を分離独立させる必要が無かったのだそうだ。しかし、この説明はよく分からない。ちゃんと細かい点まで話を聞いておく必要がありそうだ。


「あの、良いですか?」

「なあに?」

「どうして僕が新棟梁に就任するなら、ソレルさんは魔界日本から切り離されずに済むと思ったんですか?」

「私の地位が変わらないからよ」

「ソレルさんの地位?」

「だから、愛人よ」

「父さんが死んだのに?」

「ええ。次はあなたの愛人になれば良いじゃない」


 ソレルの発言を耳にした志光は、激しく瞬きをした後に手を耳に当てた。褐色の肌は少年の耳に口元を近づけ、甘く囁くようにもう一度同じ台詞を口にする。


「ベイビーの愛人よ」

「父さんの愛人だった人を、僕の愛人に? どうして?」

「そんなの決まってるじゃない。私がそれ以外の地位に興味が無いからよ」

「どうしてですか?」

「いい? 古今東西、幾つかの例外を除いて、上流階級の結婚というのは基本的に打算で行われるわ」

「まあ、よほどのことが無い限り、上流階級同士の間で行うものでしょうね」

「イスラム社会の一部のように、奴隷の子供が権力者になれるケースもあるけれども、それはむしろ例外。つまり、本妻というのは色んな利害調整の結果ということよ」

「はあ」

「それに比べると、愛人というのは男の好みで決めて良い存在なわけ。自分の欲望を素直にぶつけられる相手というか、本妻には出来ないあんなことやこんなことを、できるししてくれる存在という事よ。お解り?」

「まあ、何となくですが」

「つまり、男にとって自分の欲望を素直に解放した結果が愛人ということになる。打算じゃ無くてね」

「何となく話が見えてきました。つまり、ソレルさんは男性に欲望される対象が愛人で、周囲との兼ね合いで決まる相手が本妻だと考えているんですね」

「その通りよ! なかなか察しが良いわね。つまり、愛人は本妻に比べると……」

「より男受けする存在?」

「そういうこと。本妻より可愛くて、本妻よりかいがいしくて、本妻より男性のあんなことやこんなことを受け入れられるラブリーな存在が愛人なのよ」

「あの、ソレルさん。さっきから僕の母さんを散々こき下ろしていることは理解していますか?」

「もちろん! だって、そう説明しないとベイビーが解ってくれないでしょう?」


 ソレルは頬を膨らませると、指で志光の顔をつついた。少年は彼女から顔をそむけ、口をタコのように突き出してみせる。

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