計略策略大失策
一寸法師の説話から帰還したボクは直ちに諜報活動を開始した。前回、和扇さんと小町さんから提出された課題は実行に多大な困難を伴ったが、今回の課題は単独行動。人に会うのは苦手でも人に隠れて行動するのは得意である。
毎日、講義もそっちのけで光源次郎の後を付け、物陰に隠れて聞き耳を立て、更には光源次郎の友人たちの会話も盗み聞き、恋敵の正体を暴くことに全力を注いだ。その甲斐あって次のような情報が手に入った。
一、 光源次郎には本命の彼女がいる。
二、 和泉さんは単位取得のために利用しているだけ
三、 これまでに多くの女を泣かせている
「なんて奴だ。絵に描いたようなチャラ男じゃないか」
知れば知るほど怒りが湧いてくる。これを教えてやれば和泉さんが愛想を尽かすのは確実だ。だが、これらの情報は全て噂の域を出ていない。ボクが見聞きしただけで、その裏付けは取れていないのだ。こんな状況で和泉さんに話したとしても、
「それはあなたの妄想に過ぎないのではないですか」
などと反論されるに決まっている。そしてその反論に対してこちらは反論できない。何か確実な証拠が欲しいところだ。
ボクは更に監視の目を強めて光源次郎の身辺調査に励んだ。そして次の仏滅まで残り二日と迫った友引の昼休み、厚生会館の喫茶コーナーで友人と雑談している光源次郎を発見した。さっそく聞き耳を立てる。
「……夜は駄目だ。駅前に今日オープンするお洒落カフェがあるだろ。
「おいおい、いいのかい。最近国文科の和泉さんと仲が良いんだろ。二股がばれても知らないぞ」
「あっちは単なる便利屋だからな。ばれて付き合いがなくなっても構やしねえよ。頭が良くて素直な女はたくさんいるし、そもそもツンデレならともかく、デレの要素が皆無なツンツン女なんかタイプじゃないのさ」
堪忍袋の緒が切れかかるのを懸命に堪えながら、ボクは二人のお喋りを聞いていた。これまで噂に過ぎなかったが光源次郎本人の口から情報通りの話が聞けた。しかも今日の放課後、本命の彼女と逢引するのだ。チャンスだ。お洒落カフェで仲睦まじく談笑する二人の写真を撮ってそれを見せれば、和泉さんも納得してくれるだろう。ボクは嬉々として午後の講義を受け、夕方になるのを待った。
「まずいな、すっかり遅れちゃったよ」
夕暮れが迫る駅前通りを大急ぎで走る。思いがけない出来事は思いがけない時に起こるものだ。講義終了後、ゼミの講師からボクだけ呼び出しがかかったのだ。
「君、いつになったら資料の要綱を提出するのかね」
週一回のゼミは期間の前半は講師の講義、後半は各自が用意した資料を基に、ひとりずつ講義を行う形式だ。何の資料を使うか、その要綱を提出する締め切りはとっくに過ぎていた。
「すみません。資料の候補はいくつか用意しているのですが、どれを使うか決められなくて」
「ならば用意している資料の全てを提出しなさい。私が決めてやろう」
これは嘘である。あの奇書をゼミに使う気は完全に失せていた。だからと言って別の本を用意する暇もなかった。ここ数日は光源次郎の調査に全ての時間を費やしていたからだ。
「来週までには何とかします」
「必ずだぞ。では遅れた罰として資料の整理を手伝ってくれ」
これには逆らえない。それから小一時間ほど狭い講義準備室で紙の束と悪戦苦闘した後、ようやく解放されて駅前通りをひた走っているのだ。
「くそ、雨まで降りだしやがった。まだカフェにいればいいんだけど」
雨避けのカバンを頭に乗せて走り続け、ようやく駅前のお洒落カフェに着いた。さすがは開店初日、大変な人気だ。雨が降っているのに店の外にまで行列ができている。その行列の中に光源次郎の姿はない。
ボクは店の外から窓ガラス越しに中の様子をうかがった。いた。うまい具合に窓際の席に座っている。長い黒髪を桃色のリボンで束ねた女がこちらに背を向けて座り、その正面に鼻の下を長くした光源次郎の顔が見える。
「あれが萌美か。なんとなく雰囲気が和泉さんに似ているな。髪も長いし」
萌美は今年文学部に入学した一年生。愛くるしい顔と性格の持ち主で、文学部だけでなく学内中にその名は響き渡っている。もっともボクはその顔を拝んだことは一度もない。
「萌美は背中しか写らないけどまあいいか。光源次郎が女と会っているのは一目瞭然だし」
ボクはスマホを取り出して窓越しに二人の姿を撮った。首尾は上々。後はこれを和泉さんに見せるだけだ。
翌日、その日の最後の講義が終わると、まだ椅子に座ったままの和泉さんに近付く。
「あの、少し話があるんだけど、いいかな」
あの日以来、一言も口を利いていない彼女に声を掛けるのは相当な勇気が必要だった。だが今日の目的を達成できれば事態は劇的に好転するはずだ。その期待がボクを力強く後押ししてくれた。
「いいわよ」
珍しく素直な返事だ。さすがに講義室で話はできないので、前回と同じ厚生会館の喫茶コーナーへ向かう。
「で、何の用?」
席についてもクールな態度は変わらない。何もかも見通しているような目でこちらを睨み付けてくる。怖気づきそうになる心を叱咤激励して口を開く。
「聞いて欲しいことがあるんだ。光源次郎について」
ボクはこれまでに入手した光源次郎の情報を洗いざらいぶちまけた。奴は誠実さの欠片もない典型的なチャラ男、和泉さんは利用されているだけ、別れても全然構わない、なぜなら本命の彼女がいるから……周囲の学生たちには聞こえないようなボソボソ声でボクは話す。和泉さんは淡々と聞いている。眉一つ動かさない。そうしてボクの話が終わるとようやく声を出した。
「言いたいことは分かったわ。でもそれは全て渋川君の憶測に過ぎない。何の証拠もなく鵜呑みにはできないわね」
予想通りだ。即座にスマホを取り出して写真を表示させる。
「証拠はある。昨日見たんだ。光源次郎が一年の萌美さんとカフェで会っているのを。ホラ、見て。この子があいつの本命。昨日オープンしたばかりの店でさっそくデートしていたんだ。分かったでしょ。光源次郎は和泉さんのことなんて何とも思ってやしない。単位習得のために利用しているだけの最低男なんだよ」
ボクの話が終わっても和泉さんの表情は変わらない。一切の感情が消えてしまったような目でボクを見ている。
「ねえ、渋川君。昨日光君は萌美さんと会っていた、あなたは今そう言ったの?」
「そうだよ。この写真がなによりの証拠だ」
「この女の子が萌美さんだという証拠はどこにあるの?」
「えっ……」
それは思ってもみなかった質問だった。言い返せずに固まっていると、和泉さんはポーチから桃色のリボン飾りの付いた髪留めを取り出した。
「あっ……」
ボクの口から驚きの声が漏れた。信じられなかった。写真の中で萌美が着けている髪留めと同じだったのだ。
「その写真に写っているのは萌美さんではなく私。店の外で待っている時、風が強かったから髪をまとめたのよ」
嘘だ、そう言いかけてボクは危うく思い留まった。和泉さんがそんな嘘をつくはずがないからだ。
「まさか……じゃあ、これは萌美さんじゃなくて、和泉さん……」
無言で頷く和泉さん。注意が足りなかった。髪を束ねた姿をこれまで一度も見なかったにしても、和泉さん本人であることに気付けなかったなんて……
「どうして……夕方萌美さんと会うって言っていたのに、どうして……」
「そうね。光君も約束の相手の都合が悪くなった、だから私と会うことにした、そう言っていたわ。それを考えればあなたの言い分は正しいのかもしれない。でもあなたは言ったわね。昨日、光君は萌美さんと会っていたと。それは完全に間違っている」
「だけど萌美さんと会う約束をしたのは本当のはずだよ」
「その言葉を私が信じると思う。会っているのが誰なのか、きちんと確認もせずに嘘を言ったあなたの言葉を信じてもらえるとでも思っているの? しかも毎日コソコソと盗み聞きを繰り返し、盗撮をし、こうして告げ口までしている。あなたの方が男としては遥かに最低じゃないの」
「……」
言い返せなかった。しかし認めたくもなかった。ボクは唇を噛み締めたまま顔を伏せた。恥ずかしかった。ここから逃げ出したかった。これ以上和泉さんと顔を合わしていたくなかった。
「用件はそれだけ? これ以上何もないのなら私は帰るわ」
立ち上がる和泉さん。が、歩き出そうとはしない。何かを待っているかのようにそこにたたずんでいる。
しかし、それも無駄だと悟ったのだろう。小さなため息とともに声が聞こえてきた。
「ねえ、ひとつだけ聞かせて。渋川君、どうしてこんなことをしたの。私と光君を仲違いさせて、あなたにどんな利益があるの」
君が好きだから。光源次郎なんかじゃなくボクと付き合って欲しいから……というボクの言葉はもちろん声にはならなかった。依然としてだんまりを決め込むボクに呆れたのか、和泉さんの吐き捨てるような声が頭上から落ちてきた。
「そう、それも言いたくないのね。渋川君がこれほど気概のない男だとは思わなかった。失望したわ」
和泉さんが歩き出す。足音が遠ざかっていく。規則正しく聞こえてくる小刻みな足音は永遠の決別を告げる鎮魂曲のように思われた。
「さようなら、和泉さん……」
ボクは静かに泣いていた。心の中だけでなく両目からも涙が零れていた。
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