マリとカオリの放課後冒険クラブ奇譚

ゆきまる

第1話 夏の終わりの旧校舎

 まだ夏の香りを残す旧校舎に、わたしは足を踏み入れた。

 人気のない廊下に窓ガラスを通してまぶしい日差しが入り込んでいる。

 午後の時間の光と影のコントラストは、ここが『学校』の敷地内でありながら、どこか別の世界であるような錯覚を起こさせた。


「思っていたよりも不気味ね……」


 広い廊下を進みながら小さくつぶやく。

 高校一年生の二学期までどの部活にも所属せず、放課後即帰宅を満喫していた自分はここが専門の機材を必要としない文化系クラブの部室棟となっていることさえ知らなかった。

 建物は鉄筋コンクリート製の新校舎からグラウンドを挟んで敷地の外れにある。 防風林に囲まれた木造の校舎は放課後の時間でも人寂しい。

 部活動に勤しむ人たちは部室が割り当てられている二階に集まっていて、倉庫代わりとなっている一階には人の気配すらうかがえない。

 昇降口から踊り場に上がると、横には二階へとつながる幅の広い階段が存在していた。その横を通って廊下を進み、校舎の右手に向かっていく。

 まだここが学び舎として機能していた時代は職員室として使われていた一画であるという。


「えっと……。この先にあるんだよね。地下倉庫につながる階段が」


 聞かされていた情報に従い歩みを進めていく。

 足を運ぶたびに木製の床材が少しきしむような物音を廊下に響かせる。

 この向こう、校舎の端に位置する場所で問題の倉庫に続く下り階段があるはずだった。


「あれ?」 


 淡い期待は露と消えた。

 職員室の一画を過ぎると、隣には小部屋があって中に置かれた機材から保健室か何かであったのだろうということが分かる。

 廊下は突き当りで終わっていて、あるのは外へとつながる引き戸の扉だけだった。

 おかしい。話と違うじゃない……。

 思わぬ事態に腕を組んでひとしきり考える。

 そもそも何故に自分がこのような場所にまでやってきたのか。

 その理由はクラスメイトで親友のカオリが、自分に内緒でこの場所を時折、訪れているという話を同級生から聞かされたせいだった。

 彼女とは小学校以来の長きに及ぶ付き合いである。

 家が近所という間柄もあって、幼いときから家族ぐるみの交友関係を続けていた。

 そんな一番の友達が自分に隠れて何かを行っている。しかも、旧校舎の人目につかないような場所へ足を踏み入れてだ。

 ついつい不安に駆られて、自分の目で真実を確かめるべく乗り込んできたというわけ。


「これは……。困ったわね」


 だが現実は非情である。

 伝えられた『カオリが旧校舎の地下倉庫に入っていった』という証言。

 聞き捨てならぬと、さらに事情を問い詰めれば倉庫の位置は職員室の隣であると教えられた。

 あれ?

 ここで自分の愚かしさに気がつく。

 まず勝手に職員室の隣には階段があると思い込んでいた軽率さ。

 さらに同級生が職員室の隣と言ったのは、保健室の位置であるという可能性。

 分かってしまえば答えは簡単だった。小部屋の扉に手をかけ、大きく開く。

 室内は長く放置されている割に埃は控えめであった。それでも使われなくなったベットや複数の椅子と診療台が片隅に積み上げられている。


「ほらね、ビンゴ!」


 思ったとおりだ。

 不自然に空けられた部屋の中ほど。木の床の上にカーテンの隙間から入り込むかすかな光が何かを照らしていた。

 近づいて正体を確かめる。

 そこにあったのは細い金属製の棒だった。

 手に取って少し持ち上げてみると、棒には同じく金属のチェーンがつながっており、鎖は板に穿うがたたれた穴を通して下に消えている。

 さらに限界まで引っ張ると先端に繋がれているとおもわしきストッパーによって止められた。

 ああ、なるほど。

 ここまでくれば十分に予想はついた。

 両手で棒の端を握り、力をかけてチェーンを引っ張る。

 切り込みを入れられた長方形の床材がゆっくりと持ち上がる。下には厚手の板があって、これが蓋の役目をしているのだろう。


「なるほど。こういうことだったのね」


 姿を現した床下の空間。差し込む光を頼りに中をのぞき込む。

 下からはひんやりとした空気が漂ってきた。


「倉庫と言うよりは床下収納だよね、これだと」


 地下には目立つような大きな荷物はない。

 ただ放置されたままの木箱がひとつ置かれているだけだった。

 まだここに人が出入りしていた頃には気温が安定しているこの場所で資材を保管していたのだろう。

 周囲はコンクリートブロックで固められているようで、ネズミの被害も心配なさそうだった。


 でも……。


 問題はそういうことではない。

 ここにカオリが潜り込んだの? 何のために?

 疑問は尽きない。だが、ひとつだけ確かなことがある。

 自分もここへ降りてみたい。瞬間、そう思った。

 それで何かがきっと分かる。根拠はないが自信はあった。

 床下の深さは腕を伸ばせばなんとか手のひらが地面に届きそうなくらい。

 気を付けて降りれば問題のない高さだ。旧校舎は湿気を避けるために床下が高く設けられてる。この場所はそこを利用して作られたものだろう。


「えっと、踏み台になるようなものは……」


 顔を上げて周囲を見渡す。

 降りるにしても、もう一度上がることを考えなければならない。

 カオリのように容姿端麗で身体能力も優れているなら、この程度の高さは難なく上り下りできるだろう。

 でも、わたしはお世辞にも運動が得意ではないし、誰もが目を奪われるような存在でもない。

 せいぜいがよくいる田舎の高校生だ。なので慎重に事を運ぶ。

 部屋の片隅に積み重ねられている様々な器具や資材。そこにスチールパイプと合板で作られた椅子を見つけた。

 がたつきのないしっかりしたものをひとつ選び、床下に椅子を置く。

 それから、ゆっくりと踏台のように座面を使い、硬い地面に足を下ろそうとした瞬間。


「え? うそ……」


 想定外の出来事に思わず声を上げた。

 あるはずの地面に足が届かず、まるで階段を踏み外したようにわたしの体は宙に投げ出された。


「きゃああぁ! あ……あれ?」


 長い叫び声を口にしようとした途端、手のひらに冷たい感触を覚える。

 痛みはどこにもない。

 落ちたはずの体はなんだか分からない空間に移動していた。


「な、何よ、ここって?」


 自分の身に起きた不可解な現象にとまどいながら辺りを見渡す。

 石畳の床とその周りを取り囲むいくつもの本棚。でも、書架の中には収まるべき本は見当たらず、ただ細かく分けられた空間だけが見えた。

 明かりは天井の方から光源不明な輝きがやさしく降り注いでいる。

 顔を上げて、どれほど高いのかを確かめようとしたけど、見える限りに建物の壁がどこまでも続き、その前にはやはり同じような空っぽの本棚が積み上げられていた。


「旧校舎の図書館……。じゃないよね、やっぱり」


 一度は現実的な可能性を模索してみたが、早々にあきらめた。

 何より、自分は保健室の床下に足を降ろしたはずである。それが気がつけば謎の空間に飛ばされていた。

 この時点でごく普通の考えはまるで通用しない。

 さらに部屋の様子を細かく眺める。中ほどに広い机と等間隔に並べられた背の高い椅子が見えた。

 その後ろには視線をさえぎるようなとうの編み込みの衝立ついたてが置かれている。


「誰ですか? この『大図書館』へ許しもなく入り込んだのは……」

 

 突如、聴こえてきたのはうら若き乙女の詰問。

 日頃の努力の賜物たまものか、声だけでもう可愛いと予想できた。


「え? 誰かいるんですか!」


 相手に答えて呼びかける。

 声がした方に視線を向けると、衝立の後方からかすかに光が漏れていた。


「あの、ごめんなさい! わたしもいつの間にかここに来ていて。本当は保健室の床下に降りるつもりだったの……」


 とりあえず、自らの事情を正直に話してみる。

 信じてもらえるかどうかは定かではないが、こちらに悪意がないことだけは分かってもらいたい。その思いで言葉を重ねた。


「保健室……。床下? ああ、あなたがもしかして彼女の話していたお友達の方ですか。だったら、問題ありません。さあ、どうぞこちらへ……」


 自分の気持ちが通じたのか、謎の声の主はわたしを迎え入れるように誘ってくれた。

 その言葉を受けて、部屋の中央へと進んでいく。

 衝立の端をめぐり、光がする方向を視界にとらえる。そこには少女がいた。

 椅子に座り、机の前を向いて微動だにもせず何かを見つめている。

 彼女が眺めているのは古いタイプのPCモニターだった。

 どっしりとした幅のある奥行き。無機質な硬化プラスチックのマットな色合い。

 いまやリサイクルセンターでさえお目にかかるのもまれなブラウン管のディスプレイである。


「ようこそ、大図書館へ。わたしはここの管理人でミネルヴァと言います」


 ミネルヴァと名乗った女の子は視線を動かすこともなしに自己紹介をした。

 背中まで届く銀色の長い髪。あやしげな緋色の目とよく整った顔立ち。

 人の姿をした妖精がいれば、きっと彼女がそうなのだろう。

 それほどまでに少女は人間離れした存在感を放っていた。

 身に着けているのは臙脂えんじの制服。頭には同系色の帽子を被り、肩には白く丈の短い外套マントを羽織っている。

 その姿は、いかにもこのどこか古めかしい図書館の司書といったおもむきを感じさせた。


「あ、あの……。わたしのことを知っているみたいですけど、どうしてですか?」


 聞きたいこと知りたいことは山ほどある。

 だけど、もっとも重要な案件はどうして自分がこの場所にいるのかという疑問。

 もしかして自分は呼ばれたのかもしれない。この不思議で謎に満ちた世界へ……。

 抑えきれない興奮が言葉となって口からあふれていく。

 わたしの問いかけにミネルヴァが椅子に座ったまま腰を動かし、正面を見せた。

 惹き込まれてしまいそうなほど輝かしい赤の瞳。

 そして、少女は静かに口を開く。


「彼女からあなたのことはよく聞かされています。なるほど、言われたとおりの方のようですね……」


 短くつぶやき、まるでこちらの視線を誘導するように左手で机の上のモニターを指し示す。

 うながされて画面に目をやった。映っていたのは一〇二四色中、任意の一六色を選んだカラーパレットを使用して描かれた女の子のCG画像であった。

 荒い解像度にところどころジャギーを残したドットのライン。

 まあモニターのせいでぼやけているけど。

 しかし、よくよく眺めると、このキャラクターにはどこか見覚えがある。

 利発さを感じさせる大きく開いた両のまなこ。シャープな雰囲気を漂わせる端正な顔立ち。動きやすさを優先したようなショートカットの黒い髪。


「これって、カオリ?」


 画面に映し出されていたのは、どう見てもわたしの親友である『綾科香織あやしなかおり』であった。

 一体全体、どういうことなのだろう?


「そのとおりです。カオリさんは現在、わたしの計画を実現するために、この物語の中でクエストを進行中です。ですが、いささか困った状況にあります。だからこそ、あなたに来てもらったのですよ。『星光ほしひかりマリ』さん……」


 すべてを見通していたかのようにミネルヴァがわたしの名前を呼んだ。


「え! ほ、本当にカオリなの? でも、これただのCGじゃないですか。確かにカオリにはよく似ているけど……」


 にわかには信じがたい少女の発言。

 これはたちの悪い冗談なのではないかという思いに囚われ、つい疑いのまなざしを向けた。


「間違いありませんよ。ほら、その証拠に」


 もう一度、彼女が画面を指差す。

 釣られるようにふたたびモニターへ視線を合わせた。


 ——かおり「まり、はやくこっちにきててつだって」


 画面の下段に置かれたテキスト表示用のスペースにそれらしいメッセージが現れた。


「いやいや、こんなのスクリプトで簡単に作れるから……」 

 

 疑念が猜疑心さいぎしんを伴って、わたしの心を硬直化させる。

 あまりにも意外過ぎる展開は読者の気持ちを萎えさせてしまうのだ。


——かおり「おねがいだからたすけてよ。えいごのしゅくだいてつだうから」


 次元の壁を超越した存在が妙に現実的な提案で懐柔を計ってきた。


「す、数学も助けてよ……」


 調子に乗って条件を上乗せしてみる。

 さあ、どう出るか?


——かおり「でてないしゅくだいはてだすけできないわ」


 これで間違いない。

 どうやら、カオリは本当にこの画面の中にいるようだ。

 極めて狭い範囲でしか知り得ない情報。対応のレスポンスの素早さ。


 ”数学の宿題は出ていない”という事実は、ここではわたしとカオリしか知らない。

 それをとっさに反応することが出来たのは、彼女が『本物』であるという証明。

 こうして、わたし『星光マリ』の唐突な放課後の冒険は始まった。

 夏が終わるまだ少し前、高校生として最初の夏の出来事だった。

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