泥棒

ムラサキハルカ

 一

 幼い頃。卯月がおともだちの家へと遊びに行っていた時。


 その日、ともだちの女の子がてのひらを広げると、そこには丸く薄べったいかたちをしたすきとおるものがいくつかおいてあった。


 初めて見たものだったので目を丸くしながらそれがなんであるかをたずねると、友達はどこか自慢げにおはじきと答え、弾いたりして遊ぶものだと教えてくれた。


 小さなため息をつきながら、卯月が触らしてもらうと、水が垂れたような淡いオレンジ色を宿したそれは、思いのほか固くひんやりとしていた。何度もなでてみせながら、おはじきの中に吸いこまれてしまいそうだと思いみつめる。


 とってもきれいだね、なんてことを言いながら、そうでしょと微笑むともだちのほこらしげな声が、どこか遠くの出来事のように卯月には思えた。


 それからともだちに教えられるままにおはじきをはじいて遊びながら、卯月はどことなくそわそわした心地のままでいた。適当な相槌を打ちながらも、卯月はおはじきの透きとおった色にばかり目をむけていた。


 ただただ、みいられていた。




 もうそろそろ門限というところで、ともだちがトイレに立った。おもちゃを見せびらかしている時から、気持ちが高ぶっていて、オレンジジュースを何度もお代わりしていたせいかもしれない。少し前に、おもらしをした時の惨めさを思いだしながら、ともだちの後ろ姿を見送った卯月は、わずかな名残惜しさとともにへたりこんだ。


 ふと、目の端に映ったのは、出しっぱなしになっていたおはじきだった。とりわけ、その色合いは、最初に見た淡いオレンジ色のものだったのもあって釘付けになる。さっきから、何度も見ていたはずなのに、ここにきてそれが最初にみたものだというのが妙に気にかかった。


 きれいだ。そうあらためて思ったところで卯月の手は自然と伸び指先がおはじきの表面をなぜた。少し前までともだちと触っていたはずなのに、そのガラスで作られた小さなものは最初と同じように冷たく固いままだった。


 表面で指を何度もさまよわせたあと、卯月はそれをつまみあげていた。目の前にかざしたおはじきは、こぼれた水のようなオレンジ色の間にあるより透き通った部分を露わにしている。その前で何度か瞬きを繰り返していると遠くから水が流れる音がして、ともだちが近付いてくるのがわかった。とっさにズボンのポケットにてのひらのうちにあったものをおさめていた。


 遅くなっちゃってごめんね。あやまるともだちに、卯月はなにごともなかったように応じながら、おはじきをださないままでいた。


 借りたものは返さなくてはならない。お父さんとお母さん、他の大人たちにはそう教えられていて物を返さないことが悪いのだというのも漠然とではあるがのみこんでいたはずだった。しかし、卯月の口はとっさの行動についての申し開きをすることもなく、その手もまたポケットに入れたものを取りだそうともしない。胸の高鳴りをおぼえつつも、なにもしないままでいた。




 それから微笑みをかわしあいながら、なんでもない話をしたあと、卯月はともだちの家をでた。


 手を振るともだちの姿が見えなくなるのをみはからってポケットをまさぐった。そこにはたしかに淡いオレンジ色を宿したおはじきがある。


 本当だったんだ。自分でしたにもかかわらず、別人がしたことのように小さく薄べったいガラスを見下ろす。しかし、不思議とともだちの家にいた時のたかぶりはなく、おはじきはどこか色褪せてしまった気がした。


 さっきまではあんなに煌めいていたはずなのに。眩しさを失ってしまったおはじきに落胆しながら、黙って立ち尽くしていた。


 /


 その後、ともだちとはなにごともなかったかのように付き合いが続き、違うクラスになった時に自然と疎遠になった。


 気付かなかったのか、或いは気付いていてなにも言わなかったのか。卯月にはどちらとも判断がつきかねた。いまだに自室の学習机の奥には返さなかったおはじきが眠っている。


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