元気を出して 2

「ごめんね、さつき。でも、はっきりふられたんじゃないなら、とりあえず、彼とつながるところにいた方が、いいんじゃない? 

『川島君のことなんか忘れて、新しい恋を探したら?』って励ますのは簡単よ。

だけど、さつきはそんなすぐには、気持ちの切り替えなんてできないでしょ。だったら、友だちとして、近くにいる方がいいと思う。

そうすればあなたが想っている限り、いつかチャンスも巡ってくるかもしれない」

「みっこは難しいことばかり注文するのね。逃げちゃいけないなんて、無理。

サークルにいっしょにいて、絵里香さんと川島君が仲良くしてるとこなんて、見ていれるわけない!

それこそいつかあなたが言ったように、そんなの『拷問』だわ。わたし、そんなに強くない」

「…」

「そりゃ… わたしだってそうしたい。友だちでいたい。

はじめて真剣に恋して、ふられて。それでも逃げちゃいけないなんて、みっこって、残酷すぎる…」

「ほんとに川島君を好きなら、そのくらいのプレミアムは、払った方がいいんじゃない?」

「プレミアム?」

「あたし… このごろ思うの。『恋愛の最終ページなんて、ない』って」

みっこはゆっくりした口調で、わたしに…

というよりは、まるで自分に言い聞かせるように、話しはじめた。


「ひとつの恋が一冊の本だとしたら、はじめての出逢いのページってのは、必ずあるわ。

そのあとにいろんなお話しがあって、泣いたり笑ったりして、ふたりのページを綴っていって…

でも、おしまいのページって、ない。

たとえ、その時ピリオド打ったつもりでも、続きはあるかもしれない。

それがどんなに『奇跡』に近くっても…」

「…」

「未来のことなんか、だれにもわかんない。あたしが… さつきが相手のこと想ってるうちは、ENDマークはつかない。奇跡を信じてもいいんだと思う」

「…」

「さつきはまだ、川島君のこと、好きなんでしょう?」

わたしは黙ってうなずいた。せっかく止まっていた涙なのに、また溢れてきちゃいそう。

わたし、みっこの言ってること、すごくよくわかる。

わたしの気持ちは川島君に伝えたわけじゃないんだから、この気持ちさえ隠しておけば、今までのようにサークルの仲間として、つきあっていける。

そうするのがいちばんいいってのは、わたしにもわかる。


でも、もう、どうにもならない。


わたし、あの人の笑顔を見るのが、辛い。

その笑顔が、わたしじゃない別の人に向けられているのを見せつけられるのが、とても辛い。

絵里香さんにもすぐに気づかれたくらいだから、この気持ちを隠し通すなんて、多分できない。いずれ、他のメンバーにも知られてしまって、絵里香さんが心配しているように、色恋沙汰でサークルを壊しちゃうことにもなりかねない。


昨日の夜の、拒むような川島君の目…

今度あんな目をされたら、わたし、心が壊れて、どうなるかわからない。

みっこは簡単に『奇跡を待て』なんて言うけど、いったいどのくらい待てばいいの?

そんな、約束のない未来なんて、不安で不安で、たまらない。

行き先のわからない未来を待ち続けるなんて、とっても勇気がいる。

それがみっこの言う『プレミアム』なら、恋愛って、なんて辛いものなんだろ。

みんな、こんな辛い想いをすることがわかってて、やっぱりだれかを好きになってしまうものなの?


「恋をなくすって、ほんとに辛いよね」

長い沈黙のあと、みっこはようやく口を開いた。

「あたし、さつきにずいぶん、わかったようなことばかり言っちゃったけど、ほんとはちっとも、なにもわかってなかった。

恋してる間って、どんなに一生懸命考えたって、なにもわかんないものね。

なくしてしまって、はじめて、それがどんなに大切なものだったか、わかるんだわ。

そして、それが本当に大切なものだったと思い知って、必要だと手を伸ばしても、もう取り戻せない。

それが『失恋』ってものなのかも、ね」

「そう… だと思う」

わたしの返事を聞いて、みっこはまた黙った。そして過去を追いかけるように、視線をうつろに落として、ゆっくりと語りはじめた。


「恋した期間が長いほど。思い出が綺麗であるほど。それを清算してしまうのって、むずかしい。

相手につながるすべての物が、なんだか悲しい遺物になってしまう。

ふたりで聴いた曲は聴けなくなるし、いっしょに行ったお店には、もう行けなくなる。ノートの隅っこに書いたあの人の名前さえも、消しゴムで消してしまいたくなるの。

だけど、そんな風にしちゃったら、今の自分って、なくなっちゃう。

そうわかってても、どうしようもなく自分を消し去ってしまいたくなるの。

だからあたし、さつきの気持ち、とってもわかる、つもり」


みっこはそう言うと瞳を閉じて、ささやくように歌いはじめた。

か細くって、歌詞は聞き取れない。

でも、ゆっくりとした旋律でわかった。

ああ…

竹内まりあの『元気を出して』。



   涙など見せない 強気なあなたを

   そんなに悲しませた人はだれなの?

   終わりを告げた恋に すがるのはやめにして

   ふりだしから またはじめればいい

   幸せになりたい気持ちがあるなら

   明日を見つけることは とても簡単


   少しやせたそのからだに 似合う服を探して

   街へ飛び出せばほら みんな振り返る

   チャンスは何度でも 訪れてくれるはず

   彼だけが 男じゃないことに気づいて


   あなたの小さなmistake いつか想い出に変わる。

   大人への階段をひとつ上がったの


   人生はあなたが思うほど 悪くない

   早く元気出して あの笑顔を見せて


            words by MARIYA TAKEUCHI



切々とした歌声が、わたしの心に滲みてくる。


 元気を出して…

 元気を出して!


みっこが心からそう思ってくれることが、とても伝わってくる。


「ありがと、みっこ。わたし、元気出してみる」

「…ん」


沖の貨物船を見つめたまま、みっこは振り向かないまま、ポツリと、ひとことだけ言った。


みっこ…

あなたにも、早く元気になってほしい。


わたし、なんとなく感じちゃった。

まだ、『清算』できていない恋をしている、森田美湖を…

みっこはゆっくり振り向くと、うなずくように首をかしげて、ニッコリ微笑んだ。


「戻ろう? さつき。今日はあたしが、『森の調べ』でケーキセットおごってあげる」


END


14th Feb. 2011初稿

20th Oct. 2017改稿

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