Love Affair 8
「…そうだな」
気持ちを切り替えるように、明るく応えたあと、川島君は言った。
「さつきちゃん。モデルしない?」
「え? モデル? わたしが?!」
あまりに唐突で、冗談か本気なのかわからない。
それは、
「わ、わたしなんか、可愛くないし、スタイルもよくないし。モデルなんて無理よ」
戸惑いながら応えるわたしに、川島君は笑顔で言う。
「そんなことないよ。さつきちゃん、可愛いって」
「でもやっぱり、無理」
「どうしても?」
「…うん」
「そう? なら、しかたないか」
そう言って、川島君はぎこちない笑みを浮かべた。
こんな状況でお願いされたんじゃなかったら、わたし、川島君のモデルをやってもよかった。
だけど今、このタイミングで、そういうふうに誘われるのって、蘭さんより下に見られてるようで、かなり不愉快。
やっぱり川島君って、女心がわかってない。
なんだか初めてこの人に対して、軽い苛立ちを覚えた。
「どうしてもモデルがいるんだったら、友達紹介しようか?」
やり返すように、わたしは言った。
「友達?」
「モデル級の子がいるのよ」
「モデル級?」
「すっごい綺麗な子よ。蘭さんなんか比べものにならないくらい。スタイルだってとてもいいし、ポーズとるのだって上手いんだから。勝ち気でちょっとワガママだけど、律儀でいい子なの。川島君、ひと目で気に入るわよ」
「そうか。そんなにまで言うなら、今度会わせてほしいかな」
川島君は静かに言った。声のトーンがわずかに下がっている。
まずい。
売り言葉に買い言葉で言ってしまったけど、なんだか雰囲気が悪い方に流れていってる。
でも、今のふたりには、その流れを止められなかった。
「まぁ… 川島君に他に好きな人がいるんなら、そちらを誘えばいいんじゃない?」
…どうしてわたし、こんな追い打ちをかけるようなことばかり、言ってしまうんだろ。
川島君はそれっきり、口を閉ざしてしまった。
「……好きな人。いるよ」
おそろしく長い沈黙のあと、大通りの交差点の赤信号で歩みを止めた川島君は、信号より遠くを見つめて、わたしを見ないまま、思いもかけないことを口にした。
「え?」
からだに冷たい戦慄が走り、わたしは立ちすくんだ。
川島君はゆっくり振り返り、わたしを肩越しにじっと見おろす。
先週、『紅茶貴族』で向けてくれた熱い瞳とは打って変わった、冷ややかな視線。
初めて見せる、拒絶するような瞳。
夜の交差点は色とりどりの傘が行き交い、賑やかで喧噪に満ちていたが、わたしたちふたりの回りだけは、静かな闇に包まれていた。
「同級生」
ひとこと、川島君は言い放った。
「…」
「同じクラスになった時から気になっていたけど、彼女のことを知るうちに、どんどん好きになっていった」
「…」
「最近は、いっしょに喫茶店行ったりとか、よく話せる仲になってきたんだ。だから、自分の活動にも誘った」
「…それは、わたしの知ってる人?」
「言いたくない。『Sさん』ってしとこう」
「S、さん…」
「彼女もぼくに、だんだん打ち解けてきてはくれたみたいだけど、恋愛感情はないらしい。
ただの友達としか思ってくれてない。挙げ句の果てに、他の子がぼくとくっつくのに、協力してるんだってさ。完璧にぼくの片想いだろ。
さつきちゃん。どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって…」
「そう… そんなこと聞かれても困るよな。全部自分の都合だし。もういいよ」
やめて!
そんな冷たいまなざしで、そんなこと言わないで。
『もういいよ』
だなんて。
心臓が凍りつきそうなほど、怖い言葉!
『川島君もさつきのこと、好きなんじゃないかな?』
とか。
『なんだかうまくいく気がしてる』
とか。
そんなみっこの台詞も、こんな彼の前じゃ、吹っ飛んでしまう。
わたしにはわかってしまった。
川島君が好きな人。
同級生って…
片想いって…
いっしょに喫茶店行ったりって…
自分の活動にも誘ったって…
協力するって…
『Sさん』って!
専門学校の同級生で、同人誌サークルに誘った、志摩みさとさん。
ううん。
沢水絵里香さんだ!
『ふぅん。川島君、あたしのことが好きなの?
それは嬉しいんだけど、あたしはただの友達としてしか見れないかな。
それに、さつきさんにも『協力する』って言っちゃったし。
まあ、先のことはわかんないけど、今は友達のままでいましょ。
色恋沙汰で、サークル崩壊させるわけにもいかないしね』
絵里香さんの甘くて綺麗な声が、頭の中をぐるぐる回る。
川島君は絵里香さんが好き。
わたしは、ただの友達。
それでも川島君とつながっているためには、平気な顔してこんな恋話も聞かなきゃいけない。
でも、もう無理。
無理よみっこ。わたし、そんなに強くない。
『ドンとぶつかって華々しく散る方が、気が楽になる』
みっこはお気楽に言ったけど、そんなこと、簡単にできるわけない!
わたしじゃない人のことを、せつなそうに話す彼なんか、見ていられるわけない。
『えみちゃんとくっつくより、さつきさんの方がお似合いだと思うのよ』
だなんて。絵里香さんも、勘違いもいいところ。
こんなに、川島君に想われてるのも知らないで。
やっぱり、深入りなんて、するんじゃなかった。
川島君のこと、追いかけるんじゃなかった。
いっしょにいられるからって、同人サークルなんかに入るんじゃなかった。
わたしに期待持たせるようなことばかり言った、みっこが悪い。
いい人ぶって、川島君の気持ちをものにした、絵里香さんが悪い。
違う。
期待だけさせて、それに応えてくれない川島君が残酷なんだ。
そうやってなにもかも、人のせいにしているわたしが、いちばん醜い。
なんか、思考がグチャグチャ。
いろんな葛藤が渦巻いて、心がズタズタに引き裂かれて押しつぶされそう。
これが、川島君の言う、『恋愛の矛盾』なの?
もう、なにも考えたくない。
逃げ出してしまいたい。
わたしには、それを乗り越えるエネルギーなんてない。
でも、ここで逃げ出したら、もうわたし、川島君と友達でさえいられなくなる。
「ごめん。今日、学校の課題もあるし、もう帰らなきゃ。さよなら」
反射的に出た言葉だった。
そう言い残すと、赤信号に変わったばかりの横断歩道を、わたしは無理矢理急ぎ足で渡った。
走りかけたクルマがタイヤを軋ませて止まる。
激しいクラクションの音。
ヒステリックな甲高いノイズが、いやがうえにも気持ちを揺さぶる。
渦を巻いて、側溝を雨水が流れていく。落葉が真っ黒なマンホールの中に吸い込まれていく。
川島君…
百万分の一でも『わたしのことが好き』だという、淡い期待もあったのに。
もう絶望的。
追いかけても来てくれない…
どうしてあの頃の、ゆるくて幸せなままでいられなかったんだろう?
やっぱり、ずっとあそこに留まっていればよかった。
そうすれば、川島君とこんな結果になることなんて、なかったのに。
わたしが求めてしまったから?
たくさんのこと、望まなきゃよかった。
ただの友達でも、そばにいれるだけでよかった。
でも、もうダメ。
あの場面で逃げ出したわたしは、川島君と友達でいる資格さえ、
もう、川島君に会えない。
こんなグダグダな感情を抱いたまま、川島君の前に出ても、きっとその気持ちを見透かされてしまうに決まってる。
こんなみっともないわたし、川島君には見せられない。絶対に。
もう、戻れない。
時間を巻き戻したい。
あの地下街の書店で、川島君と再会した日の前まで…
大通りをかけ抜けると、わたしは立ち止まり、煮えたぎった自分の心臓を冷ますように、傘をおろして、宙を見上げた。
墨を流したような、漆黒の空。
水滴が落ちてくる。
バタバタと、頬に冷たい雫が打ちつけ、ゴウゴウという雨音が、わたしをひとり、暗い闇の中に閉じ込める。
「もう… おしまいにしたい」
声にしたその言葉には、わずかに涙が混じっている。
その夜、わたしは川島祐二への恋に、自分で終止符を打つ決心をした。
END
15th Mar.2011 初稿
18th Oct.2017 改稿
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