第五色 ⑤

 「この霧、何時晴れるんですかね?」

 琥珀は膝を抱えたまま石段に座って、霧が晴れるのを待っていた。

 かれこれだいぶ待っているのだが、なかなか晴れてくれない。

 「いつもはこんなに濃くなることはないんだ。長い時間出ていたこともないし」

 霞は仁王立ちの姿勢で琥珀の隣に立っていた。

 これ以上濃くなることはないとはいえ、前にあるものが何なのか分からない状態だ。かろうじて、隣にいる霞はうっすらとだが見えている。

 「霞さん、今日お仕事は?」

 「いや、今日は休みだ」

 「彩街を回って、変わったことがないか調べるのがお仕事なんですよね? 空さんから聞きました」

 「まあ、そんなところだよ。問題が起こっていないか、困ったことがないか聞いて回る。何かあれば相談に乗ったりもする。後は、夜の彩街の巡回だ。特に中心地だな」

 「前に七両が破いた台帳にも、そういうのって書いてあるんですか?」

 琥珀の問いに答えようとして、霞ははっとしてから口を閉じた。

 「これ以上は答えられないぞ。仕事上、他の者には言えない」

 霞は琥珀から視線を外すと、前に顔を戻してしまった。

 「あっ、すみません。聞いちゃいけないことだったんですね」

 苦笑を浮かべたまま、謝る。

 「いや、気にしないでくれ」

 一瞬、琥珀が七両から仕事に対する内情を聞いてくるように言われたのではないかとまで考えてしまった。

 多分、そのようなことはないと思うが。

 「ところで、七両の怪我はひどいのか?」 

 今度は霞が質問する。

 「ひどいかどうかまでは分からないんですけど、足首が腫れて痛そうでした」

 「なら、今日は見物客の前で演舞を披露するのは無理だろう。こちらとしては助かるけどな。おっ、見てみろ。晴れてきたぞ」

 琥珀は言われた通り、前に顔を向けた。目の前を覆っていた霧が少しずつ晴れてきている。

 「良かった。これで帰れる」

 「ああ。この分だと明るいうちに帰れるだろう」

 「はい」

 琥珀は立ち上がった。


 「そういえば、色を盗んだ窃盗犯って、まだこの辺りにいるんですかね?」

 琥珀は、先程霞がしていた話を思い出す。

 「もうどこかに逃げているかもしれないな。俺の手で捕まえてやりたいが……」

 琥珀と霞はそんな会話をしながら、集合住宅を目指して歩いていた。

 霧が晴れたため、少しずつではあるが人の姿を見かけるようになつた。仕事の準備に取り掛かる者、談笑する者や辺りを走り回る小さな子供たちの姿もある。

 そのまま歩いていると、右側から黒い甚平を着た男が飛び出して来た。

 琥珀は驚いて思わず後ずさった。

 「何でしょう? あのヒト……」

 琥珀が口にした時、霞が勢いよく駆け出した。

 「霞さん、どうしたんですか?」

 「あの男だ! 窃盗犯だ」

 霞は無我夢中で男を追いかける。

 琥珀も慌てて後に続く。

 (くそ! もう少しなのに……)

 霧が晴れて視界がはっきりしたからなのか、男の逃げ足が更に速さを増しているように感じた。なかなか距離を縮めることが出来ない。

 その時、左側の通路から青鈍色あおにびいろのひも状のものが伸びてくるのが見えた。

 男はぎょっとして、立ち止まる。

 その瞬間を霞は見逃さなかった。

 勢いよく地面を蹴って、男に飛び掛かる。

 「うわっ!」

 霞が押さえ付けた際、色を含んだ紙が数枚落ちた。琥珀がそれを慌てて拾いあげる。

 「霞、非番だったのにご苦労だったな」

 青鈍が琥珀たちの前に現れた。

 「青鈍さん、何故この男のことを?」

 「何件か色を盗まれたという相談が寄せられたんだ。それで、その男を張っていた。最初の被害は五画で、次は四画、その次が三画だった」

 説明しながら自分と同じ色のひも状のものを男の手首に巻き付けた。

 「あの、これ」

 琥珀は拾い上げた若草色の紙を青鈍へ渡す。

 「余罪も多そうだ。霞、離していいぞ。後は俺が連れて行く。坊主もありがとな」

 琥珀から紙を受け取りながら、霞へ指示を出した。琥珀ははい、と頷き、霞も男から手を離す。

 「ところで、何で二人は一緒にいるんだ?」

 「え?」

 突然のことだったので、琥珀はどきり、とした。どう説明しようか、と考えていた時、

 「そこの団子屋で偶然一緒になりました。悲鳴が聞こえたので、何かと思って外に出ると怪しい男が逃げて行くのが見えたんです」

 琥珀も何度も頷く。

 霞がごまかしてくれたことはありがたかったけれど、てっきり嘘をつけない性格だと思っていたのでとても意外だ。

 「何だ、そうなのか」

 「これから帰るところだったんです」

 「なら、気を付けて帰ってくれ。霞もゆっくり休めよ」

 「はい。お疲れ様です」

 霞と琥珀は青鈍たちの後ろ姿を見送った後、集合住宅へと向かった。


 「では、俺はこれで失礼するぞ。いいか、先程も言ったが……」

 「大丈夫ですよ。七両には言いませんから。送ってもらってありがとうございました」

 「ああ。それではな」

 「はい。明日もお仕事頑張って下さい」

 琥珀は霞が帰って行くのを見送ってから、玄関の引き戸に手をかけた。

 「あっ! 琥珀、やっと帰って来た!」

 梔子がほっとした顔でそう言うと、琥珀の元へ駆け寄って来た。

 「梔子、どうしたの?」

 「琥珀が帰って来ないって聞いたから心配してたのよ」

 彼女は振り返ると後ろに声をかけた。

 「ねぇ七両、琥珀が帰って来たよー」

 階段の方から七両が出て来た。少しうんざりした顔で、

 「そんなにでかい声出さなくても聞こえてるぞ」

 「七両! 怪我どうだった?」

 琥珀が駆け寄ると、

 「ただの捻挫だ。二週間安静にしろってよ」

 「二週間……」

 落胆した顔を彼に向けると、七両は面倒臭そうに、

 「しょげんじゃねえよ。たった二週間だ。お前には迷惑をかけるかもしれねぇけど」

 「そうそう。たったの二週間よ」

 梔子も笑みを浮かべて頷いている。

 「琥珀、部屋に戻るぞ。梔子も悪かったな」

 「気にしないで。じゃあ、安静にね」

 梔子と別れた後、黙って自分を見つめている琥珀に気付き、ぶっきらぼうに尋ねる。

 「おい、どうした?」

 「ううん、何でもない!」

 琥珀の頭の中に霞との会話が浮かんだが、すぐに頭を振って否定する。

 七両と共に階段に向かった。 

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