第6話


 透き通るような心地よい風。

 

 周りは自分の背丈よりも高く生い茂る草木で、見渡す限り緑に覆われている。


 鼻に広がる土と草木の香りが、どこか懐かしさを感じさせる…





「ねぇ、かなた、そんなにボーッとしてどうしたの?」


 そう微笑みながら声をかけているのは、茶髪が特徴的な小学生くらいの小さな少年だ。


「早く、秘密基地まで駆けっこしようよ!」


 ん、?君は誰だ?そして、秘密基地ってなんだ?そう声をだそうとするが、声が出ない。

 

 そして、彷徨の視界が次第に暗闇によって薄れていく。


 まってくれ、君は誰だ?どうして俺の名前を知ってる?ここはどこだ?教えてくれ!


 そう彷徨が、叫ぼうとするが全く声が出せない。








――最後に見た彼の表情は、どこか悲しそうにしていたように、そう彷徨は見えたような気がした。







────────────────────


 







 ザーッと流れる水の音がする。冷たい水滴が頬から滴り落ちる感触があり、下半身は突き刺すような冷たさに「うっ」と呻き声をあげながら、彷徨は目を覚ますと同時に、言い知れないほどの焦燥感に襲われ、両腕に力を入れバッと上半身を起こす。


「っ……夢を見ていたのか?何かを……」


 ガンガンと痛む頭を片手で押さえ、何かを思い出そうとするが、何も思い出せない。



「……思い出せないけど、仕方ないだろう」 


 夢なのだから、思い出せないのは自然なものだろうと彷徨はそう考える。



 そう思うとズキズキと痛んでいた頭が徐々に痛みを和らげていくのと同時に、焦燥感も風にさらわれたかのように消えていった。



そして、彷徨はそれまで気づかなかった体の痛みに、眉を寄せる。


「痛ッ…えっと、それより、ここはどこなんだっけ?…俺は確か…」


 彷徨は、これまでの記憶を辿りながら、辺りを見回す。


「えーと…そうだ!俺は確か…グリフォンと一緒にここに落ちたんだ」


 それを思い出すと同時に、少しボーッとしていた頭が回転を始める。


 頭上に見える小さく光る切れ間は、地上の光なのだろう。目の前には川幅10mほどの川が流れており、俺の下半身が浸かっていた。


 どうやら俺は、この渓谷の底の川を流れてきて、打ち上げられたようだ。


 視界が真っ暗ではないのは、ところどころに転がっているこの石のお陰らしい。ぼんやりと薄緑色に輝いている。一瞬だけ疑問に思うが、ここが地球ではないとわかった以上、有り得ないことなんかそこら辺に、ゴロゴロ転がっているだろうと開き直る。


 


 彷徨がこうして生きているのは、奇跡としか言いようがない。


 まず、グリフォンの尻尾に捕まった状態で渓谷に落ちた彷徨は、グリフォンが羽をばたつかせ空気抵抗により、落下層度が遅くなったことで、落下時の衝撃を大幅に抑えられたのだ。


 さらに、落下した先が水面だった上に、彷徨はグリフォンの上から着水したために、命を落とすどころか、大きな傷さえも負わなかったのである。

 

 着水する寸前で意識を失った彷徨は、自分の身に起こった奇跡をもちろん知らないのだが。


「はっくしゅん!ズぅ…ざ、寒い…俺は…とりあえず助がっだらしいな」


 低温の水に長い間ずっと浸かっていたために体が冷えきってしまっている。これでは低体温症になる危険もあると彷徨は考え、早々に川から上がる。


 ガクガクと震えながら、着ていた制服を脱ぎ、パンツ一枚の状態で脱いだ服を絞りながら頭上できらめく小さな光に目を向ける。


「俺は…だいぶ落ちたんだろうけど、みんなの場所に戻れるのか…いや、元いた世界に戻れるのかな…」


 見上げた光があまりにも小さすぎて、次第に不安が胸を満たしてゆく。


 無性に泣きたくなって目の端に涙がたまり始めるが、今泣いては心が折れてしまうとグッと気持ちを堪える。ゴシゴシと目元に溜まった涙を拭って、パシッと自分の頬を叩く。


「やるしかない、まずは地上に戻ることを考えよう…せっかく助かった命なんだ簡単には終わらせないさ」


 二十分程であらかた服もかわいたので、出発することにする。ここが渓谷の底と言うことは確かで、川の流れでだいぶ流されてしまったと考えた彷徨は、川の流れとは逆の方向に歩き出す。


 幸い、隠れられるような物陰や、狭いスペースも豊富にあり、それに隠れながら歩みを進める。


 ここが地球ではない以上、先ほどのグリフォンのようにどんな生き物が出てくるのかわからない。あんなのが出てきては、無力である彷徨では相手にならない。


 慎重に慎重を重ねながらそのように進み、どのくらい歩いたのだろうか。


「お腹が減ったな」


 そう言いながら、水を飲み空腹をどうにか抑える。水は、この川でいくらでも飲めるのだが、流石に今のように空腹感を隠せても、ずっと何も食べなければいずれは死んでしまう。


「本当に俺は…戻れるのかな…」


 これまで、歩くことで気を紛らわせていたが、気を抜くと、どうしょうもない不安に駆られる。


 そんな不安に不安を重ねるように、視界の隅で何かが動いたような気がして彷徨は慌てて岩陰に隠れる。


 そっと顔だけ出して様子を窺うと黒い犬のような奴が20mほど先の、川の近くにいるのが見えた。見た目はほとんど犬なのだが…体に纏ったその炎が、犬であることを否定する。


 明らかにやばそうな奴なので、少しでも見つからないように距離を広げようと後ろに後退することを考え、そのタイミングを窺う。


 そして、その犬のような奴が水を飲もうとして、水面に顔を近づけた時に、飛び出そうとした。


 その瞬間、そいつがピクッと反応したかと思うと、水面から顔を上げ鼻先をヒクヒクとさせて、明らかに警戒している態度をとっている。


 やばいっ!見つかったか?


 岩陰に張り付くようにして身を潜めながら、音が出ていそうなほどバクバクと波打つ心臓に手を押し付け、必死に抑える。


 それから十秒ほどが立ち、何も反応が無かったため、ゆっくりとその岩陰から顔を覗かせると、何事も無かったかのように水を飲んでいる犬のような奴がいた。



 フゥ、ひとまず助かったな。そう思いながら、冷や汗を拭い、後ろに後退しようと後ろを向いた時、彷徨は戦慄した。



 そこにいたのは、鷹の上半身をもち、ライオンの下半身を持つ獣。そう、彷徨と一緒に、この渓谷に落ちたグリフォンがこちらに向かって走ってきているのが見えた。

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