『お祭りですも!』の回覧板
その日は雨上がりでシャボンフェアリーがまだ少なく、空に浮かぶ雲が存在感を訴えかけているような天気だった。
ヤマダシンゴはカラオケ店内で、冷たい水でコップを洗っていた。食器を洗う時は、温水を使わないのが彼の『マイ・ルール』だ。
かしゃかしゃという、食器洗いの音色が響くなか、どこか温かみのある音色がデュエットを申し込んできた。
とんと、とん――。
どこか心地いいリズムでドアが鳴った。気が付いたヤマダシンゴは手を拭いて、ドアのほうへと向かう。
ヤマダシンゴは扉の前で、「くすり」と笑んで、返事をするように、ノックを鳴らし返してみせた。
とん――、とん、ととんと。
すると、暫くすると、向こう側からもう一度、とんこ、とんこ、とんとん。とんたんたん。
「いえいっ」
と、声まで聞こえてきた。
ヤマダシンゴは外から響いた愛らしい声に、戸を開いた。
すると、そこには手を振り、腰を振っているムギペペちゃんがいた。上機嫌な様子でふりふり踊るお尻は、なかなかチャーミングだった。左手には回覧板が握られていた。
「こんにちは」
「回覧板ですも」
ヤマダシンゴの挨拶に笑顔を見せてその手に持っていた回覧板を手渡したムギペペちゃんはふわふわした真っ白の髪が良く似合っている。
「どうもご丁寧にありがとうございます」
ぺこりとヤマダシンゴはお辞儀をして、回覧板を覗き込んだ。
ムギペペちゃんは、そんなヤマダシンゴをじっと見ていた。回覧板係になって、町のみんなにお知らせを見せて回っては、ハンコを押してもらう。それがムギペペちゃんのお仕事だ。
この家にはまだ回覧板を渡してないなーと思ってノックしたけれども、扉から姿を現したのは、なんとも大きな人だった。
(こんなひと、いたんだね)
いつのまにこんな家が建ったんだろうとも思ったけれど、ノックをしたとき、返って来たノックで、この人は好きと思ったから、ムギペペちゃんは、あまり難しい事を考えないようにした。難しいことを考え始めると、ぐるぐるフェアリーがやってくるのだ。
「お祭り、ですか?」
「そうですも」
大きな人が回覧板を見て、不思議そうな声で訊ねてきた。
たぶんお祭りの事をしらないんだろうなーと思ったので、ムギペペちゃんはお尻をふって教えてあげた。
「フェアリーフェスティバルですも。みんなでフェアリーを労う日ですも」
「ですも……?」
聞きなれぬ語尾でしゃべるムギペペちゃんに、ヤマダシンゴはお祭りよりも気になった。
「ですもは、キャラ付けですも。個性がだいじなんですも」
「……そ、そうですか」
回覧板の係になった以上、町のみんなにすぐ覚えてもらわなくちゃならないから、ムギペペちゃんは一生懸命考えて、ひとにすぐ覚えてもらうように、キャラクターをしっかりと表現しようと思った。
そこで色々と考えた結果、語尾に「ですも」を付けてしゃべろうかなと思った。自分では結構気に入っているし、『ですも回覧板』として、町の人にはきちんと認知してもらっているので自分の案は冴えているのだと思っている、ですも。
「それで、フェアリーフェスティバルというのはどうしたらいいでしょうか?」
ニコニコと笑顔を浮かばせているカラオケ屋さんは、どうやらお祭りと聞いて嬉しくなってきたのだろう。回覧板の内容に興味津々の様子だ。
「いつも死ぬまで働き続けるフェアリーたちを、その日は休ませてあげるのですも」
「そうなんですか」
「そこに書いてるように、長い布とかヒモが必要ですも。……ある?」
「長い、ヒモ……ですか?」
回覧板には確かにそこそこの長さのある布かヒモを巻き付けて来てください、と書いてある。
「ヒモを結んで、腰をふりふり踊るですも!」
プリプリと揺れるムギペペちゃんのお尻を見て、「フムフム」とカラオケ屋さんは頷いた。
「分かりました。お祭りまでには用意して参上しますね」
「はーい。それじゃ、ここにはんこ、くださいも」
回覧板の二枚目にはたくさんの判子が押し付けられている用紙が挟んであった。判子とはいうが、そのスタンプはどれもみんなの掌にインクを塗って押し付けた拇印だった。
ムギペペちゃんが、ポーチから色とりどりのインクを取り出して「どれがいいですも?」と訊ねてきた。これを掌に塗って用紙に押し付けるのだろう。
「……じゃあ、黒にしようかな」
ムギペペちゃんのインクの残量を見ると、黒はたくさん余っている様子だった。たぶん不人気なのだ。ヤマダシンゴは他の住人よりも、ちょっとばかり自分の手が大きいことを知っているので、余り気味の色にしておこうと思った。
「手を出してくださいも」
「はい」
ヤマダシンゴが右手の掌を差し出すと、ムギペペちゃんはインクのビンを開けてとぽとぽとその大きな手に零していった。
「手、おっきいですも」
「ごめんね。大丈夫かな?」
「ちょっと回覧板からはみ出るかもしれない……」
ムギペペちゃんは、少し心配げな顔をした。はんこは重要なものなので、きちんと押してもらう事と、先輩にも注意されたから、はみ出てしまうと怒られてしまうかもしれない。
「あっそうだ」
ムギペペちゃんは、妙案が浮かんだ。ムギペペちゃんは自分が思いつくアイディアはいつも上手くいくのを知っている。天才だと思った。「ですも」以上の妙案かもしれない。
「あたしの頭に、はんこするも」
こくんと頭を差し出すようして、ムギペペちゃんの白いふわふわ頭が黒いインクにまみれたヤマダシンゴの手の前にやってきた。
ムギペペちゃんの頭は真っ白で、カラオケ屋の大きな手でもしっかりとスタンプできるだろう。
「で、でも汚れてしまうんじゃ……」
「いいから、早くですも。インクが乾いてしまいますも!」
ぐい、ぐいと頭を押し付けるように寄ってくるムギペペちゃんに、ヤマダシンゴはちょっとばかり困惑したが、黒のインクに塗れた手の落としどころは、他にない様子だ。
「で、では……」
「早くですもー」
ヤマダシンゴはそっと、真っ白な綿毛のようなムギペペちゃんの頭に掌を重ねた。ふわりとした柔らかい髪の毛がヤマダシンゴの手を包むようだった。
カラオケ屋の大きな掌が、そっと自分の頭に置かれたのを感じたムギペペちゃんは、「おっ?」と小さな声を出した。
(あれ、これイイみたい)
じゅわあ、とゆっくり瞼を閉じて大きな掌が自分の頭を包んでいるのが、なんだかとてもイイカンジだった。
「ふへぇ」
思わず、安心の吐息が漏れてしまうような、そんな気持ちでいっぱいになった。
「もういいかな」
ヤマダシンゴが、そっと手を離そうとした。きちんとインクの手形がムギペペちゃんのつむじに映しこまれているだろうと思った。
「も」
自分の頭から手が離れて行くのを感じたムギペペちゃんは、なんだかすごくもったいないというか、寂しいというか、味気ないというか。
「もっとして」
離れていきかけたヤマダシンゴの手を、自分の両手でしかっと掴んで、そのまま頭に置かせ続けた。
「え、で、でも……」
どうしたものかとヤマダシンゴはつかまれた手を動かせずにいた。
ムギペペちゃんは、なんだか幸せそうに瞼を閉じて、自分の頭に置かれた手を離させてくれない。
このままじゃインクが滲み過ぎて手形のカタチが歪んでしまうのではないだろうかと思ったが、ムギペペちゃんの小さな両手が自分の手をしっかりと掴んでいるのを振りほどくようなことはできそうにない。
「ふへえ」
なんでこんなに安らぐのだろう。
これはあれだ。ヨシヨシされているのだ。
ムギペペちゃんは、褒められたかったのかもしれない。だって立派におまつりの役員の仕事を行っているのだから。
すごいね、ムギペペちゃんと言われたかった。頭をヨシヨシしてもらいたかった。
なんだかそれが最高のご褒美みたい。
おもわずにやけたムギペペちゃんの口から、よだれがたらりと落ちてしまった。
お尻をふって踊りたくなるけれど、はしたない女の子だと思われるかもしれないし、ムギペペちゃんはお尻をぷるぷるさせるのを我慢しようと思ったのだった。
やがて、これはヨシヨシじゃなくて、はんこだったと思い出して、ムギペペちゃんは頭をひっこめた。
すると、きちんとムギペペちゃんの頭頂部には黒い手形が出来上がっていた。
「どう?」
「うん、きちんとはんこ、できてます」
自分の頭を見れないから、カラオケ屋さんに頭を確認してもらって、ムギペペちゃんはほっと一安心した。
「では、あたしはこれで帰りますも」
「ええ……ご苦労様でした」
「お祭りにはきちんとヒモを付けて来てくださいも?」
「はい、必ず」
ぺこりと、もう一度頭を下げたムギペペちゃんのてっぺんに、自分の手形があることがなんとも面白くて、笑っていけないのだけれども、ヤマダシンゴはちょっとばかり噴き出しそうになるのを堪えた。あまりにもムギペペちゃんが面白可愛かったのである。
ムギペペちゃんに回覧板を返し、ヤマダシンゴは上機嫌で帰っていくムギペペちゃんを見送った。
そして、自分の掌についている黒いインクをもう一度見つめた。
「…………」
右手だ。
右手には、ムギペペちゃんの柔らかい髪の毛の感触と温かい体温がまだ残っているようだった。
「お祭り、か」
左手は随分と冷たいように感じた。
「ムギペペちゃん、ありがとう」
愛らしいムギペペちゃんの名前をそっと呼びながら、右手と左手を重ね合わせる。
ムギペペちゃんは、一度だってヤマダシンゴに自己紹介はしていないのだけれど、ヤマダシンゴには彼女の名前はすぐに分かった。
本当にムギペペちゃんは、ムギペペちゃんだと分かるのだから。
キャラ付けなんかなくたって、ムギペペちゃんは忘れない。
ですも、としゃべるあの口調は、可愛らしいとは思ったけれど、ね。
「さてさて、長い布、長い布……っと……」
これはなんだか、忙しくなりそうだと、カラオケ屋さん件、詩泥棒は『お祭り』の準備を始めることにした――。
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