最強の魔導書は黒歴史ノート!?

藤村灯

第1話 解放せよ黒歴史! 対決! 影のキケロ

 黒井佐和子くろいさわこ15歳。ここだけの秘密だが、中学時代のわたしには、人に知られてはならない黒歴史が存在する。


 自分を主人公にした夢小説の数々。ふとんに潜り込んでから眠りに落ちるまでの間、冒険の妄想を描かない夜はなかった。小説サイト『吾輩も書く読む』に登録してからは、何本もの作品をUP したものだ。完結したのはわずかだけど。


 病が膏肓こうこうに入ったころには、全身黒づくめで「我が真名まなはサバト。佐和子は仮の名だ!」とやらかしたものだ。


 何が切っ掛けだったのかは思い出せないけれど、高校入学直前でさすがにまずいと気付けたのは幸いだった。『吾輩も書く読む』のアカウントは削除し、黒歴史ノートの類は封印。


 今ではオタク趣味も、お気に入りのクラウディア卿やアキトきゅんのクリアファイルを、こっそり机の引き出しの隠し持つ程度。どうしてもラノベやグッズが欲しくなったときは、休日に2駅先のアニメショップに向かう。もちろん帽子にマスク、伊達メガネは必須アイテムだ。


 明日は休日。秋からの新番組の原作本を買いに行きたいけど、ここで我慢が効かないから、いつまでたっても脱オタできないのだ。「ふーん、ア↑ニメ↓? 結構面白いね?」くらいのクールさでないと、いつまでたっても彼氏なんて出来やしない。


 迷いながらごろごろ床を転がっていると、押し入れから怪しい光が漏れているのに気が付いた。点けっぱなしの懐中電灯? そんなものに心当たりはない。恐るおそる調べてみると、光源は奥に押し込めたみかん箱。中学の時の教科書やノート……それに、黒歴史を封じ込めたもののはず。


 確かめようと引っ張り出して開けてみると、あたり一面、溢れ出すまばゆい光に包まれた。


            §


「わわっ……成功した……ほんとに来ちゃった……」


 目の前で小柄な少女がびくつきながら見下ろしている。


 あれ、みかん箱は?


 白いローブ、手には宝玉の埋め込まれた木の杖。水色のウィッグも似合ってる。よくできたコスプレだけど、何のキャラだろう?

 お尻が冷たい。床も壁も石造りの暗い部屋。明りはランプ。床には魔法円。


 ……うん? なにこのシチュエーション。どうなってるの?


「サ、サリサリの名において命じます! 汝の名を述べよ!」


 ぷるぷる震え、涙目になりながら、杖を突き出す少女。


「わたしは黒井佐和子くろいさわこだけど……」


 しゃがんだ姿勢から立ちあがろうとすると、付いた手に触れるものがあった。擦り切れたカーキのスケッチブック。これは押し入れの奥深く、みかん箱の底の底に封印していた、わたしの黒歴史ノート!?


 反射的に隠そうとつかみ取り、部屋着の胸元に抱え込む。慌てたせいで、少女の足元にチョークで描かれていた魔法円の一部を払って消してしまった。


「はわ! 魔法円が……わわッ!?」


 怯えた声を上げ後ずさる少女――サリサリだったか――がバランスを崩し、転びかける。とっさにノートを抱えたのと反対の手でつなぎ止めた。


「ひうっ! たすけて! 殺さないで!」

「……殺さないって……」


 助けてあげたのになんて言い草だ。手をはなすと、サリサリは転がるように部屋の隅に走り、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「だからわたしは無理だって言ったんです! 北方侯に対抗できるほどの魔神なんて、召喚できたとしても制御できるはずがないって!」


 魔神?


 ぷるぷる震える少女を前に、途方に暮れる。見回すと、石造りの室内には古い本の積まれた机に、怪しい色の液体で満ちたフラスコの並ぶ棚。まるで魔法使いの部屋だ。何かのアニメで見たようなシチュエーション。


 うん? あれ? これってわたしが召喚された悪魔ってこと?


『ククッ。警戒していて正解だったわ。恐ろしいほど膨大な魔力。契約されぬ間に始末せねばな』


 サリサリの頭上、天井の隅にわだかまる影が形を変える。目だけがくりぬかれた白い面を被った影の手には、影そのもののような黒い刀身のナイフ。


「あぶない!!」


 サリサリを引っ張り起こすのと、天井からにじみ出た影が刃を振るうのはほぼ同時だった。

 少女のローブの裾がぱっくり裂けている。本物の刃物じゃん! 狂人か!!


北方侯ほっぽうこうの手のもの!? 城内に入り込まれていたなんて! 誰か!!」


 わたしの手の中で助けを呼ぶサリサリ。あれ? これウィッグじゃないぞ?


『ククッ。結界を張った。誰も来ぬよ。囲まれたとはいえ、外にばかり目が行き過ぎだ。この程度の警備をくなど、この影のキケロには庭を歩くより容易たやすい仕事よ』


 四つん這いの姿勢のままにじり寄る影。


 ちょっと待って! わたしよりあっちのほうがよっぽど悪魔っぽい! 誰かなんか間違ってない?


「我らと同郷でもないようだが……どのみち術者を殺せば戦力にもなるまいよ」


 キケロの腕があり得ない長さにまで伸び、ナイフがサリサリの首元に迫る。

 とっさに抱きかかえたまま床を転がり刃を避ける。


『…………なぜ庇う?』


 不思議そうな声色。こきりと首をかしげキケロが問う。


「え? いや、そりゃだって……」


 胸元で見上げるサリサリもきょとんとした表情。


「助けるでしょ、ふつう!? 目の前で殺されかけてたら!?」


 涙で汚れたサリサリの顔に、みるみる喜色が広がる。


「クロイさま!!」


『馬鹿な! 契約はなされていないはず……おのれッ!』


 首元に抱き付くサリサリの肩越しに、キケロがナイフを握る無数の手を形成するのが見える。


 まずい、逃げないと!

 でも、木製の扉には多腕の影のほうが近い。


「何か魔法でも使えないの?」

「わたしの魔法程度では、影のキケロに傷一つ付けられません。ここはクロイさまが!」


 期待のまなざしが痛い。見詰めるのは右手のスケッチブック。


 うぅ……こんな時に、書き溜めた黒歴史の数々が頭をよぎる。


 むずがゆさを振り払い、黒歴史ノートを振り上げる。

 びくりと、伸ばしかけていた腕を止めるキケロ。ハッタリでいい。扉へ走る時間稼ぎになれば。


 自然に開いたページに記されたオリジナルの呪文の数々。

 うああああ!! アホなのか? アホだろう、中学生のわたし!

 湧き上がる恥ずかしさを押し殺し、詠唱を開始する。


「空に満ち、谷をはしるもの。海を渡るもの。木々を揺らすもの。うたげの地はここ。にえは眼前にあり。契約に従い我が手に集え。風牙狂乱ストームファング!!」


『風か? こんな閉ざされた空間で風を使えるものか!!』


「ふん。わたしは四大の全てを使役するもの!!」


 胸を張り言い切るのは、自作小説『エターナル・ブリザード・サーガ』の主人公、アステリオのセリフ。当然完結せずエタっているのだが、今はどうでもいい。


『クッ……異邦の魔神!! 死ねェ! 千獄呪林せんごくじゅりんッッ!!!』


 逆効果!? 必殺技っぽいの使ってきた!?

 サリサリを抱えて扉へ辿り着くより早く、キケロの無数の攻撃が走る。刃の数が多すぎて、そのさまはまるで黒い壁に見える。


 ダメだ……終わった。

 ゲームみたいに、死んだら家に帰れるんだろうか。


 死の間際の光景はスローモーションに見えると聞くが、黒い刃の群れはいつまでたっても私の身体に届かない。注射か歯医者の治療を待つ間のように身を固くしていたが、ようやく目の前で起こっている事態に気が付いた。


 吹き荒れる風の檻が、キケロの身体を閉じ込めている。


『おの……れ……我が奥義で……傷を付けることすら叶わぬとは……』


 風の牙に食い散らかされるように、影の腕が散って行く。グロい。見えないように、サリサリの顔をそむける。


『だがな……万騎将ばんきしょうシュナイゼル様の力は……こんなものではないぞ……異邦の魔神よ……絶望に震えるがいい!』


 呪詛じゅそめいた言葉を残し、風に吹き消されるキケロ。最後にカランと音を立てて落ちた白い面も、砕けて消えた。


「『偽・万魔録ゴエティア・オルタ』序列30位の悪魔を一撃で……さすがです、クロイさま!」


 涙目でぷるぷる震えていたのが嘘のように、わたしの首元に抱き付いたままぴょんぴょん跳ねるサリサリ。


 首が痛い。脳が揺れる。止めて!


「……とりあえず、黒井じゃなく、佐和子って呼んでくれるかな?」


 この状況、クロイ・サバトを名乗っていた頃の記憶が絶え間なく呼び覚まされ、むずがゆさが止まらない!

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