第17話 長く伸びるように寿ぎを

 そろそろ焼きに入る頃、向こうの状態も放置したまま気になったため、母に後ほど裏庭に来て欲しいと告げ退室した。さあて、あっちは今頃どうなってるのかな。

 サクサクと芝の感触を楽しみつつ歩いていると、遠くから怒声が聞こえてくるではないか。


「おや?」


 なにやら臼の周りに人だかりが。囲むように人が居るその外側で、兄のリオネルがオロオロと右往左往している姿を見つけ声を掛ける。


「お兄さま、どうかされまして?」

「ああ、アデイラ。あの二人を止めてよ」

「あの二人?」


 今にも泣きそうな顔をしている兄から離れ、人垣を割って臼に近づいてみれば……。


「おらぁ!」

「まだまだ!」

「これならどうだ!」

「ふっ、遅いですよヴァン様」

「ぐぬぬ……! ではこれならどうだ!」

「まだまだですね!」


 私が見た光景。いつの間にかお父さまが杵を力強くつき、どえらい猛スピードにも拘らず華麗に返しをしているガイナス。

 リオネル兄さまはオロオロするだけだし、王子二人はお腹抱えて笑ってるし、うちの侍女や使用人たちはカオスな状況に今にも倒れそうだし。

 おい、こら、いい大人が何しでかしてる!

 と、口が悪くなったのは許してほしい。なんなの、なんなの、これ。私がいない間に何がどうしてこうなった!?


「いい加減にしてくださいませ!!」


 私が淑女らしくない大声をあげても仕方ないと思うのです。


 流石に途中までのを放る訳にもいかず、通常スピードで仕上げたお餅は、先に使用人たちに食べてもらい、私は小さくなって正座している大人二人の前に立つ。


「たかだか半刻程度で、どうしてこうも混沌な状態になったんですか。そもそも、お父さまもガイナスもあんな自己中心的な事をしていたら、他の人たち……お兄さまや王太子たちが楽しめないのではありませんか!」

「「すみません……」」


 いや、大の大人がしょんぼりとして謝られても……。というか、私、めっちゃ悪役令嬢ぽいじゃないか!

 ま、いいや。悪いのは大人二人だし。


「それから、お兄さま! どうしてこの駄目大人を止めなかったのですか。あと、そこのお父さまにくっついてきたお二方。兄が止めれないのなら、主であるあなた方が臣下であるそこの駄目大人を嗜めるべきではありませんでしたの」


 私はぐるりと首を巡らせ、我関せずを貫こうとした兄と、呼んでもいない客人に向かって言葉を放つ。

 おいこら。何が「おお怖えぇ」ですか。聞こえてますよ!

 しかし、『王の剣』と呼ばれる父の小さくなった姿は笑える。私がアデイラになって初めて顔を合わせるけど、この騒動がなければ、どう接していいかわからなかったから、これはこれで良かったのかな……って、いかんいかん。一瞬絆されそうになっちゃったよ。


「ガイナス。本当に頼みます。貴方が子供のようにはしゃいでどうするのですか。本来であれば、貴方が父を諫めなくてはいけなかったのではありませんか?」

「はあ……すみません」


 しょんぼりしながらガイナスが謝るのって、内心後からが怖いけども、王子二人がいる前ではしゃぐのはどう考えてもあかんでしょ。

 そういった意味も込めて忠告したんだけど。


「おい、ガイナス。アデイラってあんなに気が強かったか?」

「知りませんよ。普段はおてんばですけど、こんなに気が強い面は見せませんでしたからね」

「……お父さま、ガイナス……」


 ぼしょぼしょ反省してないような会話を繰り広げる駄目大人二人に、私は地を這うような声を出したのであった。そこからしばらくの間、大人二人に加え兄、王子たちも説教の対象になったのを報告しておきます。




「あら? アデイラどうしたの?」


 終わりが見えない説教タイムの中、可憐な声に呼ばれ振り返る。どうやら状況が理解できてないのか、出来立てらしいキッシュを両手に持って首を傾げてる。今日も可愛いな、母! そしてタイミング良いよ母!


「お母さま!」


 ててて、と小走りで駆け寄り、「出来たんですね」とにっこり満面の笑みを向けると、母も「貴女のおかげね」と、うっすら頬を染めて微笑んでくれる。母の手の中にあるキッシュは、少し焼きすぎかなとは思ったけど、最初の炭状態を見ていただけに、短期間でこの進歩は賞賛に値するレベルだろう。


「わあ、とっても美味しそう!」


 両手離しに褒める私に、母は「大げさね」と更に頬の赤みを強くさせ、笑みを深く刻んだ。こうしてにっこり笑うと、母というより少女のようだ。うん、可愛いよね!


「ところで、皆さんなにをなさってるの?」


 うん、お母さま。貴女がおっしゃりたい事も分かりますよ。

 私の背後では執事長と屋敷の主、次代主に、この国の重鎮レベルが二人、並んで正座してるのですから。

 うーん。さて、どうやって説明するか、と思案していると。


「エミリア?」


 深みのある声が母を呼ぶと、目の前の母はビクリと全身を緊張で凍りつく。


「だんな、さま」


 お母さま。大の大人が正座してる姿を見て、そんなに怯えなくてもいいと思いますよー。そこにいるのは駄目大人ですからねー。


 だが、ここで茶々を入れない私は、空気が読める女ですからね。


「何故、あなたがここに……。いつもは寝ている時間ではないのか?」

「あの……、その……」


 父からの問いに、母はもごもごと口を動かし、戸惑いを滲ませる。目線はちらちらと私を見ているので、どうやら助けを求めてるようだ。

 私はゆっくりと首を横に振り拒絶で返す。協力したいのは山々なんだけど、こればかりは二人で解決しなくては意味がないのだ。


(お母さまファイトです!)





.。*゜+.*.。   ゜+..。*゜+


 エミリアは孤立無援な状態に半ば泣きそうになりながらも、先ほどから怪訝な眼差しで自分を見つめる形ばかりの夫の視線を逸らすことが出来ない。

 それは偏に怖いという感情よりも、長らくの間交わされる事のなかった交わりに緊張を強いられたからだ。


(うぅ……何を話せばよろしいのかしら)


 かろうじてエミリアの心を支えているのは、焼きたてのキッシュの香ばしい匂いと、皿から伝わる優しい熱。


「エミリア? 何か話があるのだろう?」


 真っ直ぐ見つめる瞳と、彼の好物を自分で成し遂げた達成感がエミリアの背中を押す。


「あ、あの! わ、わ、わたくし、旦那様にこちらを食べていただきたく、つくりましたにょ……っ!」

「……あ、ああ」


 一世一代の告白だったのに、噛みまくりな上、旦那様は勢いに気圧されているようで、恥ずかしさに眦からじわりと涙が滲む。


「わ、わたくし……私は……」


 王族だ、公爵夫人だ、と周りがどれだけ誉めそやすけど、この現状の前では肩書きなんて塵にも等しい。

 自分は、夫の前では、エミリアという一人の女性なのだと気づき、緊張でその先がどうしても告げることができずにいた。


「わたし……わたし……」


 何度もちゃんと告白しようと喉に力を入れるものの、言葉がうまくまろび出ず、その悔しさと情けなさに、留めていた涙が静かに頬を伝う。


(こんな自分が嫌いよ!)


 自己嫌悪に陥っていると、「お母さま」と背中に軽い衝撃と共にふたつの温もりを感じる。そっと窺いみるとそこにはリオネルとアデイラがエミリアに笑みを向けている。


「リオネル……アデイラ……」

「お母さま、今日までずっと頑張ってきましたでしょ?」

「そうです、お母様。ここで失敗したら、全てが水泡に帰してしまいます」

「大丈夫です。素直な言葉で言えば、きっと伝わりますわ」


 にっこりとアデイラが言い、これまでずっとつかえていた喉の塊がすうっと溶けて消えていく。

 背中の温もりに後押しされ、エミリアは静かに言葉を落とす。


「旦那様。私……いえ、エミリアはずっと、出会った時からずっと、貴方をお慕い申し上げております」

「……」

「貴方はエミリアの初恋の君なのです……わっ!?」


 背中の温もりが不意に消え次に訪れたのは、体の全てを包む熱。視界が大きな壁に遮られ、僅かに目に届く白と金の騎士服と認識した途端、エミリアの全身に熱が迸り、今、自分の顔だけでなくどこもかしこも真っ赤になってるだろう。


「あ、わわ……っ」

「すまない。エミリア」


 慌てるエミリアの耳朶を震わせる声が自分の名を呼ぶ。


「ずっと、ずっと俺はこの結婚を疑っていた。君はこの結婚を望んでいなかったのではないかと」

「そんな! そんなこと……」

「今の君を見ていたら、そうじゃないと気づいた。俺はこれまで君に対して穿った気持ちで接していたから、そんな邪念に囚われていたのだろう。本当にすまない、エミリア」

「いえ……いいえ。私こそ、貴方に誤解させたままで、本当に申し訳ございません……。エミリアは貴方と出会った十の頃より、貴方をお慕いし、こうして妻になれた事を幸せだと思ってます」

「エミリア……」


 ああ、この体の全てを覆う気持ちはなんと心地良いものなのだろう。

 長年の辛い事が一瞬にして消え、今エミリアを満たしているのは充足感。想い通じた満足感。そして多幸感。


「愛してます旦那様。これから先もエミリアをお傍に置いてくださいませ」

「ああ、勿論だとも。俺もエミリアと出会った時から心惹かれていたから。もう気持ちを知った上で離すつもりはない」

「ヴァン様……」

「エミリア……」


 今日、ここからもう一度やり直そう。

 夫に気持ちを隠さず、子供達を愛そう。急速には無理だと思うけど、ちゃんと言葉にして、惜しみない愛を彼らに注いでいきたい。

 エミリアは初めて愛する人からの口づけを受けながら、決意を新たにしたのだった。





 

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