第3話 スクランブルエッグは飲み物です

 着替えが済んでしばらくすると、レイが食事の用意ができたとの報せを持って帰ってきた。

 と、いう事で、この世界に来て初めての食事に出発です!


「……」


 軽く十人以上は座れるだろ、って言いたくなるほどのながーいテーブルの片隅にポツンと座ってたら、ここに来るまでの興奮が一気に冷めてしまった。

 物語は学園が中心だったから、そっちの描写は細かく書いてたんだけど、アデリアの屋敷なんてほとんど内装とかも考えてなかったため、ある意味新鮮な気持ちでここまで来たんだけど……。

 いやはや、なんていうか豪華! の一言に尽きる。

 全体的にはそこまで大きくない屋敷だとは思うんだけど――それでも庶民の一軒家からすれば広大だけどね――内装のどれを取っても贅を尽くしてるのが素人の私でも分かる。

 歩いても足音のしないカーペットには精緻な模様が織り込まれてて、設定では機械が発達してなかったから、きっと手作業で作られたものだろう。当たり前のように歩いてるけど、これ、お金に換算したらいくらくらいなんだろう、と身震いが走る。

 ミゼアもレイも何でもない顔して横を歩くけど、不安にならないのだろうか。

 って、そういや二人とも伯爵家の娘で、見習いのためにうちに来てたんだっけ。

 ぐぬぬ……ブルジョアめ。

 他にも壁に掛かる絵画は花が描かれたものや風景画で、その絵を囲う額もお高そうなんだよね。怖くて近寄れなかったけど。

 内心、戦々恐々しながら自室のある二階から一階に降りたところで、このドゥーガン家の執事長、ガイナスに出迎えられた。


「おはようございます。アデリアお嬢様。普段はなかなかお部屋からお出にならないとミゼアとレイから聞き及んでますが、今日の朝食は食堂までいらっしゃるとの事で、ガイナスは喜んでおります」


 そう恭しい礼と共に言われたんだけど、つまり、これはイヤミですよね?

 引きこもり娘が、なにを思って同じ家の中とはいえ、自室から出てきたから、嬉しいですよ、って取れるもんね。


 つまり、これまでの私は引きこもり状態が続いてた、と。

 だから、ミゼアもレイもあんなに驚いていたのか。


 ふむふむと頷きたくなるところを、コクリと小さく頷き返し、執事長を先頭に食堂へと来たのだった。


 たかだか食事のための移動で、こんなに精神的に疲れるとは思わなかったけど、食事がささくれた心とお腹を満たしてくれるに違いない。

 私は過剰な期待を胸に、テーブルに食事が並ぶのを待った。




「……」


 黄金色のコンソメを喉に流した途端、溢れる感情を小さな体で必死に塞き止めていた。


 う、うっまーい!

 なに? これ普通のコンソメスープだよね? なんでこんなに薄味なのに、味が濃厚っていうか、深いの!?


 病院で出てたコンソメなんて、お湯に色がうっすらついたようなものだったのに、プロが作ったコンソメスープを前の人生を含め初めて口にした私は、アデイラのイメージを壊さないように迸る感情を抑えつつ、籐製の籠に積まれたロールパンへと手を伸ばす。

 真ん中あたりで割ると、ふんわりと甘い小麦の香りが立ち上ってくる。小さくちぎって口に入れると、今度はバターの塩気が小麦と一緒に舌の上で踊っているのだ。

 他にも新鮮野菜のサラダは、オレンジ仕立てのドレッシングが爽やかで、前は野菜嫌いだった私でも抵抗なく食べれたし、カリカリに焼かれたベーコンは肉厚ジューシーで、これもまた美味しく完食したのだ。


 そして、さっきから気になってたんだけど、ココット皿に入った黄色いもの。

 色から察するに卵料理と思うんだけど、キッシュにしてはトロッとしてるし、茶碗蒸しにしては火の通ったところと通ってないところの差がはっきりと分かる。


「ガイナス、これはなあに?」


 入口で待機していたガイナスに声をかけると、


「こちらはスクランブルエッグですね。お嬢様の好物だというので、料理長がはりきって作ったものです」


 アデイラの事を手探りで知ろうとしていた私に新たな情報をもたらしてくれたのだ。


 ほほう。アデイラはスクランブルエッグが好物なのか。こういった柔らかい卵料理が好きだとしたら、茶碗蒸しやプリンとかも好きかもしれない。


 自分の事だけど新たに知った好物を前に、私は嬉々としてフォークをココット皿に差し入れた。が、かなりトロトロに作られているのか、固まった部分は掬えるものの、それもフォークの隙間からスルリと逃げてしまう。

 何度かトライしてみるけど、スルスルと美味しそうなスクランブルエッグは、私を馬鹿にするようにココット皿に戻っていくのだ。

 ええい、こうなったら……。

 フォークをカトラリーが並ぶその中に置き、代わりに今度はスプーンを取り上げココット皿に突き入れた。

 ふるふると震えるスプーンで掬ったそれを口に運ぶ。バターと卵とミルクの甘い香り。沸き立つ気分を飲み込むように、黄金色のスクランブルエッグを燕下した。


「……っ!」


 言葉にならないとはこれを言うのだろう。


(お、お、お、おいしいぃぃぃぃ!)


 感動を叫びそうになるのを、胸の内だけにとどめ、二口めを口に流す。

 凝固する寸前で火を下ろしたのか、際どい感触が胃の腑までスルリと落ちる。後を追いかけるように口腔ではバターの馥郁とした香りと、ミルク……ううん、この濃厚さは生クリームを使用しているのだろう。バターの脂を生クリームが追いかけ、そして最後に新鮮な卵の甘さが幸せに包んでた。

 前の人生含め、こんなに美味しいスクランブルエッグを食べたのは初めてだ。

 かつての私が知っているスクランブルエッグは、どちらかというと卵焼きを崩した様相だったから。あれはあれで庶民舌に馴染みがあって美味しかったけどね。

 でも、これは別格というか、別物だよね。


 あぁ、し、あ、わ、せ!

 敢えて言おう! スクランブルエッグは飲み物です! それ以外は私が認めん!


 多幸感に包まれ、私がスクランブルエッグ飲み物宣言を一人脳内開催していると、入口の扉が小さな音をたてて開く音が聞こえた。


「リオネル様」

「ああ、急ですまないガイナス。僕の分の朝食を支度してくれないか」


 滑るように入ってきたにも拘らず、存在感は圧倒的な少年は、ガイナスに告げこちらへと歩いてくる。


「畏まりました、リオネル様」


 恭しくガイナスが頭を下げるのを、一瞬にして幸福な気分は消えた私は、ただぼんやりと見ているだけしかできなかったのである。

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