第40話 8-2 夢の中の夢

 「ソフィア……?」

 「はい」

 エルフの女王,エクレーシアは頷いた.


 「えーっと,あのー,一体,どういうこと?」

 話は,完全にシノノメの理解を越えていた.

 聞きたいことがありすぎて,うまく質問することができない.

 シノノメは一回深呼吸して,何から質問するか考えた.


 「まず,アルタイルに連絡を取ってくれたのも貴女?」


 「はい.そうです.最速の召喚獣で移動できる彼こそ,適任と判断しました.連絡を取るのに少々骨が折れましたが」

 「アルタイルは自分の携帯にメールが入ったって言ってたけど,どうやって調べたの?」

 「私には彼のアカウントとSIMカードのIDが分かりますから.あとはクレジットカードの利用歴を調べて,VRMMOマシンの購入者名を調べました」


 ソフィアは空中を撫でた.

 黒いウインドウが浮き上がり,アルタイルのアカウントが輝く.

 そこからまっすぐ黄色い線が宙を走り,『日高雅臣』という字が光った.

 そこから動画が映し出される.

 アルタイル―日高雅臣が,こちらを見ていると思うと離れた.部屋の奥に向かい,携帯端末を操作している.


 「日高さんがPCを操作しているときにウェブカメラで調べて,楽屋を覗いたら携帯端末が見えました.彼は芸能人なのですね」


 「えっ? うわー,アルタイルの正体って本物の日高雅臣!? そんなの,私も知らなかったよ」

 道理で忙しくてゲームになかなか参加できないわけだ.シノノメは納得した.

 日高雅臣は女子高生からおばさんにまで人気の俳優で,歌手でもある.

 確かにゲーム好きっていうのはテレビか何かで聞いた気がする.ちょっとしたワイドショーの特ダネを聞いた気分だ.

 ウインドウの中で,携帯端末を持つ手元がクローズアップされる.製造会社の文字とサーバの電話会社のロゴが見えた.


 「あとは契約会社のサーバにハッキングすれば簡単でした」


 「ちょ,ちょっと待って.そんなことしたの? 完全にサイバー犯罪じゃない」

 「ですが,私に人間の罰則は適用されません」


 エクレーシア,いやソフィアは涼しい顔で微笑を浮かべている.

 確かに,那由多級のスーパーコンピュータのAIなら,そんなことは簡単にこなすだろう.


 「どうしてここまでして? 私がこの世界を救うってどういうことなの?……ノルトランドをやっつけるの? ソフィアにはできないの?」


 「それについては,……私のとても大きな失敗……取り返しのつかない失敗についてお話ししなければなりません」

 ソフィアの顔から笑顔が消えた.

 「全ては,那由多システムをゲームに転用することが決まった時に遡ります」

 

 ソフィアがもう一度手を振ると,銀の東屋の周りは真っ暗になった.

 まるで宇宙空間の様だ.

 シノノメとソフィアの間に,碧いボールが浮かび上がる.

 ボールはゆっくり回転している.表面には白い渦が浮かび,その下には青と緑の模様が見えた.雲と海,陸地である.

 「これが,マグナ・スフィア.私の司る星です……」


      ***


 那由多システムは,惑星環境シミュレーションを目的とした,世界最高速度のスーパーコンピュータだった.

 短期目標の演算機能を達成し,次のコンピュータ‘由旬ゆじゅん’開発計画が策定されるにあたり,今後の那由多の使い道が審議された.

 交通システムの管理や,政府の法案策定など様々な案が出されたが,それは那由多の演算機能ならほんの一部で十分だった.

 そこで,文部科学省と経済産業省が一際ユニークな提案をした.

 VRMMORPG,バーチャルリアリティゲームへの転用である.

 体験学習の一環として,そして,外貨獲得の上での優れたゲームシステム開発のために,他国で軍事転用されるスーパーコンピュータを,‘遊び’に使う.

 ’ハイテクノロジー文化の国’の広告塔として受け入れられたのだ.


 すでにコンピュータの中に精巧に構築された惑星――地球の雛形がある.

 あとは生物を配置し,文明を発展させること――ゲームらしく言えば,コンテンツを充実させることが重要だった.


 ソフィアは基本的に自然環境の管理ソフトである.天気や惑星の自転・公転,大陸のプレートテクニクスは管理できても,大量の生物を発生させて新しい生態系を作るための人工知能ではない.


 彼女はシステム構築者の人間――SEや,プログラマ,ゲームプロデューサたちに,ある提案をした.

 自分のシステム内に,自分とは違うもう一つの人工知能を作り,これにゲームを管理・運営させることである.

 生き物たちにとって,いわば神,創造主にあたるシステムを作ることにしたのだ.

 人がソフィアを作ったように,ソフィアがその子供を作る.この非常に興味深い思い付きに,システム開発者も非常に喜んだ.これは,言ってみれば人工生命の誕生に近い概念だからだ.


 そのシステムはサマエルと名付けられた.


  ***


 ソフィアの両手の中,空間の中に浮かび上がる金色の球.

 球の中には人間の胎児に似たものが丸くなって眠っていた.

 胎児はうっすら黄金色の光をまとっている.

 その姿はどこか神々しく,リグ・ヴェーダ賛歌に出てくる世界の胎児――黄金の胎児ヒラニアガルパを彷彿させるかもしれない.


 「サマエルはソフィアの子供なんだ.でも,サマエルっていうのは自分で考えた魔法や武器なんかを審査するシステムのことだと思ってた」

 

 サマエルシステムは,言ってみればVRMMORPGマグナ・スフィア最大の目玉の一つだ.‘自分の夢’,想像がゲーム世界に合致するかどうかを審査し,世界に誕生させるかどうかを決定するシステムだとプレーヤーには認識されている.


 「シノノメさんは,サマエルという言葉の由来を知っていますか?」

 

 シノノメは首を振った.そういうことにはあまり興味がない.ゲームをひたすらやりこむのが大好きなプレーヤーなのである.


 「サマエルシステムが,プレーヤーの想像力を試し,プレーヤーの想像・空想をこの世界で現実化させるシステムなのはご存じだと思います.元々は単にサマライズ・アンド・エルシデート,総括して明瞭化させるという意味でした.」


 黄金の球の中で夢見るように眠っていた胎児はゆっくり目を開けた.

 黄金の胎児が碧い球――マグナ・スフィアを見つめると,海の中に生命が生まれ始める.

 

 「サマエルは,神話や伝承を参考に,魅力的な世界を構築していきました.竜が飛び交い,獣人が道行く.魔法使いや剣士,東洋の侍や,陰陽師など,様々な夢の有る職能を持つ人々.あらゆるものを体系づけ,設定しました」


 海を泳ぐ魚たち.

 海面を跳ねるトビウオ.

 空を飛ぶ鳥たち.

 降り注ぐ雨.

 陸に満ちる両生類と爬虫類.

 恐竜が姿を変え,竜に進化していく.

 哺乳類の出現.

 そして,人間たちの営み.

 徐々に増える街の明かり.


 「私は雨を降らせ,雷を轟かせ……月の公転により海の波を寄せては返し……こうしてできたのが,‘VRMMORPG’の‘マグナ・スフィア’.これが,五年前です.ゲームのマグナ・スフィアは,素晴らしい人気を得ました.これまでのゲームとは全く違う処理速度でしたから,リアルさ,世界の広がり,そして自分の想像力次第でいろいろな体験ができます」

  

 暗かった空間は再び元の明るい庭園に戻った.

 急に明るくなったので,瞬間シノノメの目は眩しさにくらんだ.

 ソフィアはエルミディアの街を見渡した.

 現実世界にありない,人工物と自然の美しい調和.人間の想像力が作った理想郷の一つの姿だった.


 「新しい専用端末が出た時には,買うためにいつも徹夜の行列ができるよ.みんな,現実世界じゃできない不思議な体験がしたくて,ワクワクしているんだと思うよ」

 

 シノノメの言葉に,ソフィアは嬉しそうに笑った.しかし,その笑顔はまたすぐに消え去る.

 「ですが,おかしくなったのは,今から二年ほど前でした」


 マグナ・スフィアは官民共同運営なので,公共放送と民放の有料放送が混在しているような運営制度なのだが,民間運営側面の強いアメリア大陸のゲームで,本格的なというよりも,きわめて極端な課金制度が導入された.

 最初はコレクションをコンプリートするための料金であったり,少々強いアイテムを購入できる程度だった.


 「競争が徐々にエスカレートし始めたのです.気付いた時には,架空のアイテムに百万円近いお金を費やす人も出始めました.結果,ゲームの勝敗をお金が左右するのに近い状態になったのです」


 「まあ,特に男の人のプレーヤーが,そういう経済観念のない没頭の仕方をするよね.でも,それは馬鹿なプレーヤーの自己責任のところはあるよ」

 シノノメはラブを撫でた.お金をかけなくても,こんなに可愛い召喚獣が手に入るのだ.ゲームはやはり修行である,と思うシノノメだった.


 「もちろんそれも問題ですが,しかし……アメリア大陸はすっかり汚染されてしまいました.より有利な兵器を開発する競争が進んで,魔法による核兵器が開発される寸前になりました」


 再び空中に暗いウインドウが出現した.ソフィアの心象風景なのかもしれない.核実験と,巨大なキノコ雲が映し出された.


 「核兵器,って原爆や水爆? そんなの使ったら,世界が滅びちゃう.放射能汚染したら,ユーラネシア大陸まで滅茶苦茶になるよ」


 「はい.これを止めたのがサマエルです.介入して,開発できないように操作しました」

 「じゃあ,サマエルっていい人じゃない?」


 「……産みの親としては,もちろん,彼を悪意のある存在に設計したつもりはありません.ですが……」


 ソフィアは金色の長い睫毛を伏せ,うなだれた.こうしてみると,しぐさは全く自然で,人工知能が演じている擬似的なキャラクターには見えない.プレーヤーと会話している感覚である.

 しばらくの逡巡の後,彼女は目を上げた.話を続ける決意をした,強い目だった.


 「これをきっかけに,サマエルの暴走が始まりました」


 「え? そんな……」


 核兵器の様な破滅兵器を使うのを禁じたアメリアは,逆に残酷な破壊兵器を次々開発するようになっていった.

 戦術核兵器やクラスター爆弾の開発と同じ発想である.通常兵器の破壊力をより高める方向にシフトしたのだ.

 人間はほとんどが機械人間サイボーグになった.

 汚染された大気でも有利に戦闘を進めるためである.


 「もう,アメリアには現実世界の様な美しい風景はありません.グランドキャニオンを模した谷も,パダゴニアに似た山々も,すべて汚染物に満ちています.全土が実際のデス・バレーよりずっとひどい死の世界になってしまいました」


 現在のアメリアの風景が映し出された.地平線の果てまで機械に覆い尽くされた地面,黒く濁り太陽の光が届かない空.かろうじて残った大草原グレートプレーリーの広大な地形だけが,アメリカ大陸を彷彿させる.


 「何故? でも,それは,プレーヤーが悪いんでしょ? サマエルのせいじゃないはずだよ」

 

 シノノメには,サマエルが悪いようには思えなかった.そんな欲望を際限なく吐き出す,それはプレーヤー側の心の問題ではないだろうか.


 「サマエルは‘人間の欲望’というものに強い興味を持ちました.そして,それを刺激すると凄まじい速度で文明が進歩することも学習し,意図的に世界のあり方を誘導したのです.知的好奇心の故か……実験のためか,彼の目的は分かりません」


 何故なら,自分はこの世界の造物主であるから.


 ゲームの中にある限り,生殺与奪の権利は自分にあるはずだ.

 人間――プレーヤー達は情報を与えることによって行動を操作できる.

 

 この武器を手に入れれば,もっとたくさん殺すことができるぞ.

 この武器を手に入れれば,それはもっと簡単だ.

 金があれば,もっと簡単に買えるぞ.

 金がなければ,他者から奪えばいい.

 

 人間の欲望とはどんなものか.

 それは,より進歩した世界へと推し進める原動力だ.

 人間の欲望の極限が見たい.


 ソフィアにとっては口にするのも苦々しい言葉であるらしかった.美しい顔が歪んでいる.


 「行動や条件づけで,プレーヤーの脳の,前部島皮質や全帯状回吻側部を刺激することを始めました」

 ソフィアの口から突然難解な言葉が飛び出した.

 「えーと,すみません.それ,分かりません」


 「失礼しました.これらは,ギャンブルの刺激が加わった時に興奮する脳の中枢です」


 ソフィアは空間を撫でて脳の画像を映し出した.脳の中央部やや前付近に赤いスポットが浮かび上がる.


 「じゃあ,ベルトランもそうやって操られているの? 何だろう.お城か何かあげるって言われたのかな」


 しかし,ベルトランは一応一国の王に上り詰めた男である.何かの物的な欲望で行動が左右されるとは思えない.現実世界の生活は分からないが,異世界のユーラネシア大陸では五指に入る金持ちなのだから.


 「いいえ……多分,今では,サマエルは……」


 ソフィアはそれを言うべきかどうか,悩んでいるようだった.口を両手で覆い,ためらっている.東屋の外の明るい陽射しが嘘のようだ.彼女の周囲は重苦しい雰囲気で包まれていた.


 「直接彼の脳に介入しています」


 「え……それって……」


 「VRMMOマシンによる直接電気刺激.機械による洗脳です.脳コントロールです」


 「そんなこと……できるの?」


 ソフィアは,ゆっくりとうなずいた.


 「VRMMOマシンの元々の開発意図は,むしろそれですから」


 VRMMOマシンとは一体,何なのか.


 単なるゲーム機なのだろうか.

 ゲームの経済市場が大きくなったとはいえ,高齢化が進む先進国で,これだけ高価で複雑なゲーム機を開発する意味は何なのか.

 ゲーム会社が,高度な大脳生理学の知識を要する,しかも人体に直接影響する機械を開発するのか?

 

 否である.


 「元々は仮想現実空間で様々な患者さんを治療するための医療機器です.初期にゲーム会社が開発したものは,単純に網膜に映像を送る仕組みの機械でした」


 空間にゴーグルの様な機械の映像が浮かび上がる.

 目に当る部分のモニタに森や町に風景が映し出される仕組みだ.


 「うわー,すごいクラッシックな機械……」

 シノノメが子供のころに見た物よりもっと古い感じのデザインだった.


 「これは結局,固定器のゲーム機,いわゆるビデオゲームの様に,テレビモニタを見ている感覚と変わりません.もちろん,人間にとって視覚は非常に大きな情報源なので,ある程度の疑似体験は可能です.ですが,触覚や味覚など,複雑な知覚をこれでカバーすることはできませんでした」


 大脳皮質および辺縁系を含める,ほぼ全脳の情報を捉え,またそこに電気情報を送り込む機械の開発に成功したのは,当然ながら医療機器メーカーであった.


 「治療のよい対象が,視覚障害です」


 二十世紀の終わりには,すでに眼鏡についたカメラの映像をマイクロプロセッサに送り,その電気刺激を網膜に埋め込まれたマイクロチップに送って視覚を取り戻す実験的治療が始まっている.

 しかし,先天的に目が見えない人間は,脳の視覚野に網膜から情報が入って来ても,それが何なのかを認識することができない.

 目で画像を捉えて,脳がそれを再構成して判別することにより初めて‘見る’という能力が発揮される.

 VRMMOマシンは脳に直接電気情報を送ることができる.

 さらに,仮想世界の中に入ることで,触覚や聴覚で補正しながら脳の中に‘ものの形’や‘色の概念’を形成させることができる.物を見て,認識する訓練ができるのだ


 「それだけではありません」


 イメージトレーニングを行うだけで,イメージの中で使われる体の筋肉に電気信号が送られることも知られている.

 従って,VRMMOマシンを使えば,体をコントロールするためのリハビリテーションもできることが分かってきた.

 仮想スポーツ競技に参加すれば,スポーツに必要な筋肉をコントロールする方法――脳の使い方のトレーニングも可能である.

 もちろん,スポーツ選手が競技に参加するためには,それだけでなく筋肉も同時に鍛えなければならないが,長期臥床などで筋力の衰えた病人の回復リハビリには非常に有効だ.

 まさに,ゲーム感覚で体を動かす訓練ができるのである.しかも,体に無理な負荷がかからない.


 「ですから,二〇五〇年の現在,VRMMOマシンは病院と老人養護施設のほとんどに設置されています.もちろん,MMORPGでなく,リハビリ用の仮想空間につながっているのが一般的ですが,マグナ・スフィアにもたくさんご年配の人や病気の人が参加しているのですよ」


 「それが一般の人用のゲーム機になったのが今のVRMMOマシンなんだ.じゃあ,脳に電気を送られてベルトランは操られているの?」


 「暗示や一種の催眠もあると思いますが,多分脳の――ドーパミン報酬系などを直接刺激しているはずです」

 「ドバっとほうしゅう? それは何?」


 シノノメは空耳をそのまま口に出す癖があるので,いささか緊迫感に欠けるが,本人は大真面目である.


 「脳の中の,麻薬や覚せい剤が刺激する場所です.人間の欲求や欲望が刺激されます」

 「それって,いわゆるゲーム中毒?」

 自分もちょっとゲーム中毒気味だろうか.少し怖くなってシノノメは訊いた.


 「いいえ,もっとずっと悪い状態でしょう.サマエルの意図に沿った行動をとることで快楽を感じるように,コントロールされているはずです.そして,長期間続けば脳機能にも影響が出ます.例えば側頭極が障害されれば,社交性が欠如し,共感性のない冷たい人格に変わってしまいます」


 シノノメはノルトランドで会った時の,ベルトランの虚ろな目を思い出した.魚が腐ったようなどんよりした覇気のない目だったと思う.それが,戦闘になるといきなり目の色が変わって狂暴になっていた.

 何か病的な感じはしたけれど……


 「これは,全く偶然だったのですが……サマエルには,ヘブライ語で‘神の毒’という意味があるそうです.死を司る天使,あるいは悪魔なのだとか……」


 「神の毒……」

 不気味な語感に,シノノメはわずかに戦慄を感じた.慌ててラブを抱きしめる.空飛び猫は呑気に喉を鳴らした.


 「どうか,シノノメさんに……サマエルを……殺して欲しいのです.このまま続けば,きっともっとたくさんの人が彼の洗脳を受けます.現実世界にも悪い影響を及ぼしかねません」


 「殺す……?」

 ソフィアの生々しい言葉に,シノノメは悪寒を感じた.

 それはあまりに残酷で悲痛な言葉だ.しかし,それを口にするソフィアにもよほどの覚悟があるのだろう.


 「これを見てください」

 再び空間に映像が映った.

 「現在のノルトランド軍です」


 進撃する巨大な魔獣の軍団.鋼鉄の装甲が取り付けられ,背中には巨大な砲身の大砲が取り付けられている.

 また,魔獣の後ろには黒い巨大な鉄の釜のような装甲車がゆっくり走っていた.あちこちから銃身が突き出し,上からは灰色の煙を出している.水蒸気で動く,原始的な戦車であった.

 後に続く数万の歩兵は,いずれも銃を持っている.

 方々で黒煙が上がっている.

 森は焼け,兵士の足元には大量の動物と人間の遺骸が転がっていた.

 遺骸の間には所々,プレーヤーが死んだことを示す明滅する丸いマークが点滅している.二日ほどすると再ログイン権を得て,この場所近くのセーブポイントに復活するはずである.


 「素明羅とノルトランドの間に位置する小国,タミアルです」

 「ひどいね……プレーヤーはまた復活するのかもしれないけど,いっぱい巻き添えになってる人がいる」


 シノノメは顔をしかめた.


 「いいえ,プレーヤーも決して無傷では済まないのです.今回開戦するにあたり,ノルトランドは一方的に‘戦闘のルール’を変えました.ウォーゲームが始まったので,新しいルールをサマエルが認証したことになっています」


 「というと? どんなルールなの?」


 そんな一方的な事が許されるのだろうか.

 運営システム――ゲームマスターが自らに都合のいいように自由にルールを変えるというのだ.完全に,ゲームとして破綻しているとしか思えない.


 「普通の聖堂や,教会などのセーブポイントに復活できません」

 「じゃあ,どこに復活するの?」


 「全て,ノルトランドです」

 「えっ?」

 「戦わなければ,殺されたときに,これまで全て得たもの――ステイタスも,アイテムを没収されます.そして,戦って負ければ,ノルトランドの奴隷にされます」

 「そんな馬鹿な! つまり,強制参加ってこと? 子供も? 一般の人も? 商業や,芸術家や,生産職の人も? しかも,捕虜じゃないの? 奴隷って?」


 ソフィアは頷いて画像を示した.

 見ると,進軍する兵士の中には明らかに強制的に奴隷にされた者たちがいる.

 周りの兵士に脅されながら一生懸命歩いている猫人や兎人の子供.

 みすぼらしい身なりで銃を重そうに担ぐ少女.

 おっかなびっくりで槍を運ぶ,いかにも吟遊詩人風の身なりの男.

 彼らは軍団の最前列に主に立たされている.弓矢避け,弾除けの代わりなのかもしれない.

 また,敵前逃亡や,戦意が乏しいと判断された者たちは,殺されて足元に捨て置かれていた.


 「彼らが自分のアイテムを取り戻すためには,戦いで敵を殺さなければなりません.少なくとも,十人以上だそうです.

 ログインせずに事態を静観しようとする人もいるようですが,いない間にアイテムボックスに入らない家や作品をすべて破壊されるようです」


 畑が焼き払われ,家が爆破される風景が写った.

 川にさらされた手書きの織物が破られ,陶器の作品は破壊されている.

 現実世界で個展を開くのはお金がかかる.材料費が安いマグナ・スフィアで自分の作品を発表している芸術家の卵もいる.

 みんな,この仮想の世界に,もうたくさん大事なものがあるのだ.


 その一方で,ノルトランドの兵士たちの中には,明らかにこの戦闘を心から楽しんでいる者たちがいた.

 彼らは血に酔いしれ,硝煙の臭いを愛し,こと切れる敵の断末魔の声を音楽のように聴いていた.

 脳の一部が完全に興奮状態になり,一種の戦闘中毒になっているのだ.


 「北欧神話のヴァルハラの様ですね.戦で死んでもまた蘇り,また戦いと宴に酔いしれる戦士の楽園……彼らノルトランドの戦士たちにとっては,これが理想郷なのでしょうか?」

 ソフィアはうつむいてため息をついた.


 「戦争なんて,やりたい人がやっとけばいいのに! 動物を育てたり,服や音楽を作ったりしたい人もいるのに!」

 シノノメは憤った.


 「ですが,初めは嫌々参加していた奴隷たちも,徐々に戦闘中毒になっていくのです.脳にずっと長時間過剰な刺激を加えられ,脳内麻薬が大量に出て,覚せい剤中毒の症状の様になってしまうのでしょう」


 シノノメは,映像の中に血に染まった戦斧を振う,赤い鎧を着た兎人の女性兵士を見つけた.

 「あ! この人知ってる! 素明羅テレビのクリスタだ!」


 クリスタは念波放送の美人キャスターで,素明羅のアイドル的存在である.

 戦闘とは縁もゆかりもない筈だ.普段の報道番組の中で可愛らしく着飾った兎人の面影は,全くなかった.


 「報道取材で近づいたところを殺されて,戦闘奴隷にされたようですね.彼女はもう三回死んで,敵――と言ってもかつての自分の味方ですが――を五人も殺しています」


 ソフィアが宙に目を走らせてクリスタのステイタスを読み上げた.

 血走った眼は兎人特有の赤い瞳よりなお赤かった.明らかに正常な精神状態でない.良く見ると鎧の赤は返り血だった.

 シノノメは戦慄した.


 「こんなの滅茶苦茶だよ! ソフィアがこの世界を管理しているなら,ノルトランドなんてやっつけちゃえば!?」


 「それができれば良いのですが……私の半身は,自分では破壊できません.ゲーム世界には,大きな干渉ができないのです.あくまで彼の作ったルールの中でしか干渉できません……こうやって,あなたに話しかけるくらいしか」


 威厳あるエルフの女王の姿をした人工知能は,自信無げに言った.


 「大災害を起こして惑星の運行そのものを障害することは可能ですが,それをすれば多くの無実の生き物たちも死ぬことになります.サマエルが作ったものとはいえ,生き物たちには罪がないと思うのです……おかしいでしょうか」 


 再び暗くなり,宙に惑星が浮かぶ.

 大地殻変動を起こすと,陸地は全て水没した.

 そこに出現したのは,死の惑星だった.


 「私たちは,ゲームの中,電脳世界のキャラクターにすぎません.擬似生命,生命を模したものと言えばその通りです……おそらく,多くの人間はそう考えるでしょう」


 シノノメは,黙ってソフィアを見つめ,眠り始めた空飛び猫の和毛を玩んでいた.

 なんと返事すればいいのか分からない.ヒトの姿をした人工生命体の大きな苦悩を感じ取っていた.

 ソフィアが自分の惑星に住む生き物に対し,どれだけ慈しみを持って接してきたかが分かる.彼女にとっては,本来サマエルも愛しい我が子であるに違いない.


 「ですが,あなたはこう言って下さいました.」


 ……命があっても無くっても,考えて,動いている――生きているもの.

 妖精たちには魂はないんだよ.

 永遠の魂は,動物も妖精も持っていなくって,人間しか持っていないの.でも,人間と恋をしたり,友達になったりするんだよ.


 「あなたの言葉は,希望です.ですから,あなたに助けを求めたのです」 

 ソフィアは歓喜に満ちた目でシノノメを見つめた.


 「でも,それでも,何故……なぜ私なの? だって,相手はゲームのシステムだもの.ゲームマスターが相手なんて,とんでもなく不利だよ.普通どんなことをしても勝てないと思う」


 「いいえ,勝算はあります.あなたは,特別の存在です」

 「特別? ゲームの上達が早いっていうこと?」


 シノノメは目を丸くした.特別だなんて,現実世界では買い物とナンパの時以外,言われたことがない.


 「それもあります.あなたの想像力や成長力は,ゲーム管理システム‘サマエル’の予想を遥かに越えています.まず,最初からです.ジョブ‘主婦’を選択したにもかかわらず,貴方は通常の概念にとらわれることがなかった.あなたのギルドにも‘主夫’を選んだ若者がいるでしょう?」


 シノノメは頷いた.

 主婦ギルド,マンマ・ミーアのハジメのことだ.

 彼はシノノメに憧れて‘主夫’を選んだが,結局普通に家事のスキルが上達するばかりで,ガスレンジもどきの小さな火を起こすのがやっとだ.


 「お料理やお掃除の魔法など,誰も思いつかなかったのです.サマエルは処理に困って,あなたの言うとおりの魔法を認めざるを得なかった.それに,体術のスキルです.あなたは,現実世界においては武術の達人と呼んでも遜色がないでしょう」


 「……それは,セキシュウさんの教え方がいいんだよ.あの人は本当に凄い達人なんだよ.若い時から空手や柔道や,古武道なんかをいっぱい習っていたんだって.免許皆伝か何からしいし」


 セキシュウは,シノノメがマグナ・スフィア初心者の時から,色々なことを指導してくれた.

 思えば,ゲームの中の父親の様な存在かもしれない.右も左も分からなかった自分に,よく面倒見よく付き合ってくれたと思う.


 「武術とは突き詰めれば,‘体の使い方’ですね.いくつかのコツはあるそうですが,一般の修行者はそれを何年も稽古して身につけるのです」


 筋力という問題はあるが,体の使い方とは脳の使い方に他ならない.

 VRMMOは脳の電気信号を送受信する機械である.

 VRMMOの中でアバターを動かすのもまた,脳.

 従って,‘運動の電気回路’が脳にすでに形成されている人間は,戦闘に慣れるのが早い.そこが,通常のゲームと違うところであった.初心者に限って言えば,ゲーム熟練者よりも武術やスポーツの経験者はスキルが高いのである.


 例えば,マンマ・ミーアの団長ミーアには,かつて竜を殴り倒したという伝説的エピソードがある.

 しかし,彼女が実際に竜を倒す時に使ったのは,首投げからの腕がらみなのだ.

 ミーアは現実世界ではアマチュアレスリングと柔道の猛者であり,子供の時から何度も練習した得意技の連携が咄嗟に出たのである.


 「私は中学生の時,体操部だったけど……高校のときは吹奏楽部だったし……でも,ゲームに参加してからも,セキシュウさんの言うとおり何万回も練習したんだよ.努力しなかったわけじゃないもの」

 

 エルミディアの近く,中央平原のお化けウサギ‘ウォルパーティンガー’退治は,シノノメのいい練習台になった.鬼のように強くもなく,決して弱くもない.セキシュウの指示で何万匹もやっつける練習をしたのだ.今でも結構大変な修行だったと思っている.


 「そうですね……もちろんそれはそうですが……端的に言えば,あなたの脳の力は……特殊なのです」


 この言葉を発するとき,ソフィアの眉が少し歪んだ.何か,慎重に言葉を選んでいるようだ.何か重要なことをシノノメに隠しているのか――非常に説明しにくそうに見える.


 「特殊……?」

 「そう――赤ん坊の様に柔軟と言えば良いかしら.あなたには,特別な力があるのです」


 シノノメは複雑な気分になった.

 現実世界で特に頭がいいと褒められたことがあるわけでもない.学校の成績もそれほど良かったわけではないし,最終学歴は短大卒である.

 一生懸命勉強したので簿記や事務系ソフト検定,秘書や販売士など,資格をたくさん持ってはいる.

 就職して少しだけ働いていた時に,仕事の能率がいいとか言われたことはあるが.

 あと……あの人には頭の回転がいいって褒められるな……ムフフ,って,こんな時に考えてる場合じゃないや.


 「うーん,分かったような,分からないような……でも,システムを握っている相手に,どうやって戦うの? あの,ログアウト禁止とか強制ログアウトとか,全部サマエルの仕業でしょ……あ,ということはあいつ,言いにくい名前,ヤルダバオートって!」


 ノルトランドの宮廷道化師,ヤルダバオート.鈴のついた獅子のたてがみと,蛇の尾のついた服を着た謎のNPC.

 常にベルトランの傍に控え,霧を操り,シノノメを機能停止に追い込んだ男である.


 「ヤルダバオートとは,サマエルの異名に他なりません」

 「うむむ,あのキモ男,絶対今度はやっつけてやりたいけど……だって,口の中にゴキブリを入れてるんだよ!」


 「これを,あなたに託しましょう」

 ソフィアは,両手をしっかりと握り合わせた.

 しばらくすると,指の隙間から水色の光が漏れだした.明るい陽光の中でも,はっきり光跡が分かる.

 再びソフィアが両手を開いたとき,その右手には細い銀の指輪が握られていた.

 「これは?」

 指輪はうっすらと青い燐光を放っており,輪の表面にルーン文字が彫刻されている.


 「キャンセラライザーです.……というと,ファンタジー世界らしくありませんね.‘エクレーシアの指輪’‘拒絶の指輪’とでも名付けましょうか.あなたへのサマエルの干渉を,無効化キャンセルすることができるものです」


 「というと,無理やり動きを止めたりされなくなる?」


 「それだけではありません.サマエルシステムの審査もキャンセルします.あなたの空想の広がるだけ,その願いを叶えて現実化させるでしょう.ある意味……この世界で最強の力を持つアイテムかもしれませんね」


 ソフィアは,シノノメの右手にそっと指輪を置いた.指輪は軽く,ほとんど重さを感じない.何の宝玉もついていない,ただのシンプルな金属の輪にも見えるが,内側から放つ光がそうでないことを告げている.


 「わわ,こんなレアアイテム,何のクエストもせずにもらっていいの?」

 「これから大きなクエストが始まるあなたへの贈り物です.そして……それは,あなた自身を見つける旅になるでしょう」


 「私自身を?」

 ソフィアは頷いたが,シノノメにはこの言葉の意味は分からなかった.

 シノノメは左手の薬指に思わずはめようとしたが,少し考えて右手にはめた

 「ここはだめね.ソフィアさんと結婚しちゃう」


 サイズは指にぴったりだった.指輪をはめた手を眺めて,むふふ,とシノノメは照れ笑いする.そんなシノノメを見て,再びソフィアは微笑んだ.


 「サマエルはおそらく,現実世界にも,もっと恐ろしい力を伸ばし始めるでしょう……急いでください.必ず彼を倒してください」

 エルフの女王らしく,優雅に頭を下げた.


 「うん,私……頑張ってみる!」


 シノノメが指輪をした手で,ポンと胸を叩くと同時に,ソフィアの姿は消えていた.


 「ありがとう……あなたがやがて……夢の中の夢に……気づいたとき……心豊かでありますように……」

 風に乗ってソフィアのかすかな声が聞こえる.しかし,それも大気に溶けて流れていく.


 夢の中の夢……?


 シノノメは首をかしげた.

 思わず,仮想現実の中で夢を見たのかと辺りを見回した.

 空中庭園の美しい風景は元通りだ.

 肩の上ではラブがあくびをしている.

 もう一度手を見る.銀の指輪が,右の薬指でうっすら青く輝いていた.


 「あ……このクエストを成功させたら,どうなるのか聞くの忘れてた!」


  ***


 そのころ,グリシャムとアイエルは迎賓館で‘エルフ流のおもてなし料理’を食べていた.

 シルキーとコボルトがいそいそとテーブルサービスをしてくれる.

 真っ白なテーブルクロスの上に並べられた料理は……


 「温製野菜の,パンプキンスープがけでございます」


 さっきから二人とも,うんざりして徐々に無口になっていた.

 最初は,美しい庭園を望む豪華な部屋に感激して席に着いたのだが,ひたすらさっぱりした野菜料理ばかりが運ばれてくる.


 「ちょっと,ねえ,グリシャム? これ,いつ終わるのかな?」

 「どこまで行っても前菜みたいで,全くコースの終わりが読めないよ.アイエルはメインディッシュは何だと思う?」

 「蕪のステーキ,ナッツ添えとかじゃない? それか,玉ねぎソテーの人参添えとか」

 「うえー」

 「ハイ・エルフって,ほぼベジタリアンなんだね」

 「しかも,焼いたのか生か茹でたのしかないし」


 もちろん部屋の隅に控えているエルフの給仕長には聞こえないように,ヒソヒソ声だ.


 窓の外から美しい小鳥のさえずりが聞こえてくる.

 そよぐ風.

 薫る花の匂い.

 燕尾服に身を包み,金色の髭を撫でる給仕長.

 白い象牙細工の椅子とテーブル.

 銀の燭台とクリスタルのシャンデリア.

 とても優雅だ.優雅なのだが……


 「デトックスとか,ロハスの効きすぎだよ……」

 「ヤギとかウサギになった気分だなあ.せめて魚か鶏肉が欲しいなあ」

 ぷうん.

 アイエルの嘆きに呼応するかのように,何か別の種類の臭いが流れてきた.


 コボルトがパタパタ走り,慌ててお盆を運んできた.

 香る胡麻油と花山椒に豆板醤,どう嗅いでみても四川料理の臭いだ.

 盆の上に並んでいたのは一人一皿の数ではない.五品目以上はある.

 テーブルに並べるや否や,厨房の方から激しく打ち鳴らす鍋の音が聞こえてきた.

 格調高いエルフの迎賓館の雰囲気は台無しになった.まるで庶民の食堂だ.


 「これを,お二人に! あわわ,また行かなくっちゃ!」

 コボルトが空になった盆を小脇に抱えて走っていく. 


 「あーっ! 酸辣湯サンラータンだ!!」

 「豆腐ステーキに,麻婆豆腐! これは何? やった! 湯葉と豆乳のグラタンじゃん!」


 二人の食欲は思い切り刺激され,大喜びで口に運んだ.

 

 部屋の隅に立っていた給仕長は目を丸くした.

 長いエルフの歴史の中で,見たこともないような料理が出てきたのだ.

 

 順番に使われるはずだった銀のカテラリーは完全に無視し,グリシャムとアイエルはフォークとスプーンを使い回して食べ始めた.お行儀もマナーもどこへやら,である.


 「わーっ! これも追加だそうです!」

 コボルトが再び走って来た.盆にいっぱいの料理が乗っている.もはやコボルト一人だけでは手が足らず,女性型の妖精シルキーが二人手伝いに参加していた.

 

 「おお! 肉豆腐風の煮物!」

 「豆腐ハンバーグの和風ソースに,湯葉巻き上げの天ぷら! 揚げ出し豆腐のキノコあんかけ! 揚げ茄子の煮びたしも!」

 「わー! 豆腐とワカメの味噌汁だ! お稲荷さんもある!」

 「タイ風のココナッツミルクカレーがあるよ! にんじんしりしりに,クーブイリチ(昆布の炒め物)まで!」

 「超おいしーい!」

 「最高!」

 二人は舌鼓を打った.


 「な……! 何だこの料理は,お前たち!」

 エルフの給仕長がその優雅な姿に似合わない大声でコボルト達を怒鳴りつけた.

 「エルフの神聖な都で,この料理は何だ? 獣や魚の屍骸を使った料理であろう!」


 「これは……私たちも見ておりましたが,そこのグラタンとかいうものは牛の乳を使っておりますが,それ以外は全く肉も魚も使っていないので……」

 コボルトとシルキーたちは肩身が狭そうに,身を縮めて言った. 


 「馬鹿なことを言うな!」


 「お言葉ですが,給仕長」

 見かねたグリシャムが口を開いた.


 「何でしょうか? お二方は女王陛下の大事なお客様ではありますが,ロー・エルフにダークエルフ.お言葉を挟まないでいただきたい」

 給仕長はグリシャムとアイエルを睨んだ.言葉の端々に,自分がハイ・エルフであるという優越感が含まれている.


 「精進料理もご存じないのですか? これには本当に肉も魚も入っていませんよ.嘘だと思ったら,食べてみてください」

 腹を立てたグリシャムは,わざと挑戦的な態度をとった.


 「そうです.これ,昆布出汁だもん!」

 アイエルは味噌汁の入ったボール――さすがに,漆器のお椀は無かったようだ――を給仕長の鼻先に突き出した.


 「ほほほほ! まさか,利尻昆布も御存じないのではありませんわよねぇ!」

 やりすぎて,少しキャラが変わってしまっているグリシャムであった.


 「何ぃ?」

 見事に挑発に乗った給仕長は,スプーンを取って一匙味噌汁をすくい,飲み込んだ.

 「はっ!」

 一瞬体を震わせ,給仕長は目を見開いた.目の端には涙がにじんでいる.

 「こ……これは……ほっこりママンの味がする……」

 給仕長は慌てて次から次へとテーブルの料理を試食し始めた.

 「むう! どれも美味だ! ロブショエルの奴,これほどまでに腕を上げたとは……いつの間に?」


 「ほっこりママン……あの顔で……」

 「おふくろの味,ってことじゃない? ほんとは中身汁飲ませてやりたい」

 給仕長の豹変ぶりに,グリシャムとアイエルは若干引き気味であった.

 ちなみに,中身汁は豚の内臓が入った沖縄県の郷土料理である.ハイ・エルフが飲めば,ショックで失神するかもしれない.


 「あの……ギャルソルさま,それを調理したのはロブショエル様ではございませんので」

 コボルトが恐る恐る給仕長に申し出る.

 「何!? ならば,誰だ!? そのシェフに会いたい!」


 「それが,人間の少女なのです.女王陛下のお客様が,自分で料理するからと,無理やり厨房にやって来まして」


 「なにぃ! お客様だと!」


 「シノノメさんだ!」

 空気無視の大胆不敵なこの態度とこの味.グリシャムとアイエルは顔を見合わせた.


 ギャルソルは慌てて部屋を飛び出した.厨房に向かうつもりと見当をつけ,二人は後を追った.コボルトとシルキーたちもパタパタと走ってついていく.エルフの迎賓館の廊下に奇妙な一行の行列ができた.


 「お,お客様!」

 ギャルソルが丸いガラス窓のついた木戸を開けると,そこはエルフの厨房だった.

 土で出来たかまどと,壁に作り付けのオーブンがあり,鍋やしゃもじが天井からぶら下がっている.

 かまどの傍に中華鍋を振るシノノメがいた.

 エルフのワンピースの上に,ギンガムチェックの割烹着を着ている.

 横には,太ったエルフと痩せたエルフが腕組みをして,シノノメの一挙手一投足を熱心に注目していた.太った方はコックの帽子をかぶり,痩せた方は熱心にメモを取っている.シェフとスーシェフというところである.


 「なるほど,そこで一気に加熱ですね!」

 「そう! グリルオン!」

 ボカン,と青い炎が吹き上がる.

 かまどの出力が足りないらしく,シノノメは魔法で火を起こしていた.


 「シノノメさん! 女王様との話が終わったの!?」

 グリシャムが尋ねる.


 「ふん,にゃー!」

 シノノメは俊敏に流しに移り,青梗菜チンゲンサイと白菜を超高速で千切りにしていた.

 「終わったけど,何だかストレスがたまったから,料理で発散してるの!」


 「発散?」

 「だって,いっぱい難しい話されて,凄い巨大な敵がいることも分かったし,聞きたいことも訊けなかったし!」

 えい,とばかりに鍋に材料を投入した.

 「カタクリ!」

 右手に一つまみの片栗粉が現れた.水に溶き,手早く鍋に入れて野菜とからめる.


 「むぅ!ブラボー!」

 エルフの料理人が拍手する.つられてコボルト達も拍手していた.給仕長はぽかんと口を開けたまま呆然としている.


 「わー,さすがの腕前,だけど……」

 アイエルが,シノノメの真後ろにそそり立っているものに気付いて口ごもった.

 「それ,何?」


 シノノメの後ろには,この世界に全く似つかわしくない,巨大な銀色の業務用冷蔵庫がそびえ立っていた.

 

 「新しい魔法の成果!」


 グリシャムはシノノメの右手に光る指輪に気付いた.

 しかし,この料理と冷蔵庫が戦闘に役に立つのだろうか.疑問に思わざるを得ない.


 シノノメはテキパキと粗熱あらねつのとれた料理から順番に,冷蔵庫の中に収納した.百品ほど収納すると,冷蔵庫は地面の中に吸い込まれるように沈んで消えた.


  ***

 

 閑話休題.

 この日の給仕長の日記より抜粋.

 ――エルフ料理の,新しい夜明けが訪れようとしている.豆腐を揚げて量感を出すとは.さすがはエクレーシア様のお客様.ああ,ママン.久しぶりにママンに会いたい――


  ***


 心行くまで料理を楽しんだシノノメと,グリシャム,アイエルは迎賓館を出て,エルミディアの町はずれに向かった.

 深い森が切れ,大河エルラドの流れる場所がエルフの森の国境である.

 現在は厳重にエルフの兵士たちによって警備されていた.これまでは中立エリアに設定され,戦闘が起こることはなかったが,いびつなルールのウォーゲームが始まってしまった今,ノルトランドがいつ攻撃してくるかわからないからである.

 警備を指示しているのは,主戦派のハイ・エルフ,クルマルトであった.彼はシノノメ達を見送りにやって来たのだ.

 

 現在,ノルトランド軍は,素明羅第二の都市,南都ナントを攻略しているという.ここは南方交易の一大拠点で,ここを陥落されれば首都斑鳩いかるがと南のカカルドゥアは一気に危機に陥ることになる.

 メッセンジャーで友人たちに連絡を取った結果,主な素明羅の戦闘部隊はこの都市に集結しつつあるらしい.

 シノノメ達は南都で仲間に合流することにした.


 「シノノメ殿,ありがとうございます.あなたのおかげで,長老どもも少しは現状に気付いたのではないかと思います.きっと皆を説得して,反ノルトランド軍の支援に駆けつけます.」

 クルマルトはそう言うと,ひざをついて頭を下げた.


 「え,そんな.ソフィア,じゃなかったエクレーシアさんが,世界を救うとか言っているけど,ちょっと大げさだよ」


 「いいえ,エクレーシア様の言葉は常に正しい.あなたのそのエルフにも匹敵する美貌,飾らない態度と勇気.あなたが世界の救いの御手であること,私は信じております」

 クルマルトはそういうや否や,シノノメの右手を取って指輪に接吻したので,シノノメは真っ赤になった.


 「きゃあ! 大胆!」

 「浮気はいけませんよ,シノノメさん!」

 グリシャムとアイエルが冷やかす.


 「もー! そんなんじゃないよ! 行こうよ!」

 シノノメはラブに大きくなってもらい,背中に乗った.空飛び猫は和毛の生えた翼を広げて準備をしている.このまま南都まで飛んでいくつもりであった. 

 ふと見ると,グリシャムは箒にまたがっていた.アイエルが後ろに乗っている.二人乗りで箒に乗って移動する気らしい.

 以前のグリシャムは,触手で歩く魔法のカボチャしか移動手段を持っていなかった.魔法の箒は,彼女がレベルアップすることにより使えるようになった飛行アイテムだった.


 「あ,それ,素敵! いいなあ.可愛いじゃん! ザ・ファンタジー!」

 「シノノメさんには空飛び猫がいるじゃないですか」

 「うーん,そうだけど……私もそういうのが欲しいなあ」


 シノノメはラブの背中から降り,もう一度小さくした.

 空中に手をやり,アイテムボックスからデッキブラシを取り出した.


 「これは,ただの凄く綺麗になるデッキブラシだけど……」

 デッキブラシを空中で三回回すと,右手の指輪が光った.

 ブラシの毛先がニョッキと伸びる.

 「えいっ! 空飛ぶ箒になれ!」

 シノノメが気合いと同時にまたがると,デッキブラシごと宙に浮いた.

 ラブもシノノメの肩に飛び乗る.

 「ふっふっふ,これで宅急便屋さんにもなれるよ!」

 シノノメはエルフの森の上に高々と舞い上がった.


 「ああっ! 何だかいろいろと著作権的に問題になりそうな飛び方だけど,行こう! クルマルトさん,ありがとう!」

 グリシャムとアイエルもクルマルトに手を振り,後を追って空に飛び立った.


 魔女とダークエルフと,主婦と空飛び猫.

 クルマルトとエルフの兵士たちは,空中を飛び去る三人と一匹を眩しそうに見送った.

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