第26話 5-5 思い出の迷宮
第二階層で、シノノメは同じく最後尾にいた。
第二階層の中央は吹き抜けの深い竪穴となっており、縦横無尽に吊り橋がぶら下げられている。
吊り橋には白い粘液質の糸が絡みついていた。
吊り橋はらせん状に壁から壁へとつながり、下へ下へと降りる通路になっている。
吊り橋がギシッと音を立てる。所々渡し板が朽ちて穴が開いているのだ。
「ぐ、グリシャムちゃん、何か見える」
「うう、シノノメさん、そんなに肩に爪を食い込ませたら痛いです」
シノノメはグリシャムを楯にするように、両肩につかまっていた。
時折グリシャムとシノノメの方をセキシュウが振り向く。
気を使われている、という想いがグリシャムの乙女心を刺激し、その瞬間だけ肩の痛みも薄らぐのだった。
アイエルは三人の子供の引率のお姉さんをやっていた。
少年たちはすっかり伝説の装備にのぼせ上り、やや興奮気味である。こんな時に魔獣の襲撃を受けるのは少し怖かった。
吊り橋の中腹ほどに差し掛かった時、前方に五十センチほどの大きな
丸々とした腹部は毒々しい黄色と黒の縞々で、八つの光る眼を持っている。
ゆっくりとこちらの様子を窺いながら、距離を詰めてくる。
顎の攻撃、尻(出糸突起)から出す糸、そして上下左右立体的に飛び回る動きに注意する必要がある。
「出た!」
少年たちは習った通り、腰を落として刀を抜き、ゆっくりと前に進む。最初に比べると随分様になっていた。
「気を付けて!」
アイエルがゆっくり弾弓を構える。
絡新婦が体を屈め、飛び上がった瞬間を狙って、フレシェット弾を放った。
フレシェット弾は一つの弾の中に小型の矢状の弾が込められており、発射されると散弾銃のように矢が飛び散る。
複数の矢を受け、絡新婦は橋の上に落下した。
すかさずカズマ、コーセイ、ユータが飛び込んでとどめを刺す。
「やったー!」
連携もスムースだ。思わず少年達は剣を振り上げて勝鬨を上げた。
「あ、だめ! また! 大きい声を出したら!」
アイエルが慌てて注意したその時。
天井から大量の蜘蛛が降りてきた。
現実世界の数倍のサイズの蜘蛛たちが、尻から糸を出してぶら下がり、下りてくるのだ。
あっという間に吊り橋の周囲は数百匹の蜘蛛で囲まれた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
アイエルとグリシャムも、この不気味な光景には背筋を凍らせた。
「え、なになに?」
シノノメはしっかり目をつぶっていたので気付かない。
「毒も持っている蜘蛛がいる! 気を付けるんだ」
セキシュウは蜘蛛たちが吐き出す糸を杖で振り払いながら前方に活路を作ろうとする。
大きく吊り橋が揺れた。
「くも? 蜘蛛がいるの?」
「痛い、痛い、シノノメさん、いたーい!」
目を一層固くつぶったシノノメの手が、グリシャムの肩を握りつぶさんばかりに締め付ける。
蜘蛛に囲まれ、さらにシノノメの爪が肩に食い込む。一番災難を被っているのはグリシャムであった。
「いっぱいいる? ねえ?」
「いっぱいいますよぅ! 痛いってば!」
「え、何? いっぱい!? いやだ、いやだー!」
シノノメは突然右手をシノノメから離すと、中指と親指で輪を作って高々と掲げた。
「グリルオン!」
轟音と共に、吊り橋の渡し板から青い炎が吹き上がった。蜘蛛たちは瞬時に消し炭になる。
「おおっ!」
やっとシノノメがやる気になったか、とセキシュウが胸を撫で下ろしたのも、ほんのつかの間だった。
「グリルオン!」
「グリルオン!」
「グリルオン!」
「グリルオン!」
「グリルオン!」
「グリルオン!」
「グリルオン!」
「グリルオン五個口!」
「ハイカロリーバーナー!!」
シノノメは目をつぶったまま、目茶目茶に炎の魔法を発動させ始めた。
壁から、吊り橋の支柱から、無差別に青い炎が吹き上がる。
「うわぁ!」
ユータの足元からも、アイエルの右横からも、ところ構わず出現する炎は、迷宮にありがちなトラップよりよほど危険である。
炎の塊になった蜘蛛と、引火した蜘蛛の糸のせいで辺りは火の海になった。
もはやシノノメの炎の方が蜘蛛に勝る脅威になっている。
セキシュウですら炎を避けるのがやっとだが、シノノメにがっちりと左肩を掴まれ、身動きできないグリシャムの顔は恐怖で引きつっていた。
「あっ! 吊り橋に火がついた!」
カズマが叫ぶ。
木とロープで出来た吊り橋に、当たり前のように引火した。シノノメ以外の全員に緊張が走る。
「みなさん! 私の方に集まってください!」
グリシャムが叫んだ。
アイエルは少年たちの手を引き、走る。
セキシュウも駆け寄った。
「グリルオン!」
ひときわ大きな火柱が立った。
いつの間にかメンバーの背後に忍び寄っていた筈の階層ボス‘
もう攻略の手順も何もない。
炎の舌は全員が渡っていた吊り橋をあっという間に舐めつくす。
「フルーラ・バブル!」
グリシャムはオリジナルの魔法の名前を叫んだ。
魔法は無詠唱で即座に発動し、大きな泡のカプセルが一瞬で全員を包んだ。
「橋が落ちる!」
コーセイが悲鳴のような声を上げる。
炎はついに橋を覆いつくし、焼け落ちた。
ふわり、と泡のカプセルが爆風で宙に飛ばされた。
猛烈なスピードで奈落の底へと墜落していくのではない。風に揺らぎながら宙に浮かび、ゆっくりゆっくりと竪穴を降りていく。
「うわあ!」
少年たちは歓声を上げた。
カプセルは時折落ちてくる火の燃えさしからも全員を守ってくれる。
「これは素晴らしいな!」
セキシュウが称賛する。
「フルーラ・バブルのもう一つの使い方です! 防御効果、それから相手の魔法を無力化する効果、そして重力を軽減する働きがあるから、高いところから落ちても落下速度を遅くできるの」
グリシャムは少し得意そうに言った。
「へーっ! オリジナル魔法、すごいじゃん! サマエルシステムの承認を受けたんだ」
自分での魔法開発は相当な手間がかかるプロセスである。それを知っているアイエルは感心した。
「うん、結構時間がかかったよ」
マグナ・スフィアの特徴的なシステムとして、プレーヤーの発案したものを実現化させるシステムがある。ただし、非常にディティールに対する質問が多く、明確にイメージできなければならない。
例えばこの場合、
泡の材質は?
→ 絞殺しのイチジクには、他者の魔法を無効化する薬効がある。
これに戦いの女神アテネのオリーブ油、地獄沼のアルカリ性液を混合。
樹齢五百年のヤドリギは、太陽神を殺す力があるので、重力を相殺する。
逆さ重力のリンゴの汁を少々混ぜておく。
どのようにして泡を発生させるのか?
→ 以上のシャボン玉液は、アイテムボックスの中に収納されている。
術者の意思に従って、若木の杖の隙間に出現。
泡を張り、風の魔法で精霊シルフの風を送って膨らませる。
などなど、プレーヤーの想像力の極限まで質問される。
最終的に運営AIのサマエルと呼ばれるシステムが判定し、妥当とされると、この空想世界にたった一つの自分の発明品が生まれるということになる。
泡の成分などはグリシャムが薬剤師の知識を生かしたものだった。
「シャボン玉っていうのがいいね、ファンタジーだね!」
いつの間にか目を開けてあたりを眺めているシノノメがのんきに言った。
「いや、お前のせいだろう、こうなったのは」
セキシュウが胸を押さえて言った。
「こちらは心臓がいくつあっても足りないぞ」
「で、でもさすがの破壊力ですね」
アイエルが苦笑する。アイエルは単純な魔法の暴走と思っているようだ。
アイエルよりもっと事情を理解していない勇者三人組は、シノノメとグリシャムの魔法に素直に感心していた。
シャボン玉は地面に着くと、音もなくはじけて消えた。
竪穴を真っ直ぐ降りたおかげで、三層・四層を飛ばして五層に近道することができた。
見上げると、竪穴の遥か彼方に小さく太陽の光が見える。
ここからはまた横穴が始まっていた。
第五層の入り口は、床から石筍があちこちに突出した鍾乳洞であった。
天井からは鍾乳石が垂れ下がり、水滴の音が聞こえる。うっすらと壁が光っているのは、ヒカリゴケが繁殖しているためであった。薄緑色の光は異世界にあっても、さらに異界にやって来たという気持ちにさせる。
「うわ、不気味だね」
怖いもの知らずのカズマも思わずつぶやいた。
「光があるのに、何だか逆に怖い気がする」
コーセイが眼鏡のレンズを拭いてかけなおす。
「だいぶレベルが上がったから、きっと大丈夫だよ」
ユータが言うように、三人はまたもやレベルが上がっていた。
「さ、行こう」
セキシュウが先に進む。
相変わらずシノノメは最後尾で、グリシャムの服の袖をつかんでいる。肩は散々爪を立てたのでさすがに手を置くのを断られたのだ。
「あのまま行くと、私の肩がもげちゃいます」
「ごめんねー、グリシャムちゃん」
シノノメはおっかなびっくりメンバーの後をついて行く。
ヒカリゴケは洞窟の全周を覆っているわけではなく、所々暗い場所があった。
冷たい水滴が時折天井から垂れてくる。
あれ?
シノノメはあることに気付いた。ミーアさん、確か‘あれ’がいるって言ってたのは……
第五層目?
カサ。音がする。
カサカサ。
「あれ、床が動いてる」
「天井も、壁もだ!」
「何か、黒い奴だ!」
カズマ、コーセイ、ユータが一斉に叫んで剣を抜いた。闇の中に光刃がきらめく。
「雑魚キャラだけど、数が多いぞ!」
「囲まれている!」
セキシュウの声が鍾乳洞に反響する。
「出た! ゴキブリだ! キモっ! でも、戦闘力は高くないよ!」
アイエルが叫ぶ。
「チャバネゴキブリ、クロゴキブリ、ヤエヤママダラゴキブリ……」
ユータが意外と冷静にゴキブリの種類を分析してる声がする。
「ゴ、ゴキ……! きゃああああああああああああ!」
その時、シノノメの頭は真っ白になった。
シノノメはゆっくりと左右の掌を合わせ、握りしめた。
バチバチと音を立て、闇の中に青い雷がきらめく。
雷は、壁を伝い、天井を覆い尽くす。
雷に触れたゴキブリは、感電して弾き飛ばされ、蒸発する。
シノノメの体が青い燐光を帯び始めた。
亜麻色の髪は黄金色に輝き、静電気で宙に揺らぎ始める。
「あ! まずい! もしかして、いや、これはもしかしなくても!」
グリシャムは気づいた。
……以前にたった一度だけ見た、超攻撃魔法だ。
「セキシュウさん、皆さん! もう一度フルーラ・バブルを作ります! いそいで横穴を出て避難です! アイエルも、子供たちを連れて急いで!」
グリシャムは叫んだ。
アイエルは青白く光っているシノノメを見て愕然とした。即座にグリシャムと同じ事に思い至る。あの魔法が発動しようとしている。
「なに、何!?」
アイエルはうろたえるカズマとコーセイを連れ、入口に向かって走り始めた。ユータは太っているので足が遅い。
「あれをやる気か! 全くシノノメの奴め!」
セキシュウが、ユータを抱きかかえて走り始めた。
「急げ! 急げ!」
最後にグリシャムが鍾乳洞を飛び出し、元の竪穴に戻った。
立膝になって体を低くし、すぐにフルーラ・バブルを展開する。
「みんな、中に入ってください!!」
横穴の中は青い光に満ちている。時々稲妻が走る。
シノノメの声が鍾乳洞の奥で高く響いた。
「フーラ・ミクロオンデ!」
一瞬、辺りが光に包まれ、視界が真っ白になった。
爆発音が轟き、耳をつんざく。
大量の土砂が巻き上げられ、地上にまた降り注ぐ。
「うわああああ!」
「バブルを二重に! 防御呪文! 絶対魔法防御!」
グリシャムが叫ぶが、その声すらも爆音でかき消される。
「死んじゃうよ!」
「怖いよー!」
「助けて!」
三勇者たちは目をつぶってアイエルにしがみついた。
セキシュウが全員を守るように覆いかぶさり、身を伏せる。
突然静かになった。
耳が爆音で聞こえなくなったのだ。
そして、再び何かが聞こえてくる。
轟轟。
水の落ちる音だ。
滝?
砂漠地帯に、それも迷宮の中にはあるはずのない音がする。
カズマ、コーセイ、ユータ、アイエル、グリシャム、そしてセキシュウはゆっくり目を開けた。
薄暗闇だったはずの迷宮が、光に満ちている。
グリシャムはバブルを解除した。
「こ、これは?」
「なんだか、別のところに来たみたい」
「転位魔法?」
全員目を疑った。
巨大なクレーターの底にいたのだ。
直径は二キロ以上あるだろうか。頭上にはぽっかりと青空が広がり、丸い穴の形に切り取られている。
ユルピルパ
クレーターの中心に立っているのは、シノノメだ。
肩で息をしている。
いつも身だしなみに気を付けている彼女だが、髪の毛がほつれて乱れていた。
水音の正体は、クレーターの側壁から湧き出した泉だった。
砂漠の地下水脈が巨大な滝となって流れだし、それを飾るように七色の虹がかかっている。
ユルピルパのより深い階層につながる穴は、大きく抉り取られていた。そこには滝の水が大量に注ぎ込まれ、真新しい池ができ始めていた。
シノノメの必殺の雷撃魔法、フーラ・ミクロオンデは地形を変えて迷宮を巨大なクレーターに変えたのである。
「シノノメ? おい、大丈夫か?」
セキシュウが立ち上がって声をかけた。
「あー、すっきりした」
シノノメは頬を上気させ、満足げに笑った。
「こ、これは何だかもう……想像を超えてるわ」
アイエルはへたり込んだ。
「はー、死ぬかと思った。良かったー」
必死で魔法をかけ続けたグリシャムは、疲労困憊して仰向けにひっくり返った。セキシュウからどう見えるかを気にかけている余裕すらなかった。
「怖かった……」
「死んだおじいちゃんが見えた……」
「オイラ、ちょっとちびっちゃった」
カズマ、コーセイ、ユータの三人はかろうじて立ちあがったが、膝が笑って歩くことができない。
シノノメはのんきに一回伸びをした。
「おや?」
出来たばかりの池の水面に、空気の泡が大量に立ち上ってくる。
徐々に黒い影が見え始め、何かが浮かんできた。
水面から、黒くて巨大な長い角が突き出す。
角はどんどん伸びて、持ち主の頭と体が水面から見え始めた。
二本の角――頭角と胸角を持ち、黒い胸の甲皮と褐色の上翅。
ヘラクレスオオカブトムシだった。
角を入れなくとも体長二十メートルはある。
勇者三人組が恋焦がれていた、ユルピルパ迷宮のラスボスであった。
「うわーっ! すごい! 立派だな!!」
シノノメはカブトムシは比較的大丈夫なのだった。同じツヤツヤしていても、ゴキブリは駄目というのだから、やや理不尽な気はする。
ラストボス、虫達の王は
目をまわしてぐったりしている。
のっそりと池のふちに這い出て、必死に体を乾かしていた。翅が濡れてしまったので、飛んで逃げることもできないのだ。
「うわ! すっげぇ!」
「でっかい!」
「かっこいい!」
少年たちが興奮して走り寄って来た。震えていた脚もすっかり止まっている。
カブトムシの体を大事そうに撫でる。恐怖のラスボスは自分の体を触る少年を振り払う体力すらないようだ。
スクリーンショット機能を使って、アイエルは三人とカブトムシの画像を保存した。
いろいろあったが、きっと三人にとって大事な思い出になったに違いない。
この子達、大きくなったなぁ、と思うと少し涙腺が緩む'お姉ちゃん'のアイエルだった。
「いいなあ、友情の昆虫採集か。少年時代、スタンド・バイ・ミーだな」
「……はっ!シノノメ!」
セキシュウは子供たちを温かく見つめて頷いていたが、はたと気づいた。
「なーにー?」
シノノメは、虫が一掃されて余程ほっとしているのか、のんびりと答えた。
「何? じゃない! これでクリアだろう、一応」
「あ、そうか!」
すっかり当初の目的を忘れていたシノノメであった。
ゆっくり歩いてカブトムシとアイエルたちに近づき、話しかける。
「じゃあ、みんな、もういい?」
「はーい!」
カブトムシに別れを告げ、少年たちは元気に答えた。
シノノメが虚空に手を振ると、赤いテフロン加工のフライパンが現れる。
「それではどうも、ありがとうございました!!」
フライパンでカブトムシの頭を叩いた。
小気味のいい音がクレーターの壁にこだまする。
少年たちの夢、蟲たちの王が、光り輝きながら結晶となって消えていく。
色とりどりの魔宝石とコインを含む大量のアイテムが雨のように降り注いだ。
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