私の話 第27話

 長い廊下を進む。大きな石しか置かれていない殺風景な中庭を横目に私は一直線に台所を目指した。台所が近づくにつれて醤油と根菜を炒めた時に出る独特な匂いが強くなった。

 台所に着くと母がフライパンを片手にごぼうと人参を炒めていた。夕飯はきんぴらごぼうだろうかとあたりをつけた。

「ただいま」

「あら、おかえり」

 私をちらっと見て母が言う。それからまたすぐにフライパンに向き直る。

「冷蔵庫にヨーグルトが入ってるからおやつに食べていいわよ」

 背中を向けたまま母が言う。やったね、最近発売されたヨーグルトはとても美味しく、私は気に入っていた。

「さゆ、手洗ったの」

 冷蔵庫に手が伸びていた私に母がそう問いかける。もちろん洗ってなどいなかった。

「お母さんでもほら見て」

 母がこちらを振り返るのを見てから、私はぶんっと両の手を振った。びゅおんと普通に手を振るより大きな音がする。ほら綺麗になったと手のひらを母に向けた。

「風だけでバイ菌が全部落ちるわけないでしょう、手洗わないと食べるのを許しませんからね」

 呆れた口調で母が言う。結構力入れたからかなり落ちたと思うんだけどな、文句を言いつつ大人しく手を洗った。

 さて、お待ちかね。手捏てごねしながら冷蔵庫を開ける。そこにはヨーグルトのプラスチック容器が神々こうごうしく鎮座ちんざしている。私は小躍りしながらその容器を掴み、冷蔵庫の扉を足で蹴った。バタンと大きい音を立てて扉が閉まる。

 やばっ、と母に目を向けると案の定険しい顔してこちらを見ていた。

「冷蔵庫は手で閉めなさいっていつも言ってるでしょう」

 いつもの母のお小言だ。そんなに細かいことを気にしなくてもいいだろうと思うが母はそうではないらしい。分かった、分かったと軽く流す。

「あなたは女の子なんだから、はしたない真似はやめなさい」

 母の幼少の頃はそうだったかもしれないけれど、今の時代はもっとおおらかなのだ。これくらいは許容範囲内だ。

「そんな調子じゃあ、男の子にモテないわよ」

「お母さん、知らないの。私、高校じゃあかなりモテてるのよ」

 母に自慢するように言う。あらそうなの、と母は存外嬉しそうだ。

 しかし、いくら好意をいだかれても私には関係のない話だ。結局高校三年の間だけなのだから恋愛は必要のない話だ。改めてそう考えると気分が落ち込む。

 私はヨーグルトを持って自室に引っ込んだ。

 自分の部屋に入ると私は制服のポケットから祖父の眼鏡と毛の入ったジップロックを机に置いた。それから制服を脱いで部屋着に着替える。少し汗ばんだ制服を脱ぐと興奮気味の気分が落ち着いた。

 よしっ、気持ちを入れ直して椅子に座り、目的のものと対峙する。くねくねと曲がる毛を見ると背筋がぞわぞわした。机上にティッシュを何枚か敷き、その上に丁寧に毛を落とした。

 祖父の眼鏡を掛けてその毛を観察する。特に異常はない。それよりも普段は掛けない眼鏡を掛けて、陰毛を観察している今の私の方が傍からは異常に見えるだろう。そんな考えが頭をよぎると途端に不安になって、部屋の扉をきちんと締め直した。

 後顧の憂いは断った。あとは正体を暴くだけである。

 机の引き出しからハサミを取り出し、ティッシュ越しに掴んだ毛をぷつりと二分した。ティッシュの上には二本に増えた陰毛が落ちている。

 じっと見つめると二本の毛がうねうねとミミズのように動いているのが分かった。少しずつしかし確実に相方の元へ移動するその動きに気味の悪さを感じる一方、ある種の健気さも感じた。

 眼鏡を外してみる。肉眼であっても毛の動きがはっきり確認できた。眼鏡要らなかったじゃん、私は一人呟いた。

 数分後、毛同士がくっつきまた一本の縮れた毛に戻った。

 やっぱり、と内心思う。普通の人間の毛ではあり得ないこの現象は彼が不死身である決定的な証拠だ。

 一応もう一度ハサミで毛を切って観察してみた。先ほどと同じように毛同士がうねうねと動いたけれど、先ほどと比べてその動きに元気がないように見えた。

 一回目の倍の時間を要して毛たちは結合した。三回、四回と同じことを繰り返すとそのたびに段々と結合までの時間が長くなり、五回目には微動だにしなくなった。もしかしたら完全に不死身の肉体を手に入れたという訳でもないのかもしれない。今後のことを考えると嬉しい誤算だ。

 ティッシュの上に残った二本の陰毛が笑った時に口から出た息で飛び散った。

「最悪」私は急いで机上に飛んだ毛をティッシュで包み、ジップロックに再度しまった。それから霧吹きタイプの除菌消臭剤を机に吹き付け、隅々まで掃除する。いくら拭き取っても気持ち悪さは拭えなかった。

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