スタバでもドトールでもない喫茶店 入るのマジで勇気いるから

 私達は今、重厚な木製の扉の前に立っていた。

 黒っぽい材質で統一されたシックな外観。小さめの窓はステンドグラスのようになっていて、室内は見えない。


 先刻お弁当を食べ終えた私と、時計とを見比べた小田桐先輩が


「まだ時間はあるし、食後のコーヒーなんてどう? 森夜さんは確かカフェにも行ってみたいんだよね? 駅の近くにいい雰囲気の店があるんだ。みんなで行くにはちょうどいいと思わないかな?」


 などと言い出したのだ。

 なんと、憧れのカフェに!?


「い、行きたいです! ぜひお供させてください!」


 そういうわけで、先輩おすすめのカフェに三人でやってきたのだけれど……

 私の想像するカフェとは、なんとかバックス的なちょっとおしゃれなチェーン店みたいなものだったのだが、連れられて着いた先は、前述した通りの、カフェというよりなんだか重厚な店構えの建物だったのだ。外からは中の様子のわからない、一人だったら入るのを躊躇うようなお店。

 もっとも、私はなんとかバックス的なお店にも、怖くて一人では入れないのだが。


「ほ、ほんとにここに入るんですか? こういうところって大抵屈強な外国人がいて、入店するなり『スクールボーイにはミルクがお似合いだゼ』とか言われて追い出されるんじゃ……?」

「そんな非現実的な情報をどこから仕入れてくるの……ともかく、ここは君の思うような危険な店じゃないよ。僕らもよく利用してるんだからさ」


 言うなり小田桐先輩は躊躇うことなくドアを押し開けた。足がすくむが、私の背後からは日比木先輩が入店を促してくるので、逃げられそうにもない。

 それに、想像とはちょっと違ったが、ここも一応カフェだというではないか。せっかく先輩達が私のために連れてきてくれたのだ。その親切を無下にするなんてとてもできない。


 覚悟を決めておそるおそる小田桐先輩の後に続くと、店内は私の予想とは大きく違っていた。

 床はランダムに石が敷き詰められていて、なんだか異国の街道を彷彿とさせる。アンティーク調の木製の椅子やテーブル、調度品もその雰囲気に拍車をかけていた。

 しかし、それよりも目を引くのは天井の梁から吊り下がったいくつもの古びたようなランプ。

 それぞれ違った形や色合いをして、高さも様々。放たれる光に柔らかく浮かび上がる店内の様子は幻想的だ。そこに加わるコーヒーの良い香り。まるで外国を舞台にした本の中に出てきそうで、思わずため息が漏れてしまう。


「すごい……」

「気に入った?」


 その問いに私は無言で何度も頷いた。店内を隅々まで見回しながら。

 幸いにも屈強な外国人はいなかった。


「お前、あんまりきょろきょろすんなよ。恥ずかしい。上京したての田舎者じゃあるまいし」


 日比木先輩に注意されるが、好奇心は容易く止められない。

 お店の奥に視線を向けると、黒いエプロンを身につけた中年の男性と目が合った。カウンターの中でカップを磨いている最中だったようだ。

 その背後の棚には大量のカップがずらりと並ぶ。


「いらっしゃい。珍しいね、女の子連れなんて。もしかしてどっちかの彼女?」


 男性の問いに、小田桐先輩は笑いながら首を振る。


「いえ、部活の後輩です。期待の新人なんですよ。あの、マスター、今日もお願いしていいですか? この子の分も」

「もちろん。この店にぴったりなやつを頼むよ」

「いつも思いますけど、それってかなり難易度高いですよ」


 難易度? なんの話だろう? 

 よくわからなかったが、とりあえず先輩に付き従ってテーブルについた。


「森夜さんは、コーヒーは好き?」

「ええと、苦くてすっぱいので大好きってわけじゃないですけど、普通に飲めますよ。香りが好きです」

「お、それならせっかくだから試してみようぜ」


 日比木先輩がどこかからかうような笑みを浮かべて身を乗り出してきた。

 何のことかと不思議に思っていると、小田桐先輩が補足するように話し始める。


「この店にはちょっと面白いサービスがあってね。ほら、カウンターの奥の棚に大量のカップが並んでるだろ? コーヒーを注文したお客には、マスターがあそこからお客のイメージに合ったカップを選んでくれるんだ。だから、コーヒーと共に出てきたカップは、マスターから見たその人のイメージってことになるわけ」

「へえ。楽しそうですね。それじゃあ私はいちごパフェで」

「……僕の話聞いてた?」

「冗談ですよ。もちろんコーヒーでお願いします」


 コーヒーには詳しくないのだが、先輩二人は特製ブレンドコーヒーを注文するという事なので、私も同じものにした。

 一体どんなカップで出てくるんだろう。待っている間もなんだかそわそわしてしまう。

 さっき日比木先輩に「暗い」と言われかけたし、もしも真っ黒なカップとかだったらどうしよう。


 不安感を誤魔化すようにたわいのない雑談をしていると、やがて噂のコーヒーが運ばれてきた。

 私の前に置かれたカップ。それは底に向かうにつれて深い青色のグラデーションがかかった地に、白く細い線でいくつかの小さな花が描かれたものだった。


「わあ、かわいい。私ってこんなイメージなんですね。まるで夜空をバックに咲く白い花。実に神秘的です。ミステリアスガールです」

「本当はただの暗くて青いカップにするつもりだったけど、花柄のやつしかなかったからそれにしたんじゃねえの?」


 日比木先輩は余計なことを言う。やっぱり私の事「暗い」とか思ってるのかな……

 そんな日比木先輩のカップは黄色やら水色などの様々な色が大胆に配列された鮮やかな抽象画のようだ。尖ってるなあ。

 小田桐先輩は……と、目を向けると、シンプルな白地に、黒いふちの四角い模様が規則正しく並んでいる。

 まるで先輩の律儀さと、そして眼鏡の形を表しているような……

 そんな事を思いながら、私は先輩の眼鏡にちらちらと目を向ける。

 と、そこで気づいた。


「あれ? 小田桐先輩、眼鏡変えました?」


 昨日までスクエアフレームだったはずの先輩の眼鏡は、今日は銀縁の丸みがかったものになっている。

 私が指摘すると、先輩は何故か気まずそうに頭をかいた。


「ああ、これは自宅用の眼鏡で……今日は外出用に変えるのを忘れてきちゃったんだ」

「自宅用っていうか風呂用だろ?」


 横から日比木先輩が口を出す。


「お風呂用?」

「そう。こいつって朝に風呂に入る習慣があってさ」

「おい、余計なこと言うなよ」


 小田桐先輩が日比木先輩を肘でつつく。


「眼鏡をかけたままお風呂に入るんですか?」


 気になって更に尋ねると、小田桐先輩はどこか弁解するように眼鏡を指で押し上げた。


「正確には湯船に浸かっている間だけど。入浴中ってさ、暇だと思わない? 何も無い空間でただお湯に浸かるだけ。退屈極まりないことこの上ない。だからその間は本を読んだりなんかしてるんだけど、いつもの眼鏡だと湿気とかで傷みそうだから、昔使ってたこの古い眼鏡を掛けてて……それで入浴後に掛け変えるのを忘れてそのまま登校しちゃったってわけ」


 小田桐先輩はテーブルに頬杖をつくと、なんだかしみじみと語り出した。


「あーあ。眼鏡が丸洗いできたらなあ。こんな過ちを犯さずに済むのに。他にも僕は日頃から思うんだよね。眼鏡の着脱と部屋の照明の明滅が連動していればいいのにって」

「はい?」

「ほら、寝るときに部屋の照明を消すとさ、当然周囲が真っ暗になるだろ? そこから寝床にたどり着くまでには様々な危険が潜んでる。例えば何かに躓いて転んだりとかね。でも、眼鏡を外すと照明も消えるっていうシステムがあれば、寝床にいながら眼鏡を外すだけで安全に部屋の電気を消すことができる。素晴らしいと思わない? 人類は眼鏡をもっと進化させるべきだよ。もしかしてコンタクトレンズ派が眼鏡の進化を阻害しているのかな」


 最後には謎の陰謀論まで持ち出してきた。コンタクトレンズ派ってなんだろう……

 照明なら眼鏡の着脱と連動しなくとも、専用のリモコンで十分なんじゃ? とか言ったら先輩に刺されるかな……

 返答に困っていると、隣の日比木先輩がにやにやしながら声を上げる。


「コンタクトレンズ派とか言ってるけど、ほんとはお前自身がコンタクトレンズを目に入れるのが怖いだけだろ」

「当たり前じゃないか。よりにもよって目に異物を入れるだなんて、考えただけで怖気がする。そんな恐ろしい事を当たり前のようにしているコンタクトレンズ派こそが一番の敵だというのは、眼鏡派の間では定説なんだよ」


 コンタクトレンズ派と眼鏡派の間にはそんな確執が……?

 私は裸眼だからよくわからないけれど……まさか裸眼派とかいう派閥は無いよね……?


「森夜さんも眼鏡が似合いそうだよね。赤いフレームの眼鏡なんかいいかな」

「おい小田桐、そうやって素人を深淵に引き入れようとすんなよ。お前の眼鏡大好きっぷりはわかったからさ。そろそろ本題に入ろうぜ」


 日比木先輩が優しく肩を叩くと、小田桐先輩ははっとしたように瞬きする。


「そうだね。危うく目的を忘れるところだった」


 軽く咳払いして姿勢を正すと、


「それでは、今から僕たちは短歌作りを始めます」


 唐突に何故か敬語でそんなことを言い出した。


「短歌って、今ここでですか?」

「そう。あれを見て」


 先輩の示す先には、壁にかけられた木製の黒い額縁。よく見ると、中には見覚えのある短冊が収まっている。


「マスターに頼んで、僕達の作った短歌を飾らせてもらってるんだ。ときどきこのお店を利用する代わりにね。今日あたり新作に入れ替えるにはいいタイミングだと思って」

「そ、そんな、急に言われても……」

「森夜、お前気をつけろよ。この間みたいな顔文字入り短歌なんて作ってみろ。この店のイメージダウン確実だからな。最悪出禁だ」


 日比木先輩が恐ろしい事を言ってくる。

 そ、そんな……せっかく知った素敵なカフェを速攻で出禁になんてなりたくない。

 おののく私をフォローするように小田桐先輩が軽く手をあげる。


「それなら、今日はテーマを決めよう。『コーヒー』なんかどうかな。実にカフェらしいテーマだ」


 むむ、なるほど。コーヒーというテーマに則した短歌を考えるのか。それならなんとかなるかも?


「無理すんなよ。お前の大好きな『眼鏡』ってテーマでもいいんだぜ」

「いいな。次回のテーマはそれにしようか」


 満更でもなさそうな小田桐先輩の返答に、日比木先輩は「やばい」というような顔をして黙り込んだ。どうやら墓穴を掘ってしまったようだ。

 そのまま妙な沈黙の中で、私達は先ほどの言葉など何も聞かなかったかのように各々短冊に向かいながら短歌を考え始めた。



【コーヒーにミルクを混ぜたような髪 あなたが好きな色だと聞いて】(小田桐 恭介)


【両手から伝うぬくもり優しくて 減らないように隠しておこう】(日比木 伊織)


【コーヒーに入れる砂糖の数までも ぜんぶ知ってる 君の名以外】(森夜 月湖)



「森夜、お前の短歌こえーよ。なんで名前だけ把握してないんだよ。ストーカーかよ」

「好きな人のことならなんでも知っておきたいと思うのは当然でしょう? カフェで見かける名前も知らないその人を思うあまり、ついつい色々と詮索してしまうという切ない乙女心を表した作品ですよ」

「うーん、切ないといえば切ないかなあ……?」

「やっぱストーカーだろ」


 何故か二人の反応はあまりよろしくない。

 もしかしたら短冊にかわいいイラストでも描き足せば印象も変わるかもしれないが、そうするとこのお店の雰囲気にそぐわないような気がする。

 うむむ……難しいなあ……


 そんなことがありながらも、ついに私達の短歌の収まった額縁が店内の壁に飾られた。

 ちょっと恥ずかしいけど嬉しい。私の短歌が立派な作品になったような気がして。

 これからこの短歌がお客さん達の目に触れるのかな。みんなどんな感想を抱くだろう。まさか、先輩達みたいに「ストーカーみたい」とか思われたりしないよね……


「あ、そろそろ5時半だね。森夜さん、帰らなくて大丈夫?」


 壁の時計に目を向けながら声を上げる小田桐先輩に、私は胸の前で両手を振る。


「ここは駅から近いから急がなくて大丈夫です。5時50分発の電車に乗れたらいいので」

「そういやお前、毎日5時半に帰るのはなんで? なんか用事でもあんのか?」

「いえ、たいしたことじゃないんです。我が家の門限が6時半なので、それまでに帰りたくて。だから、短歌部が拘束時間に厳しくなくて助かりました。今まではそのせいで、他の部活にも入れなかったから」


 もしも門限がなくて、入学した直後にどこかの部活に入部していたら、もっと早く友達ができていたのかな。


「お前の家って色々めんどくせえな」

「まあ、女の子だし、ご家族も心配なんじゃないかな」


 先輩達はそれぞれの感想を口にする。

 確かに二人の言う通りだ。私の家は面倒くさい。けれど、それは私のためであろう事もわかっているのだ。

 でも、それがときどき窮屈に感じることがある。私を守るための決まりごとが、私を縛り付けている。おしゃれの制限もそのひとつだ。私は守られることと引き換えに、自由を放棄しているのかもしれない。


 そんな事を考えていると、小田桐先輩が立ち上がった。


「せっかくだから途中まで一緒に帰ろうよ。電車、同じ方向だったよね。あ、そうだ、良かったら明日から朝も待ち合わせして一緒に学校行かない? 確か友達と登下校したいって話だったよね?」

「い、いいんですか!? 一緒に帰って、友達に噂とかされると恥ずかしくありませんか!?」

「そんな事思わないし、噂なんかされないよ。どんな思考回路?」


 友達と一緒に登下校できるなんて夢みたいだ。

 やっぱり小田桐先輩ってイケメンだった。


「もちろん。お前もいいよな? 日比木。どうせ自転車が無い間は電車通学なんだから」

「え~、めんどくせえな」


 だるそうに口にしたものの、拒否はしなかった。

 日比木先輩もちょっとはイケメンだったみたいだ。

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