自転車を壊すだけでは飽き足らず 乙女心もクラッシュ寸前


「森夜さん」


 駅の改札を出たところで突然名前を呼ばれたような気がした。

 いや、確かに呼ばれたよね?

 名前を呼ばれるなんて授業中に教師に指される時くらいしかないから、本当に自分の事なのか自信がない。

 おそるおそる顔を向けると、そこには小田桐先輩がいて、にこりと笑うとこちらに向かって軽く手を上げた。どうやら本当に私の名前を呼んでいたようだ。

 その隣には仏頂面の日比木先輩。まだ顔のガーゼは取れていない。

 

「同じ電車だったみたいだね。良かったら一緒に学校まで行かない? あ、でも、もしかして友達と待ち合わせでもしてるのかな?」


 その言葉に私は全力で首を横に振る。


「い、いえいえ、まったく問題ありません! 私でよろしければ是非ともお供させていただきます!」


 隣にいる日比木先輩は相変わらず怖そうだけれど、一緒に登校することに関しては何も異議を唱えなかった。

 そういえば、先輩って昨日は自転車がどうとか言ってなかったっけ? 今日は徒歩なのかな。


「ええと、日比木先輩って自転車通学じゃないんですか?」

「……昨日聞いただろ。電柱にぶつかったって。その衝撃で色々ぶっ壊れて使い物にならなくなっちまったんだよ。察しろよ。はあ、俺のイプシロン号があんな無残な姿に……」


 その時の状況を思い出したのか、先輩のテンションが目に見えて下がった。

 なにやらかっこよさげな名前をつけるほど愛着のあった自転車だったようだ。


 ともあれ、誰かと一緒に登校するなんて随分と久しぶりだ。なんだか今日はいいことありそうな気がする。

 そんなことを考えながら、私は先輩達と共に駅を出た。



「そういえば、こんなアプリがあるんだけど、森夜さんは知ってる?」


 歩きながら、小田桐先輩がスマホの画面を見せてきた。おお、本物のスマホだ。

 そこには丸っこくてカラフルなフォントで

「たんかぶっ!」

 という表示が。おそらく「短歌部っ!」と言いたいんだろう。


「誰でも気軽に短歌を投稿できるアプリなんだ。自分の投稿した短歌に対して、他の利用者から『いいね』ボタンで評価を貰えたりもするんだよ。もちろん他の人の短歌を評価することもできる」

「へえ、そんなハイテクなアプリがあるんですねえ。知りませんでした」

「無料だし、よかったら森夜さんもインストールしてみない? 僕も日比木も利用してるんだ。思いついた事をメモするのにも便利だし。あ、そうだ。ついでにラインも交換しない? 気軽に短歌についての意見を出し合えるだろうし。もちろん短歌のことだけじゃなくて、雑談でもなんでもいいけど」


 小田桐先輩の誘いは嬉しかった。色々と気にかけてくれるその様子に親しみを感じたのだ。そう、まるで友達みたいな。

 けれど、私にはそれができない理由があった。

 俯きながら、消え入りそうな声で答える。


「……すみません。それはちょっと……」


 それを聞いて小田桐先輩は気まずそうに目を逸らしながら頭をかいた。


「あー……まあ、知り合って間もない男子とのライン交換なんて抵抗あるよね。得体の知れないアプリを入れるのも。ごめん。気軽に誘ったりして」

「ち、違うんです。そうじゃなくて……私の携帯がその……これでして……」


 鞄からおずおずと携帯を取り出して見せる。二つ折りになっているタイプの、いわゆるガラケーというやつだ。

 とたんに、日比木先輩が噴き出した。


「うわ、ガラケー!? マジかよ。今時そんな骨董品なんか使ってる女子高生がいるんだな。しかもそれ、お年寄りにも優しいっていう、文字がでかく表示されるやつじゃん? うちの70になる婆さんがそれと同じの使ってるぜ。うける」


 先ほどまでの不機嫌さが消え失せたかのように、日比木先輩はこちらを指差しながら遠慮もなく笑っている。ひどい。

 ガラケーが現役女子高生にそぐわない前時代的な代物だってことくらい、私だってわかっている。だからこそ、こうやってからかわれたりすると少しばかり傷ついたりもするのだ。


「し、仕方ないじゃないですか。これは我が家の方針なんです。携帯なんて緊急事以外に使うことなんてないんだから、余計な機能は必要ないっていう……」


 必死に説明すると、隣の小田桐先輩が自身の顎のあたりに手を添える。


「家庭の事情なら仕方ないか。ガラケーでもラインはできないことはないけど、通信料がかかっちゃうしね……でも、残念だなあ」


 その心底がっかりしたような口調に、私は反射的にガラケーの画面をかざす。


「あ、で、でもラインは無理でも、普通にメアドなら交換できますよ!」

「え、いいの?」

「もちろんです!」


 二人の先輩は何故か妙な表情でお互いの顔を見合わせていたが、やがて


「ガラケーとスマホってどうやってアドレス交換するんだ? まさか直接入力なんてめんどくせえ方法じゃないよな……?」

「ええと、さすがにQRコードとかあるんじゃないか……?」


 だとか小声で話し始めた。


 そして無事にアドレス交換が終わり、私の携帯のアドレス帳に二人の名前が新たに加わった。一気に二人もだ。すごい。奇跡だ。奇跡みたいなミラクルだ。

 携帯の画面を何度も見返して、それが現実であることを確かめる。そしてしみじみと思った。

 ああ、やっぱり今日はいい日だ。






「なんだよこの短歌は。森夜、お前ふざけてんのか?」

 

 退屈な授業を終え、放課後を迎えた私は、早速部室で短歌作りに励んでいた。

 ところが、あれやこれやと考えながら、やっとの思いで作った短歌を見せるなり、日比木先輩が昨日の気だるげな態度とは打って変わって、積極的にそれを貶し始めたのだ。

 その問題の短歌がこれだ。



【じょしりょくの ・*:.。

 ぁぴ→るのため☆

 たんざくを 。*・゜

 デコってみたょ゜☆*

 てへぺろりんこ(*≧∀≦*)】



「だ、だって、昨日は妄想でも嘘でもなんでもいいって言ってたじゃないですか。自由に書いていいって」

「だからって顔文字や妙な模様なんて入れるか? 信じらんねえ」

「このほうがかわいいと思いませんか? あ、ちなみに『ぁぴーる』のところの『ー』が『→』になっているところがポイントです。更に全部ひらがなにしたり、一部小文字にする事によって今時の女子感を表してみました」


 私の解説に、日比木先輩は頭をかきむしる。


「はあ、理解できねえ。昨日もアホみたいな短歌作りやがって」

「えっ? あ、アホみたいって……? あの時は褒めてくれたじゃないですか」

「俺は別に褒めてねえよ。確かに『いいんじゃねえの?』とは言ったけど、あれは『"どうでも"いいんじゃねえの?』って意味。それにややこしくなるから余計なこと喋るなって小田桐が言うから」


 ひ、ひどい……! この人があの短歌に対してそんなふうに思ってたなんて……私なりに一生懸命考えたのに……!

 しかも今の話ぶりからすると、小田桐先輩も私の「アホっぽい短歌」を過剰に褒めてたみたいだ。どうりでやけに賞賛されると思っていた。自分に才能があるのかと勘違いしてしまうほどに。


 小田桐先輩を見やるも、彼はまるで話を聞いていないかのように何やら作業中で、私の抗議の視線もスルーしていた。

 憤慨しかけた私だったが、しかし……と、すぐに考え直す。

 ここで部活を辞めるのは簡単だ。でも、そうしたら、この先輩たちとの接点はなくなってしまう。せっかく知り合いになれたのに。

 それに、私は短歌を始めたばかりだし、良し悪しだってわからない。経験者である先輩の言うことが正しいのかもしれない。と。

 ここは素直に教えを乞うことにしよう。そう思って不機嫌そうな先輩におそるおそる問う。


「あの、それじゃあ、どういうのが『良い短歌』なんですか? ぜひ教えてください」


 すると日比木先輩が「え?」と声を上げると目を泳がせ始めた。それから無言になると、やたら腕や足を組んだり解いたりと落ち着きなく振る舞う。


「……そりゃ、ほら、アレだよアレ。心に響くっつーか、ドーンとしてガーンとするようなアレだ」


 ようやく口を開いたかと思ったらそんな言葉が出てきた。

 うーん? 抽象的でよくわからない。ドーンとしてガーン……?

 首を傾げていると、斜め前から笑い声が聞こえた。

 今まで何かの作業をしていた小田桐先輩だ。


「日比木、お前、変に格好つけようとしないで正直に言えよ。自分にもわからないって」

「え?」


 わからない? 先輩にも?

 私の疑問の声に答えるように小田桐先輩が続ける。


「正直なところ、僕らも自分達の短歌が良いかどうかなんてわからないんだ。文筆家でもないただの高校生なんだから当然だよね。毎回才能ある歌人に添削して貰えるなら別かもしれないけど」

「でも、確か顧問の先生は国語の担当なんですよね?」


 それなら短歌に詳しいのでは、と思ったのだが、小田桐先輩は苦笑する。


「そうなんだけど、先生も教科書に載ってるような有名な短歌なら解説があるからまだしも、歌人ってわけじゃないし、素人の高校生が作ったものはどう講評していいかわからないんだって。そういうわけで、僕達はただがむしゃらに、ありのままに、思ったままに短歌を作るしかないのさ」


 そこまでして先輩達を短歌に駆り立てるものってなんだろう。

 スポーツや囲碁、将棋みたいな勝敗のあるものならまだ理解できる。試合や練習を通して自分がどれだけ上達したか、どのレベルにいるかわかるだろうから。

 でも、自分でも良し悪しがわからない。そんなものをただひたすら作ることの意味ってなんだろう。

 そんなに短歌が魅力的なのかな。私にはまだよくわからないけれど。


 考えていると、小田桐先輩が唐突に立ち上がる。そのまま改まるようにこちらに向き直り、両手で何か差し出してきた。まるで賞状か何かでも渡す校長先生のように。


「ほら、日比木も立てよ」


 せっつくと、日比木先輩もしぶしぶといった様子で立ち上がる。

 小田桐先輩の手にはペパーミントグリーンのバインダー。


「これは森夜さんの分。昨日日比木と一緒に買ってきたんだ。一応森夜さんに似合いそうな色を選んだつもりなんだけど」

「なんですか? これ」

「短歌を書いた短冊をファイリングするためのものだよ。僕らもそれぞれ持ってる。ねえ森夜さん。短歌部に入部してくれて本当にありがとう。これから先、このバインダーに収まり切らないくらいの短歌を一緒に作っていこう。だから今後とも短歌部員としてよろしくお願いします」


 小田桐先輩は深々と頭を下げた。隣の日比木先輩も、小声で「……よろしく」と呟く。

 その改まった様子に私も慌てて立ち上がり、うやうやしくバインダーを受け取る。


「い、いえ、その、こちらこそ。こんな立派なものまで用意して頂いて、ありがとうございます……!」


 まるで何かの儀式のようだ。けれど、その行為を経る事によって、なんだか身が引き締まる思いがした。短歌部員として認められたような。そんな充足感と共に。

 いつのまにか先程までの憤りも忘れて。


 受け取ったバインダーはA4サイズで、中には三分割された透明なポケットリーフが何枚か収まっていた。

 これが私の短歌専用のバインダー。はあああ、なんだかテンションが上がる。

 さっそく先ほど作った短歌の短冊をポケットに収めてみる。

 うん。なかなか良い眺めだ。

 満足する私とは対照的に日比木先輩の呆れたような声がする。


「一番最初に入れる短歌がそんなアホっぽいのでいいのかよ」

「僕らだって人の事は言えないだろ。それに、僕は森夜さんの短歌は結構面白いと思うけどね」

「はあ? 小田桐、お前、マジで言ってんの?」

「だって、顔文字を使った短歌なんて見たことあるか? それに、短歌の書かれた台紙を装飾したり、イメージイラストを添える手法だって既にある。森夜さんは初心者ながら、文字だけじゃない短歌の可能性に既に気づいてるって事なんじゃないか? それって一種の才能だよ。もしかするとBL短歌みたいな新しいジャンルの短歌を生み出せるかもね」


 小田桐先輩が妙な言葉を発したので、私は思わず口を挟む。


「あの、BL短歌というのは一体……?」

「あれ、知らない? ボーイズラブ……すなわち男性同士の恋愛関係を主題とした短歌だよ」

「ほ、ほほう……」


 まさかこんな真面目系眼鏡男子の口からボーイズラブなどという倒錯的な言葉が出てくるとは思いもよらなかった。

 短歌の世界というものは、私が思っていた以上にフリーダムで奥深いようだ。


 さらに小田桐先輩の熱弁は続く。


「せっかくだから、森夜さんの作る独創的な短歌にも、何か名前をつけようよ。何がいいかな。JK短歌……? いや、それじゃインパクトないかな……」

「『スイーツ(笑)短歌』とかどうだ?」


 にやにやと茶化す日比木先輩を小田桐先輩が窘める。


「おい日比木。これでも真剣に考えてるんだぞ……そうだ、森夜さんは何かいい案ないかな?」


 うーむ……アホっぽいと言われようとも、キラキラさせて顔文字なんかも入ってる、私の想像する今時の女の子みたいな短歌。それに名前をつけるとしたら――


考えた途端、私のお腹からいびきみたいな音が漏れた。

 慌ててお腹を押さえるも、二人の先輩にはばっちり聞こえていたらしい。


「真面目な雰囲気が台無し」


 と日比木先輩が呟き、それを諌めるように小田桐先輩は隣の金髪を小突いた。


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