11-2

 休息の間、チョコレートとコーヒーが振る舞われた。仮眠を取る者もいた。休憩時間は一時間ほど。カードなんてやる馬鹿はどこにもいなかった。ここで機体に異常があった者、体調が悪くなった者は離脱する。どのくらい離脱するのかは、士気に関わる数字なので後々になるまで知らされることはない。


 僕は休憩の間に煙草を吸い、頼んで入手した戦場指定区域の詳細な地図を見ていた。作戦が決まってからずっとこいつを見つめている。


 戦場となるのは、一見して平野だけど、こうして等高線の引かれた地図で見てみれば、大昔の地殻変動で隆起した台地であることが見て取れる。周囲より明らかに標高が高く、しかし広い。川も幾筋か通っているし、その川が削ったものなのか、亀裂のような谷間もあった。失敗して焦げて、割れたパンケーキみたいなものだ。


 煙草がそろそろ切れる。けれど買い足す必要があるのかな。僕はここで死ぬのかも知れない。けれど、死ぬと分かっていても新鮮な一本が欲しい時だってある。まあ、ここに煙草屋は見当たらないのだけど。


 再び、離陸。

 太陽がだいぶ昇ってきた頃には空気もすっかり澄み渡って、遠くまで見渡せるようになった。ダンスにはうってつけの気候。ただし雲は少し多い。曇り空というほどではないけれど。


 眼下には何もない平野。広すぎるこの大陸ではありふれた光景だ。何もないのは地上も同じ。放牧に使われているのだろうか、一面が草の緑に覆われていた。


 補給基地から、さらに一時間ほど飛んだ頃に、別の飛行中隊と合流。先の基地でいくつかの隊と合流していたから、これでかなりの規模の戦闘機部隊になった。ややあって、爆撃機も合流する。事前に聞かされていた通りだけれど、前線基地を叩くのが今回の作戦目的だ。これらは戦場指定区域の近くに設置されている。僕が所属しているピレネーも例外じゃない。要はどちらが先に叩くかという話だ。


 まあ、戦闘機にとって重要なのは、対空陣地の配置だけ。それもあまり前線基地に近づかなければ大丈夫だ。


 胸に手を当てた。

 何も感じない。

 職人が仕立てた懐中時計のように精密に時を刻んでいる。


 全て冷静。

 クールで、落ち着いている。


 自分の心臓に満足したところで、先遣隊から入電。

 でも僕はそれより一瞬早く、無数の点が蒼穹に生まれるのを見出していた。


「スカーフェイスより各機へ。ヘッド・オンは避けろ。最初だけB7で行く。後はいつも通りのフォーメーションを組め。シラユキ」

「感度良好」

「お前は遊撃だ。そっちのがいいだろう?」

「了解」


 短く応じる。

 話の分かる上司で良かった。


 既にスロットルを握りしめていた。

 スカーフェイス隊は一度、下に潜んで敵をやり過ごし、強力なエンジンに任せて一気に上昇する手筈だろう。僕は一機だけ隊を離れて、翼を斜めにして緩やかな上昇を選択する。


 遊撃ということは、編隊のピンチには駆けつけてほしいという意味だ。高度を保つのは絶対として常に隊の戦闘機を視界に入れておく必要がある……こんな風に考えられるのは今のうちだけで、すぐに入り乱れて直感くらいでしか飛べなくなるのだけれど。


 すぐに撃ち合いが始まった。最初の一合で何機かがあっさりと墜ちる。その中には恐らく、エースと呼ばれた奴らも含まれていただろう。どれだけ腕が良くても、正面から撃ち合った時に墜ちるかどうかは運だ。だから僕も最初のヘッド・オンを嫌う。スカーフェイスが避けたのもそういう理由だろう。それでも最初の一撃を真正面から受け止める役割は誰かがやる。そこにどんな思考があるのかまでは分からないけれど。


 スカーフェイス隊は敵の第一波をやり過ごした時点で上昇を開始していた。第二波が来る前に敵の只中に急降下を仕掛けるはず。僕は彼らをキャノピィの頭上に捉えながら、彼らよりやや遅れて上昇、追随する敵機がいないか確認。


 いた。


 始まったばかりだから、皆、目端が利く。見逃すことなく四機の編隊がスカーフェイス隊の五機に追い縋った。僕は隊長機に警戒を促し、すぐさま機体を翻して援護に向かった。一回だけ、ローリングして自分を追う敵機がいないか確認。


 五機もの敵機を目にしている時、ほとんどのパイロットは背後に目を向ける余裕がない。どいつから撃とうか、いきなり避けるやつはいないか、気づかれていないか、目を配っているからだ。


 だからセオリィで言えば、撃墜に集中するチームと周囲を警戒するチームに別れる。彼らも同じだった。すぐに僕に気づいた二機がブレイク。一旦離れ、大きく旋回して僕の背後を取りに来るだろう。分かっているから時間は掛けられない、攻撃の二機はどうするだろうか。この場合、彼らも回避行動を取るのが賢い選択だ。


 案の定、攻撃を諦めてブレイク。賢明だ。そして僕の最初の仕事はこれで完了。


 即座に操縦桿を引く。

 急上昇。


 頼もしいエンジン音、そして軽快な動きで、クーガーは天頂に向かって翔る。


 一瞬、太陽が目に入った。


 すぐに過ぎ去る。


 背面飛行。

 ループ機動。


 発見。


 今しがた離脱した二機ではなく、それを援護するために先に離脱した二機に機首を向けた。綺麗な編隊行動をしているから分かった。今、彼らは僕を見失っている。何しろまだ味方機を追いかけていると思ったはずだからだ。


 そのまま急降下に転じる。

 スロットルは据え置き。


 落下の速度に任せて逆落とし。


 一度だけ背後を確認。太陽が目に入るか心配だったけど、幸いそんなこともなく。敵機の姿はなし。


 振り向いた時にはだいたい計算通りの位置に敵機。


 スロットルを絞り、減速。

 フラップも使う。


 すぽりと敵機の背後に収まった。


 気づく前にファイア。当たるかどうかは五分五分といったところか。


 弾丸が掠めたことで慌ててブレイクする敵機。


 さらに二機が別々の方向に逃げた。

 四機が二機に、二機なら一機ずつばらばらに。そうやって互いを援護する戦法だ。


 古いけど手堅い、確実な戦法。


 けれど最初の一撃で勝負はついていた。左に逃げた、つまり僕が撃った奴は黒煙を曳いていたし、明らかに機体のどこかにダメージがある飛び方をしていた。


 とりあえずそっちを無視して無傷なほうを狙う。

 こういうのは先に背後を取ったほうが勝つ。


 でもあまり時間は掛けられない。


 スロットルを叩き、あと五秒だけ追いかけようと判断して追跡。


 捉えた。

 ガンクロスど真ん中。はみ出るほどに近い。


 周囲を見回しながらトリガを引く。


 だ、だ、だ。


 そのまま離脱。ちらりと確認したけれど、錐揉み状態で墜ちていったようだ。


 まず一機。黒煙を曳いた奴はどうしたかと思ったけれど、既にあちこちで同じような煙――敵のものか味方のものかはまるで分からない――が生じていて、見分けがつかなかった。


「ヴァルチャ、一機撃墜」

「ロンドブリッジ、スプラッシュ・ワン」

「こっちは逃した。ここからはツー・マン・セルで戦え」

「了解」


 スカーフェイスの冷静な指示が聞こえる。スカーフェイス隊は共通の迷彩塗装で、すぐに互いを識別出来るようにしてある。それはとりもなおさず、敵にも認識されやすいということなのだけど。彼らはエース部隊だから、敵を引きつけるのも仕事のうちだ。


 そして僕の機体だけ別種だ。迷彩は同じだけれど、同じチームだと敵に認識されるかは微妙なところ。ともあれ、そういうわけだから彼らの位置はだいたい把握出来ている。僕は次の獲物を探しながら高度を上げた。


 綺麗な隊列を組んでいたのは最初だけ。あっという間に両軍入り乱れての混戦が展開されていた。サラダ・ボウルとも呼ばれる旋回戦の空間だ。


 こういう時にはどうしても飛び込むのを躊躇してしまう。何しろ一番怖いのは背後に着かれることより、寧ろ流れ弾のほう。こればかりはどうしようもないのだ。


 と思っていたけれど、僕に目を付けた二機編隊が向かってきた。


 二機相手だと少し分が悪いかな。仕方なく、戦闘機が群れなす嵐の中に飛び込んだ。これでだいたいの相手は撒けるのだけど。


 意外にしぶとくついてくる。

 良かろう、相手になろうじゃないか。


 左右に機体を振って回避行動を取りながら、距離のあるうちに少しずつ上昇していく。高度をいま少し取り戻しておきたかった。


 やがて雲の上に出る。そこにも、数は少ないが何機か飛び交っている。あまり高度を上げると機体性能が極端に落ちる。それに雲の中というのは何かと危険だから、極力入りたくないのが飛行機乗りの本音。


 機体の腹を霞む雲で擦るようにして、猛追する二機から逃げる。


 時折撃ってきたけれど、二機編成の機体は撃ってくるのは一機だけだ。二機同時に撃つと、前にいる味方に当たるのだから当たり前。だから実質一機だけを相手にしているものと考えていい。ただし装弾数も倍だしスタミナも倍、隙は二分の一といったところ。


 敵が射撃位置につく直前に機体を切り返せば、弾丸は当たらない。一対一より二倍忙しいだけだ。時折、雲を被って視界が真っ白になる。僕の場合これはデメリットには当たらない。何しろ前に敵機を捉えている必要がないので。


 しかし敵にとっては、たまに僕の姿が見えなくなっているのだからたまらないはずだ。


 何度かの回避。やっぱり諦めてくれなさそうだから、反撃に転じよう。


 背後を確認。敵機の位置をだいたいの目測で計算。速度計を確認。行けるだろうか。いや、行こう。


 狙いをつけた雲の丘に突っ込んだ瞬間、機首を思い切り下げてスロットルをダウン。視界がホワイト・アウト。雲の中に沈み込んだ。


 頭の中で数を数えて、スロットル・アップ。上昇。

 僕のクーガーは雲のかけらを引きずりながら浮上した。


 吹き上がるエンジン音の中、視界が晴れ上がる。


 その蒼に浮かび上がるように、二機の機体尾部が見えた。

 一瞬の失踪についていけなかったのだ。


 狙いをつけるまでもない。

 ちょっと計算より近い位置に敵機がいたから、そのままトリガを引く。


 千切れた翼がこっちに向かってきたので慌ててローリングして躱した。


 今のは危なかった。


 二機目がブレイクしようとしたけれど、その動きは予想にぴたりと合った。

 追従しながら、もう一掃射。


 躱されたけれど翼に当たった。


 動きが鈍っている間に肉薄。一度だけ背後を振り仰ぎながらファイア。


 ゆっくりと機体をスパイラルに入れて、周囲を警戒。


 いま落とした敵が雲間から見えた。キャノピィを開いて飛び降りている。よほど運が悪くない限り、この高度からならパラシュートで着陸出来るだろう。


「こちらシラユキ、スカーフェイス隊、飛んでいるか」

「こちらスカーフェイス、何機墜とした?」

「今ので三機」

「上等。こちらの位置を視認出来るか?」

「今、雲の上」

「じゃ、降りてこい」


 無線は傍受の危険があるけれど、それは地上にいる人間が対抗策を考えるべきことだ。空ではこうして連携が取れたほうがいいに決まっている。


 最後にちらりと蒼穹を振り仰ぐ。


 特に影は見あたらず。


 遙か天空にちらちらと流電層の煌めきが見えるだけだった。

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