【番外編】温泉好きの竜 08
通された奥の部屋は外観や先ほどの室内からは想像できないほどに、整った部屋だった。
となれば良かったのだが。
「あまり変わらないわね」
エリスが臆面もなく言い放つ言葉に思わず同意しかけて、タジは口をつぐんだ。
「ハハハ、こんなところに来るのが珍しいことですからね」
細身の男性が説明するには、今日はたまたま丁稚の少年とともに掃除をしに訪れたらしかった。
「ここは確かに商会の中心ではありますが、ここが中心となって商売をしているわけではありません。商売自体は他の場所、例えば目抜き通りなどで店を構えておりますし、月に一度の報告会などはタジ殿もご利用になられた羊泉酒家でやっておりますので、ここは基本的に使わないのです」
「じゃあ何でここが商会の中心なんだ?」
促されるままに用意された椅子に座り、細身の男と向かい合う。丁稚の持ってきた陶製のコップには、紅茶が淹れてあった。
「ここは、羊泉商会の原点なんです。皆の心の中心であり、様々な商会の記録が置かれている場所がここだということです」
「あの旗が心の中心ってことかしら?」
タジの隣に堂々と座って尊大な態度をとる謎の町娘に対しても、男の柔和な態度は崩れなかった。
「その通りです。かつてこの建物から始まった羊泉商会の、象徴とも言える旗です。ああ、失礼いたしました。自己紹介が未だでしたね。私、こちらの商会の長を務めさせていただいております、アルマ=エト・グリムと申します。アルマとお呼びください」
座礼で申し訳ありません、と付け加えてアルマが深々と礼をする。
商会の長と言うが、ずいぶん若いし、物腰が弱い。腰のあたりで掴んだらポッキリ折れてしまいそうな姿は枯れ枝を思わせた。
「タジだ。ゴードの件では色々と世話になった」
「エリスよ。苗字は無いわ」
「失礼ですが、エリス様はなぜに苗字がございませんので?」
ゴードに関する話は既に決着がついている、ということだろう。アルマはなぜか、エリスの苗字が無いことを気にかけた。
「あら、苗字が無いことを珍しがる人がいて?」
ここでもわざとらしい言葉づかいをする。苗字の有無はそのまま身分の高低を示すものだ。家柄を気にするのは血の高貴さを争う人間だけであり、それが必要な人種とそうでない人種がある。
エリスはその口調に貴族らしさをにじませながら、同時に苗字をあえて言わないように装うことで、身分を偽ったのだ。そんな子どもだましが果たしてアルマに効くのかとタジは訝しんだが、真意の見えない糸目でこちらをジッと見てくる枯れ枝の男の醸す空気が緩んだ。
「失礼いたしました」
「こちらこそ、町娘の格好で無礼を言ったわ」
極めつけに高飛車な対応。わざとらしく付け足した「町娘」の言葉が、エリスの身分を匂わせれば、アルマはそれ以上追求しなかった。
「それで、なぜ突然こちらへいらしたのですか?王と騎士団の庇護があればタジ殿は特に不自由なく日々を過ごせていることと思いますが」
エリスがあくまで不遜な態度を貫くというのなら、それを利用した方が良いだろう。タジが隣の少女をみやると、町娘に似合わぬ表情で「ヘマをするなよ」とでも言いたげな視線を寄越した。
「いや、このエリスがね、温泉を所望なもので。そういう金になるものは、王や騎士団の連中よりも、世事に詳しい商人に聞くのが一番手っ取り早いかなと思って、やってきたって訳さ」
わざとらしく「この」と付けることで、それが依頼であることを臭わせる。いや、元々エリスから受けた依頼なのだから何一つ間違ってはいないのだが……。
「ほう、温泉ですか!それはまた贅沢なものをご所望で!」
眉を上げて目を見開いた顔を作ったのだろうが、あいにくその程度ではアルマの狐目は動かないらしい。
アルマの大声がコップの紅茶を波立たせる。それでも聞く者を不快にさせない低音の声は、なるほど何かこの商会の長たらしめるものを持っているのだな、とタジに感じさせるのだった。
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