【番外編】川のぬしづかみ 16
森にほど近くなっても、水辺に発生する魔瘴の噴出跡は見られなかった。やはり絶対数として水辺に魔瘴の現れることが珍しく、それゆえ水棲の魔獣は数が少ない。今回の事態もよほど特殊な例なのではないだろうかとタジが考えていると、森の方から不意に強い視線を感じた。
森からはまだ大人一人分ほどの間隔がある。
「クレイ。調査は終了だ、引き返すぞ」
「どうしたの、兄ちゃん?森までもうすぐだよ」
クレイがこちらを見ずに、川に手を突っ込んだままで返事した。
その森が、危険なのだ。
「魔獣がいる。こっちをジッと観察してやがる。襲いかかられると面倒だからこの場を今すぐ離れよう」
「……何だこれ?」
持ち前の集中力のために話を聞いていなかったのか、クレイは川底にあった生物の残骸を拾い上げた。
その残骸は、アオスジのような何かだった。
「おい、それは……ッ!」
クレイの持ち上げる残骸に魔瘴の気配をタジが感じ取ると同時に、森から魔獣が吼える。
「ガウアアッッ!!」
野太い威嚇の咆哮は、明らかにこちらに向かっている。
「それを持ってこっちへ来い!急げ!」
「う、うん!」
川の水に足をとられながら岸にあがろうとするクレイに向かって、森から魔獣が現れた。
熊だ。
瞳を紅く輝かせた長毛の黒い熊の魔獣が、四足歩行でクレイに向かって突進してくる。タジは地面を踏み込んで魔獣へ飛びかかると、対岸に熊を叩きつけた。
「クレイ、周囲に気を配れ!ヤバいと思ったら大声だ!」
仰向けの魔獣が必死に抵抗するも、馬乗りになったタジの敵ではない。魔獣の丸太のような腕がタジの横っ腹を叩く。
「ってぇな!」
熊の魔獣にある胸元の三角形の模様、その中央めがけて拳をめり込ませる。それで紅い瞳が宿していた光は消え、丸太のような腕はぜんまい仕掛けのおもちゃのように緩慢な動きになり、やがて力を失って地面にたれた。
ブシュウ、と空気の抜けるような音とともに、熊の魔獣は煙となって消えた。クレイの方は無事かとタジが対岸を見ると、無事だった。
タジが川を飛び越えて着地すると、クレイが呆然としている。
「どうした?」
何か異変が起こったのだろうか、と不安に思っていると、どうやらそういうことではなかったらしい。
「すげぇ……」
「は?」
「兄ちゃん今、川向こうから飛び越えて来たよね?それにあのでっかい熊みたいなのを倒し、ええぇ!?すっご!本当にそんな、ええぇ!?」
「ああ、そういうことか」
自分が人間離れした強さだということを村人の多くは知っているが、実際にその力を目の当たりにした人は少ない。戦闘があったのは村の外だったし、村の内部でわざわざ強さをひけらかす必要もない。
「とにかく、クレイが無事でよかった」
魔獣は基本的に群れを作らないものの、何事にも例外はあるし、協力・共生関係を築く魔獣もいるらしい。先ほどの熊がどのような知能を有しているかは判別しづらいものの、あることから、一つだけ分かることがある。
熊の魔獣は、仲間がいる。
「この場を離れるぞ」
「えええ、熊の魔獣は兄ちゃんが倒したし、また出てきても兄ちゃんなら勝てるでしょ?」
「そういう問題じゃない」
森から感じる視線は、消えていなかった。あの熊の魔獣は視線の主ではなかったのだ。熊の魔獣を人間にけしかける存在が川を遡上した先にいる。それは有益な情報だ。
水棲の魔獣とは別の問題が出来てしまった。
クレイを小脇に抱えて川岸を駆け下っていく間も、森から感じる視線が消えることはなかった。
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