狼の尻尾亭 19

 不満を飲み込むために目の前に置かれたジョッキを呷る。それは初めて村に入った時に飲んだ蒸留酒ではなく、果実酒だった。赤ワインに似た深い赤色をしているものの、アルコールは強くなく、癖になる酸味が舌の側面を撫でていく。ジョッキで飲むにはあまりに酸っぱい。口いっぱいに果実酒を含んだタジは力いっぱい目を瞑ってその酸味と格闘することになった。

「タジさん?あっ、もしかしてこれって……」

「そう、目覚めのワインですよ」

 ムヌーグが心底愉快そうにしているのが目にしなくとも声色から伝わってくる。

「そのワインはニエの村と眠りの国をつなぐ街道から少し脇にそれたところにある村で作られるフルーツワインでして、特徴はその酸味にあります。起き抜けに口に含めばどれだけ眠かろうと一気に目が覚めるという意味で、目覚めのワインと名付けられたのですが、タジ様のお口に合いましたでしょうか?」

 タジが起きてくる前に仕込んでおいたのだろう。自分を待たせてのんびり眠っている寝坊者にはちょうど良いだろう、とばかりにムヌーグの笑顔が語っている。先ほどのゲベントニスの目配せは、二重の意味の謝罪だったのだ。

 口いっぱいの目覚めのワインを喉を広げるようにして飲み込む。口の中にはまだ酸味が残っているように感じられ、舌が縮んでしまったのではないかと錯覚を起こしている。

「この地域のワインはずいぶんと興味深い味をしているんだな。おかげできっちり目が覚めたよ。今ならどんな強敵でも粉々に出来そうだ」

「それは重畳」

「悪戯の過ぎる女の子にしつけが必要だと思っているくらいには素晴らしい状況だよ」

 ムヌーグが現れてから、一矢報いただけでほとんどしてやられていることを思うと、どうにもタジは気が収まらなかった。当のムヌーグはというと、涼しい顔をして羊肉のローストを等分し、一切れと添えられている根菜のグラッセを自分の皿に取り分けた。根菜を口に含んで、それから目覚めのワインをぐいと傾ける。

 結構な量を含んだにも関わらず、ムヌーグは酸味に喘ぐことはなかった。

「すいません、タジさん。ローストの添え物にトフォイがある時点で気づくべきでした……」

 なぜか謝ったのはトーイだった。

「トフォイは酸味を抑えてくれるんです。目覚めのワインを飲むときは蒸留酒やジュースなどで薄めるのが普通なんですが、トフォイと一緒に飲むと抑えられた酸味に隠れていたワイン本来の味が楽しめるんです」

「私は別にタジさんに意地悪をしたくてこのお酒を選んだのではありません。私はこの目覚めのワインが特別好きなのです。トフォイと一緒に飲むと格別なのを知って欲しかったのです」

「それなら先に言って欲しかったね」

「すいませんでした……」

 また謝ったのはトーイだ。本当に謝ってほしい目の前の女狐は涼しい顔である。

 ムヌーグに習って切り分けられた羊肉とトフォイのグラッセを取って、グラッセと共にもう一度目覚めのワインを口に含む。さっきので懲りたので、と思い口に含んだ目覚めのワインはあまり多くはなかったが、確かに先ほどよりもぐっと酸味が抑えられている。

「なるほどね……確かに美味い」

「分かっていただけたようで、私も喜ばしいです」

「ムヌーグは得意になると口が達者になるのな」

 嫌味らしく言ったタジの言葉に、ムヌーグは目を丸くしていた。それから少し考えこむように口をおさえて俯くと、なるほどとばかりに手をうった。

「確かにそういうところがあるかも知れません。初めて気づきました」

 新しい自分が発見できたことを喜ばしいといった様子だ。一人分の骨付き羊肉をナイフで一口分に切り分けて食べる。その仕草に確かな育ちの良さが見えた。

 タジは意趣返しとばかりに何か小言を言おうと考えたが、自然な喜びを見せるムヌーグの様子に毒気を抜かれて、降参したとばかりに骨付きの羊肉にかじりつく。そんな二人の間で、トーイが困ったように笑っている。

「タジさん、別の飲み物を注文しましょうか?」

 ジョッキの中のワインはあっという間になくなっていた。

「いや、目覚めのワインでいい。寝坊した俺にはぴったりだ」

「私ももう一杯いただこうかしら。ゲベントニス」

「大丈夫です、ムヌーグ様。私が頼みますから」

「いいのよ、こういう時くらいしか使えない木偶の棒だから」

 ムヌーグがぞんざいに手をふると、ゲベントニスはどこかへと姿を消した。すぐさま別の騎士団の人間らしき人物がムヌーグの斜め後ろに待機するのを見て、ムヌーグの権力にタジは改めて驚くのだった。

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