精子艦隊、堂々受精す

トクロンティヌス

第一部 卵管膨大部海戦

第一話 〇三:〇〇 卵管峡部海域

一、 〇三:〇〇 卵管峡部海域


「……通信途絶を確認。また撃沈……この海域に残存する僚艦りょうかんわずかに800!」

「クソっ! 長かった子宮海域(※1)を抜け、この卵管峡部海域(※2)に入ってわずか数十分の間にこれほどの被害が出ようとは……」

 精子艦の艦長が眉間に皺を寄せ、うめく。


 この精子艦が所属する第14精子戦艦隊は、最新巡洋戦艦を一億六千という大編成の戦隊で、20XX年 9月18日 〇一:〇〇マルヒト、マルマルに母港である精巣上体尾部ドックを出航し、途中、〇一:三〇マルヒト、サンマルまでの間に精管せいかん精嚢せいのう前立腺ぜんりつせんといった各雄性補給港での補給を行い、その際に精漿せいしょう艦隊より派遣されたゲラチン様防空駆逐艦、プロスタグランジン型駆逐艦を隊に加え、一路いちろ、卵管膨大部海域(※3)を目指していた。


 ヒト生殖細胞型巡洋戦艦SPMZ(スパマトゾオン)――それぞれの小戦艦隊旗艦であるこの精子艦は、全長50マイクロメートル、全幅500ナノメートル、全高500ナノメートル、艦首部(頭部)に『超高密度DNA』と『先体内酵素爆弾』を格納し、中片部と呼ばれる艦体部分に最新型の内燃機関である『ミトコンドリアジェネレーター』を搭載することで(※4)、高濃度のエネルギー物質・ATPを安定的に『9+2微小管モーター』に供給し、これまでの精子艦としては最高速度となる8.75e-5ノット(※5)での子宮海航行を可能とした最新鋭の巡洋戦艦である。

 艦尾には推進力を生む9+2微小管モーターに合わせ、ロングテールスターンを採用しており、艦首はクリッパー付き涙滴るいてき型で凌波性を上げているため、艦全体を見渡すと独特な"おたまじゃくし"のような形をしている



 その最新巡洋戦艦を一億六千も僚艦とする一大艦隊が、この"ザマ"である。

 軍はこの生殖細胞型艦を進化させるために、実に数万年の年月をかけており、また、航路途中で合流したゲラチン様防空駆逐艦隊とプロスタグランジン型駆逐艦隊も子宮海域で失っているとあれば、艦長のうめきも納得ができる。それほどの大打撃であった。


「海域の卵管液フロー、また強くなってきています。およそ5から6e-5ノット、依然として"向かい波"のままです」

 艦橋ブリッジで航海長が報告すると、通信士が続ける。

「複数の通信妨害装置ジャマーAMI/NOアミノ-119が作動している模様です。まもなく僚艦との通信が完全に途絶えます」

「……ここからは完全に目視の世界か……卵管峡部海域を抜け、目的である卵管膨大部海域に到達するまでは、総員で哨戒しょうかいに当たれ」


「このまま何もなければいいが……」


 艦長は、誰に言うわけでもなくそう呟く。そして、その懸念は十数分後に現実のものとなるのであった。




二、 〇三:一六 卵管峡部海域深部


「艦首より衝撃音!! 船体が右舷側に大きく傾きます!」

 衝撃で艦長をはじめとした隊員が倒れると、直ぐにこれまで水平だったブリッジが大きく傾く。

「何だ!! 何が起こった!!」

 艦長の怒号が飛ぶ。

「わかりません! 艦首に何か巨大な構造物が衝突した模様……このような構造物の報告はこれまでもなく――」

「言い訳は後で聞く! 今は現状の把握を最優先に!! 映像を正面モニターに回せ!!」

 艦長の指示で正面モニター全面が艦首付近の映像が切り替わる。

「こ、これは――」


 目の前のモニターには絶望が映っていた。


 艦首クリッパーは大きく破損し黒煙を上げており、その付近から液状爆薬である先体内酵素爆弾が漏れ出しているのが見える。そして、その先には大きくうねり、艦首を攻撃している巨大な"柱"――そう表現するしかない物体が映っている。

「……こ、これは……まさか、"卵管ヒダ"!?」

「しかし艦長、このような巨大な卵管ヒダなど聞いたことがありません!」

 狼狽える航海長に艦長が応える。

「では、目の前のものをどう説明するのかね? 卵管上皮壁と地続きで、それに山頂のとがった形……確かにサイズは馬鹿でかいがこれはまさしく卵管ヒダだ」

 ブリッジの隊員たちからうめき声があがる。艦長は士気が下がるのを防ぐため、

「しっかりしろ、それでも諸君は誇り高き第14精子戦艦隊第119787281小隊・ルイーズ艦の隊員か! まずは艦体を立て直す、ポーートォ!!」

と、怒鳴る。それを受けてハッとした隊員たちが必至に大きく右に傾いた艦体を立て直そうとする。


「艦首!! 砲雷長、聞こえるか!? 本艦の被害状況を知らせろ! 砲雷長!!」

 続けて、艦長は艦内連絡用通信機に向けて叫ぶ。

 しかし、その返事はない。

「艦首、先体ブロック! 応答せよ!!」

 もう一度、艦長が叫ぶ。



「……ウ……カン……」


 通信機越しに弱々しく聞こえると、艦長はすぐさま答える。

「砲雷長か!?」

 通信機の向こうの声はまた間をあけて応えようとする。その間に、艦体はようやく水平姿勢を取り戻しつつあった。

「……砲雷長は最初の攻撃で……私は水雷士のロバートであります……」

「よく生きててくれた、ロバート。艦首の被害状況を知らせてくれ!」

 艦首部分には卵子卵丘複合体の透明帯と呼ばれるバリアを打ち破るための、高性能液状爆弾である先体内酵素爆弾が格納されている特殊ブロック・先体があり、砲雷長はそのブロックの責任者である。その砲雷長はすでに死亡していると聞き、艦長の額には一気に汗が噴き出る。

「敵性未確認物体の……第一撃、第二撃により……砲雷長をはじめとする一分隊が死亡……生存者は私と……数名……」

 ブリッジの中がざわめく。

「……第一撃の衝撃により、先体ブロック隔離用の先体膜外壁が破損し、先体内酵素爆弾の漏出が始まっています……また……第二撃に……より……ごふッ!!」

 通信機の向こうで何かを吐き出す音が聞こえる。それはロバートの命が残りわずかであることを伝えていた。

「ロバート! しっかりしろ!! 第二撃で何があった!?」

 通信機の向こうでは溜まった血を吐き出す他に、すすり泣くような音が混じっている。ブリッジの隊員たちは一言も声をあげず、艦内通信音声から聞こえるロバートの声を待っていた。


「……第二撃により……先体膜内壁および核膜外壁も破損……超高密度DNA格納庫・精子核内に……先体内酵素爆弾が一部逆流して……おそらく……」


 今度はブリッジでうめき声やすすり泣く声があがる。艦長であるルイーズも通信機を持った手をだらりと垂らし、放心している。



 精子艦隊の各小隊旗艦には一つの――使が与えられている。


 子宮海を通り、卵管峡部を含む卵管海域を抜け、卵管膨大部海域を目指し、そこで卵子卵丘複合体と呼ばれる構造体のバリアを破壊し、艦首に格納してある超高密度DNAを打ち込む――これを古い書物では"受精(Fertilization)"と呼んでいる。ルイーズ艦を含む、すべての精子艦はそのためだけに存在していると言っても過言ではない。

 しかし、今のロバートの報告は、すでに超高密度DNAが破損していることと同時に、ルイーズ艦の目的が喪失したことを告げていた。

「……艦長……う……どうやら……ここまでのよう……で……す。お先に……」

 最後にもう一度何かを吐き出す音が聞こえてロバートとの通信が途絶える。艦長は「安らかに」と小さく呟くと、官帽の"つば"に手をあて目深にする。その目元にはうっすらと涙が見える。



 それから十数分が過ぎたであろうか。精子核ブロックに侵入した先体内酵素爆弾が超高密度DNAを破壊しつくせば、おそらく次はこのブリッジを破壊するだろう。ミトコンドリアジェネレーターが止まり、照明の落ちた艦内は驚くほど静かで、隊員たちは取り乱す様子もなく、静かに最後の時を待っていた。


「機関長、ミトコンドリアジェネレーターを再起動」


 突然の艦長の発言に驚いた航海長が「な、何を!?」と尋ねる。


「本艦はこれよりcapacitation(受精能獲得)に移行する。航海長、船務長をはじめとした二分隊は、外海からCaイオンおよび重炭酸イオンの取り込みを開始せよ。機関長、聞こえるか? ミトコンドリアジェネレーターを"ハイパーアクチベーション(hyper-activation)"モードに切り替えろ」


「艦長!! 一体何をするつもりですか!! 本艦はもう……」

 叫ぶように航海長がもう一度尋ねる。


「本艦の目的を思い出せ、航海長。本艦……いや、第14精子戦艦隊の目的は、卵子卵丘複合体への超高密度DNAの突入――つまり、『受精』にある。そして、それは本艦でなくても、僚艦の誰かが達成できれば完遂となる。そのために本艦が現状でできることは――」

 話を聞いている航海長の目には涙が溜まっている。皆、この暗闇の見知らぬ海でゆっくりと死を迎えるのが、不安で不安で仕方がないのだ。艦長であるルイーズにもそれが痛いほどわかる。

 目をつぶり、一呼吸大きく吸って吐いたあとで、ルイーズが続ける。


「本艦はこれより、艦首部分にわずかに残った先体内酵素爆弾を使い、敵性構造体――巨大卵管ヒダに対し、特攻を仕掛ける。この攻撃ではおそらく巨大卵管ヒダは倒すことはできないだろう。しかし、本艦がここで攻撃を仕掛け、艦体の残骸からフリーラジカル信号を放出することで、僚艦がこの巨大卵管ヒダを回避する道標になることはできる。

 諸君。抜錨ばつびょうから長い航海を共にしてきた戦友諸君。私の最後のわがままだ。ついてきてくれ」


 そう言い終わると、艦長・ルイーズは官帽を外し深々と頭を下げる。一瞬、静寂に包まれた後で、ブリッジに拍手が響く。

「……二分隊、総出で外海中のCa、重炭酸イオンの取り込みを! 気象士も手伝ってくれ。もうモニタリングはいい、capacitation因子の取り込みに集中するぞ!!」

 航海長が部下たちに指示を出すと、立て続けにブリッジの中に指示が飛ぶ。

「こちらミトコンドリアジェネレーター機関部、艦長、ハイパーアクチベーションモードへの切り替えですが、艦首がやられてるんでラフト……GPIアンカータンパクからのシグナルが入ってきません」

「シグナル入力を手動マニュアルに切り替えて、強制発動。少々手荒にしても構わないさ」

 そう言って、ふふとルイーズが笑う。それにつられたように、通信機の向こう側の機関長も笑う。

「はははは、そうですな。派手にやりましょう!」

 さっきまで涙を溜めていた航海長がにっこりと笑顔を浮かべ、

「第14精子戦艦隊第119787281小隊・ルイーズ艦、士気、よしッ!」

と叫ぶ。それと同時に、艦内で「おう!!」と歓声があがる。



「諸君……ありがとう。では、行こう。我らの"未来"のために! 目標、前方"巨大卵管ヒダ"!! 全速前進!!」




(続く)

次回予告:多くの犠牲を払いながらも、第14精子戦艦隊は卵子卵丘複合体との決戦の場である卵管膨大部海域に到達する。残存旗艦数は百にも満たず、勝利が絶望視される中で第019831014小隊・トヨダ艦は卵子卵丘複合体に特攻を試みる。果たして、『受精』は成功するのか――


用語:

※1 子宮海域(Uterus Ocean):ヒトの場合、長さ60~80mm、幅40~50mmという全長0.05mmのSPMZ艦にとっては広大な海域であるばかりではなく、白血球などの攻撃を受ける危険な海域である

※2 卵管峡部海域(Isthmus-UTJ Ocean):子宮海域を抜けた先に存在する非常に狭い海域。最も狭い部分では1~2mmとなっていて、多くの卵管ヒダという構造物を有することでも知られる危険な海域である。また強い向い波が常に生じていることでも知られており、その速さはウサギで1.95e-4ノットと後述する精子艦の速度よりもはるかに速い

※3 卵管膨大部海域(Ampulla Ocean):精子艦隊の目的である構造体・卵子卵丘複合体がいるとされる海域

※4 ミトコンドリアジェネレーター(mitochondrial generator):精子艦の推進力を生む9+2微小管モーターにエネルギーとなるATP(アデノシン三リン酸)を供給する内燃機関。精子艦中央部の中片部と呼ばれるエリアにあり、outer dense fiberと呼ばれる艦の竜骨りゅうこつにあたる構造体を取り囲むようにらせん状に配置されている。精子艦の型式ごとにらせんの回転数が異なっており(つまりミトコンドリアの数が異なっており)、ウシ型精子艦で約64回転であるのに対し、ラットでは362回転にもなる。精子艦一隻あたりのATP搭載量も、精子艦の型式によって大きく異なる

※5 巡行速度については、ヒト精子の直進速度20~45um/secのうち、SPMZ艦が最新鋭の巡洋戦艦であることを鑑みて、直進速度を45μmとし、ノットへと変換したものである(8.75e-5ノット)

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