戻す者 2

 町子の後ろにいたイケメンは、シリウスだった。

 シリウスは、マルスといったん目を合わせてから、部屋の中に進み入った。

「久しぶりだな、マルス。相変わらずフラフラして女をひっかけているのか」

 すると、マルスは余裕の表情でシリウスにこう返した。

「僕はそんなにプレイボーイじゃないよ。君のほうこそ、奥さんとラブラブしているのかい? 若い女の子にかまけて、放っておいてはいけないと思うんだけどな」

 そう言って、二人はしばらくにらみ合った。町子は、マルスに、それは誤解だと言おうとしたが、シリウスに止められた。

「マルスも、シリウスも」

二人の間に入ってきたのは、フォーラだった。

 彼女は、パンパンと手を二度叩き、朝美と友子に、追加のお茶とお菓子を注文した。その際、もう飲み飽きた紅茶はやめて、緑茶か烏龍茶にしてくれと頼んでいた。朝美と友子は、どのお茶にしようか話し合いながら去っていった。

 町子のいない間、二人は暇を持て余していろいろな場所からいろいろなお茶を仕入れていた。ここにあるお茶が紅茶だけでないのはそう言った理由からだった。

 お茶とお菓子が届くと、広く使っていたテーブルに全員が座って話し合いが始まった。まず、シリウスが口火を切った。

「明後日の朝、ここを発ってアメリカに行く。それとマルス、フォーラ」

 目の前の羊羹には目もくれず、持っていた湯飲みをテーブルに置くと、シリウスは真剣な顔をして、輝を見た。

「そろそろ、俺たち帰還組のことを輝に話しておくべきじゃないか?」

「帰還組? そう言えば以前町子がそんなことを言っていたような。いったい何なんですか、それ」

 輝が返すと、マルスがため息をついて答えた。

「地球以外に人類がいる惑星の存在があったとして、そこに渡航する人間が一人いるとする。その人間がその惑星に地球から移民を出していたとしたら、輝君はどう思うかい?」

「どう思うって」

 それは、突拍子もない話だった。そんなことができる人間がいるはずがない。第一、人類が他にもいる惑星など天文学レベルでは発見されていないではないか。

「惑星間渡航者」

 シリウスが、話をつないだ。

「その星、暁の星は、ここから数万光年離れた場所にある、紅の惑星だ。そこに、地球じいさんと呼ばれる惑星間渡航者がいた。そいつが、地球からの移民を引き受けていた。だが、ある事件がきっかけでそいつが暴走、死亡した。そのために地球からの移民はほとんどが帰る場所を失った。ただ、そこには覚醒したばかりの暁の星のシリンと、地球のシリンがいた。地球のシリンも、ある事情で暁の星で育ったからな。彼らは協力して、地球に帰りたいと望む者や帰らなければならない者を地球に返した。それが帰還組だ」

 シリウスの言葉に、輝の頭は混乱した。彼らはいったい何を言っているのだろう。意味が分からない。ある事件とかある事情とか、分からないことだらけだったし、第一、まだ輝の中で他の惑星に人類がいること自体が受け入れられていなかった。

「輝君」

 混乱して俯く輝の背中を、フォーラがとん、と叩いた。

「大丈夫。いずれ分かることだわ。今は情報としてこの話を受け入れておけばいいの。心から理解するのは時間がかかるでしょ、シリンのことをソラートから聞いて混乱したように」

 頭を抱えていた輝は、そのフォーラの言葉を聞いてホッとした。そうだ。今のところは理解をしなくてもいい。ただ、情報として仕入れて自分の中の引き出しに入れておけばいいだけのことだ。これが事実ならシリンの時と同じように、どんどん証拠が出てくるはずだ。それを待つしかない。

「輝君、町子ちゃん、シリウスがこれからあなたたちに会わせる人、それが惑星間渡航者。彼女と会えば、いろいろなことが分かるはずよ」

 フォーラの言葉に、町子と輝は頷いて応えた。

 フォーラは惑星間渡航者を「彼女」と呼んだ。女性なのだろう。いまのいままで天使だの悪魔だの、物騒なシリンばかりを相手にしていた。今度の惑星間渡航者の女性はマトモだとよいのだが。

 輝たちは、その話の後、なんとなく無難な会話をしながらお茶をいただいた。久しぶりに落ち着いていろんな人間と話ができる。マルスの女性へのこだわりはもとより、シリウスの奥さんであるネイスという女性のことも聞き出すことができた。ネイスは芯の強い女性で、細身の体ながらシリウスの狩ってきた動物を一緒にばらしてソーセージにしたり、帰還組ながらドイツの家庭料理やドイツ語を懸命に学んだりしていること。そのおかげで近所のおばちゃんたちから一目置かれる存在になったことなどを話してくれた。カリムは、クローディアやアイリーンとお茶をするのを嫌がったが、おいしそうな羊羹を口にすると、すぐに態度を変えた。

 そうやって一日は過ぎてゆき、皆で一緒に友子と朝美の合作である夕食を平らげて、各々割り振られた部屋に帰っていった。

 輝は、部屋に入ると、まずベッドに横になった。ここ数日ゆっくり寝たことなどなかった。ほとんど飛行機の中か、知らない土地のホテルの部屋だったからだ。自分のものが置かれた部屋にいると何とか落ち着いてきた。そのままうとうとしていると、誰かがドアをノックする音が聞こえてきた。寝ぼけているのかなと思い、放っておくと、ノックの音はやんだ。それでもやはり気になったので今のは何だったのだろうと思い、ベッドから起き上がって、ドアに手をかけた。その時。

 ドアが勢いよく開いて、誰かが部屋に入ってきた。きゃあっと悲鳴を上げたので、女性だろう。確かめてみると、町子だった。

「こんな時間に何の用だよ、町子」

 つんのめって転んだ町子に手を差し伸べると、町子はその手を握り返した。

「鍵くらいかけときなよ、輝」

 今ので少し乱れた髪を整えながら、町子は部屋に入っていった。輝が、部屋の中央にある椅子に腰かけるように言うと、町子は遠慮がちにそこに座った。

「それで、いったい何の用なんだ?」

「うん」

 町子は、そう言うと、少し暗い顔をした。そして、輝が出してくれたココアを口に運ぶと、小さな声で話し始めた。

「輝、私、まだ輝に伯父さんのこと話してなかったよね」

「ああ、まあ、外科医だってことくらいは知っているけどな」

「うん」

 町子は、そう言ってココアのほうに視線を落としたまま、しばらく黙り込んだ。外では雨が降り始めている。庭の木々や池に雨が落ちる音がして、今の沈黙を彩っているように思えた。

 町子は何か特別なことを話しに来たのだろうか。輝はそのことが少し気になった。そういえば最近町子の様子が不安定に思える。どうしてだろう。出会った時の、あの気の強いマドンナの顔が今はない。

「輝」

 ココアから目を離さないまま、町子が口を開いた。

 その瞳に何を宿しているのかはまだ分からない。

「伯父さんは、ものすごくつらい思いをして、苦労してきた人。でも、周りにはそれを微塵も見せない。だから誤解されているんだけど」

「うん」

 輝が、いつにもなく優しい表情を見せたので、それを見た町子は突然赤面した。そして、ひとつ、咳払いをした。

「あ、だから、輝は、伯父さんの重荷にならないように気を付けてほしいの」

「そうか、町子の伯父さんはそんなにデリケートな人なんだな」

 輝がそう言うと、町子はまっすぐな目を輝に向けた。何かを射抜くような瞳だ。輝は、その瞳に圧倒された。

「伯父さんは、誰よりも強い人」

 町子は、輝の瞳をずっと見た。試されている、そんな気がした。先程のような気弱な町子の姿はどこにもない。

「強いから、背負える重荷はすべて背負ってしまう」

 そう言って、町子は目を伏せた。寂しげに笑い、なんとなくはかなげなその姿は、今さっきの町子とはかけ離れた、いつもの町子だった。

「輝、伯父さんに会ったら、伯父さんを助けてあげてほしいの。きっと、輝だったらできるから」

 そう言って、町子は椅子から立ち上がった。空になったココアのカップを輝に返して、ごちそうさま、と一言言った。

 そして、変化に富んだ町子の表情に圧倒された輝を一人残して、輝の部屋を去っていった。一人取り残された輝は、ココアのカップを洗いながら、ひとり、町子の言ったことの意味を反芻していた。

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