真夜中のラジオ 2

 事件が起こる一か月前。

 それは、真夜中のラジオをめぐる問題が予兆を見せ始めていた頃だった。

 輝の生活に変化はなく、いつもの友人たちと、いつもの部活の仲間たちと、いつもの職場の人間たちと、いつものように関わっていた。ただ、どこかに何かの変化は見え始めていた。そのわずかな違和感を、輝は、感じ取っていた。

 朝、学校に行って部活の朝練を終え、授業の席に着く。輝は、いつもの友人たちとじゃれあいながら授業前のホームルームの時間を待っていた。

 すると担任の教師が来て、眠そうな目をこすりながら今日の日直と授業の確認をした。生徒ならともかく、教師が眠そうな顔をしているのは少しおかしい。そう思ってホームルームの終わりを待った。授業が始まると、次は休み時間を挟んで世界史の授業が始まった。世界史の担当教員が来ると、その教員もまた眠い目をこすり、あくびをしながら授業をしていた。おかしなことにそのことに関して不思議がる生徒は誰一人いなかった。輝は変に思いながら周りを見ると、相当授業が退屈なのか、生徒たちもあくびをしている。輝のように部活とアルバイトを掛け持ちしているならともかく、そうでない生徒まであくびをしているのだから不思議だ。真夜中までゲームでもやりすぎていたのだろうか。

 それ以来生徒や教師のあくびや寝不足の状態は続き、ひどいものでは授業中に寝るものまで現れた。それも不思議なことに教師は寝ている生徒を注意もしない。何かがおかしい。そう感じ始めたころ、輝の周りで明らかな変化が起き始めた。

 最初は些細な喧嘩だった。男子の、女の子の取り合いや、女子の、女子グループ内でのいざこざ程度だった。それが、日が経つうちにエスカレートしてきたのだ。喧嘩は周囲に広がっていき、女子グループ内でのいざこざは仲間外れや無視といった行動に変わっていった。それがいじめや暴力事件に変わっていくのに時間はかからなかった。しかし、教師も親も誰一人としてそれを止めようとする者はいなかった。

 何かがおかしい。

 どこかで何かが狂っている。

 輝はそう思って、何か原因があるのではと調べようと思った。周りは明らかにおかしくなっている。輝と一緒によく遊んでいた友人たちの顔からも笑顔が失せ、中には学校を休む者まで出てきたからだ。輝はその友人がそう簡単には学校を休まないことを知っていた。彼は、皆勤賞を狙っていたからだ。それに、一番おかしいのは自分だった。

 周りがみんな、同じようにおかしくなっているのに、自分だけなぜか正常だったのだ。それも、輝の感じた違和感の一つだった。

 そんな違和感を抱えながら、授業の後の掃除を終えて、部活に行こうと思ったその日、輝はある女子に会った。

 帰りの準備をしているところ、その女子が輝の前に立ちはだかったのだ。

 それは、隣のクラスにいる有名人だった。この学校ではマドンナと言われているほどの美少女で、名を森高町子といった。たしか、中国人とイギリス人の祖母・祖父を持ち、そのハーフの母親から生まれたクオーターだったはずだ。美少女なのは、その母親が美人だったからだ。そんな美少女が、輝に何の用があってこんなところに来たのか、彼には想像ができなかった。その森高町子は、他の女子にはない、その短く薄い赤髪のなかに右手を埋め、肘をドアについて輝の前に立ちはだかっていた。

「高橋輝君だよね」

 彼女は、そう言いながらため息をついた。

 そうだけど、と返すと、森高町子は、輝の手をグイっと引っ張って自分のほうに寄せた。学園のマドンナが突然そんなことをしたのだから、輝は戸惑ってよろけてしまった。

「鈍くさいなあ。おじさんも、なんでこんな奴連れて来いって言ったんだろ」

 そう言って、彼女は輝を笑った。

「こんな奴?」

 森高町子のセリフに、輝は一瞬怒りを覚えた。鈍くさいとは、自分の何を知っていっているのだろう。いきなりこちらがびっくりするようなことをしてきたのは森高町子なのに。

 輝が不機嫌そうに態勢を戻すと、森高町子は、輝の顔を覗き込んだ。

可愛い。

 確かに美少女と言われ、学園のマドンナの地位にいるだけのことはある。

 しかし、今はそれに屈している時ではない。森高町子は自分を馬鹿にしている。それが癪に障った。だから、彼女が差し伸べてきた手を輝は振り払った。

「こんな奴で悪かったな。あんたのおじさんがなんだかしらないけど、用がないなら帰れよ」

 そう返した。すると、学園のマドンナは、びっくりしたような顔をして、再び輝の顔を覗き込んだ。

 そして、へえ、と一言言って輝を値踏みするように、彼の周りを一周、回った。

「私にのぞき込まれて、憎まれ口叩くなんて、たいしたもんじゃない」

 そう言って、マドンナは輝の正面に戻って三度目の手を差し出した。そして、その手を握ろうとしない頑なな輝に、彼女はこう言った。

「違和感、あるんでしょ。みんなにも、自分にも。周りはみんなおかしくなっていくのに、自分だけ正常なのはどうしてだろうって」

 輝は、びくりとした。この少女は何を言っているのだろう。確かに輝は彼女の言う通り、この状態に違和感を持っていたし、おかしいと思っていた。だが、もっとおかしいのは目の前にいるその女だ。どうしてその、輝の違和感のことを知っているのだろうか。

「おかしい、そう思ったでしょ。私がおかしいって」

 輝は、何も言えなかった。言おうとして言葉を飲み込んだ。

 そうだ。あんたはおかしい。なんで、何もかもを知っているんだ?

 そして、どうしてあんたも正常なんだ? と。

 そう言おうとして言葉を飲み込んだ。すると、目の前にいる学園のマドンナは、今度は優し気に輝に笑いかけて、四度目の手を差し出してきた。

「すべての説明が欲しかったら、私と一緒に来ることね、高橋輝。来る? 来ない?」

 彼女の問いに、輝は答えた。

 知りたかったことばかりだというのもあった。だが、突然見せた学園のマドンナの笑顔は少し寂し気で、なんとなく今の自分と重なるものがあったからだ。

 だから、輝はこう答えた。

「分かった。あんたと一緒に行かせてもらう。どこに行くかは知らないけれど、ちゃんと説明はしてくれよな」

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