第三十八話 覚醒する前世の記憶

「浜路姫様、大丈夫かなぁ…?」

不意に、親兵衛が呟く。

突然気を失った私を心配し、隣の部屋に犬士達が集まってきていた。

「薬師の話だと病の類ではないので、大事には至らぬようだが…」

「…“前の世の記憶”…ですか…」

低い声で呟く道節と大角は、私が眠る部屋の襖を見つめていた。

「じゃが、大角。前の世の事なぞ、普通は思い出すものだろうか?」

「そうですね…。その者によって異なるので、一概にそうとも申せませぬが…」

「狭子殿の場合、過去を知る者がいるが故に、思い出しやすいのかもしれないですね…」

「…蟇田権頭素藤ひきたごんのかみもとふじじゃな」

小文吾や大角。そして、荘助が話す中、現八が拳を握りながら呟く。

寝込んでいる私を心配する一方、深刻な表情を浮かべる犬士達。そんな彼らの視線は、自然と襖の方に向いていた。

「兎に角…姫が目を覚ましたら、我らは何事もなかったように振る舞おう。その方が、本人も気に病む事はなかろうて」

「うん!!それに、姫様には信乃が側についているし…大丈夫だよ、きっと…!」

深刻な表情を浮かべる皆に対し、冷静な口調と明るい口調で宥める毛野と親兵衛。

一方、信乃は眠りについている私の側で座り込んでいた。私の顔を心配そうな表情で見つめながら―――――――――――



 その頃、気を失っていた私は、夢の中で過去の自分を振り返っていた。

「まことに、退屈な日が多いなぁ…!」

前世の私―――――――――琥狛は、自分が住む邸の中で独り言を呟いていた。

平安時代の貴族だった私は、さるべき人に嫁ぐ事が決まっており、その準備が始まっていた。しかし、好奇心旺盛な私は、それをあまり良いと考えていなかった。

 うつしの世が夢に出てくるような世であれば、いと面白き事が多いであろうに…

琥狛は、そんな事を考えていた。今思えば、これはすごい事なのだと感じる。というのも、琥狛が持つ千里眼の能力は、今の私とは逆。私が「過去・現在を透視られる能力ちから」であるのならば、彼女の場合は「未来を透視られる能力ちから」と云うところかもしれない。この時の私は、はるか先の世――――――――すなわち、“三木狭子”として生きている現在いまの自分を夢で見ていたのである。

そして、平凡な毎日は、一つの事件によって一変する。

「いたぞ!!あそこだ――――!!!」

「おのれ…あやかしめぇ…!!!」

満月の夜、私が住んでいる邸付近で、武装した人たちの叫び声が聞こえる。

彼らが見上げる視線の先には、まだその名前を名乗っていなかった蒼血鬼・蟇田権頭素藤ひきたごんのかみもとふじがいた。屋根の上に立つ彼の肩には、担ぎ上げられた私がいる。これは、彼が私を“餌”として連れ去ろうとする場面だったのである。

「待て!!!」

私が彼に捕まっているために矢が射られない彼らは、苦渋の想いで彼を取り逃がしてしまう。

そんな彼らを見下ろす素藤は、鼻で笑ってから悠々と屋根を飛び越えて都を後にする。


「いっ…!」

とある山奥まで連れて行かれた私は、洞窟のような場所で地面に放り出される。

気が付くと、自分の頭上に白髪の鬼がいる。私の上に乗るような形の体勢になった素藤は、金色の瞳をぎらつかせながら口を開く。

「何故かわからぬが、今宵は血が騒ぐ…。だが、血を食らえばそれもおさまるであろうな…」

不気味な笑みを浮かべながら、私を見下ろす蒼血鬼。

 ここで黄泉の国へ旅立つのも、良いのかもしれない。しかし…

私は何も口にせず、黙って彼を見上げる。その瞳には、恐怖や絶望ではなく、真っ直ぐな瞳をしていた。また、今にも食い殺されそうな私が動揺しないのには、理由がある。それは、自分がこの白髪の鬼に連れ去られる事を、既に千里眼の能力ちからで見たために知っていたからである。

そして、表情を変えず、ましてや悲鳴すらあげない私を見た彼は、またもや口を開く。

「くく…。恐怖の余り、声も出ないか…。お前のような小娘にとって俺は、希少な猛獣なるものにしか見えんだろうしな…!」

そう語る素藤は、悪人面のような笑みを浮かべていたが―――――――私はそこに、僅かに悲しみが宿っている事を悟る。

その後、私はゆっくりと右腕を持ち上げて彼の頬に触れる。手から感じる感触は、ひどく冷たい。琥狛はこの時、人としての“温もり”がこの男性ひとにはないのだと理解する。

私の思いがけない行動を、素藤は不審に感じる。

「娘よ…。俺の事が、怖くはない…のか?」

そう呟く彼の表情は、まるで初めて見る生き物を目の当たりにしているようであった。

「怖くなんて…ないよ?」

「っ!!?」

そう口にした私の黒い瞳は、その台詞によって動揺する素藤の表情を確実に捉えていた。

この時、私と彼は本当の意味で“運命的な出逢い”を果たしたのである。人と鬼の共存など絶対にありえなかった、この平安の世で――――――――――――


「お前は、変わった娘だな…。鬼として恐れられている俺を、真っ直ぐなで見つめる…」

素藤が述べたこの台詞は、以前にも夢で見たことのある場面だ。

こうした出会いによって、彼は私を“餌”という目で見なくなったのである。そして、意外な共通点から、私達は互いに心を開き始めるのである。

「千里眼…。あの“他の者が見えぬものも見える”と謂われる力…か?」

「そう!生まれつきこの能力ちからを持っていたが故に、私に対する周りの者の態度は、今にも壊れそうな危なき物に接するようであった。そして…」

「そして…?」

「それ故に、親しき者は全くおらぬ。…16を迎えたこの時まで、ずっと…な」

私は寂しげな表情をしながら、自分の境遇を彼に語る。

素藤は、それを黙って聴いていた。

「…希少な者の扱いは、人も鬼も変わらぬ…か」

「え…?」

「お前が人の子の中でいと珍しき存在ならば、それは俺も同じ…。俺の身体には、この国に存在する鬼と…はるか昔、西の大陸から移り住んだという鬼の血が流れておる。…故に、他の鬼どもから数多の迫害を受けてきたのだ」

私に自分の境遇を語る彼の表情も、どこか寂しげに感じられる。

 私と彼は…異なる生き物でも、似たような存在なのかもな…

琥狛はこの時、そんな彼を愛しく感じた。しかし、恋という経験をした事のない彼女にとって、このような想いは不思議な心地がしていたのである。

 その後、素藤は私を自由にしてくれたが、私は邸には帰らなかった。邸にいては、抗う事のできない運命が待っている。そして、二度とこのような“外”に出られなくなってしまうかもしれない。それがたまらなかった私は、その後も素藤と行動を共にした。西の大陸の鬼…今で言う吸血鬼の血を半分受け継ぐ彼は、血は欲するが太陽の光などは平気らしく、明るい陽射しの中でも語り合う事ができた。

 それに、このまま邸に戻らなければ…。“神隠し”、もしくは“鬼に殺された”と勘違いして、誰も探さないで終わるかもしれぬし…

琥狛わたしは、そんな事をふと考えていた。

多くの事を語り合った私達。素藤が特に興味を示していたのが、私が千里眼の能力で見た“はるか先の世”の話。平成の世で生きてきた私・“三木狭子”にとって当たり前の日常も、語る琥狛や話を聞く素藤にとっては、とても新鮮なものであった。それは、今生きる現状がより複雑だったからであろう。そして――――――――

「本当に…悔いはないのだな?」

「うん。そなたと一緒ならば…私に恐れる事は何もない…」

「琥狛…」

そしてとある晩、琥狛の意思を確認した素藤は、琥狛わたしを抱いた。

お互いの想いが交わる瞬間…しかし、それをリアルに思い出す私は少し気恥ずかしかった。

 琥狛も素藤こいつも…なんか、この時代の人はすごいなぁ…

私は、そんな事をつい考えていた。しかし、そんな事を考える間もなく、私は素藤に抱かれる琥狛と意識がシンクロしていた。

肌を重ね合う男女の間に響く、声や吐息。蒼血鬼であるがゆえに冷たい身体を持つ素藤も、琥狛わたしの体温で温まっていく。

「琥狛…」

優しげな声で囁く彼に、琥狛の心臓は強く脈打っていた。

「あ…」

彼に触れられた部位がとても熱く、私はその熱の中で溶けてしまいそうな心地を感じる。

そして、二世の契りを交わした私達の一夜が終わりを告げる。この時、琥狛と素藤は人生で最も幸せな時を過ごしていたのかもしれない。しかし、その幸せは長くは続かなかったのである。


「お待ちくだされ…父上っ!!!」

私は物凄い音で閉まった襖に向かって、大声を張り上げる。

素藤と二世の契りを交わした私はその後、自分を捜索していた両親やその家臣達によって邸に連れ戻される。すっかり素藤に心を奪われた私は当然、嫁に行く事を拒否する。しかし、それが娘を攫った鬼に惑わされたためと思い込んだ父は、「鬼を退治する」と強く言い放って部屋を出て行ってしまったのである。

父が頑固な人柄であるのはよくわかっていたからか、口で止める事はできなかった。

「あっ…!!?」

この時、琥狛が持つ千里眼の能力ちからが発動する。

その瞳に映し出されたのは、多くの兵に取り囲まれた白髪の鬼―――――素藤の姿。その瞳には、恐怖と共に怒りがにじみ出ていた。

「嫌…こんなのって…!!!」

自分のせいで、愛する人が殺されるかもしれないという不安が生まれる。

 やっと…やっと、私を理解してくれる男性ひとに巡り合えたのに…!!!

心の中で嘆く琥狛。頭を抱えて悩んでから数分後、何かを思いついたのか、その場ですぐに立ち上がる。

「こんな終わり方…私は認めない…!!!」

意を決した私は、十二単から動きやすい格好に着替え、屋敷を飛び出す。

 この後の展開って、もしや…!?

強い決意を秘めた状態で邸を抜け出す自分を思い出した狭子は、この後に待ち受ける展開について嫌な予感がしてくるのである。


 その頃、月明かりに照らされる中…素藤は大軍を率いて現れた父から逃げるように戦っていた。

「ふん!屑共が…!!!!」

彼は自分が持つ鋭い爪と腕力で、襲い掛かる兵を蹴散らしている。

しかし、彼はだれ一人として殺してはいなかった。それは琥狛から「争いは何も生まない」と教えられた事が影響しているのかもしれない。

「琥狛…。お前が申すように、人は良き者がいるのだって俺はわかっている。だが…」

そう呟く彼は、殺気を立てて自分に襲い掛かる兵を憐みの瞳で見つめる。

離れた場所では、鎧を身にまとい高みの見物を決め込んでいる琥狛の父親がいた。

「我ら鬼とて殺生はするが…これでは、人とて鬼と変わらぬではないか…!!」

兵を次々になぎ倒しながら、己の想いを声にする素藤。

いくら彼が身体能力の高い鬼でも、数百人いると思われる大軍相手では、体力をどんどん削がれていってしまう。しかし、今ここで死ぬつもりのない彼は、必死に抵抗を続けていたのである。

「はっ…はっ…!」

素藤が根城としていた山の中を走る琥狛。

 どこ…!!どこにいるの…!!?

私は火のついた松明を片手に、白髪の鬼を必死で探す。

そして、幾何かの時間を走り続けた後、琥狛は愛する男を発見する。

「琥狛…!!?」

少し息切れをしながら座り込む素藤。

琥狛は、そんな彼の側に駆け寄るのである。

「この怪我…!!!そなたら鬼は、自らを癒す力を持っているはずでは…!!?」

汗だくの彼に大きな怪我はなかったが、一か所だけ右腕に矢で突き刺さったような傷が見られた。

「どうやら、連中は…神狐しんこの血を塗った矢を所持しているようだな…!」

「神狐…?」

「善の行いを続けて、仏の僕となった狐の事だ…。そやつらの血は…俺のような蒼血鬼の最大の弱みでもある」

「では…その神狐とやらの血が塗られた矢がそなたの心の蔵を貫いたら…」

「…確実に黄泉の国行き…だ」

「!!!」

その台詞を聞いた私の表情は、次第に青ざめていく。

「死…」

そう呟く私は、頭の中が完全に真っ白になっていた。

それは、彼がこのような目に遭っているのは、元をたどれば自分のせいである事を理解したというのもある。

しかし、ゆっくりと考えている暇はなかった。

 何…?魂がぐらつく…?

嫌な予感がしていた琥狛はこの時、静まり返った山林に、一つの影がある事に気が付く。

「駄目…!!!」

直感で何かを感じ取った私は、突然彼の目の前に立ち上がる。

この直後、私の心臓辺りに強い衝撃が走る。

「っ…!!」

そんな私の胸には――――――――1本の矢が突き刺さっていた。

矢の衝撃で、地面に倒れる琥狛。

彼女を射た人物は、間違えて射てしまったためか、その場から逃げ出してしまう。

「こは…く…?」

地面に倒れた私を見下ろす素藤。

しかし、すぐに我に返った彼は、華奢な琥狛の身体を抱き起こす。

「琥狛…!!おい…しっかりしろ…!!!」

琥狛を抱き起こした素藤は、身体をさすりながら私の名前を呼ぶ。

矢は、彼女の心臓に深々と突き刺さっている。しかも、医術を心得ていない素藤には彼女を治す術はなかった。自分の肉体は回復できても、愛する女性の傷を治す事ができない。…また、突き刺さっている矢の種類から、これが彼の同胞が射た矢である事を悟る素藤。

「…大事ない…か?」

「琥狛…!!俺よりも…己の事を案じろ…!!」

そう言い放つ素藤の表情は、悲痛な想いが込められていた。

また、素藤は私の右手を強く握りしめていた。

「私…ふと考えたのだ…」

「…?」

震える声で、白髪の鬼に何かを述べようとする琥狛。

それを涙目になりながら、彼は聴いていた。

「もし、私とそなたが結ばれない運命さだめだと言うのならば…。来世でまた…出逢いたいな…って…」

「“来世で”…か。お前はいつも、面白き発想をする娘だな…」

そう呟く素藤の表情は、普段の皮肉を込めた笑みをしていた。

しかし、彼はもう琥狛が助からない事を悟っていたのである。

「もし…来世で巡り合う事…か…叶うのなら…ば…、私は今度…こそ、そなたと一緒に…生きていき…た…い…」

最後の力を振り絞った私は、その言葉を述べた後…穏やかな笑みを浮かべながら、瞳を閉じる。

「琥狛…?」

瞳を閉じた彼女を目の当たりにした素藤は、頭の中が真っ白になる。

実際、この時は気を失っただけだったが…彼は、私が死んだのだと思い込んでしまう。

「くそ…!!やっと見つけたぞ…この鬼が…!!!」

気が付くと、彼らの周りに大勢の兵士と琥狛の父親が立っていた。

「…ふん。貴様のせいで、出世のための道具が黄泉の国へ旅立ってしまったが…。貴様を退治すれば、上はわたしに褒美と出世を約束してくれるであろうな…!!」

そう言い放ちながら、白髪の鬼と実の娘を見下ろす琥狛の父。

その台詞は、とても娘を失って悲しんでいるような口調ではなかった。

「…貴様ら…」

「…?」

この時、素藤はボソッと何かを呟く。

しかし、あまりに小さな声だったため、彼らは聞き取る事ができなかった。

「!!!」

その直後、強烈な殺気によって怖気づく兵達。

それもそのはず――――――――彼らを睨む素藤の持つ金色の瞳が、怒りと絶望が頂点に達していたからである。

「ぐっ!!?」

そして、瞬く間に、彼は己の爪で琥狛の父親の心臓を貫く。

「殿…!!?おのれ…かかれ――――!!!!」

琥狛の父が地面に崩れ落ちると、それを皮切りに、残った兵達が彼に襲い掛かる。

しかし、怒りで我を忘れた白髪の鬼は、次々に兵士達を惨殺していく。彼は愛する女性ひとを失った事で、今まで溜めていた人間への不信感や恐怖…そして、怒りが爆発したのである。

「…ぁ…ぅ…」

この時、僅かではあるが、琥狛は意識が残っていた。

彼女は動けない身体で、必死に素藤に向かって手を伸ばそうとするが、何かを口にしようとする琥狛の想いは、彼には届かない。

 だ…め…

心の中でそう呟く琥狛。彼女の瞳には、まるで嘆いているかのような表情かおで人々を殺める鬼が映っていた。そして、一筋の涙を流した後…今度こそ息を引き取るのであった―――――



 これが、前世の私―――――――琥狛の最期だったのだな…

そんな想いを抱きながら、私は目を覚ます。

「素…藤…?」

重たくなった瞼を少し開くと、頭上には素藤がいた。

しかしその姿は…夢で見た、髪を下し、平安時代で見られる水干を身に着けている彼ではない。また、目覚めたばかりで意識が朦朧としていた私は、自分がお姫様抱っこで抱きかかえられている事に気が付かなかった。

「どうやら…全てを思い出したようだな?琥狛…」

「ん…」

私は頷こうとするが、そんな体力がなかった。

夢から目を覚ました私は、ひどく疲れていたためか、身体が石のように重い。そのため、他人から見れば攫われてしまうような状況である事も把握していないのである。

「兎に角今は…何も考えずに、眠るがよい…」

私を見下ろしながら囁く素藤は、そう口にした後、私の唇に優しく口づけをする。

「…」

全く抵抗する意思のなかった私は、彼が口移しで何かを飲ませていたのにも全く動じなかった。

そして、暗闇の中でも輝く素藤の金色の瞳を見つめながら、私は深い眠りに堕ちていく―――――――

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