第十話 庚申塚での刑場破り

「荘助の居所が知れたぞ」

金剛寺に戻った私たちは、偵察に行っていた信乃や小文吾が得た情報を聞いていた。

「して、犬川とやらは何処に…?」

「さる7月2日。庚申塚で、磔の刑に処されるらしい」

「すると…狭の申す通りと相成ったわけか…」

荘助の事について、犬士達は話す。

その途中、信乃が私の方を向いてくる。

「狭…?」

「え…?あ、ごめん」

信乃の声で我に返った私は、彼らの話に耳を傾ける。

「えっと…何の話だったっけ?」

「それ見ろ!やはり、聞いていないではないか!」

私の台詞に、現八が不機嫌そうな表情かおで言い放つ。

「狭。お主が申していた通り、塚のある場所で起こるようじゃ…」

「そっか…」

私は小文吾が再び話してくれた内容を聞いて、何となく頷いた。

その場に緒にいるはずなのに、心ここにあらずのような私を見て、彼らは少し困惑した表情かおをしている。

『“染谷純一”とやらを…俺は知っている』

今から数十分程前、私の目の前に突如現れた白髪の男―――――――――――蟇田素藤ひきたもとふじが去り際に残した台詞ことば

 あの男性ひと…なんで、染谷の事を知っていたんだろう…?それに、私が未来から来た事も知っている雰囲気だったし…

それが頭の中から離れず、自分の右腕を掴みながら考え事をしていた。

「っ…!!!」

先程の出来事を思い出そうとすると、鳥肌が立つ。

私の側で困惑した小文吾がいる中、私の身体はいくらか震えていた。

「とりあえず、その日に向けて今は備えるとして…」

話に区切りをつけた現八の視線が、こちらを向く。

「おい」

「現八…?」

現八の鋭い視線が、私に向けられる。

その険しい表情に対し、私は身体を震わせる。

「狭。…お主、あいつらに狙われる所以でもあるのか…?」

「…っ…!!」

いきなり核心を突かれた私の心臓は、強く脈打つ。

いろいろと口にしたい事はある…。でも、彼らにこれを伝えて理解してもらうのは難しいかも…

そんな事を考えながら、私は口を開く。

「私にもよくわからない…。何故、私が“先の世”から来た事を知っていたのか…。なぜ、連れ去ろうとしたのかも…」

「…そうか」

視線を下に向け、不安げな表情をする私を見た現八は、それ以上は訊いてこなかった。

「俺にもよくわからんが…もしかしたら、嫁にしたいとかではないか?」

「何を戯けた事を…」

「だが、男が女を攫う理由なんざ、そんなものだろう?」

平然とした表情で語る小文吾の側で、呆れた表情かおをした現八がいる。

そんな軽口をたたいている2人を見ると、不思議と笑みがこぼれてくる。

「…やっと、笑うてくれたな」

「え…?」

信乃の言葉を聞いた途端、私は瞬きを何度かしていた。

信乃は現八や小文吾を見ながら、再び口を開く。

「あのような口を聞いてはいるが…2人とも、お主の事を気にかけておるからな」

「…いや。俺は別に…」

「何、照れておる!!…それよりも、狭!!あんな野郎の言う事なんざ、気にするな!!」

頬を少し赤らめながらそっぽを向く現八と、無邪気な笑顔で言ってくれる小文吾。

「小文吾の申す通りじゃ。奴らの言動の全てが、誠の事とは言えん。…それに、笑っている顔の方が、お主らしい」

「信乃…」

そう言いながら、信乃は私の頭を優しく撫でてくれた。

 なんか…こんな時に、そういう言葉を言われると―――――

胸の内にたまっていた何かが、あふれ出したような感覚に陥る。

「ありがとう…」

そう告げる私の瞳は、今にも涙が溢れそうになるくらいに潤んでいた。。



「今は荘助を助ける事に集中する」―――――――――この時から、一旦あの出来事を考えず、その事に集中しようと心に決めた。そう心に決めると、私の頭の中に眠る八犬伝のストーリーが、また少しずつ思い出されていく。ただし、一つだけ気がかりな事もある。荘助かれを救助した後、どのようにしてこの場を逃れるのか…そこだけが思い出せずにいた。


 そして、きたる7月2日―――――――――――――酷い拷問を受けた犬川荘助は、庚申塚で処刑を迎えようとしていた。信乃・現八・小文吾の3人がその場所へ向かい、刑場やぶりをする事となる。私は、彼らが荘助を助けた後にすぐ逃げられるよう、河原で舟の支度をしていた。

「さて…!これで準備が整いましたな…」

「やす平さん。本当にかたじけないです」

「いやいや…」

この時、私は信乃の知人だというやす平こと姨雪世四郎おばゆきよしろうと共にいた。

やす平という人物は、年齢としで言うと、50近くだろうか。少し痩せ細った体型をしていたが、顔だちは“舟長”というかんじが雰囲気から見られる。

 そういえば、この男性ひと…確か、犬山道節の縁者なのよね…

本人はちゃんとした舟長であっても…狭は彼が何者なのか理解していた。

「…しかし、狭殿。額蔵がくぞうを助けた後…何処へ向かわれるおつもりじゃ?」

「え…?」

やす平から思いもよらぬ事を尋ねられ、私は固まる。

 そういえば…“荘助を助ける”と言っても、具体的な作戦とか全くないような…?

私はこの時、彼らが武芸の腕は良くても、作戦を立てるのはあまり上手でない事を思い知らされる。

 本当に…どうやって逃げるんだろう…?

そう思いながら、首を傾げたその瞬間とき―――――――

「あ…!!?」

表情を曇らせた私の瞳には、全身が傷だらけで十字架のような形をした木の柱に磔にされた青年の姿が映る。

「荘…介…!!?」

「…額蔵ですと…!!?」

自分の瞳に映し出される光景に、私は声を張り上げる。

その側で、目を見開いて驚くやす平の姿があった。


「やれ…!!」

「はっ!」

見物人が多くいる中、役人が兵士に彼を串刺しにするよう命を下す。

 なぜ、こんな物が見えるのかわからないけど…おそらく、これは今現在起こっている事のはず…。信乃…間に合って…!!!

そう心から願う私の想いとは裏腹に、兵士達は荘助の胸を槍で貫こうと構え始めた。そして…

「うっ…!!」

「ぐあっ!!?」

何かが飛んできたかと思うと、2人の兵士の腕に、2本の小柄(=刀等に仕込む手裏剣のような物)が突き刺さっていた。

「あ…!」

そして、人ごみの中から3人の若武者達が、磔にされた荘助の前へ立つ。

「先ほど、そこで罪状を聞いておったが…。主人の仇を討った者に、何の罪があるという…!?」

「何!!?貴様ら、何奴じゃ!!?」

真剣な表情で言い放つ信乃。

ほんの一瞬の出来事で驚いていた役人は、あたふたしながら叫んでいた。

「某は、額蔵こと犬川荘助の義兄弟・犬塚信乃戍孝いぬづかしのもりたか!!」

彼は、兵士達に睨まれながらも、堂々とその名を名乗った。

「某は…犬飼現八信道いぬかいげんぱちのぶみち

「某は、犬田小文吾悌順いぬたこぶんごやすより…!!!」

信乃に続いて、刀や拳を構えながら…現八と小文吾が名乗りを口にする。

「何をしておる…!?討ち取れ、討ち取れぇっ!!!!」

役人の合図と共に、兵士達がぞくぞくと彼らのいる塚の上に上ってくる。

それを見た三犬士はそれぞれ刀を構え、敵に立ち向かっていく。そんな彼らの姿を見ながら、私が瞬きを一度すると――――――もとの、私がいる河原が目に入ってくる。

「狭殿…。何が見えたのですか?」

不思議そうに…また、割と冷静な口調でやす平が狭子の名前を呼ぶ。

「…最近、今起こっている事や、既に起きた出来事とか…。なぜか突然、見えたりするんです。何故だろう…?」

その後、2人の間に沈黙が走る。

しかし、その沈黙もやす平がすぐにやぶる事となった。

「…貴方のおっしゃる通り、今頃庚申塚で兵士達と戦っておるという事は…。まもなく、あやつらと相見あいまみえるでしょう…」

「あやつら…?」

「…わたしのせがれである、力二と尺八です」

「…貴方の息子さん!?」

やす平の思いがけない台詞に、驚く狭子。

 どこかで聞いたことのあるような名前…

その、いかにも兄弟のような名前を持つ彼らに、私は首を傾げていた。

「そして、狭殿。…わたしはあまり、その手については詳しくないが…。荒芽山あらめやまに住むあやつなら、詳しいかもしれん」

「その手…って、私がさっき言っていた現象の事…?」

私がきょとんとしていると…少し離れた場所から、誰かが走ってくる音が聞こえてくる。

「あ…!!!」

「狭!やす平!!!すぐに舟を出すぞ…!!!」

その足音と共に現れたのは、信乃と現八。そして、傷だらけの荘助を担いだ小文吾だった。

小文吾が、舟を揺らさないように荘助を乗せる。そして、四犬士が舟に乗った後、私は違和感に気が付く。

「やす平さん!!?」

私が感じた違和感―――――――それは、舟長であるやす平だけが舟に乗らず、未だ岸にいた事であった。

彼は林の奥の方を見つめる。ザワザワとした人の声と共に、こちらへ向かってくる人影の足音に耳を傾ける。

「やす平…何を…!!?」

思いがけない行動に出た彼を見て、信乃が驚く。

やす平は、岸につないでいた舟の縄をほどき、私達をそのまま川の流れに準じさせようとしていたのだ。

「ここはわたしと…わたしのせがれ2人が食い止めまする…!!貴方がたは、上野国・荒芽山あらめやまに住まう音音おとねを訪ねなされ…!!」

音音おとね…?」

「…わたしとえにしのある老女です。必ずや、貴方がたのお力になるでしょう…!そして…」

そう語るやす平の表情は、何か大きな決意をしたような真剣な表情かおだった。

その後、彼は私の方を向いて言う。

「狭殿。先ほどの話ですが…。その者なら、詳しい事を存じているかと」

「その…音音おとねっていう名の女性ひとが…?」

「…左様。おそらく、貴女の持つ力。それすなわち、千里眼の一種かと…。その力を持ちて、犬士達を導いて差し上げてほしい…!!」

私に最後まで言い終わると――――岸辺につながれていた縄が切れ、私たちを乗せた舟がどんどん岸から離れていく。

「やす平さん…!!!」

私が思いっきり叫んで間もなく…彼は刀を持って、迫りくる追手の方へと走り去ってしまう。

「さて、力二と尺八よ!!亡き主・犬山道策様の無念を晴らすためにも…存分に暴れようぞ!!!」

やす平が、多くの敵を目の前にして、戦いに身を投じていく。



「やす平…。そして、そなたの息子達…!…誠に、かたじけない…!!」

岸辺が見えなくなっても、信乃は拝むような表情でそう呟いていた。

 後から聞いた話だと――――――刑場破りで荘助を救助したものの、予想以上に多い敵に苦戦していた所…やす平の息子・力二と尺八に助けられたらしい。また、自分たちが実は、関東管領・扇谷定正に滅ぼされた家の者達であり、復讐を果たすという大義を持っていた事も聞かされたようだ。

「千里眼…か…」

私は泣きそうな気持ちを振り払うべく、やす平が最後に言っていた台詞ことばを思い出していた。

 とにかく…その音音おとねっていう女性に会えば、いろいろと状況が見えてくる…はず…!!

私は、瞳が潤む中、舟の前の方を向いて座る。「何かを犠牲にするには、それと同等の犠牲が必要になる」―――――――――そんな事を胸に秘めながら、私たちを乗せた舟が進んでいくのである。

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