第二話 人生を懸けた一大トリック
プロローグ
目の前に、遠藤元昭が倒れていた。口から吐かれた血が、Tシャツとチノパン、絨毯にシミを作っており、顔は驚愕と苦痛に歪んでいる。手首の脈を測ったところ、完全に止まっていた。
事前に、野良犬を使い、毒を飲ませるとどういう反応をするか、を実験していた。また、彼は魔王軍幹部、いつか殺さなければならない相手だった。しかしそれでも、一人の人間が死ぬところを目の当たりにしたのは、辛かった。「その人物」は、溜め息を吐いた。
いや、感傷に浸っている場合ではない。「その人物」は、椅子から立ち上がった。早く、元昭の死を自殺に見せかける工作をし、屋敷に戻らなければならない。
丸い机と椅子二つ、ベッドの四つしか、部屋に物はない。大きな窓からは、愛媛県の美しい夜景が見える。彼は徹底したミニマリストだったことを、「その人物」は思い出した。
「その人物」はまず、自分が飲んでいたビールの缶をリュックに入れた。元昭は独りでビールを飲んでいた、と思わせるためだ。そして、用意していた遺書──A4用紙に明朝体で印刷したもの──を、机の上に置いた。
それが終わると、「その人物」は部屋を出た。腕時計を見ると、遠藤家の玄関のインターホンを鳴らしてから、ちょうど十分が経過したところだった。
「今日集まってもらったのは、いつもみたいに、推理小説を読んでもらうためじゃないんだ」
午後四時一分、多目的室Aにて、連恵理はそう言った。机のそばにあるパイプ椅子のうち、真北に置かれたそれに、彼女は座っていた。
「どういうことだ? お前の書いた犯人当て小説を、俺たち三人が読んで、犯人を推理する。それが、フーダニット部の活動内容だっただろ?」机の北東に座る、浦有重楠はそう言った。
「いやいや、別に大したことじゃないよ。ええと、報告というか、何というか……ほら、覚えているかな。蟹藤元(かいどうもと)って人」
「カイドウモト? ええっと……」
「あ、私、覚えているわよ。たしか去年、私たちが高校一年生の頃に、『依頼人』としてあなたが連れてきた、大学生の人よね?」
「あっ、私も思い出しました!」机の南西に座る、明智浪穂が、そう叫んだ。「髪を、肩までのポニーテールにしていた人ですよね? 赤紫のノースリーブと、青紫のホットパンツを着ていて……変なデザインのシュシュで髪を纏めていて……」
「ああ」そこまで言われて、重楠もようやく思い出した。「そういや、いたな、そんな人。本当に、あのシュシュのデザインは衝撃的だった」
「私のピンクのリボンや、浪穂のレースのカチューシャのほうが、はるかにシンプルでセンスあるわよね」
「ボクの銀のヘアピンも、負けてはいないよ」
「……で、その蟹藤元さんが、どうしたんだ?」
「彼女、大学卒業後は就職して、ここ、愛媛から東京に引っ越していたんだ。で、この間彼女から、お菓子が送られてきて。『依頼』解決のお礼だって。それで、皆で食べようと」
恵理は鞄から段ボール箱を取り出し、机の上に置いた。ガムテープはすでに剥がされており、上面に伝票がついている。彼女は蓋を開けると、中から饅頭の箱を取り出して机上に置いた。
なんだ、そういうことですか。浪穂はそう言うと、さっそく菓子箱の蓋を開け、個包装を取り出して破り、中身を食べ始めた。
「でも、おかしいわね」衣瑠も個包装を手に取りながら、言う。「蟹藤元さんからの、『依頼』解決のお礼は、すでに貰ったはずだけど」
「それは俺も覚えている」重楠は鞄からウェットティッシュを出すと机上に置いた。「あの時は、最中だったはずだ」
「そのとおり」恵理が、びし、と右手の人差し指を彼に突き付けた。「今日、皆には、『どうして蟹藤元さんが、再びお礼を送ってきたのか?』について、推理してほしいんだ。ただ食べるだけじゃ、つまんないでしょ? ちょっとしたクイズだと思ってよ。ちゃんと答えは用意してあるよ、理由を書いた手紙が同封してあったから」
「なぜ、送ってきたか、ねえ。……そもそも、どんな依頼だったかな」
重楠はそう呟くと、蟹藤元が部室に来た日のことを、回想し始めた。
「それで、『依頼』っていうのは、いったいどんな内容なんだ? といっても」重楠は他の三人の顔を見回してから言った。「うちは、犯人当て小説を解くことしか能のねえ部活だけど」
それや、と蟹藤元昭子(あきこ)は言った。「まさにその、犯人当て小説を解くこと、をやって欲しいんや」
「どういうことよ?」
「蟹藤元さんには、彼氏がいたんだ。エンドウモトアキ、っていう男の人が。二人とも身寄りがなく、愛媛の同じ児童養護施設の出身。愛媛育ちの愛媛在住、今は大学のミステリ研究会に所属している。幼稚園の頃から付き合っていて、周りからは『ガッセンコンビ』なんて呼ばれたりして」
「羨ましいですねえ」と浪穂。
「でもこの間、モト君は、死にました。交通事故で」
浪穂は気まずそうな顔をした。
「で、エンドウさんのパソコンから、書きかけの犯人当て小説が見つかったんだ。彼は犯人当て小説を書いては、ミス研に発表する、ということをやっていたんだよ。『実在する氏名の人間しか小説に登場させない』というのが彼のポリシーでね……でも、ちょうど問題編が終わったところで途切れていて、解決編がなくて」
「ミス研のみんなにも見せたんやけど、誰も犯人がわからんくてな。そんで、オープンキャンパスで知り合って以後、ちょくちょく遊びに来とった連に相談したら、自分の所属する部活動が、犯人当て小説を専門にしとるとのことやったから、解いてもらおう思ったんや」
なるほど、そういうことか。そう重楠は呟いた。
「これが、問題の原稿だよ」
恵理はそう言って、A4用紙の束を三人に渡した。表紙には、「題:百万弗を背景に」と書かれている。
重楠はそれを捲り、一ページ目を読んでみた。「その人物」なる人物が、作者の分身らしいやつを殺害した後、自殺に見せかける工作をし、部屋を去る、というプロローグだった。
「それで、悪いんだけど」恵理は壁の時計を見た。「ボクと蟹藤元さんは今から、大学のミス研に顔出さないといけないんだ」
別にいいんじゃない、と衣瑠。「どっちにしろ、私たちが問題編を読んで、推理している間は、あなたたち、手持無沙汰だろうし」
「ごめんね。一時間くらいで、戻ってくるから」
「あの、最後に訊いていいですか。そのエンドウさんは、この小説に関して、何かヒントみたいなことは言ってなかったんですか?」
「一つだけ──言うとったわ」
恵理と昭子以外の三人は、彼女に視線を集中させた。
「『人生を懸けている』と言うとった。『人生を懸けた一大トリック』やと」
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