奏朤・ルーエ

バヨネット

月明かりが煌々と世界を照らす深夜のこと。

廃墟と化したビルが並ぶ荒廃した街でそれは起こっていた。

音も無く次々と頭を撃ち抜かれ倒れていく多数の傭兵。


――どこからか狙撃手に狙われている。


どうにかしなければいけなことはそこにいる誰にも分かりきっていた。

しかし、この状況を打開する方法が思い付かない、思い付けないのだ。

その狙撃は不気味さを感じるほどに無慈悲で躊躇無く、正確にこちらの頭を撃ち抜いてくる。

まるでこの空間の全てを見透かしているかのように。

やがてこの押し潰されそうな程の恐怖に当てられた傭兵達は、誰一人として動くことが出来なくなっていた。

そんな中一人の傭兵が運良く……この場合運悪く、と表現したほうが良いのだろうか。

狙撃手が潜んでいる大きな廃ビルの裏から、その様子を目の当たりにしていた。


「一体何が起こってるって言うんだ、少しでも顔を出した奴の頭にどんどん穴が開いていきやがる……」


弾丸が撃ち込まれる方向と倒れた兵士の位置、そして異常なほど正確な狙撃の中。

自分が生きているということから、今目の前に佇んでいるビルに狙撃手が潜んでいることは容易に想像できた。


「くそ、だからこんな仕事嫌だったんだ。お偉いさんの護衛なんて!」


金になる良い仕事がある、と仕事の仲介人に誘われたのは、つい先日のことだ。

ちょうど金に困っていた男はろくに説明も聞かず二つ返事でこの仕事を受諾してしまった。

するとどうだろうか、じっくりと目を通し、再度確認した仕事の内容は、麻薬密輸組織のリーダーの移動を護衛することだったのだ。

数日間にも及ぶ護衛、短期間で終わる仕事を好む男にとってはあまりに長いものであり、同時にそれは、長期間自分の命を危険に晒すことを意味していた。


「こんなことなら別の仕事を受けりゃ良かったな」


何よりも男は銃を撃ったことがあっても人を殺したことまでは無かった。

傭兵と言っても裏工作が主な活動で積荷の盗難、倉庫の爆破、と直接人に危害を加えるような仕事はしたことが無い。

仮にそのような状況になったとしても、他の人間に殺しは任せていた。


――あーあ、殺しはしてないのに、殺されちまうのかな。


そう悲観していると背後から唐突に物音がした。


「誰だ!」


ジャキッと、手に持った機関銃を手引書通りの動作で構える。


「おっと、護衛対象にそれはまずいんじゃないかねぇ?」


そこにいたのは麻薬密輸組織のリーダー、護衛対象そのものだ。


「っ!すまない!」


慌てて向けていた銃口を降ろす。正直なところ構えたままの勢いで引き金を引いてしまうところだった。


「まあいいさ、武器は俺も持ってる。何かしたところで死ぬのは背後を取られていたお前だ」


勘付かれている、彼の手にも自分が持っているものと同じ機関銃が握られていた。

違うのはところどころ彼の好みであろう装飾が施されていることだろうか。


「さて、突然だがお前に質問だ。今俺たちを狙っている狙撃は正確無比で少しの油断も許さない。見ての通り、このビルを中心に周囲の他の兵がバタバタと殺されていった。だが現在この場所は狙撃されている痕跡が無い。こうして俺とお前が生きているのが証拠だ。その場合、狙撃手はどこに潜んでいると思うのが適当かね?」

「それは、やっぱりこのビルってことじゃないのか?」

「ご名答」


にっ、と笑い彼は続ける。


「じゃあ再度質問だ、俺たちが生き延びるにはどうしたらいいと思う?もしこの場所から離れ、狙撃可能範囲に入ってしまえば即撃ち殺される。だからと言ってずっとここにいたとしてもそのうち殺されるかもしれないな?」


男は懸念していた不安をピタリと言い当てられた気分になった。

逃げたとしても、何もしなかったとしても、いつかは殺されてしまう。

先程もそれを悲観していたところを男に声をかけられた。


「それじゃあどうしろって言うんだ……?」

「殺される前に殺すんだよ、狙撃手を。これまでの狙撃を見たところ奴は屋上にいるだろう。それを追い詰めて、殺す」

「そんなこと言ったって、勝算はあるのか?」


ここまで完璧な仕事をする狙撃手だ、この廃ビルにだって罠くらいしかけられてる可能性がある。

もし罠も無く、狙撃手がいるであろう屋上に辿り着いたとしても、こちらが不利なのにはかわりない。

そして何よりも、男たちが向かっている間大人しく屋上で待っていてくれるとは限らない。


「それがな、あるんだよ。こんな話を知っているか?狙撃の腕は恐ろしいほどに高く。その射程に入ったが最後確実に殺される。だがそいつは一度決めた狙撃地点から動くことは無い。という狙撃手の話を」


そういえばこの仕事の話を持ちかけられた時、とても厄介な狙撃手に狙われる可能性がある、と。

仲介屋が話していたような気がする。まさか、今自分たちを狙っているのがその狙撃手だと言うのか。


「そう言ったって、その凄腕狙撃手相手にどうしろってんだ、その話のせいで余計に八方塞になっただけじゃないか」

「まあまあ、慌てなさんな。言っただろう?その狙撃手は一度決めた狙撃地点から動くことは無い、と。さらに嬉しいことにそこまでの道のりに罠だとかは仕掛けないそうだ。つまり、俺たちが屋上へ行くまでそいつは逃げることが無いだけじゃなく、安全にそいつの元まで辿り着ける。あとは扉を開けて、捕捉した瞬間一気に撃ち殺すだけだ」


この話を聞いた男は半信半疑だった。狙撃地点から動かない?そのうえ罠もしかけないだなんて。

正気だとは思えないし、もし自分であればそんなことは絶対にしない。

見つけ次第殺してください。と言っているようなものだ。

しかし、これを実行する以外に生きて帰る方法も思いつかなかった。


「……わかった、その話を信じよう」

「それは良かった。それじゃあ行こうか」


こうして話を終えた二つの人影は廃ビルの中へと消えていった。


屋上を目指し、真っ暗な闇の中物が散乱した不安定な足場の上を歩き続ける。

電気は通っていない、エレベーターやエスカレーターといった便利な物は当たり前のように動いてるはずも無く。

二人の男は手持ちのライトと、小さな窓から入る月明かりだけを頼りに上へ上へと登っていた。


「屋上はまだなのか?これじゃあ戦い始める前に疲れて倒れちまう」


足元が安定しない中で何十分も階段を登り続けた男の足は既に疲労の色を訴えていた。


「おいおい、情けないな、それでも護衛の傭兵か?屋上にはあともう少しでつくはずだ」


一方、彼は一切疲れの色を見せていない。組織の中枢であるというのが形だけではなく。

その肩書きに相応しい実力もあるのだろう。男も体力には自信があったが、今は格の違いをまざまざと見せ付けられていた。

やはり傭兵なんて仕事は向いていないのかもしれない。

人だって本当は殺したく無い、もし殺してしまうとしても今回でこの仕事からは足を洗ってしまおう。

疲れた頭でそんな取り留めも無いことを考えながらさらに進んでいると、しばらく進んだあたりで目の前にとうとう、最上階にある屋上への扉が見えてきた。


「さてと、そろそろだな」


ここまで登ってくるために乱れた呼吸を静かに整えつつ、その先にいる狙撃手に気配を悟られないように、ゆっくりと、息を殺しながら扉へと近づいて行く。

顔色ひとつ変えない彼を他所に、男の身体には冷たく不愉快な汗が伝っていた。

この扉を開けてしまえば殺し合いが始まる。ここまでは噂通り罠ひとつ張られていなかった。

だからと言ってこの先に狙撃手が何もせずに待っているという保障は無い。

扉を開けた瞬間に、こちらが殺されてしまうかもしれない。

そうじゃなくても、自分が先に引き金を引いてしまえば狙撃手を殺してしまうことになる。

直接人には手を掛けたくない、できれば彼がその役目を負ってくれないだろうか、男は未だに悩んでいた。


「何をしてるんだ?早く来い、扉をあけるぞ」


小声で問いかけてきた彼は既に扉の眼前にまで迫っていた、こちらも、覚悟を決めなければ。

気配を殺したまま、扉へと近づく。


「すまない、大丈夫だ」

「よし、開けるぞ」


――ガチャン!!


屋上のドアはあっさりと開いた、罠も無く、待ち伏せも無く、君が悪いほどに何事も無く。

そのまま機関銃を構えると、その先には漆黒のドレスを身に纏い、異形の狙撃銃を手にする一人の少女が立っていた。


「ここまで来たんだ、すごおい」


抑揚の無い言葉と共に、光の無い眼でこちらを見据える少女。

狙撃をするには大きな障害になるであろう漆黒とは相反する白銀の長い髪が、月明かりを反射させながら夜風に靡いている。

それを見た男は混乱していた。こんな少女が?これがあの無慈悲な狙撃をしていたというのか?


「私だよ、殺したの」


また、抑揚も感情も込められていない言葉が男に向けられた。

まるでこちらの思考を読み取っているかのように。


「はっ、そんなのはわかってんだよ!」


男が反応する間も無く、最初に動いたのは彼だった。

少女の姿を見ても一切の躊躇も無く少女に照準を合わせたまま引き金を引く。その刹那連続して鳴り響く乾いた銃声。

撃ち出された弾丸は少女の身体に数え切れないほどの紅い華を咲かせた――はずだった。


「どこに向けて撃ってるの」


複数の弾丸に撃ち抜かれたはずの少女の声が聞こえる。


「あ?あ?」


それに続いて彼の抜けた声が聞こえた。男が状況を飲み込みきれていない頭で彼のいる方向を見る。

すると彼の目の前にはかすり傷ひとつ付いていない少女と、紅黒く鈍い光を放つ弧を描いた刃があった。

その刃は少女の狙撃銃の後部に備え付けられているストックと呼ばれるパーツ付近から伸びている。あんな大きなものどこに隠されていたのだろうか。

さらに、彼が動いている様子は無いのに銃声が響き続けている。その音が発せられているのは彼の手元からでは無かった。

音の聞こえる先へ眼を向けると、そこには彼の意思とは関係無く引き金を引き続ける腕が落ちている。


「あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」


彼は絶叫した。腕から吹き出る血を撒き散らしながら。

その姿は先程までの組織のリーダーであるという風格とはほど遠く、あまりにも惨めで無様であった。

絶叫する彼を横目に、冷酷なまでに無機質な動作で少女は追撃の体制へと入る。


「なんなんだよ!お前は!お前はあああああああああ!!!!」

「死神」


ザシュッ、と刃の備え付けられている銃身を彼の瞳へと突き刺しながら少女は言葉を落とす。

後頭部から突き出された銃口からもう一度だけ、湿り気を帯びた銃声が闇夜を満たした。


「ああ、撃つ必要無かったね」


そうつぶやきながら刺さった銃身を頭から抜き取り、血を払うように一振りした後。

少女のその虚ろな瞳はこちらに向けられる。向けられているだけで視界に自分が入れられているのかすら怪しい。

いつしか、切断された彼の手から発せられていた音も聞こえなくなっていた。


――なんだ、やっぱり殺されちまうのか。


男は抵抗する気になれなかった。いくら敵であっても相手は少女だ。

殺そうだなんて、とても思えなかった。子供に手を掛けるくらいなら殺されてしまったほうがマシだ。


「どうして撃ってこないの」


目を瞑り殺されることを覚悟していると少女が問いかけてきた。

いや、問いかけて来ているのか、独り言なのか、その区別すら付かない程に情が無い。

どうせ殺されてしまうのなら、最後に会話くらいさせてもらおうとその質問に答えることにした。


「俺は人を殺したことが無い、殺してしまうのも嫌なくらいだ。今お前を殺してしまえばそれが初めての人殺しになる。そうしてしまえば俺は確実に生きて帰ることができるだろうな。そして、今回のこの仕事から生きて帰ることができたら傭兵なんて仕事やめちまおうって、ここへ来るまでの階段で思ってたんだ。だけどお前は子供だろう?ただでさえ人を殺して戻ったところで寝覚めが悪くなりそうだって言うのに。最初で最後の人殺しが子供の、それもお前みたいな少女だなんて、そこまでして帰ったところで全うに生きていけるだなんて思えないんだ。だから抵抗はしないから、殺すならひと思いに殺してくれ。できれば即死が良いな」


今まで汚れ仕事は人殺し以外ならいくらでもやってきた。

目の前で他の同業者に誰かが殺されるのも自分が生きるためには止めることはできなかった。

それでもやはり、自分が直接手を掛けることはできないらしい。

なんとも我侭な考えだ。こんなことなら最初から傭兵の仕事なんて始めなければ良かった。

まともな仕事をしていれば良かった。男の後悔はとても深いものだった。


「そっか」


質問に答えているうちに男の目の前にまで来ていた少女は、それだけつぶやき、鎌と化している“それ”を大きく振り上げた。

これだけ振り上げて一気に振り下ろされれば即死は免れないだろう、苦しむことは無い。

そう安心し、目を瞑る。それと同時に鋭く空気を切り裂く音が聞こえた。


――コツンッ。


直後に男に走ったのは激痛では無く、額への軽い衝撃だった。

何が起こったのかを確認するために、男はゆっくりと瞑っていた目を開く。

すると目の前にあったのはどこかへと刃が消えた狙撃銃と、光を取り戻している少女の瞳であった。

呆然としていると、それを確認した少女が口を開いた。


「お仕置き」

「え?お仕置き?」


小さくつぶやかれた少女の言葉に男はさらに混乱した。


「あなたは本当に誰も殺してない、それに今あなたを殺さなきゃいけないほど穢れてもいない。だから、お仕置きは今のでお仕舞い」


どうやら少女は自分のことを見逃してくれる、と言いたいようだ。


「良いのか?本当に?」


男の目からは安堵の涙が溢れ出していた。情けないことに堪えることができない。


「良いよ、抵抗してたら殺してたけど」


しれっと恐ろしい言葉が混ざっているが、男は感謝していた。

この少女のおかげで、生きて帰れる。汚れ仕事から足を洗い、そして全うに生きることができる。


「あ、ありがとう、本当にありがとう……」


涙を流しながら感謝の意を表する男に今まで無表情だった少女がくすり、と薄く微笑んだ。


「そうだ、貴方にひとつだけ間違えられてることがある」


気を良くしたのか声のトーンが少しだけ上がっている少女が喋りだす。

夜風に撫でられふわふわと舞うその白銀の髪は、まるで天使の羽根の様だ。


「私は人間じゃなくて死神だよ。あっちで死んでる人にはさっき言ったけど」


少女の言葉は、突然ゆっくりと薄れ始めた男の脳に優しく響いた。

連日の護衛に続きここに至るまで、まともな休息を得られていない男は、安堵と同時にひどい眠気に襲われていたのだ。


「しに、がみ?」


薄れ行く意識の中でその言葉を復唱する。


「そう、死神、もし貴方が死んだらもう一度私に会うこともあるかもしれない」

「そうか、それじゃあ、そのときはよろしく、たの、む……」


――男の意識はそこで途絶えた。


「任務完了」


目の前にいる男はただの疲労で眠っているだけ。太陽が昇ればいずれ目を覚ますだろう。

他の傭兵は全て殺したが車はいくつか残っている。これだけの人数で移動していたのであれば食料も十分にあるはずだ。

男が帰るまでのことは問題ないだろう。死神の少女はとりあえず毛布だけでもかけてやることにした。


「おやすみ」


最後に言葉を残し、死神の少女はゆらり、と静寂に包まれた月夜に溶け込んでいった。

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