第7話:剣神に踏まれる

 ヒトタチが刀を鞘にしまう音を聞きながら、ゆっくりと身体を起こす。 幻痛に顔をしかめながら、ごろりと寝転がる。

 スカートではなく着物なので下着が見えるようなことはないが、それでもローアングルというのは良いものである。 ……ヒトタチというのが残念だけど。 いや、可愛いことは可愛いから、脳内で性格を普通の女の子にしたら……。


 などと考えていたらガツリと顔を踏まれた。 お礼を言った方がいいのだろうか。


『安心は……出来ないな』

「……大したことをするわけじゃないッスから、これだけで充分ッス。 仲間もいるッスから」

『……あの大口小僧と堅物小娘だろう。 戦力が近接に偏っているな』

「あれ、邪神のこととか知ってるんスね。 ……心配してくれてたッスか」


 軽口を叩くと、ブーツがグリグリと動いて鼻が捻れてすごく痛い。 女の子に蔑まれながら踏まれるのは憧れのシチュエーションだったが、実際にされると痛みで興奮出来ない。


『馬鹿かお前は。 ……心配に決まっている』

「……あー、その、弱くて、ごめん」

『もっと昔から真面目に訓練をしていれば良かったものの』

「そうしてたら、戦い以外の場面での判断能力は下がっていたと思うッスよ」

『……ポッと出のまともな神性もない小娘に唆される判断能力など、あるのもないのも同じだろうが』


 ガシガシと顔を踏まれる。 なんかちょっと気持ちよくなってきたような気がしなくもない。 着物がはだけて見える白いふくらはぎがエロい。


 俺の目線に気がついたらしいヒトタチは着物を整えて、溜息をつく。


『……お前は実に馬鹿だな。 ……その、なんだ、私が欲しいのであれば……そう言えばいいだろ』

「いや、エロい目で見てるだけッス。 ヒトタチは浮気とか重婚許してくれなさそうッスから」


 思い切り顔面を踏まれて、痛みのあまりうずくまる。


『最悪だ……いつからそんなやつになったんだ……。 昔からそうだったな。 そもそも人間でいられる期間なんて長くて数十年、神の期間は実質的に無限なのだから……人の伴侶を作るのは馬鹿らしいだろう』

「愛は不滅なんスよ……」

『浮気したいと堂々と言うお前の言えることか』

「みんな好きだから仕方ないんスよ……」


 またグリグリと踏まれる。 そろそろやめてくれないだろうか。 変な趣味に目覚めてしまうと困る。

 リロに踏まれたい。 聖女様にも踏まれたい。 あと、シャルとかサナミとかにも踏まれたい。


『……邪神と事を構えるのだろう。 どの程度の相手かは分からないが、本体は絶対に相手取るな。 分霊も避けろ』

「いや、そういうわけにもいかないッスよ。 教団壊滅させたら、ほっといたら弱っちゃうッスから」

『弱らせて消滅させておけ』

「ヒトタチは冷たいッスねー」

『堕ちた神など救いようがないだろうが、会っても戦闘になるだけで、会わずにいれば人から忘れ去られて消えてくれるだろう』

「……まぁ、戦うことになったとしても……ひとりぼっちを放っておくのは、可哀想ッスから」


 俺を踏むヒトタチの足が止まる。

 彼女の幼さの残る顔は、悲しそうに歪められていた。


「……人間みたいな表情、やめてほしいッス」

『私はまだ人間のつもりだから、仕方ないだろう。 とにかく、絶対に本体は相手にするな』

「……俺もいつまでも子供ってわけじゃないんスからね。 自分で決めるッス」

『私からすれば、まだまだひよっこだ。 私に手傷を負わせられるようになってからその口を開け』

「……ちょっとばかり、俺のことを舐めすぎじゃないッスか? 剣やら鎖やらなんて、俺にとっては手段のひとつでしか……ちょっ、顔踏みながら刺そうとするのやめてっ!」


 ゴロゴロと転がって逃げようとするが、普通に刀で刺された。 ひどい。 痛い。


『……契約はしない。 まだ生き延びたい。 強い奴とは戦う。 お前はそんなに死にたいのか』

「……じゃあ、ここで俺が「じゃあ、死ぬの怖いから戦うのやめておきます」なんて言ったらものすごくダサくないッス? ヒトタチもそんなの好きじゃないッスよね」

『……私に媚びるために戦うのか?』

「それもひとつッスね」


 女の子に好かれるためでもある。 ……一番の理由ではないが、やっぱりモテたいのだ。

 ヒトタチは俺の顔を再び踏みながら、俺の下半身に目を向ける。


『……斬るか』

「斬らないでっ!」

『大丈夫、今すぐにというわけではなく、私との子孫を残してからにすればいい』

「……。 …………。 ………………。 だ、ダメッス!」

『なんだ、今の間は』


 当然、一時の快楽と大切な半身を天秤にかけた時間である。

 負けそうになった。 もしもリロとの出会いがなければ、危ないところだ。


「というか、子供作れるんスか」

『例にないわけではない。 神と人の男女が逆だが、交わることは可能なはずだ』

「いや、それって隣の国の神話ッスよね」

『事実でもある。 ……問題は、私の肉体はとうの昔になくなっていることだな。 ……ここだと、クラヤに見られるしな……』


 そういう問題でもない気がする。 このままだと自身の欲望に流されてしまいそうだ。 可愛い女の子とエロいことしたい。

 自身の欲望を誤魔化そうと適当に口を開く。


「……今更なんスけど、ヒトタチってなんでそんなすがたなんスか?」

『あっ……いや、それはその……クラヤが、オシャレをしろと言っていたから……』

「あっ、それは似合ってるッスよ。 艶やかで見惚れるッス。 そうじゃなくて、ヒトタチって死んだの20代ッスよね? なんで俺より若い見た目してるんスか?」

『ん? どういう意味だ? 生前の姿から変わっていないと思うが』

「……いや、それはないッスよ」

『……正確な年齢は把握出来ていないからな。 ……それに出生もはっきりとしないから他種族の血が入っていた可能性もある』


 そんなものだろうか。 まぁ、それなら年齢が大まかに合っていたとしてもこの見た目でおかしくないか。 てっきり、俺の好みに合わせた容姿になる神の力的なものかと思っていたが、素だったのか。

 まぁ……幼い時からこの姿だし、俺の好みに合わせたというには時間関係がおかしいか。 それならむしろ、俺の好みがヒトタチに合わされたようなもので……。


「……ひ、ヒトタチの性悪半端にロリババア!」

『誰がババアだ! クラヤに比べたら10,000歳は若いっ!』

「人間の感覚じゃないッスよ、それ! というか、性悪は否定しないんスね」

『……性悪でもない』

「リロに比べて正確悪いッスよね」

『……あの泥棒猫は猫被っているだけだ』

「泥棒猫が猫被ってるって、素のまんまじゃないッスか」

『本性は狼だ』

「猫被ってる狼の泥棒猫のカラスって何が何だか分からないッスね」

『あの聖女も実際のところは性格悪いぞ』

「そういうところが、性格が悪いんすよ」


 ため息を吐き出す。

 こうして話していると、昔のことを少し思い出す。 痛みが嫌いだった。 いや、嫌いなのは当然だが……昔は何故ヒトタチが痛いことをするかが、周りの大人は何故痛め付け合うのかが分からず……道場が嫌いだった。


 剣技は磨けば磨くほど、研げば研ぐほどに鋭さを増す。


 あの頃……何よりも辛かったのは、ただの女の子にしか見えないヒトタチが、誰よりも鋭く身を削っていたからだ。


「……ヒトタチって、偉人ッスけど、極悪人だとも思うッスよ」

『どうした、突然』

「ヒトタチ流の技って、対人専用じゃないッスか。 魔物相手にも使えなくはないけど」

『そうだな。 それがどうしたのか?』

「善人だけじゃなくて悪人も使うんスから……どっちも剣を振るう努力をする必要が出てきたわけじゃないッスか。 それって、訓練の時間が無駄ッスよね。 両方訓練なしから、両方訓練ありになっただけで善人が有利になったわけでもないッスし、あんまり意味ないッス」


 ヒトタチは黙りこくり、刀を鞘に納めてそれを抱くようにして持つ。


『……お前は、そう思うのか』

「ただの受け売りッスよ」


 名前も知らない、酒場で酒を飲んでいた酔っ払いのおっさんの言い訳めいた戯言だ。

 実際のところ、周りの人間を助けるためにはブラウの推奨する忍耐もしなければならないし、周りの人間を守るためにはヒトタチ流を学ぶことが必要がある。


『……お前は人よりも多く苦しんできたと、私は知っている。 幼い頃より暗殺に怯えながら、痛む頭に無理矢理詰め込むような教育。 人より優れすぎたことにより廃嫡され、それまでの苦労が泡沫となり、母と共に飢えと追っ手に命を晒す日々、生きる力として身体を鍛えて技を磨いた』

「誰も、多かれ少なかれ苦労はしてるッス」

『その苦労の上に得た全てを、否定するのか』

「……理想論ッスよ。 苦労なんてしない方がいいに決まってるんス。 実際はそういうわけにはいかないッスけどね」


 ヒトタチはぎゅっと刀を抱きしめる。


『……誰より苦労して、力を得たお前が言うのならば、きっとそれは正しいのだろう』

「まぁただの一つの考え方ッスけどね。 変なおっさんの受け売りッスし。 ……必要に駆られて剣を手に取ったヒトタチに言うようなことじゃないとは分かってるんスけどね」


 こうしていれば、どうしても昔を思い出す。

 ヘラヘラと笑うことが苦手だった日のことを。


「……一回、刀を置いてデートしてくれないッスか?」

『は、はあ!? 何を言っている! 話の流れがまるで分からないぞ! 私はお前の力が足りないと言っていて!』

「そんなんどうしようもないッスよ。 そもそも人間なんて数が物を言って、一人一人の質なんて似たり寄ったりッスよ。 生き残るなら、訓練するより仲間でも増やした方が確実で手っ取り早いッス」

『それはそうかもしれないが、何故突然求愛されているんだ!』

「そんなの、オシャレしたヒトタチが可愛いからに決まってるじゃないッスか」

『っ! この軟派弟子がっ!』


 俺の顔を踏んでいた脚があげられて、鉄槌のように踏み落とされる。

 鼻からだらりと熱い液体が流れ出す。


『何踏まれて鼻血出して興奮している!』

「鼻踏まれたら鼻血も出るッスよ!」

『……。 全く、私に剣を置け、だと?』

「誤魔化したッスね。 ちょっと休んだ方がいいんじゃないかって言ってるだけッスよ」

『出来ない。 剣と鍛錬は私の神性の中心だ。 それを一時でも止めれば、信徒に示しがつかないだろう』

「……それはおかしいッスよ。 ヒトタチは人間の奴隷じゃないんスから、自分で選ぶ権利もあるッス」


 彼女は黙って俺の鼻をブーツでガシガシと踏みつける。


「今の依り代の刀、ちょっくら忍び込んで借りてくるぐらいするッスよ?」

『舐めるなよ。 レイヴ……そのような腑抜けたことに付き合うとでも?』

「可愛い弟子のお願いぐらい聞いてやってくれないッスかね」

『可愛い弟子は少しぐらい言うことを聞く。 ……お前に新たな技を授けるから、強大な化け物、邪神を相手にするときは使え』

「撃矢と瞬閃の型は苦手なんで勘弁してッスね」


 ヒトタチはため息を吐き出して、俺から脚を離した。

 手を差し出され、癖でその手を掴んでしまう。 以前よりも引き上げてくれる力が弱く感じるのは、俺が成長したからだろう。


『死んでも構わないが、為すべきと思うことは為せよ』

「……まぁ、リロとかケミルは泣かしたくないから死なないようにやることやるッスよ」


 剣を手に取って、ヒトタチと向き合った。

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