第5話バクトの都と強欲な老婆
バクトの都は、砂岩でできた箱のような家が並んでできていた。
少し風が吹くたび、砂が舞い上がって空気が埃っぽい。どこからか、うっすらと肉の腐ったような臭いが漂っているのが不気味だった。
ぽつりぽつりと店のような物もあるが、あまり繁盛しているようには見えない。イルラナには見慣れない、長いローブを来た人々が足早に通りを行き交っていく。炭なのだろうか、見慣れない黒い固まりを入れたカゴを背負った子供が、重さに前かがみになって歩いていく。痩せた犬がそのあとをついていった。
頬に同じ三角形の刺青(いれずみ)をした男女が、列を作って通りを横切っていく。足が鎖で繋がれている見ると、奴隷か囚人なのだろう。鎖の音が絶え間なく鳴り響いていた。
『ここは、あんまりよそ者が長居するところじゃねえって』。アレヴェルの言った言葉が浮かんだ。
確かに、この街の人々は皆、どこか悩み事でもあるように沈んで見え、歓迎してくれそうには見えなかった。
(エリオンはなんでずっとこんな辛気臭い所にいるのだろう。早く見つけ出して一緒に帰ろう)
「それにしても大きい街……」
思わずイルラナは呟いた。
エリオンの手紙には街の大きさは書いていなかったから、ここまで大きいとは思わなかった。
(こんな所で、本当にエリオンを見付けられるかしら)
不安だ。けれどこのまま立ちすくんでいるわけにはいかない。
(とにかく、誰かエリオンのことを知っている人を見つけないと……)
「あれ……」
道に倒れている男性を見付け、イルラナは慌てて駆け寄った。なぜかまわりの人間は、まるでその男性が見えないかのように無視をしている。
「あの、大丈夫ですか」
イルラナは、その男性の肩に手をかけた。そしてその冷たさに驚いて手を引っ込める。
「無駄だよ」
いきなり背後から声をかけられ、イルラナは飛び上がった。
いつの間にか、中年の女性が立っていた。
「もう死んでるよ。この辺で行き倒れを気にしてちゃ、目的地に付くまで百年かかっちまう」
女性は虚ろな笑いを浮かべた。
なんだか背筋が寒くなるようだった。
イルラナの村では、ちょっとうつむいて切り株に腰掛けて休んでいるだけでも、「腹でも痛いのか」なんて誰か声をかけてくるというのに。
行こうとしたおばさんをイルラナはとっさに呼び止めた。
「あの」
睨(にら)み付けるような視線が返ってきて、少しだけひるむ。だが頑張ってイルラナは続けた。
「エリオンって人を知りませんか。背が高くて、男だけど長い髪をしていて、灰色の目をしているんですけど。そう、フェレアさんって人の所でやっかいになってるって……」
「さあね」
そういって女性は素っ気無く背を向ける。
「会える運命なら、誰かが居場所を知ってるさ。会えない運命なら、そのままだろう」
そう言い残して、今度こそ女性は行ってしまった。
けれどどうやら、イルラナは会える運命だったらしい。
「詳しいことは知らないけれど、心当たりはある」
声をかけまくるうち、ようやくそんな応えを返してくれたのは若い男だった。知り合いの老婆が、若い旅人の世話をしていると話していたらしい。
引き合わされたのはみすぼらしい格好をした老婆だった。
「えっと、あなたがフェレアさん?」
確か、エリオンは手紙の中でフェレアという人の世話になっていると書いていた。
フェレアは、じろじろと値踏みするようにイルラナを眺めた。
「ああ、そうだよ。幼なじみのかわいい女の子がいるって聞いたけど、わざわざここまで会いにきたのかい?」
「ええ、まあ」
(あいつカワイイなんて言ったのか)
なんだか自分でもびっくりするほど嬉しくなってしまって、イルラナは熱くなった頬を手で仰いだ。
「それで、エリオンは?」
「あ、ああ」
何か言いづらいことがあるように、フェレアはうめいた。
「家に来ておくれ。詳しい話をしたいから」
暗いフェレアの口調に不吉な物を感じながら、イルラナはうなずいた。
歩き始めると、急に近くで叫び声があがった。
道の端で、男が倒れている。彼の前には袖に青い四角の刺繍を付けた男が槍を持って立っていた。
二人の傍には小さな柱があり、そこからちろちろと水が流れている。人々が集まって騒ぎを見物しているが、目立って厄介ごとに巻き込まれたくないらしく、何も言わずただ身を寄せあって成り行きを見守っている。
「ほれ、あれが城の役人だ」
フェレアが視線で刺繍の男を差す。
そして、耳を近付けてなんとか聞こえるぐらいの声で囁く。
「おそらく、やられている男は金が払えないのに水を飲もうとしたのだろう。それで役人にぶん殴られたのさ」
役人は男を強引に立たせると、どこかへ引き立てていった。
それを見届けてフェレアは歩き出した。
役人がいなくなったのだから、少しは話やすくなったはずだが、フェレアは注意深く声のボリュームをあげなかった。
「金を払わないと、役人の気に触っちまうと、奴隷にされちまうのさ」
「それって頬に三角の刺青のある……」
そう言ってイルラナは自分の頬を指す。
「ああ、そうだ。奴隷にされたら最後、一生帰って来られない。そうして、散々働かされて、それで手に入る利益は皆王や取り巻き達の物になる。影で王の楽しみのためだけになぶり殺される者もいるらしい」
「酷い……」
フェレアはシワだらけの指で遠くの緑を指差した。
「あそこに、王が持っている湖があってね。そいつを王は独占している」
そういえば、さっき見た水汲場からもちょろちょろとした水が出ていなかった。
「湖近くの岩盤は硬くてね。水路を作ろうにも、今の道具じゃ歯が立たないのさ。昔は加工の技術があったらしいが……だから王はその湖の管理するという名目で独り占めしてる。下手に逆らって水の供給を止められたり、毒でも混ぜられたらたまったもんじゃない」
(だったら、なんで言いなりになっているのだろう。皆で武器を持って革命でも起こせばいいのに)
横暴な王にも、それに目を瞑(つぶ)っている街の人にもイライラして、イルラナの顔が自然と険しくなる。もし本当に一人でも王を暗殺しようとしたなら、アレヴェルはこの街の誰よりも偉いではないか。
「あんたの言いたい事はわかるよ、お嬢さん」
そこでフェレアは大きくため息をついた。
「こんな街を出ていってしまえばいいと思うだろう? あるいは王を倒してしまえとね? 私のような老いぼれや赤ん坊は荒野と獣に耐えられないからね……それに、逃げ出したと知れたら残った者が何をされるか知れたもんじゃない。ましてや歯向かうなんて!
フェレアは大きく息を吐いた。
「私が若いとき、男達が王の城に乗り込んでいった。けど誰一人帰って来なんだ。あの王は化けモンだ」
フェレアは指で魔よけの仕草をした。
(アレヴェルは『ただの老人だ』って言ってたけど……)
「そういえば、最近その王様が暗殺されたって聞いたけど?」
カマをかけてみると、フェレアの目が吊り上がった。
「そんな事は聞いたことがない! 滅多なことを言うもんじゃない! 呪われたらどうする!」
小声で怒鳴られ、イルラナは首をすくめた。
フェレアは聞いている者がいないかどうか調べるように辺りをうかがいながら早足で歩きだした。
やっぱりアレヴェルの言ったことは冗談だったのだろう。そんな事を思いながら、フェレアの後を追った。
フェレアの家は、街から少し離れた所にあった。
彼女は自作のアクセサリーや、カゴなどを売って生計を立てているらしい。
他と同じ箱のような形の家は、外からみると小さく見えたが、あまり家具がないからか、中に入ると広く見えた。玄関から入ってすぐのスペースには、大きなテーブルがあった。その上には木の実や磨いた石、絵の具の皿が散らばっていた。奥に二部屋あるらしく、扉代わりの布が並んでいる。
「旦那が使っていたベッドを隣の部屋に移してね」
床を軋ませながら、フェレアは右側の吊り布に向かう。
「半分物置のように使っていたのを、エリオンの寝床にしたのさ。本来は見知らぬ旅人なんて恐ろしくて泊められないんだが、助けてもらったとあっちゃ、放っておくわけにはいかないからね」
話によると、街でフェレアが急な腹痛で苦しんでいる所を、たどり着いたばかりのエリオンが治してくれたらしい。その縁で、寝泊りの場所をまだ決めていないエリオンは、この家に厄介になることになったそうだ。
物置に使ってあったというだけあって、部屋の中は雑然としていた。イスや大きなたらい、古い板、パンパンになった麻袋などが壁にそって置かれていた。部屋の真ん中にベッドがあって、その周りだけ埃が無いのは、エリオンがそこで寝泊りしていたからだろう。
「ほら、これがエリオンの荷物だ」
部屋の隅に、見慣れた背負い袋が置いてあった。
(本当にエリオンはここに居たんだ)
そう思うとなんだか懐かしくて、知らない土地にきた不安が薄らいだような気がした。
でも、出発したときの姿を思い出すと、もう少し大荷物だった気がする。
「あれ? 荷物ってこれだけ? それに、本人はどこに?」
フェレアがスッと顔を背けた。
それは子供のとき、仲よくなった犬が病気で死んだことを告げたとき母がしたのと同じ仕草だった。これから告げることが相手の傷になるのが分かっていて、それを忍びないと思うときの仕草。
胸騒ぎがする。
「それが、数日前に出ていったきり帰って来ないんだ」
「どこに行くとか何とか言ってなかったですか?」
「いや、客人がどこに行くか興味がなかったからね。それから役人がいきなりやってきて、荷物を半分持って行っちまったんだよ」
「そんな……」
荷物をあさってみると、あるのは着替えや古いタオル、それにボコボコになった小さい鍋など、ありきたりの物だけだ。実験に使う器具や試料、記録をするノートなどが無くなっていた。
エリオンにしてみれば、命の次ぐらいに大切な物だ。それを勝手に持って行くなんて、イルラナにしてみれば大事な幼なじみをバカにされたようだった。
「おそらくは、なにか役人を怒らしちまったんだろう。おそらく、奴隷にでもなっているはずだ」
「奴隷って!」
街で見た、鎖に繋がれた人々。エリオンはあんな風にされているのだろうか。
「どこで働かされてるとか、分かります?」
「さあ、採掘場か農園か」
「農園って……エリオンは肉体労働向きじゃないのに!」
せめて王様の雑用係にでもなっていればいいと思ったのだが、そう甘くはないようだ。
「でも、あの子は男で幸いだよ。見目(みめ)のいい女だったら、連れていかれて何をされているか……」
その言葉に、ぞっと全身の毛が逆立つ気がした。
「捕まってる場所ってどこ?」
「まさか、助けに行くつもりかい? おやめ、殺されてしまうよ!」
「大丈夫よ。もう方法は思いついたから。それに、エリオンは恩人でもあるしね」
「恩人?」
(小さい時何があったかは言わない方がいいわね。格好悪いから)
イルラナは「あはは」と笑ってごまかした。
「ねえ、フェレアさん」
テーブルの上に広げられた絵の具を見ながらイルラナは言った。
「あの絵の具と筆、貸してくれる?」
フェレアの眉がぴくりと動いた。
「いいけど、その分の金はもらうよ。絵の具もタダじゃないんだからね」
急に彼女の口調がよそよそしくなった。
その態度の変わり様に正直驚いたが、フェレアの生活も苦しいのだろう。そもそも、言っていることは正当なことだ。
「うう、わかりました」
旅先で予想外の出費は怖いのだが、イルラナはおとなしく財布を開いた。
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