第26話2.私が昇るべき梯子
「はぁー………」
これは杉村先生に言うべきだろうか?
それともそのままにしておいた方がいいんだろうか?
私の夢の中で静かにささやく声の事。
前はたまにしか見なかった夢。でも今は毎日のように私の夢の中にその人は出てくる。
「巴美……」なんで私の名を呼ぶの?
あなたは一体誰なの?
その姿はぼやけていて見えない。
「おはようお姫様」
杉村先生が病室にやってきた。
ベッドの横の椅子に座り私の手にそっと触れる
杉村先生の暖かい手のぬくもりが私の手から伝わってくる。
「気分はどうだい?」
「悪くはない」
「そうか、悪くなければ大丈夫だね」
じっと私は杉村先生の顔を見つめた。
ドクンと胸の中から音がするのが聞こえてくる。
「どうしました?」
「何も……」
「そうですか……」
「あのぉ……先生……」
「ん?」
「な、何でもない……」
「そっか……」
じっと私の目を見る杉村先生
「何かあったら呼んでください。それじゃ」
先生の手が私の手から離れていく。
「蒔野さん……お大事に」
白衣を着た彼の姿が病室から消える
「あっ……」
また一人になる。また一人になった。
この病室には私一人しかいない。
一人っきり……誰もいない私の周りには誰もいない。
今、現実に私の心の支えになっているのは
杉村先生
あなたなんです。
誰もいない白い世界の中。私の進むべく道は……
進まなければいけない方向ってあるんだろうか?
ゆっくりとベッドから起き上がりスリッパを履いて病室から出る。
なんだろう少し今日はふらつく
天気は良さそうだ。もうすぐ3月になる。
外はまだ寒いだろう。でもさす陽の光は暖かさを感じさせる。
いつもの中庭が見える大きな窓ガラスのあの場所に自然と足が動く。
ふと見上げると廊下に陽の光が差し込んでいる。
いつもの椅子に座り空を眺める。
うっすらと白さを感じさせる青空に陽の光がガラスを透き通り私を包み込む
暖かい
暖かい陽の光が窓ガラスと同じように私の体の中をすりぬけていく。
身体全体に陽の光が入り込む
静かに瞼を閉じる。
さっきよりも陽の光は私の躰の中に入り込んでいるように感じる。
気持ちいい……
気持ちが安らぐ
いつかの様に私の体が軽く感じる。まるでこの陽の光に吸い込まれるように
吸い込まれてもいい。
誰もいないんだから……
杉村先生ともあと少しであえなくなる。
私の昇る梯子はどこにあるのんだろう。陽の光が差す梯子、私はその梯子を上ってもいいんだろうか。それとも地に落ちる暗闇の梯子にこの身を落とせばいいんだろうか。
生きている。だから苦しい……だけど生きなければいけない。死んでしまうことは私には許されないようなそんな気がする。
スーと眠りに落ちていくような感覚。
瞼の奥でまたぼやけた誰かが私を呼んでいた。
「巴美……」
誰かはわからない。男の子?どうして私の名前を呼ぶの?
あなたは誰?
ぼやけ、その姿を見ようとすれば消えてしまいそうになる。
手を差し伸べればすぐに手の届くところにその人はいる。
杉村先生?
ううん、違う。杉村先生とは違う人。
今の私には思い出すことの出来ない人。本当は思い出せないんじゃなくて思い出したくない人なのかもしれない。
「巴美……ともみ、生きろ。死ぬな巴美、俺の一番大切な人………」
そしてその姿は消えていく。
また一人私の所に誰かがその姿を現す。
ふと気が付くとすぐそばにいるのはお母さんだった。
「お母さん……」
そっと私の傍に寄り添って私の髪を優しくなでてくれた。
「お母さん……私、お母さん」
何度も何度も「お母さん」って呼んだ。でもお母さんは何も話してくれない。
ただ私の顔を見つめていただけだった。
あの朝、些細なことで喧嘩をした。
それが最後だった……ほんとうにそれが最後だった。いつも私のために頑張ってくれていたお母さん。
どうして?どうしてあれが最後なの……
だけど、映るお母さんは何も返してくれない。
そして微笑みその姿が消えていく
「待って、お母さん……いかないで、行っちゃやだ。お母さん、お母さん………」
……蒔野さん、蒔野さん
耳元で呼ぶ声が聞こえてくる。
「蒔野さん、大丈夫?」
ゆっくりと目を開けると私の隣にいる人にしがみついていた。
看護師さん?違う。服装はここの制服じゃない。
「大丈夫蒔野さん。落ち着いて……」
誰だろう。
誰だろう……優しい懐かしい香りがする。
その
「大丈夫?大分うなされていたようだけど」
その
「す、すみません。わ、私……」
とっさのことで混乱しながら顔が熱くなるのを感じていた。
「いいのよ。それより落ち着いた?」
小さく頷いた。
「そう、よかった。それじゃ何か飲み物買ってきましょうね」
「あ、いいです」
「いいのよ、私ものどか沸いちゃったから」
通路のわきにある自動販売機でジュースを二つ買ってまたもと席に座り
「はい、オレンジジュースでよかった」とにこやかに私に缶ジュースを渡してくれた。
「今日は暖かいわね」
窓越しにさす陽の光をそれを見上げながらその人は言う。
「蒔野巴美さん……よね」
また小さく頷く。
「福祉事務所の人?」
「ううん、違うわよ。ここ暖ったかそうだったからお邪魔しちゃったの。迷惑だった?」
「いいえ、そ、そんなこと……でも、どうして私の名前……」
「ごめんね、あなたが手に付けているタグに書かれているの見えたの。これでも私看護師なの。ここの病院じゃないけど………個人の小さな病院なんだけどね」
「そうなんだ……」
その女性は《ひと》は黙って私の顔を見つめていた。
「あのぉ私の顔に何か……」
「ご、ごめんなさい。私の知っている人にあまりにもよく似ていたから」
「おばさんの知っている人に。す、済みません、おばさんだなんて」
「いいのよおばさんで。もういい歳なんだから……。蒔野さんはよくここに来るの?」
「……病室から近いし、気が付けばここでこうやっている事多いみたいです」
「そう……」
「私、PTSDていうのがひどくなっちゃって、自分でも自分が解らなくなっちゃって……去年雪が降る前にここにずっと入院してるの。そう、自分ではよく分かんないんだけど、夏の終わりに花火大会があってそれが終わったあたりからおかしくなっちゃったみたい」
「そっかぁ、蒔野さん大変な思いをしていたのね。物凄く苦しかったでしょ……一度にいろんなことが起きちゃったのね。でもあなたは偉いわ」
「どうして?」
「だってちゃんと今を生きているんですもの」
今を生きている……
本当に生きていると言っていいんだろうか。
本当は今の私は抜け殻の様なもの……大切な思い出も何もかも失ってしまったただの抜け殻。
進むべく先も見えないただの抜け殻の存在。
「そうあなたは生きている。大切なこの世に一つしかないあなたの命をあなたは必死で守っている。だから辛い事を忘れようとした。生きるために、あなたは生きることを望んだのよ。失ったものは大きいかもしれないけれど、でもあなたのその命より大きいものはないと思う。あなたは今前に進もうとしている。
ううん、進まないといけないって自分でわかっているんじゃない」
声が出ない……下をうつむいて……涙がこぼれてくる。
どうしたらいいのかわからない。
生きている事になんの意味があるのかもわからないでも、この
私の体がこの人の暖かい体に包まれた。
「ごめんね。ちょっと辛いこと言っちゃったかしら」
抱き寄せられる躰から暖かい温もりが伝わってくる。まるでお母さんに抱かれているようなそんな懐かしい感じがした。
少しの間私は……自分を取り戻したかのような感じがする。
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