Ⅰ 杉村 将哉(すぎむら まさや)

第4話1.希望の彼方



 この秋田に赴任してから早いもので2度目の夏を向かえていた。


 僕の実家は東京都小平市。


 あの黄色い車体がトレードマークの西部新宿線、小平駅からすこし歩いたところにある。


 東京で医学部を卒業し初期研修の2年間までを僕はこの東京という大きな街でずっと暮らしてきた。




 高校の時から知り合うことが出来た彼女と共に。



 彼女の名は辻岡 歩実香(つじおか ふみか)



 高校2年の終わりごろから付き合い出し、今ではお互いなくてはならない存在となっていた。


 ただ、彼女は僕が大学5年の頃この東京を家族と共に離れ東北の秋田へ移り住んだ。


 始め歩実香は東京に残り看護師としての仕事を続けるはずだった。しかし、両親が秋田に移り住んで間もなく彼女の父親が脳梗塞で急逝した。


 残されたのは歩実香の母親ただ一人だけ。そんな母親を思い歩実香も秋田へと移り住んだ。



 「今は少しでも母のところにいてやりたいの」


 「大丈夫、将哉が大学卒業して初期研修終わるころには必ず戻ってくるから……きっとお母さんもその頃になれば一人でやっていけるようになっていると思うわ……だから」



 本当はずっと一緒にいたかったけど、彼女の気持ちを察すればそんなことも言っていられないのがその時の現状だった。


 それに僕自体、卒業後取得する医師国家試験に向けて忙しくなりつつあった。


国家試験に合格した後に待つ初期臨床研修もあり、今までの様に自由に時間を取ることも当面できなくなる事も解っていた。


 「大丈夫、そんなに心配すんなって」


 「だって将哉離れ離れになったら他の人、好きになるかもしれいじゃないの。高校の時からほんとあなたって倍率高かったんだもん」


 「そっかぁ、そんなに心配かぁ」


 「ほんと心配でたまらないわ」


 「そんなに心配しなくても大丈夫だよ……多分」



 「なによその多分って……」



 歩実香はプンとして頬を膨らましたっけ……あの時


 「それとも、初期研修最短2年で終わらせて俺が秋田に行くっていう方法もあるぜ」


 彼女は少し下を俯いて


 「ありがとう。でもその言葉あんまり期待しないでおく。だって将哉は田舎より都会が似合うんだもん」


 少し照れながら僕は「ばーか」なんて強がって言い返してやった。


 そこから僕らの遠距離が始まった。


 僕らは毎日メールをしたり電話をしたり、毎日ほんの一時の時間を捕まえてはお互いに今日は何をしたとか、明日はこんな予定が入っているとか……


 とにかく連絡をし合った。


 今まですぐに会える距離にいた余裕から、今はすぐには会えないジレンマと戦いながら……



 6年になり国家試験への対策の為僕は猛勉強のさなかにいた。


 医師国家試験には「基礎医学・臨床医学・社会医学」その他医師として必要な項目が出題される。設問は500問ありすべてマークシート方式で回答する。この試験は3日間にわたり行われる。


 ただ、医師国家試験はこの春までに医学部のこの6年間を全て習得し、卒業試験に合格した者だけが受けられる。


 そう国家試験を受ける前に今まで在籍していた医学部の卒業見込みがなければいけない。


 今まで僕はこの6年間ひたすら頑張ってきた。

 振り返ればただその言葉しか出てこない。


 僕がこうして頑張って来れたのは、いつも僕のすぐそばに歩実香がいてくれたからだ。彼女がいつも僕を支えてくれていた。だから僕はこの大学生活を乗り切ることが出来たんだと思う。


 そして医師国家試験をパスした後にやってくる初期研修医としての期間。その研修医としての間が最も過酷だといつも聞かされている。


 最低でも2年間、この下積み期間を終えなければ最低限医師としては認めてもらえない。その後も後期研修がある。この後期研修で自分の専攻する診療科に向かう事が出来る。


 この3年間は僕にとってとても過酷な時期ともいえる。


 その間、いつも僕のそばに居てくれた歩実香は遥か彼方秋田に居る。


 いくらコミニケーションツールが発達していても直に触れ合う事は出来ない。

 ただ連絡を取り合うだけの事しか出来ない。


 それでも彼女の声を僅(わず)かな間でも聞くことが唯一その時の僕にとってどれだけ救いになっていたのだろうか。



 歩実香が秋田に行ってから初めての夏を迎えようとしていた。



 そんな時歩実香から来たメールに


 「今年の8月の第4土曜日時間とれない?」


 8月の第4土曜日?いったい何があるんだろう。


 そう不思議に思いながら


 「んー今から調整すれば何とか時間は取れると思うけど、いったいその日に何があるんだい。もしかして歩実香こっちに来るのか?」


 いらぬ期待をかけてしまったようだが、歩実香からその答えの電話が来たのはその日の夜遅くになってからだった。


 「残念将哉、本当は私が一番行きたいんだけど。出来るんだったら私今すぐにでも将哉の所に行くわよ……実はね、その日花火があるのよ。大曲の花火。職場の友達から聞いたんだけどすごいらしいのよ」


 「はなび?」


 「そう花火……、将哉好きだったでしょ花火大会」


 「まぁな……」


 よく二人で花火は観に行った。東京でも名の知れた花火大会は数回開催される。去年は僕の住む小平市のお隣立川市の昭和記念公園で開催される花火大会に二人で行った。


 歩実香はすでに看護師として働いていたが、お互いまだその頃は十分に時間が取れていた。


 だがこれから先、僕は時間が取れない日々の連続となる。以前の様に時間を共有すと言った事は難しくなる。まして今、歩実香との距離はおよそ500キロを超えている。


 それを考えれば今僕の方が歩実香の方に赴くべきであると。


 「ねぇ、将哉どうぉ来れる?忙しければ無理にとは言わないんだけど……」



 少し寂しそうに聞こえる歩実香の声……

 僕以上に歩実香も会いたがっている様に思えて来た。



 その時は花火よりも僕も歩実香に会いたい想いの方が強かったのは言うまでもなかった。



 「絶対行く」そう答えると



 「やったー、将哉と会える」と本音を弾んだ声で返す歩実香。


 「なぁんだ、花火はやっぱり口実だったんだぁ」

 ちょっと意地悪だったかもしれない言葉……


 「ふぅんだ、いいじゃない」


 すねるように言う歩実香。それからはいつもの様にたわいもない日常の会話だった。


 今日、大学で友人と話した事や講義でこんなことしたとか……



 「なぁ歩実香……歩実香……?」



 返事がない……そして、スマホの向こうからスースーと懐かしく聞こえる彼女の寝息。僕はちょっとの間その幸せそうに聞こえる歩実香の寝息を聴きながら、そっと通話を切った。



 そしてメッセージで



 「おやすみ……歩実香」とそっと送った。



 その頃の僕らは離れていてもまだ幸せだった……今思えば、まだとても幸せだったんだと……


  

 

 ……その日常に感謝することを怠っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る