第5話 天津飯大好き姫宮さん
姫宮さんが無類の天津飯好き。
と知って、俺はあるひとつの可能性を思い浮かべてしまった。
「も、もしかして、姫宮さんって『天津飯大好き』先生だったり、とか?」
天津飯大好き先生とは、言うまでもなくあの『天津飯勇者』の作者先生だ。
タイトルといい、ペンネームといい、どれだけ天津飯が好きなんだって作者だが、しかし思わず尋ねてしまったものの、冷静に考えたらさすがにそんな頭の中を天津飯で埋め尽くされている人が、完璧超人である姫宮さんの訳……。
ぴきん。
見たら姫宮さんがこの世の終わりだって顔をして固まっていた。
うそん。マジかよ。
「どうかこのことはみんなには内緒にしておいてくださいっ!」
結局、あれから数時間固まっていた姫宮さんを『夜も遅いから家まで送ってやれ』という親父のナイスな指示に従って、一緒に夜の郊外を歩いていた時のこと。
突然、姫宮さんが立ち止まったかと思うと、土下座する勢いで頭を下げてお願いしてきた。
「え? そりゃあまあ別にいいけど」
「ホントですか!?」
「ああ。でも、スゴいじゃん。あの大人気ラノベ、アニメ化も確実と言われている『天津飯勇者』の作者だなんて、みんなも知ればきっと」
「それはダメです!」
俺が知っている姫宮さんからは想像出来ない、強くて鋭い口調で否定された。
一瞬戸惑ったが、普段は教室の片隅で静かに読書している姫宮さんのこと、目立つのが苦手なんだろう……と思っていたのだが。
「……焼き肉」
「は?」
「私が人気ラノベ作家だって知ったら、みんなきっと私に焼き肉を奢らせようとします。だって『天津飯勇者』が受賞した時もそうだったもの。受賞者は盛大な焼き肉パーティを開かなきゃいけないってツイッターで要求されて、泣く泣く焼き肉パーティを開く羽目になったもん。私、焼き肉ってあんまり好きじゃないのに」
……この人、何言ってんの?
「大体なんで焼き肉なんですか? 『天津飯勇者』で大賞を取ったんだから、天津飯でいいじゃないですか? それだったら私、喜んでみんなを招待できるのに」
「は、はぁ……」
凄い勢いで力説されて圧倒されてしまった。
えっと、つまりみんなに身バレしたら焼き肉を奢らされるから黙っていて欲しい、ってこと?
「あ、その顔、『こいつ、焼き肉を奢りたくないから黙っていてくれとは、なんてケチなヤツなんだ!』って思ってますね?」
「い、いや、そんなことは……」
まぁ、ちょっとは思ったけど。
「そうじゃないんです! 私は別に奢るのは構わないんです。ただ、それが焼き肉なのがイヤなの。天津飯だったら私、美味しいお店を色々知ってるし、むしろみんなにも食べさせてあげたい。特に大陸飯店の天津飯は絶品!」
言うなり、姫宮さんの顔がトロンと蕩けた。
ちなみに大陸飯店とはうちの両親がやってるお店だ。
「あの天津飯と初めて出会った時のこと、いまだに忘れられません。ふわっふわなかに玉とお米一粒一粒が立ったご飯の絶妙なコンビネーション、関東では珍しい醤油仕立ての甘酢あんがまたいい仕事をしていて、一口食べる度にお口の中はまさにこの世のパラダイス。あやうく何度も昇天しそうになりました」
「昇天って……」
おう、ちょっとエッチな想像をしてしまったわ。
「とにかく大陸飯店の天津飯なら奢ってあげても、ううん、積極的にみんなにも食べさせてあげたいとすら思ってます。そこのところ、分かってくれますか、新垣君?」
「え、えっと、つまり売れっ子小説家だとバレると焼き肉を奢らされるシステムに姫宮さんは一言いいたいと?」
「その通り。焼き肉を奢るだなんて、一体どこの誰が言い始めたの!?」
応援してくれている人たちへ感謝を込めるのならば、その人が自信を持ってオススメできるものを奢るべきよね、と息巻く姫宮さん。
なんだろう、さっきからイメージ崩壊が酷くないか?
売れっ子小説家も大変なんだな……。
「あ、大変と言えば『天津飯勇者』の続編がずっと延期……」
してるんだけど、どうしたんだ? と続けることなんて出来やしなかった。
むしろこの話題を少しでも口にした事を後悔した。
「……」
さっきまで鼻息荒く力説していた姫宮さんが、突如として固まって押し黙ってしまった。
本日二度目のフリーズ。
どうしたものかと悩んだ末、とりあえず近くの公園で姫宮さんが再起動するのを待つことにした。
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