19:メリエル・スチュワートの猛勉
「ちっげえよ! んでその方程式使うんだよちったぁ考えろや!」
マクスウェルの指導は文字通りスパルタだった。問題を解く手が止まれば舌打ちをされ、解答を間違えれば怒号が飛ぶ。問題を一つ解き終われば間髪入れずに次の問題を指示され、それが終わればまた次の問題にいき、休息のきの字も無く一心不乱にペンを動かし続けた。
私は本当に泣きながら勉強に打ち込んだが、それでもやっていけたのはマクスウェルの解説が解りやすかったからだ。どんなに難しい問題であっても、マクスウェルの解説を聞くと途端に簡単に思えて、すらすらと解くことが出来る。指導が厳しい分、私は学力がめきめきついていくのを確かに感じていた。
学校ではマクスウェルに分からない問題を教えてもらったり小論文の添削をしてもらったりし、家に帰ればマクスウェルのスケジュール通りに生活を送り暗記や復習に努める。無駄に出来る時間など一分足りともなく、毎日が目まぐるしく過ぎていった。
勉強漬けの日々を送っている内にいつの間にか冬が過ぎ、肌寒さを感じることもあるものの暖かな気候に移り変わっていた。
教室移動の際もただ歩いているだけでは時間が勿体無いため、単語帳を片手に暗記に励む。ぶつぶつと独り言を言いながら歩いている私は相当に怪しかっただろうが、それを物ともせずオルセンくんは話しかけてくれた。
「スチュワートさん、頑張ってんね」
「うん……、頑張らないと、高校行けないから……」
「オルムステッド志望ってマジなんだ」
「うん……」
単語帳から目を離さないまま生返事をする。
「あの、さ、スチュワートさん」
「うん……?」
「もし、良かったらなんだけど、俺と」
「おいブス」
不機嫌そうな声が聞こえて、条件反射で顔を上げた。背後を振り返ると、同じく教室移動中のマクスウェルが気怠そうに立っている。
「ノルマ
「ま待って、あと一ページ……」
「あぁ? おっせーよ。後で確認テストすんぞ」
「ええっ! 頑張ります!」
私は再び単語帳に目を落として、単語の暗記に没頭する。
マクスウェルが私とオルセンくんに並んだ。
「で、なんか言ったか?」
「……や、何も……」
その日の授業が全て終われば、私の頭は重くなりパンクしたかのように動きを止める。思わず机に突っ伏して唸り声を上げていると、後頭部をすぱんと鋭い痛みが襲った。
「寝んな。小論文出せ」
「はい……お願いしますマクスウェル先生……」
私は顔を伏せたまま声のする方に小論文を差し出す。小論文は奪い取るように抜き取られ、役目を果たした腕はぱたりと机に投げ出された。
「ウゼェ。死ぬなら結果出してから死ねや。オレの顔に泥塗る気か」
「まだ死にません……」
「ちょっとスチュワートさん、大丈夫?」
心配して駆け寄って来てくれたのはケイトだ。
「エイダン、ちょっと休ませてあげたら?」
「あぁ? オレが添削してやってんのに休もうなんざいい度胸してんな」
「や、休んでない、休んでないです」
私は慌てて顔を上げ問題集を取り出す。
「スチュワートさん、逆、問題集逆」
何も言わずに問題集を引っくり返した。
放課後のマクスウェルによる特別授業が終われば、急いで帰宅して夕食を済ませ、再び勉強に取りかからねばならない。問題集や筆記用具を片付けながら鞄に教科書類を詰めていると、明日の授業で使う教科書が今夜の勉強計画では必要無いことに気付いた。私は一瞬逡巡し、その教科書を置いていくことに決めた。それだけを脇に避け、他のものを鞄に入れる。
「明日も確認テストすっかんな。九割以下取りやがったらぶっ殺す」
「うん! 今日もありがとう。また明日よろしくお願いします」
マクスウェルと並び歩いて教室を出、教科書をロッカーに仕舞う。すたすたと先を行ってしまっているマクスウェルの後を追いかけ、校門までは一緒に歩いていった。
ロッカーに教科書を仕舞うなんてとんでもないことをしてしまった、と気付いたのは翌朝目覚めた瞬間だ。疲れていた脳で判断してしまったために重要なことを忘れていた。いくら持ち運ぶ労もせず忘れる心配もないといっても、切り刻まれて使い物にならないならば意味が無いのだ。教科書の安否が気になって仕方がなく、その日の朝はいつもより急いて支度をした。
車に乗っている間も早く早くと気持ちだけが急ぎ、学校に到着すればいの一番にロッカーを確認する。其処には予想に反して、無傷の教科書やノートが鎮座していた。それを見て安堵の息を吐く。持ち物が無事だったことにも安心したが、もしかして嫌がらせは既に終わりを告げているのではないか、と気分が上向きになった。
ロッカーを閉めると、背後からポンと肩を叩かれる。
「スチュワートさん、はよ」
「あ、おはよう、オルセンくん。今日はちょっと早いんだね」
「んん、今朝は早起きだったんだ」
オルセンくんはふわふわと遊ばせている髪に少し手をやった。
「教室まで行こうぜ」
「うん」
教室に着いて、私たちは隣同士で席に着いた。私は問題集を取り出して、いつものように解き始める。
「スチュワートさん」
「んー……? なに……?」
「俺とさ、デートしようよ」
何事もないように言われた内容に、手を止めてオルセンくんを見た。
「あ、こっち見てくれた」
オルセンくんは頬杖をついて、嬉しそうに笑っている。
「……え? デート?」
「そ、デート」
「え、なんで」
「スチュワートさんのこと好きだから」
再び淡白にそう告げられて、ぱちくりと目を瞬いた。
「またまた……」
「なんで?」
「オルセンくんモテるでしょ。私なんかとデートしても詰まんないよ」
「詰まんなくない。スチュワートさんと居るだけで楽しい」
とは言うが、オルセンくんには何となく軽薄そうな雰囲気を感じる。
私はペンを弄びながら断りを入れた。
「じゃあ、休みの日に一緒に図書館で勉強しようよ」
「え」
「休みは流石にマクスウェルと一緒じゃないよね?」
ことりと小首を傾げながらそう問われ、言葉に詰まる。確かに一緒ではないが、それを悟られると立場が不利になる気がした。
「おいなに手ぇ止めてんだ」
オルセンくんにどう返せばよいものか狼狽えていると、朝から不機嫌そうな声が響いた。地を這うような低い声だというのに、私は天の助けとばかりに振り返る。
「マ、マクスウェル! おはよう!」
「……あぁ?」
恐らく私の顔には満面の笑みが浮かんでいたのだろう、マクスウェルは怪訝そうに顔を顰める。
「サボったらぶっ飛ばすかんな」
「はい! 頑張ります!」
私は嬉々として問題集に取りかかった。
「残念。また後でね」
オルセンくんは小声で、私の耳元にそう落とした。
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