高山テキスタイル株式会社 -アポイント-
「あ、もしもし仲瀬と申します。豪さんは居られますでしょうか?」
平成二十年二月某日前夜、関西地区は大雪に見舞われ、荘厳なチャペル・コンフィードと大階段を備えた結婚式場ル・ソイルも一面を銀世界に変えていた。この時期は結婚式は少なく、会場費が安く設定されるため発表会だの懇親会だのの予約が多く入る。煌びやかな披露宴会場は一転、シックで面白みに欠ける会場セッティングとなり、参列する参加者もビジネススーツばかりの連日に篤郎もうんざりであった。
夕刻からの宴会ではあったが朝当番で出勤した篤郎は、会場セッティングや追加連絡の確認をフロント係と打ち合わせを済ませ、二階喫茶のコーヒーメーカーで淹れたコーヒー片手に、一息入れながら外の風景を眺めていた。喫茶は結婚式や会場の催し時にのみ開店させるので、普段は従業員の休憩所と化している。ガラス張りの喫茶から見下ろすと、フロントスタッフが雪かきに精を出していた。銀世界が見る見るずず黒く汚れていく様は儚く、出勤前に寝ている子供たちを叩き起こして、束の間の親子雪遊びを興じていた時間を思い出した。
決して満足のいく収入ではなかったが、他では門前払いの三十六歳の中途入社を快く受け入れてくれた、株式会社マンサービス・クリエーション代表西原幸蔵には恩義を感じていた。ただ盆も正月も無く、日休祝日の意味すらないサービス業は、子供のほんのひと時の成長時期を知らずに過ごす事が、子供の目にどう映し出され大きくなった時の父親の思い出として何を残せるのかと、携帯電話に表示される今朝の子供の写真に勇気をもらう。
「向こうには、仲瀬君が亀岡で酷い目にあって辞めた事を言っ上で来て欲しいって事なんで、条件なんかもある程度は聞いてくれると思うから、心配せんと電話かけてやってくれるか」
仲瀬に紹介の電話を入れた大賀は、豪が紀ノ川染工に図案を取りに来た際に紹介を頼まれ、豪の親族が経営する高山テキスタイル製作所で不遇を受けて辞めた仲瀬を紹介していた。豪は「製作所」の親族とは付き合いが無いから安心するよう伝えていた。
大賀との電話のやり取りを思い出し、篤郎は決心すると、携帯電話のボタンを一気に押した。
電話を受けた事務担当の松永豊美は、事前に篤郎から電話が入ったら自分に回すようにと、高山テキスタイル株式会社専務、高山豪は言付けていた。
「はい、ちょっと待ってくださいね」
保留ボタンを押して内線十九番に掛けて、
「ごーちゃん、仲瀬さんからです」
トレース室のビジネスフォンのスピーカーから豊美の声が響いた。
猫背の姿勢でモニタを眺めていた豪は、作業中の手を止められた事による苛立ちから小さく舌打ちし、デスクに置かれたビジネスフォンの子機を取ると、
「はい、高山です」
先ほどの舌打ちとは打って変わり、元気すぎるくらいの大声で電話に出た。
「こんにちは、大賀さんの紹介で電話させていただいた仲瀬です。今大丈夫でしょうか?」
コーヒーを飲み終えた篤朗は子供の写真を収めると、喫茶カウンターの奥に篭り、先日大賀から教えてもらった高山テキスタイル株式会社へ電話をかけていた。
「はい、こちらはいつでも大丈夫ですよ」
じっと座って電話のできない豪は、デスクを前に立ち上がるとそわそわと腰を振りながら調子よく答える。
「トレースの出来る人を探していると言う紹介で、検討してみたいのですが一度会社へ寄させていただいてよろしいですか?」
「もちろんです! もちろんです! 仲瀬さんの都合のいい日に来てもらったら、ああ、事前に電話入れてもらったら僕も居るようにします。」
電話越しの相手に首をぶんぶん立てに振り喜びを表現している豪の、並びに座る柿谷優紀子がモニタから目を離し、右隣で豪の素振りを見ていた安浦朋弥に目を細め囁いた。
「新しい人みたいやな」
「みたいね、いい人来てくれるといいね」
優紀子の猜疑心を含んだ囁きに、朋弥は心から未だ見ぬトレース職人に希望を抱いていた。
高山テキスタイル株式会社も同名製作所と同じく、創業時はフィルムに直接筆を走らせてトレースしていたのを、時代の流れに合せてコンピュータを導入したトレース作業に切り替えていた。切り替えの導入期はコンピュータの知識やトレースの技術に長けた豪の知人吉富知加子と、靖子の弟が運営するやはり同業ですでにコンピュータを導入している梅津テキスタイル製作所で訓練を受けた豪の二人三脚によって采配が振られていたが、知加子が後に諸事情で退職したため残ったのはトレース技術が素人同等の集団である。修正すべき要点を見つけ出すことが出来ても、細かな指図や自社での修正が出来ない状態は停滞感で圧迫されていた。
唯一コンピュータに手練れた優紀子がトレース室の事実上の頭であったが、三児を育ててきた母親としての貫禄が、お世辞にもスタイルがいいとは言えないほどの体格同様に態度も大きく表れた。それが豪には鼻につき、トレース室に在籍する女性三名に対し、自分を含めた男性陣が無関心の辻崎史宏なので数の内に入らない。自分の立場を逆転させる新風を切望するのであった。
「新しい方が来られるんですか?」
受話器を下ろした豪に、朋弥が子供のような眼差しで訴える。
「一回見学に来るみたいや」豪も満更でもない。
「楽しみですね!」
篤朗が二つ折りの携帯電話を畳みガッツポーズでカウンターを出たところに、パンツスーツ姿で廊下を歩いて来たバンケット所属の国峰夏帆が気付いた。
「仲瀬さーん、こんなところでサボってたんですかぁ? 事務所に居ないからコーヒーでも飲みに行ってると思ったらビンゴでしたね! 何かいいことあったんですか?」
スラッと背の高い夏帆は、二十歳という若さで堂々と披露宴のエスコートから花嫁の介添えまでこなすスーパーウーマンだと篤朗も認めていた。自分で指揮するくらいなら、夏帆の下に付き指図に従っているほうがよほど気が楽とさえ思っており、篤朗の危なっかしいエスコートの袖裏でいつも夏帆に助けてもらっているので心許していた。先ほどの電話の話も隠すことなく、
「うーん、まだ分からんけど、転職するかも知れんわ」
「えーっ!? 本当ですかぁ?」
「昔やってた仕事、またやらへんかってお誘い受けたんやわ。厚遇扱いでって話みたいやけど」
「いいなぁ。ここより給料もいいんやろね?」
「給料もやけど子供いるとやっぱり休日に休み欲しいのんもあるからな」
「あーですよね! でもサイゾウ(社長のあだ名)辞めさせてくれるかな?」
「本決まりって話じゃないから、またそん時考えるわ。事務所戻ろっか」
「そうやん、仲瀬さん呼びにきたんやった!」
そう、まだ決まった話じゃない。以前のように同じ轍を踏むわけにはいかない年齢なので、慎重にならざるを得ない。それでもコンピュータの仕事は、篤朗にとっては燻った気持ちを再燃させる魔力とも言える誘惑を掻き立てるのだ。
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