ロゼ・プードゥに対する電気羊

アイカの望み通り、Pure7ロゼ・プードゥと花屋のサティが2人きりで出掛かける事になった。ウエハラ博士の期限まで残り2ヶ月を切っている。


毎日、店員と客として接していたロゼとサティの関係変化は当然サティからだった。


サティにデートに誘われた晩、報告時間にロゼがアイカに告げた。


「アイカ。僕がデートを断ると彼女は傷つく。」


「そう。」


「許可があれば外出したい。アヴァロンパークと映画館です。」


「却下する理由はありません。」


ロゼは無表情。初期起動から4ヶ月少々。アイカの感情を分析出来ないロゼはついにアイカに対して共感を放棄した。他者評価からもアイカの分析は困難と判断したようだ。


まるでアイカは人間ではないという否定。そこまで自分は、アイカ・ミタは変なのか?変人ウエハラ博士の親戚だから、アイカも変人という評価は耳にしたことがある。しかし人間ではないとまで言われているのか?


それともロゼの人工頭脳だけの判断なのか。


ロゼの人工知能で共感を生み出せないアイカが稀有なのか、一定条件においてロゼの人工頭脳やP7が共感を放棄するのかまだ解明出来ていない。


P7がどういったプログラミングなのか判明すれば違うのだろう。秘匿しているウエハラ博士に苛立ちのような感覚がした。


ここのところ混乱が多い。知らない感情ばかりがアイカを襲う。


「今後許可は入りません。ロゼ・プードゥの判断に従いなさい。」


「了解しました。」


さっと立ち上がってアイカはロゼに背中を向けて私室を後にした。


本棚に並べられた小説群。机の上の一輪挿しに飾られたクロッカス。壁に貼られたペンギンの絵。ウエハラ博士は出入りしていないのに、まるで彼の部屋のようだ。


アイカはは自室へと戻った。寝具一式。それから学習用の机と椅子。それだけ。ロゼの人間らしい部屋と、アイカの殺風景な部屋。


ロゼの共感能力と擬似脳神経の関連性は推定できている。脳科学への応用も容易だ。アイカはロゼによる研究成果を試す対象に相応しいだろう。乏しい共感能力の向上。成長。必要なことだ。


しかしアイカは自分が嫌いではない。変わり者で陰口を叩かれていようと、アンドロイドのロゼよりも人間には見えなくとも。


成長したアイカは本当にアイカなのだろか?


アイカは今初めて矛盾を抱えている。



***



ロゼとサティの観察はひどく退屈だった。はたから見れば美男美女の似合いの恋人同士。


ヒューマンドラマの映画を観て感想を述べ合う。


アヴァロンパークを散策しながら季節の草花を愛でる様子。


次のデートは水族館。


その次は博物館。


その次はまたアヴァロンパーク。


ロゼは常に食事の時間を避けるように巧みにサティを誘導していた。


サブモニターに映るのは変哲も無いラブストーリーの映像。しかし日替わりでアイカと共にロゼの観察に当たる特別チームの研究員の感想は様々だった。


基本的にはロゼの疑似脳神経の反応が人間の恋愛に相当するのか、それについて議論する事が多い。


「ミス・ミタ。全部共感による行動や動作だと思うかい?」


ハンス研究員が観察当番の日、ロゼはサティと手を繋いで街中を散策していた。


「サティの安全を守らねばならない。ロゼの対象は精神も含まれる。全てプログラムによるものでしょう。」


はにかむように微笑むサティ。それを真似たような笑顔のロゼ。いつかの大衆酒場でのやり取りのように、ロゼがアンドロイドだと宣言しても彼女は信じないだろう。


「僕らも遺伝子にプログラムされて細胞に支配されている。ミス・ミタは何故そこまでロゼをいやPure 7を否定したいのか理解できない。アンドロイドが恋をする。おとぎ話みたいで夢が膨らむ。」


ハンス研究員は自説の論文を隠すことなくアイカの前で書き進めていく。関心に値しない事なので特に気に留めたりはしない。


一時は共同で論文発表と考えた自分は愚かだった。どうしてアイカは正確な判断が出来なくなってきたのだろうか?


「Pure7が人類に対して不利益の方が大きいと判断しただけです。」


「意見の相違だ。」


「どちらにせよウエハラ博士の予言通りアンドロイド新世紀が始まるわ。私がPure 7を否定しても変わらない。それでも警鐘を鳴らすのは無駄ではない。」


サブモニターの向こうでサティがロゼに口付けした。ロゼは優しく受け入れていた。


ここからが実験本番だ。



***



ロゼの私室にはその日桜の造花が飾られた。ウエハラ博士の故郷の象徴花。サブモニターと連動するマイクは第1研究室にしかない。監視されているロゼの視覚に毎日映るウエハラ博士の姿。第1研究室外も多い。ウエハラ博士が何か糸を引いているのだろうか。


「ロゼ・プードゥは本日からサティと恋人同士。そうなりました。」


「そうですね。幾つか質問があります。」


「ロゼ・プードゥはサティを偽っている。嘘をついている。しかしアンドロイド製作の国際規格三大項目第一項に従い人間を傷つけてはならない為この嘘は認められます。」


質問の前に話し始めたのでアイカは黙って聞いた。ロゼは今日もアイカの前で無表情だ。


「誰であろうとサティにロゼ・プードゥがアンドロイドであると告げてはならない。ロゼ・プードゥはそれに細心の注意を払う必要があります。」


「ウエハラ博士が事実を告げよと命じた場合はどうしますか?」


「アンドロイド製作の国際規格三大項目の第一項に反するので拒絶します。」


「ロゼ・プードゥの認識コード設定者である開発者のウエハラ・シンを拒絶するのですか?」


「拒絶します。」


「それによりウエハラ博士が傷つく可能性は考慮されませんか?」


「ロゼ・プードゥの優先順位に従います。ウエハラ博士よりもサティが上位となります。」


優先順位。これがP7に関与するものなのだろうか?


「ロゼ・プードゥの優先者がウエハラ博士よりもサティであるということで間違いないですか?」


「はい。」


「理由を教えてください。」


「P7に指示を受けています。」


人工頭脳プログラミングP7。ウエハラ博士が意図した何かしらの処理を行いロゼの人工頭脳各プログラムに指示を与えているもの。


「P7について説明してください。」


今更だが聞いてみた。勿論ロゼは答えられないだろうが。


「開発者シン・ウエハラに確認してください。ロゼ・プードゥには開示権限がありません。」


無駄な質問をした。アイカは何故質問をしたのかと自らの誤ちを反省するしかない。


「では最も優先順位が低い者は?」


アイカには確信があった。


「アイカ・ミタ専属助手です。」


確信通りの解答。なのに嫌な気分だ。嫌だというのはこういう思考なのだろう。しかしアイカはそのまま質問を続けた。


「理由を教えてください。」


「ロゼ・プードゥは共感により人類に利益をもたらすように製作されたアンドロイドです。アイカ・ミタ専属助手にロゼ・プードゥは必要ありません。」


笑えばよいのか、悲しめばよいのか、怒ればよいのか、嘆けばよいのか、そもそもそれをどう表現するのか。アイカには判断出来ない。ただ黙って事実を受け入れるしかない。


「私は欠陥人間ですね。」


つい言葉が口から漏れていた。


「アイカは完璧なる人間。アイカにロゼ・プードゥは必要ありません。」


七つの大罪に七つの美徳を人間とアンドロイドの考察に使用しようと考えた事もあった。考え足らずの過去のアイカ。


こんなにもアイカとロゼの境界は曖昧だ。


アイカは人間でロゼはアンドロイド。


生体構造以外に違いはあるのだろうか。


「質問は以上です。電源を切ります。」


「おやすみなさい。」


挨拶はするのかと言おうと思ったが、アンドロイドには不必要だ。返事もせずにアイカはロゼの電源を落とした。


実験はもうやめられない。やめたくない。アイカの為の利己的な思考。アイカはウエハラ博士の専属助手にして研究所で最も優秀な研究員。


アイカ・ミタにはそれが1番有益だから、その座を保持することに努めなければならない。


アイカの使命。


ロゼの机の上に置かれた鏡には眉毛を下げた女が映っている。アイカはかつてない程矛盾している。


思考回路と表情のチグハグさを解析する気力が湧かない。その矛盾はアイカを破壊してしまう気がするのだ。アイカは鏡から顔を背けた。




***



実験は最終段階。


アイカはウエハラ博士の許可を得てロゼの人工義眼とサブモニターの接続回路に音声機能を足した。


そして5日後、アイカの目的の瞬間が訪れた。


サティはついにロゼにキス以上を求めた。


当然ロゼは応えられない。


サブモニター上でサティが涙を零した。


「結婚するまで純潔を守らないと。」


ロゼの発言に歓喜に震えるサティ。


ロゼが彼女をそっと抱きしめた。


数々の嘘も、血の通わぬ体を隠す為の厚着も何もかもが虚像の愛情。


アイカは虚像だと確信している。


ハンス研究員のようにアンドロイドが恋をするなど、しているなど否定する。


対象者を裏切ったと認識したロゼ・プードゥの反応。


しかも巨大な裏切り。


準備は整った。




***



ウエハラ博士との約束の期日。


国際アンドロイド学会。


アイカの発表は最後から二番目。


ウエハラ博士の研究所からただ1人選出された、研究員の誉れ。アイカは最も優秀な研究員。だからアイカの実験は許される。



【アンドロイドの恋】

演者:ウエハラ私設研究所本部第一研究室所属アイカ・ミタ



***



流石に学会には小綺麗にしてくるかと思っていたが、ウエハラ博士は普段着のセーターとズボン。上着の白衣は皺くちゃでシミだらけだ。アイカはやはりウエハラ博士が理解出来ない。


「発表前にP7について聞かなくて良いのか?」


「発表も実験の範囲です。」


「面白いことを考えたな。流石アイカ。さあ行っておいで。僕の最高の助手。」


満面の笑顔でウエハラ博士がアイカの肩を叩いた。これから自身を否定する助手を送り出すのに、どうして笑うのだろうか?


「私はお払い箱にはなりません。」


新品同様の皺のない白衣にレモンイエローのワンピース。それから同じ色のパンプス。髪もきっちりと結い上げた。


ウエハラ博士からの贈り物。


アイカの宝物。



***



アイカはロゼを連れて舞台中央に立った。


Pure7の概要、ロゼの行動や仕草と擬似脳神経反応の分析結果。いかに脳と擬似脳神経が類似しているか。ロゼが人間らしいか。半年間の成果を淡々と述べていく。


Pre7の詳細説明はアイカの論文発表後にウエハラ博士が補足として発表さる予定である。その前の学会最大の目玉がこれからの発表内容。


演目紹介にはアンドロイドはどこまで愛情を表現可能かとだけ記載した。


「アンドロイドの恋。」


アイカはタイトルだけを告げた。ロゼとサティの日常を編集して作成した動画を再生しする。いわばそれはありふれたラブストーリー。会場にはどよめきが起こり、それからだんだんと静かになった。


毎日親しげに話す客と店員。


やがて二人きりで外出し逢瀬を重ねる。


仲睦まじい二人はキスを交わし抱き合う。


そしてロゼのプロポーズ。


全てプログラムによる虚像ならばサティには残酷だろう。それが人類の夢なのか。一途にサティの為に尽くすロゼに対してすすり泣きが聞こえてくる。


動画再生が終了した。アイカは声を出した。


「ではここでサティさんの感想を聞いてみましょう。」


気の毒そうに眉毛を下げたハンス研究員が舞台袖からサティを伴って現れた。


サティの顔面は蒼白で大粒の涙が流れている。


アンドロイドの歴史にの新たなる、そして偉大で価値のある1ページの瞬間。


「ロゼ?嘘よね?」


サティの声は震えている。


「はい嘘です。」


笑顔で答えるロゼ。


アイカはすかさず声を出した。


「新型アンドロイドPure7試作成功体ロゼ・プードゥ、質問をします。」


「拒絶します。アンドロイドではありません。」


「あなたはアンドロイドです。」


「拒絶します。アンドロイドではありません。」


淡々と答える無表情のロゼ。その様子にサティが眉毛を徐々に釣り上げた。


「貴方はアンドロイド!発表を聞いていたわ!嘘は沢山よ!どういうこと?私は弄ばれていたの?何故教えてくれなかったの?酷すぎる!科学者は何をしても許されるの⁈なんて酷い……。」


サティがアイカを睨みつけ、それからロゼに縋りついた。座りこまないようにロゼがそっと彼女を支えた。赤子を愛しむような微笑みを浮かべている。


「ロゼはサティを傷つけない為に最善を尽くした。サティが認識したからロゼはアンドロイドであると情報開示するよ。僕はアンドロイドだ。」


「ロゼ……。」


「ロゼは本日までウエハラ博士、アイカ・ミタ専属助手、特別研究チーム108名以外にアンドロイドであると情報開示する事を禁止されていた。」


サティがまたアイカを睨んだ。科学に犠牲はつきものだ。まだ何度でもやり直せる若い女性の恋心などかわいい代償であろう。


アイカの研究は非常に利益をもたらす。この実験はアイカとウエハラ博士にとって必要な事だ。


「ロゼはサティを傷つけない為に最善を尽くした。でもサティを酷く傷つけた。ロゼは判断を誤った。不良品です。プログラム及び全機能の改善が必要です。」


ロゼが舞台袖のウエハラ博士を見据えた。


「ロゼは不良品として回収される為に機能停止モードに入ります。」


ロゼが停止した。


サティが動かなくなったロゼを抱いて泣き叫んだ。



***



Pure7は人間に最も近いアンドロイド。


人間との違いは使用理由があるか。


Pure7の目的は共感により人類に利益をもたらすこと。


正しい判断においてPure7が使用者に対して最も不利益が生じさせた場合、Pure 7は機能を停止する。


アイカの仮説は立証された。


ロゼ・プードゥの電気羊は存在意義の強い否定。

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