第弐話:憑いて来る闇

「サエ、振り向いちゃ駄目だよ?」

「…っ……はい?」

 突然ヨミカワさんが私に向かって言った。余りにも突然だったから少し反応が遅れてしまった。

「あの…振り返ったら駄目…というのは?」

「そのまんまの意味だよ。さっきから見られてる感じがするんでしょ?さっきの電柱には質たちの悪いオバケが居てね。近くを通る人間にちょっかいをかけて振り向かせようとするんだ」

「振り向いたら…どうなるんですか…?」

「連れ去られる。何処に行くのかまでは知らないけど」

 思わず唾を飲み込む。今までオバケなんて絵本とかテレビとかでしか見たことがなかった。そのオバケがすぐ近くにいると思うとゾッとした。


 どれほど歩いたかは覚えていないけど、私達は商店街の辺りまで歩いてきていた。さっきから私の首元には生温かい息がかけられ、足には何かは分からないけど液体がついていた。もはや我慢の限界で私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「サエ、落ち着いて。もうすぐだよ。あと少しで私の家に着くから。辛抱、辛抱」

「ユ…ユカッ…リさん…息が…息が…」

「…手、繋ぐ?」

 私は言われるがままにユカリさんと手を繋いだ。ほんの少しの安心感を得ると同時に劣等感も覚えた。ユカリさんは私と同い年位なのに私よりもしっかりしていて、まるでお姉さんの様だった。それに比べて私はどうだろう?涙で顔をぐしゃぐしゃにして、声も震えて、手まで震えている。こんなんじゃいじめられるのも当然かもしれない。そうやって卑屈になっている自分に気付いて、また空しくなった。


「さっ、着いたよ」

 ユカリさんの声でハッと気が付くと、目の前には大きな日本母屋が建っていた。建築に詳しくない私でも分かる立派なお屋敷だった。

「ただいまー。帰ったよー」

 ユカリさんの声がお屋敷の中を木霊こだました。他に誰も住んでいないのだろうか?でも、だとしたら何でユカリさんは「ただいま」なんて言ったんだろう?

「おかしいな…いつもは居るはずなんだけど…。ああ、サエ上がって」

「う、うん…」

 ユカリさんに促され、私は玄関から家に上がった。外見だけではなく中身も立派なもので、テレビに出てるお金持ちの人の家みたいだった。あんな高そうな壺初めて見たかも…。

「サエ。今日はもう疲れたよね?今から布団敷くから付いてきてくれる?」

「うん、それは嬉しいんだけど…お家の人は?他にも居るんでしょ?」

「んー、まあ気まぐれな奴が多いからね。多分、散歩にでも行ってるんでしょ」

「でも、外は危ないんじゃ…」

「大丈夫大丈夫。夜の歩き方は知ってるだろうし」

 何か…あまり心配してないような…。信頼してるってことなのかな?


 私とユカリさんは居間に布団を敷き、そこで眠ることにした。誰かと寝るのっていつぶりだろう。5年前まではお母さんと寝てたっけ?そんなことを考えながら、私は意識を失っていった。



「っ…!?」

 私は気持ちの悪い感覚で目を覚ました。首に…生温かい…息が…。私は汗だくになり、もはや足が濡れているのも自分の汗によるものなのかすら分からなくなっていた。ユカリさんに助けを求めようとしたものの、私はユカリさんに背を向けてしまっている。こんなことなら初めから恥ずかしがらずに引っ付いて寝ればよかった。

「っ…!…っ!」

 声を出そうとしても声が出ない。私が臆病なせい?それとも…。考えたくない答えを何とか頭から放り出し、眠ることにした。そうだ。朝になればオバケもいなくなる。そう考えて壁に掛けてある時計を見る。


                 6時12分


 …何かの見間違いだろうか?私の目には6時に見える。6時?いくらなんでもおかしい。朝だとしても夜だとしても今は夏だ。本来なら明るいはずなのに…。

「オイデオイデ、コッチヘオイデ」

 …聞きたくなかった。どう考えてもあれはオバケの声だ…。私の体はガタガタと震え、ますます嫌な汗が出てきた。

「カワイソウカワイソウコッチヘオイデ」

 嫌だ。イヤだ。いやだ。死にたくない。とにかく、そう願い続けることしか私には出来そうもない。弱虫で臆病な私はガタガタ震え、布団を汗やら何やらでびしょびしょに濡らしていた。

カワイソウ

                カワイソウ         コッチヘ

       オイデ                        カワイソウ

                  カワイソウ     オイデ        

        コッチヘ





                  コッチヘオイデ


 考えるより先に体が動いていた。大声を上げながらがむしゃらに腕を振り回し、とにかくこのオバケを追い払おうとした。


 どれ位の間声を上げていたかはもう覚えてない。気が付くと隣には目を真ん丸にしたユカリさんがいて、オバケの姿は何処にもなかった。

「サエ…?大丈夫…?」

「え…あれ?オバケは…?」

「何言って…うわっ!?」

 ユカリさんが突然何かに驚いた。何だろうと思い、目線の先を見るとそこには畳の上に飛び散った大量の黒い液体があり、その真ん中に何か小さな紙が落ちていた。

「うわー…何だこれ…何で家の中で死んでんの…?…あれ?これは」

「あ、それお父さんが持ってるのを昔見たことが…」

 何だったっけ?確か「名刺」って言ったっけ?相手に渡す名札みたいな物ってお父さん言ってたっけ…。

「サエ。これ…君がやったの?さっき大声上げてたのと何か関係があるの?」

「え、いや…ごめん…。…外にいる時みたいに首に息がかかったり、足元が濡れたりして…その、変な声まで聞こえ始めて…私我慢出来なくなって、それで…」

「…そっか。気付いてあげられなくてごめん」

 そういうと彼女はギュッと私を抱きしめてくれた。何故だか分からないけど涙が出てきて、そのままわんわん泣いた。


 ひとしきり泣いて落ち着いた私はユカリさんに聞いてみることにした。

「ユカリさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな…?」

「うん?何?」

「もう朝のはずだよね?何で暗いままなのかな…?」

「サエ?何言ってるの?ここは昔からそうでしょ?ずっと夜じゃん」

 私には彼女の言っていることが理解出来なかった。

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