第20話「執事」

「…………え、あれ?」


 なかなか襲って来ない手に疑問を覚え、ゆっくりと目を開けると、そこには皮靴とズボンが紀子の手を上へと押し上げていた。

 もちろん、皮靴やズボンが勝手に動く訳もなく、さらに視線を移動させると、執事服に身を包んだ大原が宗也を守るため紀子の手を蹴り上げたのだった。


「紀子様、これはどういうことですか?」


 大原は足を降ろしつつ厳しい顔つきで尋ねた。


「……なんでよ、なんであんたは私のエコーズを喰らってないのよ!」


 紀子はヒステリックに喚き散らした。


「この、殺せと響くのも紀子さまの仕業ですか。申し訳ございませんが、この程度で主君に危害を与えるようでは武藤家の執事は務まりません!」


 大原は堂々と言い放った。


「なんでよ! 動画は大人しく撮ってたのに! 危害を与えるから聞けない? そんな理由で、そんな下らないことで……」


 紀子は崩れおちるように膝を着いた。


「下らなくなどありません!」


 大原は紀子の言葉を強く否定し、


「そして武術の心得も武藤家の為に身につけましたっ!」


 大原は紀子と宗也の距離を開ける為だけの押し込むような蹴りを紀子に放った。

 当然防御されると考えていた大原だったが、


 どこっ!


「!?」


 紀子は全く防御をする気配なくそのまま蹴りを喰らった。


 しかし、逆に蹴りをモロに喰らったため紀子はその場に仰向きに倒れ伏すだけで思うように距離は稼げなかった。


紀子は大原のことは見ておらず、何やらぶつぶつと呟き始めた。


「なんで、みんな、みんな、みんな、私の邪魔ばかり……、なんで、私だけ、不幸なの? ねぇ、なんでよ!」


 ガバッ!


 紀子は人間とは思えない動作で仰向けから一瞬で起き上がり、いつのまにか漆黒に包まれた腕で、大原ごと宗也を薙ぎ払おうと、大きく腕を振るった。


 ブゥォン!


 空気を切り裂く音をさせ、漆黒の腕が迫った。


「ガキィン!」


 ガキィン!


「大原さん。おかげで助かりました」


 危機一髪のところでSEが間に入り攻撃を防いだ。


「もう一つ、大原さん。よろしいですか? 宗也さんを連れてこの屋敷から逃げてください。エコーズが暴走しはじめています。これは少し、ヤバそうです」


 紀子は次第に腕だけでなく、全身に漆黒を纏うようになっていっていた。


「なんで、なんで、なんで、なんで、あぁ、きっと、神様が悪いのね。あと、あなたが悪い、あいつが悪い、こいつが悪い、そいつが悪い、あれが悪い、これが悪い、奴が悪い、彼が悪い、彼女が悪い、……みんなが悪い! もう私は許さない。みんな、みんな、神様だろうとなんだろうと許さない!

 許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない」


 紀子はとうとう全身が真っ黒の巨人のような姿になった。


「あああああああああああああああああああああああああああ」


 SEが押さえていた腕をただそのまま力任せにそのまま押した。


「なっ! ワタクシのエコーズはまだ残っているのに!」


 ドガンッ!


 SEは壁が崩れるほどの強さで叩きつけられた。


「ガハッ」


 SEは瓦礫の下敷きになり、姿を消した。


 ドシンッ! ドシンッ!


 大きな足音をさせながら紀子は宗也たちに近づいて行った。


「ぼっちゃん、逃げましょう!」


「でも、SEが!」


「こちらに残られていては彼の意思が無駄になってしまわれます!」


 大原は叫びながら宗也を抱え走りだした。


「にがすかぁ!」


 紀子は人間の声とは思えないほどしゃがれた声を発しながら、追いかけはじめた。


「……ヒュン」


 微かな声が聞こえ、


 ヒュン。


 瓦礫の一つが紀子目がけ飛んで行った。


 ガシン!


 紀子の背中に瓦礫はぶつかったが、紀子にダメージはないらしく、ゆっくりと振り向いた。


 がらがらがらっ!


 SEが瓦礫をどけながら立ち上がり、スーツについた埃を払いながら、


「行かせませんよ」


 と、こんな状況でも笑顔だった。

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