1-4 エンカウント=バトンタッチ
緩和から緊張。一瞬にして空気が変質する。
テラス席はテーブルからチェアから全てが倒れ転がり、ガラスの散った店内は一言、惨状。店の中に居た何人かは血を流して倒れている。
なにが起きたのか。驚きに立ち上がった状態のまま、呆然と立ち尽くす。
そして上から響く声。くるくると宙を舞う紫髪の少女は、なにがおかしいのかずっとけらけらと嗤っていて。
「しっかしご挨拶だねえリッシー? 久々に顔を見たと思ったらいきなりコレ? いやまあコミュニケーションは挨拶からとはよく言うけれどこの類の挨拶は勘弁願いたいなあ? 人間は言葉を持つ生き物なんだよ? 石を投げるなんてそれこそサルにだってできるんだからさあ? もうちょっと知恵使っていこうよ知恵♪」
フェノの言葉にパーカーの男は大きく舌を打つ。同時にじゃらり、と鉄のこすれる音も聞こえた。
というより、石? 先ほどの衝撃はまさか、ただの投石だとでもいうのか。まさか、信じられない。
植え込み越しの道路に立つ黒いパーカーの男は、その大きな体躯に似つかわしく低く重い、粘ついた声で悪態をつく。
「うるせえぞクソ幽霊。石コロくれてやるだけありがたく思えや」
そしてまた、じゃらりと鉄の音。
よく見ればパーカーの男は右手に金属の輪を握っているようだった。輪の一部からは銀色をした鎖らしきもの伸びている。
……どこかで見たことのある形だ、などとベタな事を考えるまでも無く、その金属の輪の正体が手錠であることを悟り。
その鎖の先になにかが繋がれていることもまた察したが、植え込みの枝が影になり、その姿は良く見えなかった。
植え込みに隠れるということは、背の低いなにかなのだろうが。
「相変わらずのぶっきらスティックだねえリッシー。見た目通りの荒い性格なんてなんの捻りも面白みも無いと思うんだよねボク。っとまあ、さておきさてさて、二重の意味でお勤めご苦労だね? 今回は誰を呼ぼうかなって考えてたところで丁度仕事終わりのキミが近くを通りかかったものだからこいつは渡りに船だ、ってなことでこっちの勝手十割でお呼び立ていたしましたけれどお怒りにならないでくださいませね♪」
「うるせえ、死ね」
「NO! ねばーだい、だよリッシー。なにせボクは『
「うるせえ、死ね」
「なんだよなんだよキミもそれ? なんでボクと話する人ってそのうち同じ相槌しか打たなくなるんだろうね? なんかの呪い? 誰かの夢? 悪質ないやがらせ? いやんフェノちゃん困っちゃう♪」
「……」
フェノの
飛び回る紫髪へ向かっていた男の剣呑な視線が、矛先を変える。鋭利な視線の先端は、俺へ。――一瞬、息が止まる。
「面倒くせえ」
ただの独り言が嫌に強く、粘っこく耳に残る。
この男は膿んでいる。直感的にそう思った。滞留し、腐りかけたなにかを体の中に孕んでいる。行き場のない澱みを腹の中で腐敗させている。
そうでなければ、こんなにも粘性の高い、濁った声など出せるはずがなくて。
「おい、休んでんじゃねえよ」
俺を呼んだ――というわけではない、ようだ。
呼びかけと同時に男はじゃらっ、と勢いよく鎖を引っ張った。繋がれていたなにかが、植え込みの茂み越しにもぞもぞと動く。少し遅れて、「ぐうぅっ……」とくぐもった声がした。
途端、舌打ち。パーカーの男は眉をぴくりとひくつかせて、無造作に拳を振り上げる。そして――――ごちゅ、と鈍い音。
打ち下ろされた拳はなにを潰したのか。そんなものは考えるまでもない。苦痛に呻く怯え交じりの声が同時に響いているのだから、どんな馬鹿でも想像が付く。
「なに座り込んでんだよ、しょうもねえ芝居やめろや。また脳天カチ割られてえのか」
「ご、ごめんなさいぃ」
酷く怯え切った、気味の悪い声がした。低く粘ついた巨漢のものとは別の声。
その声に何度目かの舌打ちを放ったパーカーの男は、無造作に鎖を引っ掴むと、一気にぐんと引っ張り上げた。
必然、植え込みに隠れていたなにかが強引に吊り上げられ、俺の視界に入り込む。
それは赤黒い男だった。
全身が赤黒くぬらぬらと濡れている、細身の若い男。その様には「ぼろ切れのような」という形容がぴたりと当て嵌まる。
鎖に繋がれているのは、右手だけに掛けられた手錠。それに引かれて吊られるがまま、ぶらぶらと動く男はどう贔屓目に見ても、満身創痍に違いなく。
パーカーの男が、その鋭い視線をぼろ切れのような男に移して、ぼそりと呟く。
「お前、俺の代わりにあの癖毛殺せ」
「ほ、『法典』の、拘束が……」と、細身の男は蚊の鳴くような声で呻く。
「あ? 出力絞られてるだけだろうが。いいからやれや」
「体、動かないんだよ……! 夢、抑えられて、るから、治療、ほとんど働かなくて―――――」
――――どう、と低い音がした。みしり、と骨の軋む音も。
それと同時に、細身の男の体がくの字にまがり、不自然にふわりと浮いた気がした。直後その男は苦痛に顔面を歪曲させ、声にならない声を上げる。
なにが、起きた? ……殴った、のか?
恐らく、パーカーの男が細身の男の腹を殴った、のだろう。恐らくとしか言えないのは、俺の位置からそれが全く見えなかったからだ。
二人の男をずっと視界に収めていたはずなのに、それでもなにが起きたのかはっきりと認識することができなかった。
……第三者にすら視認できないほどの速度のパンチ? まさか、有り得ない。
まるで漫画の世界の話だ。絶対に不可能。考えるだに値しない。端から端まで馬鹿げている。理性の域でそう強く感じるが、でも……やはり、飲み込むしかないということなのか。
――――これは夢。ここは夢の世界。フェノの嘲笑がリフレインする。
苦痛に歪み咳き込む男の顔を、淡々と睨み続けるパーカーの巨漢は。
「やれ。それか死ね」
端的に命令する。傍で聞いていた俺ですら背筋の冷えたその言葉に、満身創痍の男がまさか逆らえるはずもなく。
「わ、わかった、わかりました」
恐怖に顔を引きつらせながら何度も頷く血塗れの男。その様子を鼻で嗤ったパーカーの巨漢は、片手に持っていた手錠を不意に放した。
支えを失い、どさりと崩れかけた細身の男は、地面に数滴の血を垂らしながらもなんとか自力で姿勢を立て直し、こちらを向く。
赤黒く染まったその顔は、無数の青あざで腫れ上がっており。
ただただ痛々しいその姿で、男はぎろりと俺の方を睨みつけ、弱弱しく言う。
「悪く、思うなよ」
「……お前、本気で言ってるのか?」
ついそんな言葉が出る程度に俺は、この現状に付いていけていなかった。
純粋に理解ができない。まさかこの男、自分の状態に気づいていないとでも言うのか。そんななりでドスを効かせたところでこちらがひるむと、本気で思っているのだろうか。
まして、ましてだ。
あのパーカーの巨漢は、血塗れの男に向かって
なぜ俺が殺されなければならないのかという点も疑問だが、それ以上に。
いくら俺がただの一般人とはいえ、こんな血だらけで死に体の相手に殺されるなんてことは、どう考えても有り得ないだろう。女子供じゃあるまいし。
「――――ところがどっこい、これが十分死ねるんだよねー」
と、直上からの声。
見上げれば、日除けのパラソルの上にふわりと居座り、顔だけを下に覗かせたフェノがにやついていて。
そんな紫髪の少女にイラつき、意識を持って行かれたのがまずかった。
――――めしり、と。まず始めに音が聞こえた。
次いで衝撃。いまだかつて受けたことのない力が右腕と右わき腹を圧す。目の前の景色が白み、瞬間に視界がびゅうと流れた。
――――俺は、吹き飛ばされたのか。
そう気付いたのは、歩道に投げ出されてごろごろと転がった後のことだった。
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