食骨花の裏言葉

サキヨ

〜第1章 シェアの精神〜 第1節…シロツメクサ

20××年―――


世界の裏側には花が人のように暮らす、花だけの世界があるらしい


「 Bloem bloei 」…花よ咲け

そう聖声せいせいした途端リンカの手の甲の傷から一輪のシロツメクサが咲く。その姿は、可愛らしくこぢんまりした丸い花のかたわらに葉を四枚咲かせていた。

四葉のクローバー。


「シロツメクサ。シャジクソウ属の多年草たねんそう。別名、クローバー。原産地はヨーロッパ。花期は春から秋。歴史はオランダからの献上物から始まり花言葉は―――」


典型的な機械じみた声でそう説明をする“ギミック”はリンカの所持している

Bloem花をeetmachine食べる機械”だ。


「これが必要なんだよね?はい、どうぞ。」


 彼女の物静かなトーンに、無傷な掌で踊る小さな機械である“ギミック“は、油がとうに切れた歯車をキシキシと鳴らし返事する。


 与えられたシロツメクサは"ギミック"の身体の中に光の粒となって消えていくが、一体どの様に供給してその力をエネルギーに変えているかは定かではない。

 魔力というものはそういう科学を超える摩訶不思議まかふしぎなところに位置付けられているのだ。


 ギミックは喜んでいるのか、手のひらの上でピョコピョコと飛んでいる。

その小さな背中には、

“Productie in 1856 xx”と書かれていた。


 つい先ほどまで道で壊れかけのまま花に埋もれて倒れていた"彼"は、きっと誰にも見つけてもらえずにしばらくの間横たわっていたのだろう。

身体は節々が錆び付いて風化が始まっていた。


そんなほのぼのとした情景の背後から、突如として緑のもやが迫る。


「…っ!?」


周りを吹き上げる勢いの風に咄嗟とっさに目を強くつむった。

彼女もといリンカを完全に覆った靄は一瞬にして彼女らを世界から身を隠す。


が、リンカが恐々こわごわと薄く目を開けてみると、数メートル先に薄らと人影が見えた。

突然の異常気象に取り敢えず抜け出すことを率先しようと無意識に働いた右手は、“ギミック”をポケットに突っ込む事で事なきを得た。


ハッキリしない視界の所為せいで人影が詳細は掴めない。

それにこの現象で何かを察知するかの如くリンカの左手の甲にある、とうの昔に治ったはずの傷が疼き出す。

…この靄は嫌な予感がする。


リンカはその左手で口を塞ぎつつ、一縷の希望を持って人影に向かい駆け出した。





 1分は走っただろうか。

近いと思っていた人影は案外離れた所だった様だ。無我夢中で走っていたリンカはいきなりの靄の終着点に立ち止まれず、其のままドンと壁のようなものにぶつかる。


苛立ち半分で鼻をさすりながら目の前の障壁を見上げてみたが、どうやら壁だと思っていた物は黒いマントで身を覆っており、フードで顔は見えないが先ほど靄の中から見えていた人影で間違い無さそうだ。



「あ、すいま…ッ!!」



慌てて謝罪の言葉を紡ごうと口を開くと、何かモサッとした感触が突如口腔内に広がる。


酸素の供給が追いついていないリンカの頭は、状況の理解に時間が掛かった。

一瞬、時が止まる。


恐々と目を向けると、は何かの花がついた草の様だ。植物か如何どうかはさて置き、少なくとも人間が食べられるものではない。リンカは疼く左手で勢いよく取り払った。



「ゲホッ!な、何するんですか…!」



口の中には葉っぱの青臭い匂いがしぶとく広がり、リンカは顔を青苦くしかめた。



「おっと、花が嫌いなんですね?珍しい…」



黒いマントの正体は彼が頭からフードを外す事で判明する。


色素が薄く白みがかったブロンドが少しパーマがかっており、その耳までかかる髪を風で揺らしている若緑色の目の青年。かに一瞬見えたが、瞬きのその瞬間顔の位置にあったのは完全にシロツメクサの花だった。


「えっ「あれ?人間…?」


無意識に口から感嘆かんたんの声が漏れるが、目前の花に遮られる。


次々と常識が圧倒され、まず自分の目を疑い擦った。

先ほど見えた幻覚とは打って変わったよもや人間には見えない風貌。

後ろに向かって半円状に生えた大きなツノ。成人男性の顔とほぼ同じ大きさのシロツメクサが、本来顔があるべき位置にある。

さらに花口が上ではなく、完全にこちらに向いて咲いていた。


顔の正面とでも言いたいのだろうか。


全く目の前の状況に頭が追いつかない。クラクラした頭は先ほど走ったからだろうか?


否。花の尾から伸びる茎の先は白いシャツの襟の中へと続いている。

…夢を見ている気分だ。


そこから下へ視線を流すと、彼のマントの中がちらりと見える。

緑のベストにサルエルの様な黒いズボン。…?…この格好どこかで見た様な…。


「あの。」

「え?あ、はい?」

「貴女、人間ですよね?」


そう聞きながら目の前の花は指先をくるくると回しながら少し屈みこんで聞いて来た。そういえば身長がものすごく高い気がする。私が163センチだから…2メートルはあるんじゃ…。


「は、い。そうですけど。」

「あぁ〜。そっか…。うんうん、そっかそっかぁ…。ん〜〜じゃあ君にはこれをあげようかな」


え?声にならない疑問の代わりに顔が上がる。表情は判別できないが、目の前のシロツメクサが微笑んでるのは声のトーンから察することが出来た。


いぶかしげな顔で彼の行動を見ると、白い手袋のついた何故か人間の形をした手を自身のマントの懐に突っ込み、一回り小さな黒いマントを出してきた。



「じゃこれに魔法かけて。出来るでしょ? ほら、え〜っと…そうそう。<旧約聖書 出エジプ記21章24-25> だ。じゃ、早く読んで。」


そう早口でまくし立てたシロツメクサを見て、彼の行動の真意に対し疑問が残るリンカはその場で思考停止する。


「ん?何してんの?固まってる?あれ?おかしいな君 ”apostel” だよね。あれ、僕が間違え「待って待って、待ってください。」


「あー、そっかそっかごめん。久し振りだから許してね。うん。そうだ、説明しなきゃ。えっとね〜、にはしか生活していないんだ。つまり、人間の君が街にいきなり現れたら?賢い君には分かるだろう?」


身振り手振り指を人型に変えながら説明する彼に対しリンカは考え込む様に右手を顎の下に支えた。



「…なるほど。」


「察しが早くて助かるよ。」


そんな事より…一体何なんだこの花は。落ち着いた雰囲気かと思えば今度は急かすように慌ただしい。

説明に含みがあるし、何とも腑に落ちないが…。


しかしこの花が発言したそれが事実なら、今はそんな事を考えている余裕はなかった。


仕方ない、今は一旦疑問は置いておこう。

リンカは頭と思考を振り払った。

そして取り出した聖書の文字を追う様に只管ひたすら緩く指を沿わせ、スゥと息を吸い呼吸を落ち着かせる。

と同時にリンカの薄く開かれた目は赤から淡い緑に変わる。


「Linnenpulp voor de ring van houtkorrels. Een nacht schrik van het lam. Creatie van wonden. Nu in het donker tijdelijk de grens van de wereld. Ik bid met heilige stem "oog voor ogen voor tanden tanden".…「木目の輪をリネンパルプ。仔羊の怯える夜。傷の創造。今闇で世界の境界線を仮初めに。

「聖声 ”目には目を歯には歯を”。」

<出エジプ記21章24-25>から引用


リンカが聖声を唱え出すと聖書を手に持っていた左手の傷からメキメキと治りかけていた傷を掻いてつるが這い上がる。

至る箇所には紫の花がつぼみから芽を出し、成長をし始める。

藤の花、そうれは藤の花だ。


”藤の花は身を隠す”日本の言い伝え。


リンカの手の傷はほんの少し肉を見せ、新たな裂け目からは血が滴り落ちる。

そして藤の花弁は血を吸い上げている為か、少し赤みを帯びていた。




「Amen.」


「やぁやぁ“prachtig素晴らしい!”。君はオランダ語がとても流暢りゅうちょうだ。ここではそれが、役に立つ。」


どうも、と顔を背け曖昧に返事をしながら彼から奪い取る様にマントをひるがえして首紐を縛る。

そして傷から蔓をズルズルと肉を巻き込む様に引き抜いてから、れを”ギミック”へポケットに押し込む様に与えた。又歯車が鳴り出し、例のが現れる。


それを若干聞き流しつつ、"機械こいつ"も念の為必要だろうな…とぼんやり頭端あたまはしに浮かべた。


いつも通りだが、あいも変わらず今の一瞬でいつの間にやら痛みの引いていた手の傷をちらりと見据えるが、また目をそらす様にその手でフードをやや乱暴に被る。


「よくお似合いだ。“honingbij”」

「私がミツバチだって?」

「花と蜂。相性が良さそうだろう?」


この花は能天気なのか?煙たいだな。

一見花と蜂が共存している様に見えて、その実花粉を麻薬の様に蜂に依存性を与え、結果自分は優雅にそこにいるだけ。


ほとんどのリスクは蜂が背負っているのだ。

その事をこの花は知っていて告げているのだろうか。


「ビー?」


…まあ、アホそうだし杞憂かな。

先に歩き始めていたシロツメクサがこちらを振り返り首を傾げている様子を見て、ため息を一つ漏らす。


「はいはい。行きますよ」






第1節−fin−

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