第二章十二学区

第4話 彼らのアフタースクール(1)

1.

 戦争が起こる。

 その宣告を現実として受け入れられる者はいったいどれほどいるだろうか。

 かつて人間とエンチャンターの間で起きた大規模な戦争はその規模とは裏腹に世に認知されていない。種族間のバランスを覆すほどに至ったにもかかわらず、である。

 両陣営共に多くの犠牲者を出しながらも最終的に人間側に軍配が上がり、大多数のエンチャンターが死に絶え収束した。 

 戦域が世界のほぼ全域に点在することから第零次世界大戦と語られるほどだ。

 戦後、戦争を転機に人とエンチャンターの生態系及び、社会形態に革新が起きた。立場を追われたエンチャンターは影に潜むような暮らしを余儀なくされ、入れ替わりに人間が世界の主権を握ることとなった。

 後世へと語り継ぐ者や文献が極めて少数な理由はここにあり、単純な武力による握り潰しと、箝口令が原因である。

 しかし、激戦を生き残ったエンチャンターは世界の裏側で細々と存在しながらも棄却された歴史を伝承し守り続けてきた。

 やがて『悪夢ナイトメア』と呼称される領域にまで昇華した存在となり、一つの誓いを立てる。

 もう二度と過ちを犯さない、戦争という悪夢を繰り返さない、と。

 そして、自分たちが反面教師として残されたエンチャンターを管理し、人との間を取り持つ組織『メサイア』を結成した。

 その後は人間とエンチャンター、お互いに距離を保つことで大きな戦いに発展することなく、近代に至る。

 しかし、長い時を経てメサイアの中で変革が起こり、抑圧されていた禍根が再び芽吹く。

 世界の覇権を人間から取り戻すための準備が人間社会の中で着々と進行しつつあった。



 ここに一人の少年がいる。

 戦争の経験こそないが僅か一日で世界が変貌することを少年、御波透哉は経験で知っている。

 学園指定のスラックスに糊の効いたカッターシャツを着た鋭い目つきの男子生徒である。

 透哉自身もまた人の命が多く関わる惨劇の中を生き抜いてきた一人だ。

 十年前に起きた『幻影戦争ファントム』と呼ばれる学園一つをまるごと飲み込んだ未曾有の惨劇。

 多数の死者を出し、昨今で最もエンチャンターへの恐怖を煽る要因となった事件である。

 過去の戦争と比較すべき事案ではないが日常が凋落する点において透哉は他の者よりも近い次元で慮ることができる。

 とは言え、些細な諍い争いの積み重ねを戦いと定義するなら何気ない日常も小さな戦争と位置づけられるのかもしれない。

 場所は夜ノ島やのしま学園。

 矢じり型の半島の中腹に位置するエンチャンター専科の高等学校である。

 廃校になった旧夜ノ島学園の代わりに新設された比較的新しい学園だ。

 時は昼休み。

 透哉は食堂で昼食を終え教室に帰る途中の階段で女子生徒に呼び止められた。

 今は踊り場で足を止め、透哉は戦っていた――自らの味覚と。


 ぞむぞむ。


 自分は何を口に入れたのだろう? 確か形が整ったうまそうなクッキーだった、はず。

 噛み締めるたびに「ぞむぞむ」と奇妙な咀嚼音を鳴らすその物体は、記憶を錯誤してしまうほど予想外の味で口の中を支配していた。

 この間、僅か数秒。もう、即効性の毒と言って遜色ない。

 透哉はいわく言いがたい顔をしつつ、感想を待っている女子生徒、源ホタルに目を向ける。

 腰まで伸びた美麗な銀髪に青い瞳を有した、学園指定の黒いスカートとブラウスを着て襟元に緑色のリボンをあしらった女子生徒である。

 トレードマークである藍色のチョーカーが今日も首に巻かれているが、今はどうでもいい。


「どう、だろうか?」


 生徒会副会長にして魔力を電荷に変えることを得意とし、『雷王』と呼称される固有の技を持つ男女問わず憧憬を集めるエンチャンターだ。

 そんなホタルが普段は凛とした顔立ちを不安そうにさせ、眉をハの字にして透哉の返答をしおらしく待っている。

 要約すると透哉はホタルの(自称)手作りクッキーを食べて、ホタルが味の感想を待っているのだ。

 透哉は少し考えた後、厄介な味覚と食感の提供者であるホタルに思ったままを告げる。


「……小麦粉の方がうめぇ」

「なっ! 言うに事欠いて原材料の方がうまいだと!?って、お前いつの間に!」


 ホタルは力作への酷評に反論しながら、突然の乱入者に驚きの声を上げた。

 見れば透哉の傍らには栗毛のポニーテイルを揺らす小柄な少女が少し得意げな顔をして現れた。接近を気取られず忍び寄ったことが誇らしいようだ。

 彼女もホタルと同様に女子の制服に身を包み、こちらは黄色のリボンを有している。


「お兄様あるところに私あり、ですわ!」

「お前、いつの間に」

「こんにちは、お兄様っ! ラーメンを食べきるのに少々時間を費やしてしまいましたがここから平常運転再開ですわ! あー、ついでにホタルさんもこんにちはですわ」


 露骨に温度差を付けた挨拶を終えると少女は透哉の腕をしがみつく。


「付け回すならもっと控えめにしろ。そして、離れろ」


 透哉はつかまれた左腕をぶんぶん振りながら汚いものを見る目でかわいらしい後輩の皮をかぶった少女、七奈野々乃に言う。


「御波、そもそもストーキングを平常化していることを注意するべきだと思うが」


 透哉の慣れきってしまっている対応にこの場における常識人としてホタルが口を挟む。


「ち・な・み・に、最近のトレンドは『お兄様と同じ食事をして胃の中から一緒だねっ!』ですわ!」


 野々乃は腹部を優しくさすりながら自らの変態的趣向を隠すことなく告げる。先刻自分で口にした通り、野々乃の昼食は透哉の注文を見てから頼んだラーメンである。

 注文タイミングが遅れたこと、男女の食事のスピードからストーキングに遅れが生じてしまい、先に食堂を出た透哉に今追いついたのだ。

 野々乃は透哉の熱狂的かつ、開放的なストーカーなのである。

 普段ならエスカレートする野々乃の行為に灸を据えるところだが、透哉は閃く。

 野々乃の趣旨を尊重する形で行える素敵な制裁を。

 透哉は袋の中から毒々しいオーラを放っている(風に見える)クッキーを一握りすると野々乃の眼前に突き出す。


「野々乃。食べさせてやるから、食え」

「はい、頂きますわ!」


 拳の隙間からはみ出るほど大量に握られたクッキーは透哉が口にした量のおよそ十倍。致死量を遥かに超えている。

 野々乃は透哉の想定外の要望に当惑しつつも、意中の男子からの申し出に抗うという選択肢は生まれなかった。まして、同じものを胃の中に収める謎の縛りをしている真っ最中である。

 野々乃は思わぬ幸運に目をキラキラと輝かせ、邪な情を胸に宿し、かかってこいと言わんばかりに大きく口を開ける。

 一方で透哉はニヤリと怪しげな笑みを浮かべ、池の鯉にエサを与えるように手を開くと野々乃の口にバラバラと放り込む。


 ぞむぞむ。


「―――ぶっへぇ!」


 およそ少女の口から出るとは思えない声を発し、野々乃はトイレに駆け込むと口を高速洗浄した後ダッシュで戻ってきた。


「ななな、何ですの!? この原材料の小麦粉にも劣るテイストの焼き菓子わぁああぁー!」

「ぞむぞむクッキー(今考えた)源が独自開発した新食感の劇物だ」


 野々乃はブンッとポニーテールを振り回しながらホタルの方に向き直ると、青ざめた顔で問いかける。


「ホタルさん、まさかあたしを殺めるために拵えましたの!?」

「そんなわけあるか! これは、その、御波にお礼のつもりで作ったのだ……」


 野々乃の過剰な反応に声を荒らげたホタルだったが、異性にお菓子をプレゼントする行為に今更気恥ずかしさを覚え、途中から小声になってしまう。

 けれど、その姿が透哉と野々乃の目には言い淀んでいる風に映った。


「日ごろのお礼? つまり、殺める標的はお兄様!?」

「だから、違う! と言うか、誰がどう見てもクッキーだろうが! ただのお菓子ではないか! 」


 納得がいかないホタルは透哉の手に握られたままのクッキーが詰められた袋を指差す。この期に及んで普通のお菓子と言い張るホタルに透哉と野々乃は言葉を失う。


「「……」」


 透哉と野々乃の二人は目を合わせると一つの疑問を抱いた。


「時にホタルさん? そもそも味見はされましたの? 」

「馬鹿を言うな。こんなに綺麗に焼けているんだぞ? まずいわけがあるか!」

「その自信はどこからくるんだ? 何でもいいから一つ食べてみろ」

「御波、何をする! むぐぅ!?」


ぞむぞむ。


「――今日から私の好物は小麦粉だ」


 透哉にクッキーねじ込まれたホタルは直ちに非を認めた。

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